第9話コガネに狂う


 陰鬱いんうつたる屋敷。その更に奥にある奥之院おくのいん――誰もが忌避きひする魔の瘴気が辺りに蔓延まんえんしている。


 こうが焚きめられた部屋に男女二人。――女は男の側にはべり、おしゃくしながら歓談かんだんしている。

 女は大きく胸元が開き、金銀の龍の刺繍ししゅうが美しい異朝いちょうの服をまとっていた。顔は白磁はくじの如く透き通るような白、切れ長の目であり、その瞳は黄金こがねの色をしていた。


興世王おきよおうさま……随分ずいぶんたのしげにしておられますねぇ。何か良い事・・・でもありましたか? 」


 興世王おきよおうと呼ばれた男――女の扇情せんじょう的な姿をさかなに、ニヤニヤと下卑げびた笑みを浮かべて杯をあおる。


「良い事……ね、ふふふ。余をないがしろにした朝廷をひっくり返す事が出来るんだ、これが愉快じゃなくてなんだと言うんだい」


 さらに上機嫌に杯をあおり、続ける。


「今頃、飯母呂衆いぼろしゅうの手により天皇すめらぎ崩御ほうぎょ、京では大火が起こり阿鼻叫喚あびきょうかん炎熱えんねつ地獄……あわよく逃げ果せても先には屍人しびとの大群。それに精強な軍が待ち構えているからね。ああ、遠く離れて安全で快適である、ここまでかぐわしい死の香りが届きそうだよ」


 酔っているのか、赤ら顔で、ふらふらと手を侍る女に伸ばす。


「全ては君のお陰だよ、君を拾ってから余は幸運に恵まれたのだ。美しい余の藻女みくずめよ」


 興世王おきよおうが伸ばした手を舐め、その指に赤い舌をからませ吸う。


「私も幸せですよ、興世王おきよおうさま」


 指を吸いながらも、うまいこと言葉をつむぐ口である。

 藻女みくずめと呼ばれた女が吸っていた指を口から離し。――黄金こがねの瞳が妖しく光る。


「さあ、興世王さま……寝る時間ですよ」


 妖しく輝く瞳を見た興世王おきよおう譫言うわごとを発しながら、意識を手放していく。


 藻女みくずめは口元を歪ませ笑う。


「うふふ、定命じょうみょうの者は面白いように踊ってくれるからたまらない……嗚呼、興世王おきよおうさま。貴方は最後に……どんな面白い顔で、どんな情け無い言葉を発しながら落ちるのかしら」


