第60話キュウモン


 承平じょうへい六年――十月十七日。


 たいらの将門まさかどたいらの真樹まさきの二人は、揃って検非違使けびいし庁に召喚された。

 朝早くより、将門と真樹は別々に糾問きゅうもんを受ける事になった。――が、将門のみが別当の部屋に通された。


 将門が部屋に通されると、既に検非違使けびいしの別当べっとう椅子いしに深々と座り、虫籠の中に唐瓜からうりを入れている最中であった。


「久しいな、小次郎こじろう。まさかこの様な形で再会を果たすとは、思いもよらなんだな。――座るがよい」


 歳のほど四十手前、立派な髭を蓄えた検非違使別当。――藤原ふじわらの実頼さねよりは静かに笑いながら虫籠を置き、対面に置いてある椅子を指差す。


「実頼様。参議さんぎに任じられたと、お聞きしました。御多忙の中、御時間を割いていただき感謝いたします」


 礼をしながら、椅子に座る将門、その表情は明るかった。


「さて、小次郎よ。形だけとは言えども糾問せねば、ならんのだが。……」


 実頼は居住いずまいを正しながら、真剣な表情をし、射抜く様に将門の双眸そうぼうをしっかりと見据えながら押し黙る。


みなもとのまもるの子息が、鎮守府ちんじゅふ軍旗ぐんはた鼓鉦つつみかねを持ち出した事。そして官品を無断で扱った、源護の子息を殺害せしめた事に相違ないか」


 重苦しい空気が漂う中、実頼がとうとう糾問を始める。


「相違ない」


 将門まさかどは一片の揺らぎもなく、真っ直ぐに実頼さねよりの眼を見ながら、短く答える。

 その後も幾つかの受け応えをする。



禁遏きんあつが下っているなか、理由は兎も角、私闘を次々と繰り広げ、多少なりとも世を乱した事に相違ないか」


「相違ない」


 最後の問いであったのか、実頼は大きく深呼吸する。


「ふむ、これで糾問は終わりだ。……沙汰を下す立場にない故、私見であるが。……重罪に――」


 そこまで言いかけながら、口をつぐむ。

 眉間にしわを寄せ、口に出すのを躊躇とまどっているのか、重苦しい表情をする実頼。


「問われる筈はない! ――罪過ざいかは軽微であろうよ、あんまり辛気臭い顔をするな」


 先程までの重苦しい表情をどこにやったのか、悪戯をしたわらべのように破顔一笑する。


「悪戯好きの性格は、あいも変わらずのようで」


 釣られて笑みを溢す将門。


「良いではないか、少しの遊びがあっても。既に沙汰や落とし所は親父殿の腹内で決まっておるだろうしな」


 実頼は椅子から立ち上がりながら背伸びをし、将門の方へと歩み寄る。


「夜に親父殿から呼び出しがあるだろう。……小次郎に会えるのを首を長くして待ち望んでいたからな」


 実頼は笑いながら、兄弟を労うように将門の肩に手を置く。


「それよりも小次郎よ、唐菓子を食べながら、坂東での活躍振りを聞かせて貰いたいのだが?」


「仰せの通りに、実頼殿」


 先程まで糾問される側とする側であったが。……今は笑い合いながら旧交を温めあう男達がいた。

 別当の部屋に飼われている、長生きの鈴虫が鳴き。――将門と実頼は過去の秋に思いを馳せながら語りあう。


 一方、平真樹の糾問も終わり、平将門の活躍振りを、少しの誇張こちょうと嘘を交えながら語っていた。

 部屋には火長かちょうだけではなく、悪人面をしている放免ほうめんまでが集まり、童の様に目を綺羅つかせながら聞いていた。


 将門の武名は畿内に伝わり始める、強く正しい行いをする人であるとして。……





 その日の暮れ頃。

 平将門は藤原ふじわらの忠平ただひらの居館へと招かれた。

 家人として仕えていた日々の事を思い出しながら。居館の主人である、忠平の元へと感慨深そうに向かう。


 忠平の私室では、既に燈台とうだいに火が灯され、揺らりと動いていた。

 将門は大きく深呼吸してから、襖に手を掛ける。


「忠平様。小次郎です、入ります」


「うむ。入りなさい」


 重たく、心の臓を震わすような声がふすまの向こうから聞こえてくる。

 将門はゆっくり、なるだけ静かに襖を開け。……するりと静かに、素早く中へと入り平伏す。


「藤原忠平様、お久しぶりでございます。太政大臣だじょうだいじんに任命されたと実頼様より、お聞きしました。誠におめでとうございます」


 平伏しながら、祝いの言葉を述べる将門。

 嬉しそうな顔をしたが、すぐに顔を威厳のある顔に戻す。


「小次郎、おもてを上げよ」


 その言葉とともに顔を上げ、正座をする将門。

 眼前には畳の上に座る、忠平と碁盤ごばんが置かれていた。


「身体の調子はどうだ?」


 黒い碁石を握り、小気味よい音を鳴らしながら碁盤に並べていく。


「すこぶる。――すこぶる悪いです。今の状態では単独で化生を討ち亡ぼすことあたわぬかと」


 膝の上に置かれた両拳を握りしめる将門。


「そうか。……ならば小次郎。今は休み、身体を復調させよ。……化生の討伐の為の援助と援軍は、しかと行う事を約束する」


 徐々に盤上の碁石がある形を作っていく。


「それはそれとして、一つ。……策を授けようと思う。化生を討ち亡ぼす為の策でもあり、その後の日ノ本の平穏を保つ策である」


 碁盤に並べていた忠平の手が止まり、押し黙ってしまう。

 碁盤の上には黒い碁石で形作られた、日ノ本が出来ていた。


「……いったい、どの様な策なのですか?」


 少し前のめりになる将門。

 それを見ながら忠平は白い碁石を指で挟むようにして将門に見せ、碁盤の京に置く。

 そして、もう一つ白い碁石を指で挟む。


いくつかの難関がある策だ。……全てが上首尾に至った結果を端的に言おう」


 指に挟んだ白い碁石を盤上の坂東へと、勢い良く打つ。――碁石が盤上に、めり込む。


「小次郎よ! 化生を滅し、周辺諸国を飲み込み、新たなる国を作り、王として、東の地を武と智で治めるのだ!」


「そんな! そんな事は帝の臣下としての道を――」


 将門が否定の言葉を口にしようとした瞬間に、忠平はさえぎるように立ち上がり、さらに言葉を続ける。


「分かっておるだろう小次郎! あの時はそうせざるを得なかったとはいえ、幼い帝に日ノ本の全てを背負わせるなど、間違っていると!」


 忠平のいかめしい顔から、雫が連なって落ち始める。


あの子・・・は。……そうあれと言えば、その身と命を削ってでも、帝としての責務を果たそうとするだろう。だからこそ、儂らが支えて負担を軽くせねばならん」


 珍しくも感情を吐露とろした忠平は、袖で目元を拭いながら座る。


「小次郎よ。あの子の為だ後世に悪名を残すかもしれないが、どうか頼む」


 力無く項垂うなだれる忠平を前にし、将門は目を閉じ、逡巡しゅんじゅんする。


「忠平様の考える策の仔細しさいを、先ずはお聞きしてから。……自らの心を決める為に、少しの刻を頂きたく存じます」


 うやうやしく頭を下げる将門。


 この夜。……遂には燈台の火は消える事なく二人を照らし、日が高く昇るまで忠平と将門は部屋から一歩も外に出る事はなかった。

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