第二百十一話:Mrs.ピンクのPK☆ばんざい
太陽が南に上がる。状況は刻一刻と動いていく。トルニトロイと狛犬によって廃砦は
(冗談じゃない、冗談じゃない、冗談じゃない……!)
薄い胸を右手でおさえながら、クオンは統括ギルドの影でじっと耳をすませていた。自称、大人の女。他称、どうみても女子高生。豊かな長髪をゆるいツインテールでまとめた、愛らしい見た目の彼女はしかし、今は砂とホコリにまみれている。
――《……はい。できれば、よろしくお願いします》
そばだてた耳に聞こえてくるのは、
どうやらクオンが死にかけていた間に色々とあったようで、あのクズ製造機が
せめて一撃だけでもその顔に拳をぶちこんでやろうと心に決めていたというのに、話を聞いていると何ともはや、大人の女としては怒るに怒れなさそうな事情があるようで、余計にやるせなさがクオンの薄い胸に満ちていく。
(……なんだってんのよ)
トルニトロイによって崩れかけた廃砦。それがあの後、狛犬の追撃によって完全な崩壊を迎え、その崩落に巻き込まれて生き埋めになりかけた後――クオンは全身にすり傷を、薄い桜色の髪に砂をたっぷりと絡ませながらも、命からがら地上に這い出すことに成功していた。
時間は少しかかったが、それはクオンにとって不幸中の幸いだった。クオンが再び青空を視界に入れる頃にはすでにトルニトロイの姿は無く、屠殺場と化してしまった廃砦にはもはや数えるくらいにしか人が存在していなかったからだ。
青空の次にクオンが見たのは、瓦礫の上に巨体を横たえ、大あくびをかます暗がりの狼。それを見てクオンは思った。彼だか彼女だか知らないが、
(あの子も気付いたんだ……ここに
あの場にいたのはほとんどがゴミだった。ゴミじゃないのもいたかもしれないが、自身を含めてほとんど――、
「…………は?」
――そこまで思考が派生して、ようやくクオンはあることに気付く。自身が当然のごとく無意識に、自分自身を戦士じゃないとかゴミだとか、惨めも惨めなレッテルをはりまくっていることに。
それは、クオンにとっては受け入れがたい惨事だ。この私が、本当に? 翼持つ者として、たとえこの魂が何処に居ようとも、ただの一度も惨めな死を迎えたことなど無いというのに?
「………………ありえないんだけど」
地を這うような呟きと同時、アイノザの朗らかな声が
――《イイもワルイも紙一重だ! 今やりたいことこそ、この世の全てだ!!》
「……」
良いことを――言うじゃないかと。思考の片隅でクオンはそう思った。
……Mrs.ピンクの華奢な手が――全身にまとった
踏み鳴らした足で紺のスニーカーからもそれを落とし、ウエストポーチからサングラスを取りだした。
うつむいていた顔を上げ、クオンはあごをつんとあげて一呼吸。サングラスをかけ、口元を引き結び――「こうなったら楽しませてやんよぉ! 【フォーカス】! 【VR内限定ライブ配信開始】!!」――と吼え声を一つ上げ。
《さぁさぁ、やってまいりました! Mrs.ピンクのPK☆ばんざい!!》
もはやすでに、がなるような声で口上を述べながら彼女は走り出す。統括ギルドの影から飛び出し、
《今日の獲物はでっかいぞ! なんと――巨狼、
突然のライブ配信に、番組のファンがにわかに騒ぎ出す。世界中の状況が状況だからか、次々と飛んでくるリスナーの声。
――裏スキルの効果があるから? 無謀すぎない? 待ってました……あれ、獲物がでかすぎない? 俺らの
《はっはっは! 残念ながら、アタシに
空元気でも元気といわんばかりに高笑いをかまし、Mrs.ピンクは配信を続けながら一直線に。ほぼ平らになりかけている――どころかトルニトロイと狛犬の
《だがしかし! あれは決して軍などではなく烏合の衆だった! そこから命からがら脱出したアタシは蜜蜂のクマ顔に一発ぶちかまそうと思っていたのだが――――やめたわ。あの子にもあの子なりの苦悩があったみたいだから、みんなも少しは受け入れてやってちょうだいな》
Mrs.ピンクの放送では――背伸びをする元気な少女と、聡明な大人の淑女が同居する。その不思議なアンバランスさが人気の一つでもあり、活動自体は物騒なのにコミカル枠として人気を博している理由でもあるのだろう。
《そして気付いたのよね。なりゆきとはいえ挑みもせずに逃げ出しちゃ、テストプレイヤーとしての
走りながら拳を突き上げ、Mrs.ピンクは声高らかに宣言する。眠たげに大あくびをかます暗がりの狼に
そして、Mrs.ピンクは快活に微笑み。
《さぁさ、いつものいくぜリスナー! 座右の銘はぁ――!!》
第211
見上げる青空は素晴らしいまでに青く、空に散った雲はわたあめのように白い。そよそよと吹きわたる海風は気持ちがいいし、湿った磯のにおいが漂ってくるのは海など行ったことのない自分にとっては新鮮で――。
「あふぅ~」
(いい天気~)
「……狛犬君ったら、完全にダレきっちゃって」
もう……と呆れながらため息をつくリリアンの声に、上げていた鼻先を下げてなでなでを催促する。柔らかな手に鼻先の毛を撫でてもらって、ふすーっと鼻息をもらせばリリアンは何故かますます脱力したようだった。
南端、ログノートの北部。廃砦跡地は瓦礫でいっぱいではあるが平和だった。風と気分は爽やかで、塩っけを孕んだ南風も悪くない。戦況も悪くないとくれば、これはもう祝勝気分でもいたしかたないというものだ。
今や巨大な狼と四肢を投げ出し、自分はまた一つふすーっと鼻から息を吹きながら、のんびりとリリアンに問う。
「なっふー? あっふー?」
(ポムさんとクスクスはー? 雪花とセリアはー?)
