第二百六話:人獣同盟、進軍経過



第二百六話:人獣同盟、進軍経過




 ――自称、大人の女。他称、どう見ても女子高生。そんな悲しくも不運なるクオンが、ログノートの街の北端にて憤怒に染まった絶叫を上げたのとほぼ同時刻。



 北部からの二大巨頭狛犬とトルニトロイの登場に、もはや誰もが見向きもしていないログノートの南部で、1人の男がざばり、と海から這い上がった。


「ふー……」


 全身ずぶ濡れかと思いきや、男は髪の一筋さえも濡らすことなく浅瀬に沈む埠頭の上でぱしゃりぱしゃりと歩を進める。


 ――……全身、黒ずくめの男だった。黒のTシャツの上からは銀縁のジャケットを羽織り、手には同色の革手袋。長ズボンも、世界警察ヴァルカン支給の長靴ブーツまでもが銀の縁取りを持つ黒一色。


 黒灰色の髪はアシンメトリーになっていて、右側だけが長く左側は耳にかけられている。同色の瞳は機嫌良さげに細められ、皮肉気な口元がひゅう、と小さく口笛を吹いた。


 七分丈のジャケットからのぞく二の腕や、頬や首筋には痛々しい包帯とガーゼの嵐。一見すると満身創痍の風体だったが、男――セリアは珍しくも気怠げではない様子で、ぶんぶんと準備運動をするように左腕を回してから小さく伸びをした。


「さーて……作戦通り。北部から1と狛犬。上からトロイとポムにリリアン。南のから――俺と……お前等」


 伸びと共にセリアの視線だけが背後を振り返る。静かな黒灰色の瞳に、主人と行動を別にしてより無言を貫く男が映った。


「……」


 かつて氷原の裂け目にあった、冷たく深い青の湖。そこに投げ込まれた弔いの花を戴く水狼王――その全身に絡む蔦を鞍代わりにして、芒色の髪の男が腰かけている。


 黒のタンクトップに、明るいベージュのツナギ姿。ただし左肩の部分は大部分が赤黒く乾いた血に染まり、此処に至るまでの道中、乱雑に縫われた継ぎ目の合間で新しい木綿糸だけが白く光っている。


 顔の上半分は黒縁に臙脂えんじのレンズをはめ込んだ無骨なゴーグルで隠されていて、口元は真一文字に引き結ばれていた。

 セリアの視線を臙脂のレンズ越しに見下ろして、男――雪花は表情の読めぬ顔で腰にたずさえた長剣の鞘を掴みなおす。


「「……」」


 男達は、そのまましばしの沈黙。


 互いに相手の真意を探るように目を細め、両者同時に殺気をまとい身構える。セリアはぱきり、と後ろに下げた左手の先で指を鳴らし、雪花はぎちり、と長剣の鞘を握りしめた。


 緊張の一瞬。一触即発の空気の中、水の精霊王ワワルネックが欠伸を一つ。


 大口を開け、水製の牙が噛み合わされるその瞬間――……彼らは動いた。


「「じゃんけん――ぽんッッ!!」」


 掛け声と共に、電光石火のごとく繰り出された両者の拳。セリアはチョキで、雪花はグー。途中常人の目には追えない速さで、繰り出された拳の形は変わっていたが、振り下ろされた最終地点で決着はついた。


「くっそが……ッ! マジかよ俺がやんのかよ!」


「ざまあ! よし行くぞワワルネック。俺等は露払いだ」


 勝負の結果を見届け、ガァーッ! と憤りの声を上げてセリアが呻き、雪花は清々しい笑顔でセリアに向かって親指を上げる。

 〝どちらがフェアリー・ホルダーをるか〟――すなわち、どちらが面倒事を引き受けるかを決めるためのじゃんけんだった。


 呻くセリアはステータスのブレが……とぶつぶつ文句を言いながら渋面を作り、雪花は満足そうにセリアに向かって微笑みかける。


 現実世界でならこうはいかないが、ここはVR――仮想世界だ。それもここ【Under Ground Online】において、ステータスの差というものはこういう刹那の時に影響する。


 微笑みを浮かべた雪花は穏やかな口調で「出来れば一度くらい死んでくれ」とセリアに言い、セリアはセリアで「お前こそ手の内晒してイベントで泣きをみろ」と脅すような声色で吐き捨てた。


