第58話テンサイ


 たいらの良乃よしのは門の前で仁王立ちをしながら、静かに怒っていた。


 原因の一つは、いくさ帰りで、肉体的にも精神的にも不安定になっているであろう将門まさかどに、貞盛さだもりの危機を知らせた桔梗ききょうの行動に対して。

 桔梗も悪気があった訳では無いのは百も承知。一刻も早く、伝えねばとあせったのもうなずける。

 しかし、桔梗が見たという光景。――それを見て冷静さを欠き、罠である可能性を失念したままに、将門に知らせるのは如何いかがなものかと。


 将門の口からひそかに語られた、たいらの國香くにか顛末てんまつ取木とりきでの化生けしょうとの遭遇。……人の心を惑わす術に長けている化生は、将門の心を弱らせる一手を打ってくる。

 良乃は化生がたいらの貞盛さだもりに手にかける此度さだもりの一件が、その一手だと確信している。


 もう一つは将門自身に対してである。


 ――黒丸くろまるの特徴的な重たい駒音こまおとを鳴らしながら、将門が酷く疲れた顔をし、うつろな瞳をしながら一人で戻ってくる。


将門まさかど! 色んな事を放っぽり出して、あんた一人が貞盛さだもりを探しに行って、何になるんさ!」


 開口一番かいこういちばん、良乃の雷鳴のように響く怒声。――近くで見守っていた将頼まさよりが恐怖のあまりに身体をすくませる。


「物事には順序があるじゃないの! 貞盛が危機におちいったのなら、先に貞盛の母親である稲様の保護。そして、貞盛捜索に人手を回す! 一人で突っ走ったって、見つかるものも見つかりゃしないよ!」


 良乃の真っ当な言に、自らの行動を恥じているのか、項垂うなだれる稲穂のように頭を垂れる将門。


「しかし、だな、良の――」


 将門が、そこまで言いかけた瞬間に恐ろしいほど腰の乗った右拳が、将門の鳩尾みぞおちに突き刺さる。

 普段なら避けていた。避けられていた拳であったが。……八岐やまたの呪の暴走と貞盛捜索により、酷く疲労していた将門には避けれなかった。


「黙らっしゃい!」


 またしても落ちる雷。――良乃はそのまま将門の身体を無理矢理にかがませ、耳元に口をやり、ボソリと周りに聞こえない声でささやく。


「将門。……あんた身体の限界が来てるんだろう。呪の事とか全部、分かっているんさ。……そんな状態で化生と対峙したら」


 鳩尾に突き刺さった拳よりも、痛い言葉であった。

 将門は頬を掻き重苦しい表情をしながら、良乃の耳元で囁く。


「良乃の言う通り、確実に死ぬな。心配を掛けて、すまなかった」


 将門は両腕を良乃の柔い身体に回し、少し強めに抱き締める。

 にわかに、顔を上げた将門の瞳に力が灯り。疲れ切っていた顔に張りが戻る。


「将頼! まだ元気で動ける者を集めてくれ。貞盛の母の保護に向かってもらう」


「兄い! 分かりました!」


 元気に返事をし、嬉しそうに走っていく将頼。

 その姿を見ながら、ぴったりとくっついたままに笑う将門と良乃。

 陽が高く登り、門に蔓を伸ばす凌霄花のうぜんかずらは赤色の大花を揺らす。



 暑い夏の間、将門は方々へと走り回った。

 貞盛の母親である稲を無事に保護し、平國香の遺領の管理。

 またたいらの良正よしまさの遺領、常陸国ひたちのくに水守みもり営所を接収し、平貞盛及び、みなもとのまもるの捜索をするが一向に見つからず。


 そうこうしているうちに実りの秋がそこまで迫っていた。


 承平じょうへい六年。――九月七日。

 都よりきたる五人の男が坂東ばんとうの地を踏む。


 その内の三人は太政官符だじょうかんぷたずさえた使者であった。


 使者の一人、名を英保あほの純行ともゆきという男は、源護を訪ねて常陸国へと。


 二人目、英保あほの氏立うじたちは、平将門の嫁となった君乃きみのの親であるたいらの真樹まさきの元へと。


 そして三人目。宇自可うじかの支興ともおきは平将門の元へと。……二人の男を引き連れて。


 ゆるりと進む、他に比べると質素だが大きい牛車ぎゅうしゃの物見から外を眺めて微笑ほほえむ男。


「田舎か思たら、以外とさかえてるもんやね」


 将門の本拠である豊田周辺の栄え具合と、市井しせいの民の活き活きとした表情をみながら語る男。


「周りを小綺麗にしたら、こっちに遷都せんとするのも、ええ案かもしれへんね。……藤原ふじわらの忠平ただひら様に、卜占ぼくせんの結果どす。と、嘘ついてみよか」


 糸のように細い目を虚空に向けながら、口元をおうぎで……その嗜虐心しぎゃくしんを悟られないように覆い隠す。


「お師匠様。おたわむれが過ぎますよ。……それに小綺麗にするとおっしゃっても。彼方此方あちらこちらよどんでいる邪気をはらうのに、どれだけの時間と労力が必要かお分かりになっておりますか?」