「ポムさんたちはどっちも負傷者のメンタルケアにかけずり回ってるわ。セリア君は蜜蜂を仕留めたみたい……雪花君はまだ露払い中ね……全く、痛覚が最大になるまで率いるとかフェアリーホルダーって本当にもう……あ、狛犬君はみんなのトラウマになってるから、ここ動かなくていいからね!」
そんなに忙しいならアニマルセラピーでも……と腰を上げようとした自分に気がついたのか、リリアンにすばやく釘を刺されて断念する。
イイと思うんだけどな。巨大もふもふによるダイレクトアニマルセラピー。大きい分、一度にカバーできる人数も多い気がするのに、誰もが自分を見るとガタガタと震えだして硬直してしまうというのはどういうことなのか。
こんなつやつやもふもふの美モンスターを捕まえて、第一声が「ゆるしてください!」は大問題だと思う。ちょっと……ちょーっと直接ダイブしただけなのに、最初の勢いはどこへやら、あっという間に挑んでくる人がいなくなってつまらないったらない。
このサイズ差になると尻尾アタックも手ごたえがないし、あれだけ人数が揃っていれば一人くらいはまともに戦えるのがいると思ったのにそれもないし。まともに戦えそうな蜜蜂はセリアが倒しちゃったし。同じく〝ライナー〟はどっか行っちゃったみたいだし……。
あーあ、と大きくため息をつけば、何やら耳のそばでリリアンが何事かを訴えているのが目に入った。
やる気無く耳を傾ければ――それはそれとして、いつどこから残党が襲ってくるかわからないんだから、うんぬんかんぬんと小言を言い始めたようなので、再び頭を持ち上げて大きくあくびを一つ。
そんなのこないよ烏合の衆しかいなかったんだから、と態度に示せば、リリアンは油断大敵! と叫ぶが耳をぱたぱたさせて聞こえないふりをする。
聞こえないもーん、と尻尾もぺらぺらと振ってみせれば、リリアンは腰に手を当て、もう! と憤慨した後に「私も手伝いに行ってくるから! いい? さっきみたいにひょっこり顔をだして救護所にパニックをもたらさないように!」と言ってから、ちょっとだけぷんすかしながら走って行ってしまった。
小さくなっていくリリアンの背を見送って、自分はふんす、と鼻を鳴らす。そうはいっても、とにかく暇で暇で仕方がないのだ。
アニマルセラピーの気持ちで顔を出したら悲鳴の大合唱になってリリアンに連れ出されてしまったので、流石にもう一度やらかすわけにもいかないし、ますますやることがない。
「なっふらー……あっふらー……♪ なっふっふー……♪」
(暇だなー……ひまひまー……♪ ひっまひまー……♪)
仕方がないので瓦礫の上で仰向けになり、ごろごろと転がりながら暇の歌を歌って時間をつぶしてみる。しかし、なかなかに不毛だった。開始30秒くらいでもう飽きてきて、ため息混じりに起き上がろうとした瞬間――それは唐突に訪れた。
《――【光よ】!》
「――ひゃいんっ!?」
(――にゃにごとぉ!?)
まるでナメくさった歌を歌っていた天罰のように、とつぜんにそれは訪れた。スペルと共に閃光が弾け、強すぎる光にハレーションがおきて視界がぶれる。明滅する視界の中、何が起きたのかわからずにいる間に、その声は続けざまに降り注ぐ。
《何が〝ひっまひまー♪〟だ! なにふざけてんじゃこの犬っころが――【ジエロ】!!》
可愛らしい少女の声とセリフに、まさか本当に奇襲か! とハッとしたのもつかの間――続けざまに鼻先が凍りつき、一瞬だが呼吸が乱れて混乱する。
《そんなに暇なら暇つぶしの相手になってやんよぉ! 喜べ、
最後にふらつく脳天に巨大な鋼の塊が降ってきて、頭蓋に直撃。属性相性の悪さも相まって、あまりの痛さに
状況がわからないながらもリリアンの忠告通りの状況になっていることに気が付いて、ふらつく視界と嗅覚と足取りとで――――あれ? これ意外とヤバいのでは? と遅まきながらに気が付いた自分の足元は次の瞬間、
《お前の得意技をかましてやんよ! 突貫工事は死ぬほど面倒だったわちくしょう――【ヘル・フォルム】!!》
巨大な落とし穴と化し、今の自分の巨体ですら――見事なまでに呑み込んでみせたのだった。
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