第51話ウラ


 川曲かわわ村の合戦から一ヶ月も立たない頃。

 花城はなしろは夜空の月を覆い隠すように雲が張り、ちらりと小ぶりの雪華せっかが舞い始める。

 住まう者たち全てに等しく、静かに、年の瀬を感じさせ始めていた。――その静寂せいじゃくを破るように一騎の人馬が、けただましく駒音こまおとき鳴らしながら、朱雀大路すざくおおじを真っすぐに、大内裏だいだいりの内にある太政官庁だじょうかんちょうを目指して突き進む。

 馬を駆る男……その懐には坂東ばんとうからの告状がたずさえられていた。


 太政官庁だじょうかんちょうに届けられた告状。誰もが告状に、頭を抱え、上に判断を仰ぐしかないと結論付ける代物であった。

 告状の内容は単純明快であった。

 昨今、坂東で勃発ぼっぱつしている、戦さや動乱の首謀者を糾弾きゅうだんする内容。

 それだけであれば、太政官庁につとめる下の者でも裁決を下すことができる。


 しかし、此度こたびは首謀者として名を挙げられていた人物が問題であった。――平将門たいらのまさかど


 その名を皆が知っていた。

 現左大臣である藤原忠平ふじわらのただひらの家人を勤め、そして滝口の武士であった男。その仕事ぶりと才気は誰もが認めており、国へと帰ると知った時は……口には出さないが皆が惜しむほどであった。


