第49話モウシン


 承平じょうへい五年(九三五)十月二十一日


 常陸国ひたちのくに新治にいはる郡と下総国しもうさのくに結城ゆうき郡の境い目にある、川曲かわわ村にて……

 ついに平将門たいらのまさかど平良正たいらのよしまさの軍勢がにらみ合う。

 平良正の軍勢は戦さの常道にのっとり、矢避けの為の置楯おきたてを幾つも重ねて地に立て、準備万端の様子。

 良正の集めた兵は士気が……否、その顔は憎悪にまみれ、口からは呪詛じゅそが漏れ出る。

 必ずや、焼き討ちをした将門を討ち滅ぼし、同じ目に合わせてやる……という意気が、離れた将門にまで届く。


 対する、将門の軍勢。……久しく、竜馬りゅうめの姿が見えず、将門の愛馬である黒丸もいなかった。――挑戦状の内容により、得意の馬を封じられた形である。

 皆が一様に徒歩かちであり、弓手ゆんで大弓たいきゅうを握りしめ、良正の軍と同じく楯を地に立てていた。

 将門は敵の士気が高い事を肌で、ひしひしと感じ、自らの軍勢に振り向く。――そこには、呪詛を吐く目の前の敵よりも、各々の愛馬がいない戦さ場の空気に、そわそわとした様子であった。


「皆の衆……久方振りの弓合戦だ。馬が無くとも我らは強い。……武勇を示せ! 存分に矢の雨を降らせ! 道無き戦さを続ける、非道の輩を討ち滅ぼす時だ!」


 将門の号令一下ごうれいいっか。――浮ついた空気は搔き消え、号令に応えるように歴戦のつわものは、足踏みしながら、気炎を上げ、大地が震える。


 その将門の軍勢の圧倒的な熱に押されたのか、恐怖したのかは定かでは無いが……良正の軍勢から、放たれる一矢いっし

 ――それは将門の後頭部を撃ち抜かんと、矢音を立てながら飛来し、迫る。

 将門は笑っていた。――将門は自らの軍勢をしっかりと見据えながら、後頭部に迫った矢を……馬手めてで掴む。


「我らに神仏の加護あり!」


 馬手で掴んだ矢を皆に掲げ、見せる。

 大いに湧き士気がさらに高まる軍勢。――神業だ、と皆が口を揃える。


「いざ! いざ! 開戦だ!」


 将門の号令とともに、皆が弓を構え、一斉に放つ。

 天を覆い尽くす程の矢の雨が、将門の陣にも良正の陣にも等しく降り注ぐ。


火丸ひまろ! 背負った矢を寄越せ! 水丸みまろ! 弓をもて!」


「はっ!」


 将門の言葉に迅速に応える、火丸と水丸。

 水丸は自身だけではなく、将門の背丈を遥かに越える大弓たいきゅうを手渡す。――幼子の手首と間違えるほどの太さと重さ。水丸が両手で、しっかりと持たねばならないほどの重さを将門は弓手で軽く持つ。

 火丸は背に背負っていた、矢筒とは名ばかりの籠のような物を地に起き、矢を取り出す。――矢も通常の太さではなく、細いめの木の杭のようであった。


 将門は火丸から手渡された矢を弓につがえ、限界まで弓を引く。

 着背長きせながの下の筋肉は隆々りゅうりゅうとし、脇楯わいだてを止める紐が千切れそうなほどに音を立てる。


「かは! 弾けよ・・・!」


 不敵に笑い、似つかわしく無い言葉を口にし、矢を放つ将門。

 その太さからは想像がつかないほどに、鋭く真っ直ぐに、敵陣へと向けて飛翔する矢。

 将門の狙い通りに敵陣の置楯へとあたる。――瞬間。戦さ場に似つかわしくない破裂音と共に、楯は砕け、木っ端微塵になる。

 その楯の後ろに隠れていた兵の頭部は半分が消し飛び、肉片と血が辺りに散乱し、薄汚れた下顎と両耳を残すだけであった。

 その様子を近場で見ていた、良正の兵の顔は赤く熟した梅から、青梅の様に青ざめていく。


「ばけ! 化け物だ!」


 次々と置楯が粉砕され、良正の兵達は将門達に背を向けて逃げようとする。


「勝ち目なんて」


 一人の兵の背に矢が突き立ち顔から地面に突っ伏す。

 それを見て、さらに恐怖し、逃げようとする兵達の前に立ち塞がる良正。


「逃げるな! 将門だけをよ! 彼奴あやつを殺さば、この戦さは勝ちよ! 報復を遂げ、心からの勝利を得るか、無念を抱えたままに、我が刀の錆になるか!」


 将門による衝撃的な一撃を目の当たりにし、戦意を無くし右往左往する兵が逃げないように督戦とくせんする良正。――刀を振り回し、怒鳴り声をあげ、その風貌ふうぼうは正に般若はんにゃであった。

