第8話ハルはまだ遠し

 

 藤原秀郷ふじわらのひでさとらは平将門たいらのまさかどの本拠地がある……下総国しもうさのくにへと軍を着実に進めていた。

 下総国しもうさのくには今まで進軍してきた他の国と違い、瘴気しょうきが濃く体調を崩す者が続出していた。


「不味いな、これは……全軍聞け! 清浄符せいじょうふを口元に持っていき、六根清浄ろっこんしょうじょうと唱えろ、そして符を両側どちらでも良い、頬に貼り付けておけ」


 先に秀郷が手本を見せ、全員が腰の巾着きんちゃくから符を取り出す。

 見様見真似で手順通りに符を使用していく。


「そこの十人、先の方の偵察に行ってきてくれ、敵を見つけたらすぐに戻ってくるんじゃぞ」


 いち早く符を使用し、準備を整えていた十人に手早く偵察の指示を出す。

 彼らは頭を下げた後に言葉も無く、矢の如く放たれ駆けていく。


「おお! こんな地獄のような瘴気の中でも、素晴らしいほどのんだ空気が吸えるなんて! 叔父上、何ですかコレ」


 戦さ場にあるというのに能天気な声……貞盛は童のように飛び跳ねながら、興奮気味に感嘆かんたんの声をもらす。


「うむ、勅使ちょくしが来た折にな。陰陽寮おんみょうりょう叡智えいちを結集した物よ。此度こたびの討伐に必ず必要になりますと言って置いていったものよ……流石、目の付け所が違うものよのう」


 秀郷は一人でうなずいているかたわら……貞盛は話を飲み込めていなのか、うんうんとうなりながら頭をかしげる。


陰陽寮おんみょうりょう……天文とかこよみや時を編纂へんさんする者の集まり、中務省なかつかさしょうの管轄であったと記憶しているのですが......」


 貞盛の言葉にきょとんする秀郷。


「貞盛、お前は京で勤めておったのに知らんのか……それは表の顔じゃ、裏の顔は鬼退治や呪詛返じゅそがえしの手練てたれの集まりじゃよ」


 やっと得心とくしんの行った顔をし、手を叩く貞盛。――その時、何処からか叫び声が聞こえてくる。

 その声の主は腕が砕けているのか、血を流し……明後日の方に向いている腕をぶらぶらと揺らしながら秀郷の方に歩いてくる。


「敵だ! 敵軍がこっちに来るぞ! はや――がっ――」


 その者は最後まで言葉をつむぐ事なく――横合いから飛ぶように走ってきた、四つ脚の動物らしきものに喉を噛み砕かれ転がる。


「全軍、抜刀! 足の速いのが来るぞ、注意をしろ! 一人一匹・・・・じゃぞ?」


  荒い息と駆ける軽い足音と共にいぬの大群が現れる。――その狗は瘴気に侵されとろけかけながら、秀郷らに向けて一目散に走り飛びかかって来る。


「クソいぬどもが! しゃっ!」


 秀郷に飛びかかってきた狗の口に刀を突き入れ下方向に切り裂く。――あじの開きのように、ぱっくりと下顎したあごから腹まで斬れた狗が後方へと飛んでいく。


「狗なんかけしかけやがって! オラ飛べ!」


 貞盛に飛びかかった狗のあごを正確に下から殴りあげる。――翻筋斗打もんどりうったところを前脚と後脚へと真っ二つに斬り分ける。

 精鋭の各々おのおのが一匹ずつ確実に処理していき、あまねく四つ脚が動かなくなる。


「よし、全員無事じゃな! 次は敵の本隊が来るぞ、敵影を見たら迷わず一斉に矢を射かけるんじゃ!」


 その声と共に全軍が弓を構えて、今か今かと敵の影を待つ。段々と足音に馬の音も近づいてき、軍勢が見え始める。


「放て!」


 鳴りはずが一斉に響き、矢の雨が降り注ぎ、死の河を築き上げていく。しかし、尚も蛮勇ばんゆうを振りかざし突撃してくる。


「瘴気で頭までやられておるようじゃな……どんどん矢を射かけてやれ!」


 さらに矢の雨により大量の血河けっかを作りあげる秀郷達、あたりに徐々にと死の匂いが充満し始める。


「よし、このままゆるりと包囲するように前に出ていくぞ! 一兵でも多く討ち取れ!」


 じわりと包囲をする為に秀郷の兵らは鳥が羽を広げるように進んでいく。それを見て将門の軍勢は勝ち目が無いことを悟ったのか徐々に引き始める。


「うむ、狗をけしかけて崩れたとこを一気に襲おうと思ってたというところじゃの」


「叔父上! 勝鬨かちどきをあげましょう!」


 コツンと貞盛を小突く。


「阿呆、奴らは散り散りに逃げていっただろうが、このままの勢いで彼奴の……将門の手薄な本拠地に行くぞ!」


「小突かなくても……全軍! 勝鬨かちどきは最後までお預けだ! 進むぞ!」


 勝鬨かちどきはなくとも士気しき高く、疲れた様も見せずに進んで行く。


「叔父上、そういえば将門の本拠地は何処なのですか?」


「"調べ"はついておる、島広山じゃよ」


 貞盛は馬に乗りながら首を傾げる、一体いつ調べたのであろうかと。――すぐにかぶりを振り、考えることを止める。


「叔父上に着いて行けば間違いないだろうし、大丈夫だろう」


「そうだぞ、なんたって儂には龍神の加護・・・・・があるからの」


 地獄の中を笑いながら進んで行く。




 同じ時の頃、護衛に手厚く守られ京への遠い道のりを行く。

 将門の血縁である二人の姫と将門の妻。三人は護衛に聞こえないほどの小声で語り合う。


「母上……藤太の爺様が父上のことを絶対に助けてくれるよね、ちゃんと助けるって約束したし」


「五月、貴女も見たでしょう? 天に昇る龍の神々こうごうしさを見たでしょう……あの力ならきっとーー」


 秀郷に助けられた時にも、秀郷をじっと推し量るように見つめて一言も喋らなかった春姫が口を開ける。


「母上も五月姉上も楽観が過ぎると思いますよ、父上の魂はすでに黒靄くろもやの"何か"に喰われて取って代わられてるよ……期待しない方が良い、期待したら"裏切られた"と感じてしまうから」


 その幼さからは考えられないほど、春姫は妙に達観し聡明そうめいな才女であった……春姫は瞳からつゆしたたらせながら歩いていく。

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