 その様な経緯を辿り、告状は左大臣である、藤原忠平の元へと辿り着く。――忠平は告状を文机に座りながら片手間に読み進める。

 途中まで読み進めていた、忠平の眼が驚きと共に見開かれる。

 うなりながら髭を触り、思案にふける。その眉間のしわ千尋せんじんの谷の如く深まる。


「小次郎よ。……こちらも動かざるをえないぞ」


 忠平は深い溜息と共に、強張こわばった体を解きほぐすように立ち上がり、東の窓辺へと歩く。


「しかし、悪意が透けて見える告状を鵜呑みにして、沙汰さたを下すほど甘くはないぞ、源護みなもとのまもる。……調査に向かわせねばな」


 東の空を望む顔は、孫を心配するような顔であった。





 寒空の下……男達の気合に掛け声と、木刀で打ち合う音を聞きながら、かこりかこりと独特な駒音を鳴らし、平将門の居へと向かう、背の低い馬と平良兼たいらのよしかね


「ふむ。……良正よしまさとのいくさに勝ってから、そこまで日が立っておらんが。……元気そうだな」


 久方ぶりに娘と孫に会う事に心をおどらせながらも、その表情は外聞がいぶんを気にしてか、鉄面さながらに硬い。

 門をくぐった、その瞬間。


 左方より投げ飛ばされた人か物か定かではないが、良兼の目の前を転がり横切る。

 危うくも良兼の乗る馬にぶつかり、大惨事になるところであった。

 良兼は溜息をつきながら、飛んできた方向を見る。……抜き足差し足で逃げようとする、長い髪を一纏めにした妙齢みょうれいの女。


良乃よしの! お前はまた男衆に混じって! しかも、毎度毎度、儂目掛けて矢を射ったり、刀を飛ばしてきたりしおって!」


 馬上から怒声が響き渡る。とがめられた良乃は仰天ぎょうてんした猫のように飛び上がり、かしの木刀を振るっていた男達の腕が止まる。


「父上、お久しぶりです。いやはや、父上も毎度、間が悪いさね。五月さつきはるは今は将門と散歩に出てるのと、鬼王丸きおうまる不動丸ふどうまるはお眠で――」


 良兼よしかねの方に向き直った良乃よしのは話をらすために、つらつらと娘や息子の話をしだす。

 火に油を注ぐように、良兼の怒りは燃え上がっていく。


「黙らっしゃい! 今は孫の話ではなく――」


「あーー! おじいちゃん!」


 背から掛かった声により、大喝しようとした言葉を飲み込み、目を白黒させながらも何とか良兼は振り向く。


 そこには将門の両肩に座るように乗った、五月と春が居た。


 先程まで激昂げっこうしていた、良兼の頬が緩み、自然と笑みをこぼしながら、馬を降り五月と春の元に歩み寄る。

 将門から五月と春を手渡され、両手に花の状態で御満悦ごまんえつの表情となる良兼。


「おじいちゃんは、五月と春に会いたかったよー。今日は二人に御土産があるからね」


 今まで誰も聞いたことのない、猫なで声をしながら、乗ってきた馬の元へと歩む良兼と喜ぶ孫二人。

 将門は、その姿を見ながら微笑む。


「流石、将門。間の良い男さね。しかし、父上も、あんな顔が出来るとはねえ」


 いつのまにか将門の横に立つ良乃も微笑ほほえみながら、三人の様子を見ていた。

 ふと、良乃は木刀で打ち合う音が長いこと止まっている事に気がついた。


「あんたら! いつまでも休憩してないで、戦さ場で死なないようにする為に一本でも多く木刀振って、打ち合いな! 将頼まさより! あんたも、いつまでも寝転んでないで、ささっと向こうに戻りな!」


 良乃の言葉を受けて、そそくさと訓練に戻る男達。

 良兼の眼前へと投げ飛ばされていた、将頼まさよりは、あれこれと考えを口に出し、頭をひねりながら歩いて戻って行く。……川曲村での傷が完全には癒えておらず、体に巻かれた包帯には血がにじんでいた。


「将頼も、あの戦さ以降、あれこれ模索もさくしているようだな。……今、止めるのは野暮やぼか」


「そうさね。刀のように打って鍛える時期。……いや案外、伏龍ふくりゅう飛翔ひしょうする前かもしれないね」


 将頼が一つの壁を乗り越えようとしている事を感じ取り、止めずに見守る事を決めた。



「父上ー! 母上ー! 見て! 見て! おじいちゃんから唐菓子からぐたものもらった!」


 五月は嬉しそうな顔で、漆塗うるしぬりの箱を将門と良乃の前に持ってくる。

 将門と良乃の二人が覗き込むと、漆塗りの箱には、これでもかという程に巾着きんちゃくを象った茶色の菓子が入っていた。


「それは唐菓子の団喜だんき清浄せいじょう歓喜団かんきだんと言われるものでな。歓喜天かんぎてんさんの大好物でとても、ありがたく美味しいものじゃぞ」


 走ってきた五月とは対照的に、春は良兼に抱えられて、細かく砕かれた団喜を一欠片ずつ、ゆっくりと咀嚼そしゃくしている。


「美味しい。とても甘い」


 にこにこと春も御満悦の様子である。

 良兼は、ゆっくりと春を良乃の前に下ろし、頭を撫でる。


「おじいちゃんは、父上とお話があるからね。……さて、将門よ行くぞ」


 緩んでいた顔を締め直して、将門も頷き、二人揃って屋敷の奥へと歩み進む。





「孫達は皆がすこやかに育っているようで、何よりだ」


「ええ。それよりも、義父殿、高価な唐菓子をありがとうございます」


 他愛の無い世間話をしながら歩む将門と良兼。

 ふと、将門は屋敷の中に居た将平まさひらと目が合う。察した将平まさひらは屋敷の奥へと足早に入っていく。


「……将頼まさより将平まさひらも、良い具合に成長しているよ。公雅きんまさ公連きんつらも少しは、成長してくれれば良いのだが」


「心配しなくても、将器が磨かれて一端いっぱしの将軍になれますよ。……義父殿のように」


 二人は不敵な笑いをしながら、最奥の部屋へと入り、襖をゆっくりと閉める。

 部屋の中央に二人は向き合う形で座る。


「しかし、裏の仕事は任せられん。……血生臭ちなまぐさい、呪い呪われの仕事は子や孫に背負わせずに、我らの代で終わらせねば」


「全くです」


 重苦しい空気が漂い、いくばくかの沈黙が流れる。


「……ところで義父殿、良正からは援軍を求める書状は来ましたか?」


「来たぞ、一緒に将門の乱悪らんあくしずめましょう。とな。――危うく、書状を持ってきた使者を斬りかけたわい」


 静かに二人が笑う。

 一頻り笑った後に、二人は気を引き締め直す。


「ならば、次の段階に進みますな。……裏に潜む化生けしょうを討つために」


 良兼は、しっかりと頷く。


「将門、そこでだな。……あまり褒められた手では無いが、万全を期す為に一人の男を巻き込もうと思う」


 良兼の言に将門の表情が曇りはじめる。


「いったい誰を巻き込もうと、考えておいでですか、義父殿」


 真一文字に結んでいた、良兼の口がゆっくりと開く。


「下野国の――――俵藤太たわらのとうた

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