第44話タイヨウ


 将頼まさよりが手勢を率い、石田いしだから大串おおぐしを目指し出立してから、ほんの少しばかりの時がたつ。

 将門は骨で作られた、小さな笛を、ゆっくりと口元に笛を持っていき、息の続く限り吹く。――とんびの鳴き声のような音色が響く。


「小太郎達が来るまでに、幾許いくばくかの時がいるな」


 将門は、燃え……今にも崩れ落ちんとしている、平國香たいらのくにかの屋敷をながめながらつ。――その目尻からは、真珠の様に光る玉雫たましずくが零れる。

 玉雫が、地に落ちる瞬間。屋敷の正面より人影が現れる。


「っぐ! 國香伯父上!」


 現れた人影は平國香、その人であった。――すでに肉は焼けただれ、指先は炭と化していた。

 将門は、その光景に目を疑い、よろけながらも近づく。


「近づくな! お前も近づけば、儂のように悪意の炎・・・・・・・・・に焼かれるぞ」


 喉が焼け、喋れない程に火傷を負っている筈であるが、平國香の声は、はっきりと将門の耳に届く。

 その言葉に将門は、大地を踏む抜かんとする勢いで足を下ろし、踏みとどまる。


「将門よ、儂の不徳ふとくの成すところではあるが、恥を忍んで頼む。甘言に踊らされ、常陸国ひたちのくにに引き込んでしまった、あの女」


 そこまで言葉を続け、否定するように|頭を振る平國香。


「いや、あれは人ならざるモノ、化生けしょうたぐいであろう……あれを殺してくれ、頼む」


 平國香の言葉に眉をしかめる将門。


「國香伯父上。あれとはいったい――」


 問い詰めようと平國香に、にじり寄る将門。――平國香の身体がさらに炭となり崩れてゆく。


あいまみえれば、自ずと――っぐ、分かる。将門よ……今まで、すまなかった」


 謝罪の言葉と共に、平國香は全身が炭となり、足先から崩れ、徐々に塵となる。


 将門は眼をつむる。……祈るように、静かに手を合わせる。


「國香伯父上……貴方のかたきは、将門が取ります故……安らかに、お眠りください」


 にわかに、木々が風も無いのに揺れる。

 四つの影が将門の前へと落ちてくる。――飯母呂の四人衆が揃い、頭を垂れる。


「将門様……飯母呂いぼろ衆、ここにせ参じました」


 小太郎が顔を上げる。


「平穏に筑波山つくばやまで暮らしている所を、笛で急に呼び立てて、すまなかったな。本物の人ならざるモノが敵になりそうだ。……力を借りたい」


 将門は申し訳なさそうな顔をしながら、小太郎達に頭を下げる。


「将門様……我らは、いつ何時でも、貴方様の手足となる所存です。どうか、頭をお下げにならず、ただ御命令ください」


 小太郎の静かな声。――促され、頭を上げる将門。


「……ありがとう。これより! 卑劣な絵図を描き、我ら一族を貶めようとした、取木に巣食う悪を討つ! 征くぞ!」


 その言葉に奮い立った黒丸がいななきを上げ、将門の横を駆け抜ける瞬間。――将門は手綱たづなを掴み、腕の力と地面を蹴った勢いで、黒丸に飛び乗る。

 飯母呂衆は、四つの影となり、駆ける黒丸を追随する。

 柱が音を立て崩れ、倒壊していく平國香の屋敷。――焦土と帰す石田、悪意の炎は未だに消えず。





 石田から取木へと向かい、到着する将門達。

 平國香が招き入れ、源扶みなもとのたすくがあの御方と称したモノを探していた。

 ――一際、大きく立派な……真新しい鳥居の前で、えも言われぬ気配に囚われ、将門と飯母呂衆達の全身が毛羽立けばだつ。


「小太郎、周囲の民たちを避難をさせてくれ……黒丸、お前も一緒に行け、民を助けてやれ」


 将門は黒丸から降り、ゆっくりと撫でる。――今まで勇猛果敢ゆうもうかかんで怖いもの知らず、であった筈の黒丸もが、大粒の汗を流し、震えていた。


御意ぎょい。……黒丸殿も此方こちらへ」


 黒丸は小太郎に手綱を引かれながら、民の元へと向かう。――黒丸は何度も、将門の身を案じる様に振り向きながら。

 将門は深呼吸し、鳥居の奥へと目を向ける。――清澄せいちょうな空気の欠片も無く、禍々まがまがしく重苦しい空気が漂う。


「國香伯父上……これは、八岐やまたの呪より遥かに悪いものですぞ」


