第47話キキョウと花城に届く便り
未だに頭がしっかりと覚醒していないのか、呻き声を上げる。
額を押さえながら、
すると……胡座をかき、腕を組みながら舟を漕ぐ、男の姿が目に飛び込んでくる。
「ひっ!」
女子は軽く悲鳴を上げたが、それ以上の悲鳴が出ないように、素早く口を手で塞いだ。舟を漕いでいる者の正体は平将門。
将門は悲鳴が上がっても、未だに眼を覚ます様子はなく、川を小舟で渡るように
女子は意を決して、将門に近づく。
……大きな岩と形容できるほどの将門。女子は自分の着物の胸元を左手で絞る。
「もし……起きてください、もし」
声を掛けるが、一向に起きる様子のない将門。
その男の肩を揺さぶろうと手を伸ばす。その身に触れる直前。
細い手首を岩の塊のように節くれだった右手で掴まれる。
「寝てたな……ふむ、目が覚めたようで何より」
将門は女子の手首を掴みながら、大きな
「あの……痛いので離していただけませんか?」
女子の細い手首には、ほぼ力を入れていない、ただ掴んだだけでも将門の力は強すぎたのであろう。
「おっと、これは失礼した」
女子の手首を離し、両手を開けて戯けたような格好をする将門。
女子は兎のように、将門から二歩三歩と離れ、怯えながら座る。
「先ずは……平将門という者だ。
将門は必要以上に怖がらせないように動かず、女子に名を聞く。
女子は記憶を探るように眼を動かし、ゆっくりと口を開く。
「私の名は……確かに、誰かが、私の名を呼んでいたのですが。……ですが、記憶が
あったであろうはずの記憶、思い出は判別できないほどに……女子は自身の記憶を探れば探るほどに困惑し、顔を手で、隙間のない程に覆いつくす。
「将門……様。私は誰?」
くぐもった声。終いには顔を覆った指の隙間から、雫が伝い流れ、青紫色の袖を濡らし、板間に落ちはじめる。
将門は女子の様を、いつになく重苦しい表情で見つめ。……ゆっくりと目を見開く。
「
優しい声色を出す将門。――その瞳に映る女子は、開花を待つ、季節外れの桔梗に見えた。
頭を垂れ、肩を震えさせながら、さめざめと泣いていた女子の震えが止まる。
「名を思い出せないのなら、名をやろう。桔梗だ」
将門はそう言い放ちながら、立ち上がり、女子のすぐ近くまで寄り、座る。
「思い出せなくてもよい。……知識があるのなら、子達の
将門の言葉に反応し、ゆっくりと開花する朝露に濡れた桔梗。――将門は黙しながら、自らの袖で朝露を拭う。
「
あまりにも近づいた将門の顔に、恥ずかしさを感じたのか、拭われた桔梗の顔に朱が
将門は静かに微笑み、口を開く。
「大丈夫だ、子煩悩と言われるかもしれんが、母親に似て聡明な子達だ。逆に教えられる事の方が多いかもしれんぞ?」
一輪の桔梗が花開く。
その話を耳にした、義父である
しかし、人払いを済ませた部屋で、事の顛末を包み隠さず、将門の口から伝えられると、憤怒は収まり、逆に悩み、困りきった顔となった。
「そうか、鎮守府の軍旗に鼓をな……それに源扶の暴走に、化生の暗躍」
頭を抱えながら、溜息が止まらない様子の良兼。
「しかし、将門よ。真実はそうであっても人々には、怒った将門が焼討ちしたとの話は広がっている。源護義父殿も既に良正に話を持っていき、報復に……出るだろうな」
将門も釣られて溜息を吐く。
「分かっております。……それに良兼義父殿の元に源護から要請があれば。一族の長として、婿として、源護側に付かねばならないことも」
前途多難である事を確認し合う良兼と将門の二人。
良い案が出ないのか二人の間に沈黙が流れる。
「そういえば、國香兄上の息子。貞盛はどうする? ふわふわした
良兼の言葉により、花の城である京で出世街道をひた走る、貞盛の顔が久しく浮かんだ将門。――知らずのうちに笑みがこぼれる。
「貞盛には、こちらに戻って欲しくは無いですが……戻ってくるでしょうな。なれば出来るだけ早く、京に送り返すしか……父親が化生に操られていた事を知れば、後先考えずに突っ走って、犬死しかねないですから」
将門の言葉に頷く
「同じ意見だ」
首を回しながら、良兼は立ち上がり、部屋の
「……将門よ、一先ずは、戦さの準備をしておけよ。
そう言い放つながら、
部屋に残った将門は、これからどのような絵図を描き周囲を納得させ、さらには居処の分からない、化生を討とうかと悩む。
「一度、忠平様に話を聞いていただきたいものだ……」
今は遠くなってしまった、私君である
その思いは遂げられるのだが。少し先の話である。
火は未だに
「
三人の遺体の前で座りながら、呪詛をばら撒かん勢いで、恨み言を口にする源護。
「國香は!
手に持った杖代わりの木の棒で地を叩き、激昂しながら不満を露わにする。
供回りの男一人が、静々と源護に近づく。
「
そこまで言葉を発した男の側頭部に、源護は手に持つ木の棒を振るい、男を倒す。
「どいつもこいつ……役立たずが! 役立たずが!」
それだけでは飽き足らず、源護は倒れた男を木の棒で打ち据える、自らの
ふと、
「いや、まだ婿殿は二人残っているではないか……
笑いながら、フラフラと歩き出す
それを手助けするように侍る供回りの男達。
歳重ねた女は付いて行かず、一所に集められた旗に鼓を見る。
「これは……
大きい溜息を吐きながら、行く宛もない……正確に行く宛が、平國香と共に燃えてしまった為に、源護に付いて行く女。
この女……素性は
一通の文が京に届く。訃報を載せ、思いの丈が綴られていた。
受け取った男は読んだ途端に、人目を
男の名は
「なんて事だ……」
ぽつりと声を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます