第二百十話:善悪の軛





 大男は、簡素な石造りの――寒々しい部屋で目を覚ました。


 蝋燭一本の淡い光。どこからか聞こえてくる細く低い風鳴りの音。冷たい岩の天井をぼんやりと見つめ、男は長く重たい吐息をこぼす。


 石の棺に横たわり、何がいけなかったのか。どうして負けてしまったのかを反芻はんすうしながら瞬いた。

 薄い藍色の瞳が蝋燭の炎を反射する。ガラスのようなその表面に、生々しい悔しさが滲んでいる。


 負けた。負けた――それも、詰将棋のように鮮やかに、最短で。


「……負けた」


 何もかもがセリアの思惑通りだった。


 無差別攻撃に見せかけた溶岩の波で、まんまと蜜蜂はセーフティーエリアに誘導された。遮蔽物を一掃し、蜜蜂が再び身を隠す場所を消し去って、安易には外に出られない状況に追い込んだ。

 それだけではない。あの炎熱の波は、死に戻りができないように調整し、瓦礫の影に隠しておいたアイノザにまで自由を与えた。


 しかも、タイミングを合わせてセーフティーエリアから叩きだすように指示も出したのだろう。アイノザは格闘戦闘ならば随一の実力者だ。スキル無し、小細工なし。しかも不意打ちで安全地帯から叩きだすだけならば、これ以上の人選はない。


 同じ組織に所属しているのだから、連絡を取るのは簡単だったろう。セーフティエリア外でメッセージは送れないが、掲示板を経由してならいくらでも連絡がつく。


 ましてや相手は世界警察ヴァルカンの幹部。あの組織には常にこういった時のためのオペレーターが各支部に待機していて、連絡用の掲示板に書き込みがあれば、未読メッセージにて〝案内〟を寄こす部署まであるという。


 蜜蜂自身の嗜好も考慮に入れていたに違いない。闘いをじっくりと楽しむ癖――時間がかけられる状況があれば、たっぷりと時間を取って次策を考える癖を逆手にとり、セリアは稼いだ時間で獲物を一撃で仕留められる環境を作り出した。


 そして雨を降らせ蜜蜂を濡らし、皮膚表面の電気抵抗を下げてから、スキルによる落雷をぶち当てたのだ。


 仕留める手段に落雷スキルを選んだのには、いくつかの理由があるのだろう。まず一つは、手持ちの魔法スキルに、確実に一撃必殺を狙えるスキルが少なかったこと。


 正直言って、蜜蜂はタフだ。体力HPが高いのもさることながら。魔力の色が闇属性というのもあって、〝停滞と衰退〟という属性性質によって、物理、魔法を問わずあらゆる攻撃にマイナスの補正がかかる。


 セリアが〝竜の民メルティ=ロア〟によって魔法の二重撃ちが可能だったとしても、直撃したら一撃で死ぬ可能性があるのは風属性のスキルだけだと踏んでいた。

 セリアの魔力の色は風属性で、最大火力が出せるのは風属性に分類される〝風雲系〟か〝雷撃系〟だからだ。


 そして〝風雲系〟は遮蔽物――蜜蜂が操りにも使っていた〝人形〟たちなど――があると威力が一気に減衰する特徴があり、〝雷撃系〟には速さを犠牲に威力が低い傾向があった。


 しかしその代わり、〝雷撃系〟には電気抵抗の有無で大幅に威力が変わる性質があり、雨によって全身が濡れていた蜜蜂などは、それこそ格好の獲物だったのだろう。肉壁すら意に介さない一撃は、見事に大男を一発で死に戻らせた。


「あぁー……久々に悔しいなぁ……」


 大きな手で顔を覆い、それから蜜蜂はゆっくりと石の棺から起き上がる。すでに死に戻りの個室に地下の竜脈への道があることを知らないのは、プレイヤーズガイドを読まない初心者だけだ。


 部屋の半分を占拠する石の棺を転がせば、そこにはおあつらえ向きの高飛び通路が顔を出す。


 地下への扉。這い上がってくる冷たい空気。無音の小部屋。淡いともしび。ダサすぎて笑える麻の服。


 そして――やり直しへ繋がる、地上への木製扉。



 すべてがこの部屋に揃っている。



 悪逆を捨て、謝罪をし、地上へ上がってやりなおすのか。それとも善性を捨てて、今度こそ暗闇に堕ち果てるのか。


 迷いの根源に、やさしさと残忍さがあった。他者を慈しみたい心。他者をうちのめしたい心。両方が揺れてくびきと化す。

 その軛がいつまでも外れないから、蜜蜂の心は自由になれない。どっちつかずから変われない。


「……そういえば、久しぶりに何も考えずに戦えたなぁ」


 ぼんやりと呟いて、大男は天井を仰ぐ。ここ数カ月、蜜蜂は悪逆の限りを尽くしてきた。自身の心に善悪の軛があるのなら、ここはやはり釣り合いのとれることをするべきだろう。