 一歩進むごとに重圧が増す中を将門は進む。


 最奥。……火の灯りも無く、暗く湿気た、本殿の前で神楽鈴かぐらすずを鳴らしながら踊る人影。――顔も姿も暗さで良く見えないが、将門は直感する。


「お前だな。お前が、源扶が言っていた、あの御方・・・・だな」


 抜き放っていた太刀を構えながら、将門は警戒する。

 人影は問いには応えず、さらに全身を使いながら踊り、今まで一番大きく鳴る鈴の音。

 ――瞬間、周りに人の気配もない筈であるが、幾本もの篝火かがりびに青白い火が灯される。


 地に着きそうな程に長く白い髪は、火に照らされ、星を纏い揺れる。神楽鈴を持つ白い指は、思わずむしゃぶりつきたくなる程に蠱惑こわく的であった。双丘が揺れ、おすを誘う踊り――耐え切れない程のめすの匂いが鼻腔に入り込み、色香が将門を惑わし、将門の身体が揺れる。


 その姿と目を奪われそうになる。――が、しかし、将門は太刀のつかで、自分のこめかみを殴る。

 将門は、こめかみから流れる血を拭い、笑う。


「ふう……人の正気を失わせる、これがお前の術か? 笑わせてくれる」


 人影は身体を震わす。


「アハハハハ! 流石、平将門は一筋縄ではいかないですね、他の凡骨はあっさりと落ちたのに」


 人影が顔を将門に向ければ、狐面が笑う。


「自分から白状するとは……化生けしょうよ、覚悟は良いようだな!」


 将門は駆け、狐面の女に迫り、袈裟けさ懸けに斬ろうと白刃を振るう。


「ふふ、せっかちな」


 狐面の女は、蚊を追い払うかのように、左手の甲で……素手であるにもかかわらず、将門の振る太刀を跳ね返す。

 将門は体勢を崩し、足が少しだけ地から離れる。


「ぐっ――っづ、おら!」


 弾き返されながらも、さらに太刀を振るう。

 ――また片手で弾かれる。――太刀を振るう、弾かれる。

 その繰り返しが数合繰り返される。将門は形成不利を悟り、大きく飛び退き、狐面の女から距離を取る。


「嗚呼、平将門。定命の者の中では別格の強さ……だけど足りない。――もっと感じさせて・・・・・・・・!」


 狂ったように笑う狐面、それに対して珍しく息を乱し、大粒の汗を流す将門。


「結界か、それに連なる類の術……それも性根しょうねの悪いことに、他人の力を吸うようなものだな」


 将門は太刀は手放さず、汗を拭う。


「ふふ、それが分かったところで、お前にはどうすることもできない。……さあ、今度は此方こちらの番」


 篝火に灯されていた青白い炎。――鬼火や、狐火と呼ばれるそれが、一つではなく、幾つもが宙に浮かぶ。


「ほう、野宿する時に便利だろうな」


 将門は恐れることなく、不敵な笑みを浮かべ挑発する。――一時の間を置くことも無く、次々に飛来する。


「がは! 怒ったか?」


 将門は迫りくる炎を避け、太刀で裂く。――にわかに、炎を裂くだけではなく、将門は太刀に炎を纏わせ、術者である狐面の女に跳ね返す。

 しかし、跳ね返した炎は見る見るうちに萎み消える。


「ふむ、良い考えだと思ったのだがな、駄目か」


 将門は狐面には聞こえない程の声で言つ。――唐突に炎が将門へと飛来しなくなり、一ヵ所に集まる。


「小太郎、早くせねば不味いぞ!」


 離れた場所でも熱気を感じる程になり、辺りに植えられた木々が着火しはじめ、本殿にも火の手が上がる。――宙に浮かぶ、偽りの太陽。


「早く早く、その身体に封じ込めたモノを出さなければ死にますよ、平将門」


 狐面の女は、今にも舌なめずり音が聞こえてきそうなほどに、嬉々とした声色で将門に語り掛ける。

 人差し指を立てた後、ゆっくりと将門に人差し指を向ける。――将門に向かって落ちる太陽。


「何とか、出来るか? 否、何とかせねばならん――」


 将門の額に浮かぶ汗は、暑さの所為か、絶望の所為か……


「将門様、準備が整いました」


 将門の背後から聞こえる、小太郎の声。……それは将門にとって天の声であった。

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