第二百十四話:スパーキィ・トーキィⅠ
豪雨に濡れた髪を獣毛に覆われた手でかきあげて、自分はゆっくりと息を吐く。
まだ――まだ身体が熱い。抑えきれない熱気が肺から溢れてくるような気さえする。泥浸しになった地面を踏みしめて、興奮を抑えるためにゆっくりと呼吸を繰り返すがまだ足りない。
両手で口角の上がる口元を覆い、身体をくの字に曲げて巨大な尾を打ち振った。楽しさの余韻が抜けず、興奮に震える獣の耳が限界まで伏せられる。
「ひっさびさに、たっのしかったー……」
頭上には黒い雲が渦巻き、最初に思い描いた通りにこの場には勝者である自分しか存在しない。まともな対人戦闘は本当に久しぶりで、なおかつ曲がらず、真っ直ぐに、気持ち良く戦ってくれる相手となればそれは中々に見つからないもので――、
「……いいな、いい。あの人――ぜひ組みたい」
ぼそりと、思わず願望がこぼれ出る。あの身のこなし、躊躇いの無さ、判断力と戦闘能力。どれを取っても自分好みのバトルジャンキーに間違いない。
出来ることなら仲間として引っ張り込みたいところだが、どうだろう……テストプレイヤーはとにかくみんなプライドが高いから、大抵負けるとダサい初期装備で人前に出るのを極端に嫌がる。
そのためよほどの信念や理由がなければ大抵はそのまま竜脈から高跳びすることになるのだが、ミセスの場合はどうだろうか。
どうみてもかなりプライドの高い部類だからダメかもしれない。スカウトするために接触すること自体が難しいだろうと諦めて、ため息と共に顔を上げる。
「ああ、一緒にバトりたかったなぁ……」
そうしてこぼれた誰に聞かせるつもりもなかった自分の嘆きはしかし――、
「奇遇ね。私も同じことを思ったわ」
――奇跡のような巡り合わせで、伝えたかった相手に伝わったようだった。
「その声は……
だっさい初期装備に身を包みながらも、どこで調達してきたのかその小さな顔に不釣り合いな大きなサングラスを
不思議と服はダサいのに、堂々としているからか、生来のオーラからかはわからないが、彼女はとても凛々しく見えた。
雨でずぶ濡れになりながらも真っ直ぐに立つ彼女は、口元をへの字に曲げながらも堂々たる声でこう続ける。
「正直むしゃくしゃして挑んだんだけど、気が合いそう――つーわけで! お望みなら組んでやんよ!」
「うっそ! 本当に!?」
初期装備で人前に出るという屈辱をおしてでも、再びこの場に戻ってきてくれたミセスはふふんと鼻を鳴らしてつんと顎を上げて見せる。
あまりの嬉しさにぶんぶんと尾を振る自分にミセスはニヤリと笑い、「そうさ、今日からお前がボスだ!! どこにでもついて行ってやんよぉ!!」と威勢のいい声で宣言する。
「やった、え、ホントに? やっっった!!」
いやー、運命感じちゃったからなー……などとしみじみ言いながら右手を上げるミセスに、自分も大喜びで右手を伸ばしてハイタッチのような握手をがっちりと交わす。
「夢じゃないよね! やった本当にギルド名どうしよう! ……あれ、ミセスってPKプレイヤーだけどPKギルド設立は皆に止められ――まぁいっか! 野生化って似たようなもんだよね!」
まさしく運命の出会いに感激が止まらない自分は、嬉しさのあまりにすっかり油断しきっていた。
拝啓、リリアン様とか思ったばかりではあるが、もう自分が一億の賞金首だとかいうことも全部丸っと吹っ飛んでいた。だって仕方がないような気がする。てへぺろ。
そして、そんな浮かれきった自分にミセスはおもむろにサングラスを上にずらし、ずずいと小さな顔を寄せて丸っこいピンクの瞳を覗かせながら囁いた。
「――ボス、真後ろから敵が来てるわ。初仕事だし、私に先制を任せてくれないかしら」
穏やかかつ妖艶な、大人の女性の微笑み方でミセスが言う。
もちろん自分はニッコリと微笑んで、肯定代わりに手持ちのスキルの中でも、ときどき無意識に口ずさんでは雪花にマジやめて、ホントやめてと泣かれるほど唱え慣れた詠唱を開始する――。
「〝
――が、そんな必要は全く無かった。
ミセスは自分と向かい合ったまま、自然な動作で握手をほどき、右手を開いてまっすぐに伸ばした。攻撃動作とは思わせない、自然かつ滑らかな動きと笑顔。
「【
そしてその姿勢のまま予備動作無く紡がれる増幅魔法に、背後で誰かが息を呑む声。逃げの一手を打とうと走り出したのか、遠ざかる足音に向けてミセスは指揮者のように腕を振り、
「【
曲の最後をしめるように、右手が握られた次の瞬間。全ての悲鳴と足音が、地中深くに消えていった。
第二百十四話:
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