 屋敷の外での喧騒けんそうがだんだんと大きくなっていき、いぶり臭さが部屋の中に充満していく。


「その為にはもう少し……伽藍堂がらんどうの将門さまには頑張って貰わないとですね」


 興世王おきよおうを片手でひょいと――米俵を担ぐように藻女みくすめは口元に真っ赤な三日月を浮かべ、闇へと消えていく。



 秀郷ひでさとらは島広山にある、将門まさかどの本拠地である岩井へと迫っていた。


「叔父上、これは落とすのは困難ですぞ! 士気も高く、敵ながらよく守っています」


 高所から矢が秀郷ひでさとらの軍に断続的に降り注いでいる――が、上手く矢を防いで被害は少ない。


「火を放つぞ! 全てを灰燼かいじんに帰すのじゃ!」


 秀郷は眉間みけんしわをさらに深め険しい表情となる。


「了解しました、叔父上。――楽しい焚火たきびの始まりですな!」


 貞盛さだもりはカラッと笑いながら嬉々としながら。――火矢ひや松明たいまつの準備を全軍に指示する。

 指示を受けた全軍が手早く、矢に布切れを巻き、油を浸し火を付けていく。


「全軍、構えろ! 合図と共に一斉に放てよ!」


 貞盛の号令で弓を持つ全員が――キリキリと音を立てながら、弓弦ゆづるを引き絞り狙いをつける。


「我らの火はあまね悪逆あくぎゃくを焼き尽くす業火ごうかとならん……放て!」


 秀郷の合図で火矢が一斉に放たれる。――無数の火矢が空を埋め、太陽のように赤々と輝き、落ちていく。

 火が徐々に大きくなり、それは草木も建物も命までも等しく燃やし尽くす火産霊ほむすびの如く大火となる。


「よく燃えますな。これなら奴らも火の対処に追われて進めるようになりますな」


「ふむ、将門を討ち取る好機じゃ、行くぞ!」


 焼けていく建物を見ながら進んでいく。――わらわらと火も恐れずに将門の兵たちが突進してくる。


「我らの新皇しんのうの為に命を捧げよ」


新皇しんのうの為に、ために」


 その目は虚空こくうを見つめ、譫言うわごとのように同じ言葉を繰り返す。

 無統制に彼方此方あちらこちらで刀を振るい、弓を引く将門の兵たち。その顔は瘴気のせいか、ただとろけかけていた。


「こいつら、もう人じゃない!」


「やめてく……あ、ごぶぶ――」


 何人かの秀郷の兵が組み伏せられ、何度も何度も喉元に刀を突き立てられる。――口元からかにのように血泡ちあわを吹き出し、まわりに助けを求める声が聞こえてくる。


此奴こやつらはもう人には戻らん! 儂がおる恐れるな! 首をね、安らかに行かせてやるんじゃ!」


  秀郷の大弓より放たれる矢は三人纏めて貫く。――げきが飛び、異様さにおののき、青ざめていた兵がふるい立ち上がり、反撃していく。


「叔父上、将門の姿がまだ見えませぬ……どこかに逃げたのでは?」


「いや、奥におるぞ! 異様な禍々まがまがしさが奥の屋敷から感じるわい」


 まだ火の手が回っていない奥にある、一番大きい屋敷を見つめながら答える秀郷。


「ならば、ここの掃討そうとうはお任せください。叔父上は一刻も早く、まさ――」


 貞盛が最後まで言い切ろうとしたところ、大きな破裂音が奥の屋敷から響く。――その音に驚いた馬が秀郷と貞盛を振るい落とす。


「ぐ……一体何が」


 秀郷は大鎧をまとい老齢の筈だが軽やかに馬から飛び降りる。対照的に受け身をとれずに背中を強かに打ち付けた貞盛。


「貞盛……大事ないか?」


 秀郷は貞盛に手を差し出し立たす。


「叔父上……あれ・・


 わなわなと震えながら音のした屋敷を指差す。

 屋敷は半壊しており、その瓦礫の中から、ゆらりと体を揺らしながら出る影。

 貞盛でも見て分かるほどの禍々しい気――幾重にも重なる気を纏い、上半身が裸の男が立っていた。


「我は平新皇将門たいらしんのうまさかどなり! 古きモノを壊し尽くすモノなり!」


 耳をふさいでも、魂が揺さぶられるようなおぞましい声――空と大地を揺らし響く。


「この前ぶりじゃの将門……約束通り、お前さんを斬りに来たぞ!」


 おくすことなく、いつでも駆け寄り斬れるように周囲を確認しながら将門に話しかける。


「じじい……ついに我の大願たいがんを邪魔しに来たか」


 将門は手には何も持たず、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「将門……将門! 親父殿の分だ!」


 貞盛は将門に駆け寄り、将門の首を落とそうと刀を振るう。将門は一切動かず首にその刃を受け、首は斬れ――


「な……斬れていない――」


 将門は貞盛の首根っこを掴み上げる。


「この不死身の肉体には傷一つ付けれないぞ、貞盛!」


 首を掴まれた貞盛は手足をばたつかせ、将門を殴るが不敵ふてきに笑うだけで、痛くも痒くもない様子。


「その手を放せよ、小童こわっぱが!」


 秀郷は駆け寄り、将門の腕を両断しようとする。――が、将門は貞盛を投げ飛ばし、虚空こくうより取り出したる刀で秀郷の一撃を防ぐ。


「じじい、蜈蚣切丸むかできりまるか……ふん! 龍神でも何でも持ってこい!」


 怪力により将門は不利な体勢から、秀郷は弾き飛ばす。


「ちっ……長い夜になりそうじゃの」


 飛ばされた秀郷は体勢を整え、汗を拭いながらひとつ。

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