 渋い顔をしながらまくしたてるように語る、狩衣かりぬいまとわらべ。その立烏帽子たてえぼしと長い髪は、牛が歩を進めるごとに揺れる。


「そないに本気に、しいひんでもええやんか。言うてみただけなんやさかい。眉間のしわ取れへんようになんで」


 けらけらと笑いながら、扇で自らの眉間を叩く、童にお師匠様と呼ばれた糸目の男。

 男二人が乗る、牛車の屋形やかたきしみ揺れる。


「お二人ともたいらの将門まさかぉ殿の居に着きましたよ」


 馬に乗った、宇自可うじかの支興ともおきが、牛車の中に声を掛ける。

 牛はくびきから外されており、御簾みすが上げられる。

 糸目の男はしじに足を掛けながら、降りようとする。


「ほな行こか、晴明はるあきらくん」


 そう言いながら、足取り軽く将門の居に入っていく糸目の男。――晴明。……安倍あべの晴明はるあきらは溜息をきながら重い足取りで進む。





小次郎こじろうくん、お久しぶりやね、何年ぶりでっしゃろか!」


 通された部屋で待っていた、平将門の顔を見た瞬間に目を見開き、小躍りしそうな勢いで近づき、将門の手を取り、上下に降る。


「……賀茂かもの忠行ただゆき様、貴方様が来られるとは。十年ぶりでしょうか?」


 将門は少し困り顔をしながらも、賀茂忠行の手を払う事もなく、為すがままにされる。


「お師匠様は将門様と知己ちきの仲なのですか?」


 親しげな二人を見ながら、首をかしげ疑問を口にする晴明はるあきら


「いや、知己の仲言うよりも、仕事仲間かいな? 今の帝がこないに小さい時にちょいね」


 自らの手で膝あたりをヒラヒラとさせる忠行。


「晴明くん、その話はまた今度したるさかい。……宇自可うじかの支興ともおきはん、そろそろ本題お話しとぉくれやす」


 言葉を発さずに、じっと待っていた支興ともおきに話を振る忠行。


「はっ! この度、みなもとのまもる殿の告状こくじょうにより。たいらの真樹まさき殿とたいらの将門まさかど殿、両名に検非違使けびいし庁への召喚しょうかんを要請する次第です。こちら太政官符となります」


 そう言いながら太政官符だじょうかんぷを将門に手渡す支興。

 将門は太政官符を読みながら、眉を下げ困った顔となる。


「ううむ。……召喚に応じたいところではあるが、今離れれば。――」


「――小次郎くん、召喚に応じてもらう為に、うちと晴明くんが忠平ただひら様に言われて、ここに来たんや。……しっかりと結界張って、ねずみ一匹通れへんようにしとくさかいに、気兼ねのうな」


 口角を上げ、たたんだままの扇を振る忠行。

 その姿を見ながら、将門も釣られてか口角を上げる。


「分かりました。……忠行様がお手ずから結界を張ってくださるなら、少し留守にしても安全でしょう」


 大袈裟に音を鳴らしながら扇を開き、口元を隠す忠行。


「この天才陰陽師である賀茂かもの忠行ただゆきと、その弟子の安倍あべの晴明はるあきらに任しとき!」


 自らを天才と豪語し、けらけらと笑いながら忠行。

 将門の背をぱしりと叩き、晴明を引き連れて部屋を出て行く。


「相変わらずの御方だな。宇自可うじかの支興ともおき殿、此度こたびは使者の任と忠行様の護衛の任、御苦労。大した持て成しはできないが、長旅の疲れを癒してほしい」


 将門は置いてきぼりとなった支興ともおきねぎはいの言葉を掛ける。


「将門殿。……ありがとうございます、本当に疲れました。都まで、また護衛をしながら帰らねばならないと思うと胃が……」


 心労の為か、あまり顔色の良くない支興ともおき

 腹をさすりながら深い溜息を吐く。


「う……うむ。道中、あの御方の世話は大変であったであろう。心中お察しする」


 坂東に着くまでに、何か悶着もんちゃくを起こしたか、面倒ごとに巻き込まれたかは定かではない。

 しかし、賀茂忠行の破天荒振りは知っている将門は同じように溜息を吐く。

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