第18話クビ喰む

 

 平将門たいらのまさかどの首。――呪と怨念を撒き散らしながら、ずるりと……髪を手足のように動かし、桶より這い出る。

 その姿を焼き付けるように、しっかりと両目で見つめる面々。


「首だけでも動くなんて。小次郎こじろうに掛けられたしゅは強力なんだろうね」


 うめき声を発し、将門まさかどの首は朱雀天皇の首筋を噛み切ろうと跳ねる。


「貞盛! 陛下を守れ!」


 いの一番に切羽詰せっぱつまった声を発したのは、藤原忠平ふじわらのただひら


 ――朱雀天皇の眼前に迫る、将門の口。

 ――が、平貞盛たいらのさだもりが片膝をついた状態で、朱雀天皇と将門まさかどの首の間に右腕を滑り込ませ、はばむ。


従兄弟いとこ殿……お鎮まりになられよ、陛下の御前ごぜんですぞ」


 首に噛みつかれ、ぽたりとぽたりと右腕から血が滴る。――貞盛は痛みなど意に介さず。幼子おさなごを諭すように、ゆっくりと将門の首に語りかける。

 

「ふう……肝を冷やしたわい」


 藤原忠平は汗を拭いながら、襟元を正す。


「むう……ふう……」


 藤原秀郷ふじわらのひでさと貞盛さだもりの右腕に噛み付いて離さない、将門まさかどの首を両手でしっかりと持ちながら、溜息ためいきを吐く。


「斬った後に、将門まさかどの体から出てきたモノは蜈蚣切丸むかできりまるで突き刺して消滅させたんじゃがな……よもや、此方こちらにも。頭にも残っておったとは」


 秀郷ひでさとの話を聞きながら、朱雀天皇は手に持ちたるおうぎで口元を隠す。


藤太とうたらそのまましっかりと持っておいて……平太へいたも、そのまま少し我慢してね。先にこのしゅはらうから。――このままだと将門の魂に語り掛けるのに支障がでるから」