「無心になれた恩返しに――なるといいけど。どうだろうねぇ」


 どっちつかずなりの誠意を示すために歩き出す寸前に、自身の服装を見下ろして、あんまりなダサさにちょっとだけ笑ってから。彼は静かに扉を開いた。






























第二百十話:善悪のくびき























「やぁー! 負けちゃった負けちゃった。悔しいけど完敗だったよ! ……ところで、世界警察ヴァルカンへの所属ってどういう手続き必要なの?」


 まずはじめに、こんな感じの朗らかな声が元気よく響きわたった。


「………………ぁあ゛!? はぁ!? 何考えてやがんだこのすっとこどっこいが!!」


 次に、こんな感じの怒号が響いた。


「そんな気はしてたけど早すぎんだろ。こっちにも面子っつーもんがあるんスから、一発でかい首級でもあげてきたらどうっスか?」


 最後に、そんな感じでやる気のない声がログノートの更地に落ちて、男三人は黙り込む。晴れてはいるが晩秋の冷たい海風が吹きさらす中、一面の荒野にて異様な面子が揃っていた。


 ダサさを極めた麻服ファッションの蜜蜂と、同じく全力で芋臭い麻服スタイルのアイノザと――一人だけ何だか黒地に銀縁コーデの小洒落たセリア。


 優雅に竜の首に腰かけて足を組み、大あくびをかます優男に寄せられる視線は生ぬるいが、ヒトとは集まればヒエラルキーというものがあるもので。

 セリアが意味ありげに他二人の全身を上から下までじっくりと眺め、


「やっぱいつ見てもひでぇわー。死んでも死に戻りしたくねぇー。激ダサスタイルで表に出るくらいなら、俺なら間違いなく竜脈から失踪するね」


 などとナメきられたことを半笑いで言われたとしても。支部長として責務を果たせなかったアイノザも、真正面からやりあって見事に大負けした蜜蜂も――何も言えることは無いわけで。


「セリア、マジ負けたら失踪しろよテメェ」


「あっはっは。それ実現したら面白いなぁ」


 世界警察ヴァルカンって家出アリだっていうし、楽しみだねぇと蜜蜂が言い、アイノザはわりとマジ声のトーンで自分テメェの発言には責任とれよとすごんでみせる。

 次いでアイノザは淡い藤色の瞳をギッと鋭くし、蜜蜂を睨み上げた。


「おい、テメェ! 世界警察ウチに所属希望なんだな?」


「……はい。できれば、よろしくお願いします」


 アイノザに問われ、蜜蜂はふと笑みを消す。真剣な表情で頷いて、それからまっすぐに頭を下げた。淡い藤の瞳はそれをじっと見下ろし、それから静かな声で答えを出す。


「……〝tora〟を捕まえたまま逃亡中の〝ライナー〟を仕留めてきたら、何があろうとも俺が世界警察ヴァルカンに入れてやる」


「――それは、勿論できますけど」


 それだけでいいのか、と。言外に困惑を滲ませる蜜蜂に、アイノザはふん、と荒い鼻息と共に腕を組む。そう高くは無い背丈を伸びで誤魔化し、彼は静かに疑問に応えた。


「……元仲間に感謝するんだな。〝ロージー〟とかいったか……〝蜜蜂さんは悪い人ではないんです〟だなんて、ウチの相談所で泣きじゃくった野郎にな」


 ログノートの襲撃の時に話がちげぇ、と思ったが……経緯はセリアから聞いたと。言ってアイノザは途端に朗らかに笑い、大男の背を勢いよくばっし、と叩いてげきを飛ばす。


「よう。ま、生きてりゃ色々あるわな! よし行ってこい! 〝そうしたい〟んだろ? ならそうすべきだ!!」


 イイもワルイも紙一重だ! 今やりたいことこそ、この世の全てだ!! とアイノザは笑い、ばしばしと背を叩かれている蜜蜂は、猫背気味の背をますます丸め、しばらくそのまま動かなかった。


 ――太陽が南に上がる。長く日陰を歩いてきた身に日差しが降る。短い影を見下ろして、大男は歩き出した。



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