 誰もが、命が惜しかった。……しかし、良正に斬られるよりも、将門を殺せば勝ちとうそぶく、良正の言を信じ、報復を遂げるために戦う覚悟を決める。

 兵は弓矢を構え、将門ただ一人を狙い、一斉に放つ。

 将門の軍勢全体を襲う、矢の篠突しのつく雨から……将門一人を襲う、矢の鉄砲水に移り変わる。


「矢に溺れて死ねぇ! 平将門!」


 誰が言ったか、戦さ場にいる良正の軍に属する兵達の願いが漏れ出たものであろう。

 幾人もの恨み辛みを乗せ、将門の直前まで迫る矢。――しかし、矢の鉄砲水は悠然ゆうぜんと、弓を構える将門の身体に触れる事は一切叶わなかった。


「――っんあ!」


「――っんう!」


 火丸と水丸の兄弟二人が、置楯おきたてを幾つも繋ぎ、幾重にも重ねた……人が何人も隠れれるほどの大楯を持ち上げる。

 二人は大楯を一枚ずつ持ち上げ、将門の前に立て、矢の鉄砲水を全て防ぐ。――それは将門を守る為の堅牢なと称するのが的確であろう。


「ぐぬっ……将門だけが、化け物にあらずか」


 そそり立つ門を見る良正、忌々いまいましげな顔をしながら吐き捨てる。


 ――良正の軍勢の誰しもが、その門に目を奪われていた。

 その僅かな、一瞬の意識の隙を突き、将門軍の左翼。……平将頼たいらのまさよりが率いる鎧を纏った一軍が、抜き身の太刀を肩に担ぎ、良正の右翼を目掛けて疾風はやての如く駆ける。

 その動きに気がついたのは……やはり、良正であった。


「小癪な……右翼の者は、あの小鼠こねずみに矢をかけて、近づけさせるな、追い払え! 他の者は将門を狙え!」


 良正は的確に指示を飛ばす。ただの群盗や弱小の軍であれば、十分に効果を期待できるであろう行動。

 

「雨が降ってくるぞ!」


 しかし、将頼は相手の動きを察知し、率いる兵に短く伝える。

 その言葉に百戦錬磨の兵達はこたえ。全員が、少し前傾姿勢となり、鎧に守られていない、顔面を守る為に頭を下げ、駆け続ける。

 将頼達に次々と飛来する矢。――怯える事なく、逆に笑いながら、兜に付けられた、しころ吹上ふきあげにより矢を弾きながら進む。


「はな……放て! 矢を放ち続けろ!」


 良正軍の右翼にいる兵は恐怖した。――彼らの瞳には目の前に迫り来る、将頼らが……矢に怯まず、矢が手足に突き刺さっても、突進を続ける将頼らが、小鼠こねずみではなく。

 ――鋭い牙を持つ、化けいのししに見えた。


「射殺したければ、兄いの様に五人張りの弓・・・・・・を持ってこい!」


 激突。――深々とが突き刺さり、えぐられ、胴体が宙を舞う。

 将頼らは激突しただけでは止まらず、次々と迫る良正の兵を斬り伏せながら、良正の首に牙を突き立てる為に進む。


「源氏の悲観に肩入れして、肉親の道を忘れた男には負けん!」


 気を吐き、鬼気迫る勢いの将頼。――太刀を一振り、二振りしていくごとに屍を積み上げていく。

 その勢いに押される様に崩れ始めていく、良正の軍勢。――武運、尽きた。


「小鼠とあなどったか……」


 奥歯が砕けそうな程に、力を込め噛み締める良正。


「良正様! 生きていれば、平良兼たいらのよしかね様と力を合わせて。将門を討ち亡ぼす機会が巡って来ましょう!」


 良正の近くに侍る、側近の男が諫言する。


「ぐっ……気が進まないが。致し方あるまい。……全軍! 撤退!」


 良正の号令と共に、蜘蛛の子を散らしたように引いていく。

 将門は機を逃さずに追撃の弓射きゅうしゃを浴びせ、幾つもの屍を積み上げる。


「逃げるな! 平良正たいらのよしまさ! 心優しい、兄いの代わりに俺が、その腐った性根ごと斬ってやる! 逃げるなあ!」


 疲れと創痍そういにより、その進撃が止まった将頼の叫び。――虚しく響き、良正は脱兎の如く戦さ場から逃げていく。

 良正は逃げながらも、その瞳の憎悪の火は消えず、さらに燃え盛るように煌く。


 ――川曲村合戦、平将門の勝利で終わった。

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