 朱雀天皇の顔から笑みが消え、幼いながらにも真剣な面持ちとなる。

 秀郷ひでさと貞盛さだもりは縦に首を振り、秀郷ひでさと将門まさかどの首が動かないように……さらに両手に力を込める。

 将門まさかどの首も、負けじと――髪を秀郷ひでさとの両手に巻きつかせ、ぎちぎちと音を立てながら締め上げる。


天清浄てんしょうじょう地清浄ちしょうじょう内外清浄ないげしょうじょう六根清浄ろっこんしょうじょう祓給はらいたまう」


 朱雀天皇の口からつむがれる祝詞のりと、それは聞き惚れる、鈴のような声。


天清浄てんしょうじょうとは、天の七曜九曜しちようくよう二十八宿にじゅうはっしゅくを清め」


 扇を上げ、紡ぐ祝詞のりとに、天も、地も、呼応する。

 きらりきらりと淡く輝く蛍火けいかが天より舞う。


地清浄ちしょうじょうとは、地の神、三十六神さんじゅうろくじんを清め」


 朱雀天皇の足元より、三十六の細い光柱が出で、花紋かもんを形作りはじめる。


内外清浄ないげしょうじょうとは、家内三寶大荒神かないさんぽうだいこうじんを清め」


 徐々に蛍火けいか花紋かもん一所ひとところ。――将門まさかどの首にまといはじめる。


六根清浄ろっこんしょうじょうとは、其身其體そのみそのたいけがれを、祓給はらいたまう、清めたまことよしを」


 朱雀天皇は口をすぼめ、扇にふっと息を吹きかけ、将門のひたいへとあてる。


八百万やおよろず神等かみたち諸共もろともに、小男鹿さおしかやつ御耳おみみを、振立ふりたてきこし、めせもうす」


 将門のうめき声と強い光。目をつぶらねばならぬ程の光。

 俄かに、秀郷ひでさとの腕を締め上げていた髪は外れ、貞盛さだもりの腕を噛んでいた口も、赤い血の糸を引きながら外れていく。


「呪も解け、準備は整った」


 朱雀天皇は将門の額にあてていた扇を外す。

 目を見開き、全てを呪うような恐ろしい顔、ではなく……妙見菩薩みょうけんぼさつのように優しい顔となっていた。


「――と、その前に平太へいた。……その傷は後々になると、たたるかもしれないから手当してきなよ」


 朱雀天皇は扇で貞盛さだもりの右腕を指し示す

 ……しかし、貞盛は首を横に振る。


「それは、従兄弟いとこ殿の……魂への語りかけが終わってからにします……それに、これくらいの傷など!」


 何を思ったのか、貞盛は右腕のそでまくり……しっかりと、くっきりと付いた歯型を見せる。

 

「むん! むん!」


 掛け声と共に、右腕に力を入れる貞盛。

 見る間に、腕の筋肉の力のみで傷を塞ぐ。――ぽんぽんと傷が塞がった、右腕を叩きながら、大笑いをする貞盛。


「大丈夫? なら始めようか。小次郎こじろうの首は……首桶の蓋を閉めて、その上に置いてね」


 秀郷ひでさとは朱雀天皇の指示通りに、首を置く。その腕には締め付けられた跡が、未だに赤々と残っていた。

 朱雀天皇は将門の首を正面から見据えるようにし、右手を将門の額へとあてる。


平小次郎将門たいらのこじろうまさかどよ……この呼びかけが聞こえるだろう、さあ返事をしておくれ」


 朱雀天皇の澄んだ声が遠くまで……東国あづまのくに黄泉よみの国まで届いていく。




 黒い……一切の陽の光も、火の灯りも奪い去るような漆黒の湖。

 辺り一面も闇のとばりが降りた世界。

 そんな湖に五体を投げ出し浮かび、揺蕩たゆたう男。


『小次郎』


 何処いずこからか響く声、 無であった湖に波紋が生じる。

 ゆっくりと響く声に反応して揺蕩たゆたいながらも、目を開ける男。


「懐かしい呼び名だ……この将門を……今もそう呼ぶ者は少ない。とうとう幻聴まで聞こえるようになったか」


 誰もいない……独り笑い、独りつ。

 ふいに将門の視界を光る物が横切る。


「む、なんぞある?」


 ぱしゃりと水面を掻き乱しながら、慌てて起き上がり、光る物を探す――それを見つけるのに時間は掛からず。

 闇の世界でここに居るぞと主張する、水面に留まる、光る蝶。


「これは一体……」


 光る蝶が、ついて来いと言わんばかりに飛び舞いながら、将門を誘う……蝶に釣られ将門も、ぱしゃりぱしゃりと水音を立てながら歩みはじめる。


 幾ばくか歩むと、湖に浮かぶ島のようなものが見えはじめる。

 そこにだけ闇の中で唯一、陽の光が天より射し込んでいた。

 光る蝶が島に止まり、人型に変わる。


「久しぶりだね、小次郎こじろう


 その姿と声に驚き、将門まさかどは体制を崩しながらも駆け寄る。

 ――あの時から随分と時が経ち、成長している。が、それでも将門は見間違う筈もなく。――平伏す。


「お久しゅう御座います、陛下。――この度は我が不徳のいたすところ、如何様いかような裁きでも受ける所存」


 将門の謝罪の言葉に対して、からからと笑う朱雀天皇。


「もう君の体は罰を受けた、乱も鎮まった、魂にまで罰を与える気はないよ……それよりも、東国に戻ってから起こったことを……そして何より、君を、小次郎をこんな所に幽閉している者の話を詳しく聞かせてよ」


 その言葉を聞き、面を上げる将門。


いささか、長くなると思いますが……よろしいのでしょうか?」


「もちろん構わないよ、此処は誰にも邪魔をされない場所だ……ゆっくりで構わないよ」


 島に唯一ある切り株に座し、おうぎで、ぱたぱたとあおぎながら、将門の次の言葉を待つ朱雀天皇。

 将門は記憶を呼び起こすように、ゆっくりと語り出す。

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