 どちらも、まだ笑顔。口は皮肉と嫌味を吐き出し合い――しかし、不意に伸ばされた腕の先、ガツリ、と手荒に雪花とセリアの拳が打ち合わされる。



「――ボスを助ける手助けをしてくれたことには感謝してる。ありがとう。もしもこの先、助けが必要なら呼んでくれ。尽力する……それがアンタにとっての大切なものならば」


「――どーいたしまして。俺もお前の心根は嫌いじゃない。今後、困ることがあれば助けてやってもいい……それが善性に根差したことならば」



 穏やかな口調で約束を交わし、しかし次の瞬間。彼らは笑みを湛えたまま打ち合わせた拳を反転させる。



「でもやっぱり一度ぐらい死ね」


「たかが露払いに精霊王ラスボス連れとかマジ恥ずいわー」



 雪花は親指を立て、そのまま下に。セリアは中指を立て、上へ向けた。微笑みを浮かべていた両者が、不愉快そうに口を閉ざす。



「……」


「……」



 どちらの仕草も意味するところは互いに同じ、単なる嫌がらせだ。だが人よりも長い時を生きるセリアより、若輩者の雪花の方が先に苛立ちを行動に変えた。


 黒灰色の脳天を狙い、苛立ちと共に鞘入りのままの長剣が振り下ろされる――が、セリアは軽々とそれを避け、血気盛んな雪花を鼻で笑いながら走り出した。


「速さで負けても瞬発力で負けるかバーカ。じゃあな。モンスターだって言い張るなら、それらしいとこ見せろよ――【トラスト】」


 一歩目は振り下ろされた長剣を躱すために。二歩目は一息に風を巻いて、三歩目で全身の筋肉をしならせながら、移動補助魔法と共にセリアが野生の豹のように浅瀬を抜けてログノートの街に踏み込んでいた。


 打ち寄せる波に濡れた岸壁を蹴りつけ、何も無いがゆえに侵略者の破壊を免れていた海岸倉庫の一つに潜り込み――恐らくは壁でも蹴り登り、窓から飛び出すつもりなのだろう。


 あっという間に姿を消したセリアを歯軋りしながら見送って、遅れて雪花が低い声でワワルネックに指示を出す。


「行くぞ。最高速度になったらそのまま突っ込め。とりあえず有象無象を先に処理する。一通り死に戻らせたら、仕切り直す。魔力は温存しとけ」


『うん、マスター。とりあえず、〝体当たり〟だけでいくらかは仕留められると思うから……頑張るよ……こういうの、久しぶりだ』


 揺蕩う声がほのかな幸甚こうじんを滲ませ、ワワルネックは身構える。雪花は新緑の蔦をしっかりと掴み、水狼は静かに宙を蹴った。

 その一歩目は、スローモーションのようにゆったりと。数秒、宙を泳ぐ魚のように水の尾をくゆらせ、そして10を数える頃にはすでに。


「――ッッ!!」


 浅瀬に沈む埠頭を置いて、海岸倉庫さえも軽々と飛び越えて。名も知らぬ悪党の1人を、天高く跳ね飛ばしてみせていた。






















 セリアと雪花の上陸前、未だクオンがこの世の不条理に気が付いていない頃――南端、ログノートの上空では深紅の竜――トルニトロイと、その両の脚それぞれに掴まった男と女が、凄まじい空気抵抗と重力に抗いながらも行動を始めていた。


『久方ぶりに飛ぶが絶好調だ! ポム殿もいるし! 最高だな、はっはー!!』


 片や『ポム殿がいるならセリアなんかいなくてもいい。むしろ俺はポム殿が一緒じゃなきゃ火も吹かない』と言い張り、セリアに無言で顎を蹴り上げられたトルニトロイがテンション高くそう叫び、


「おかしいわね――ライナーがいないわ。水球に囚われてるっていうtoraもいない……ポムさん! 掲示板から何か情報上がってきてませんか!」


 片やふんわりとした淡い茶色のショートヘアーをばらばらと風になびかせながら、反対の脚に掴まっているポムに向かってリリアンが叫びを上げ、


「ええ!? 何、リリちゃん!? おじさん、聴覚そんなに良くないからトロイの声しか聞こえないんだけど! チャット! チャットで会話しよう! ウチの鍵付きの方の掲示板に書き込んでくれない!? 今、アクセスコード送るから!」


 片や銀髪銀瞳の初老の男、ポムが、あまりの空気抵抗とGのせいでグロッキーになりながらもリリアンに向かって叫び返す。


「あら、ポムさん聴覚の数値良くないのね――わかりました! って聞こえてないか、【書き込み! 『ポムのワクドキ情報局』!】」


 ポムの提案を聞き取り、リリアンは素早く音声入力でメニュー画面を開き、そこからポムが管理している掲示板を呼び起こす。

 しかしリリアンが【書き込み】! と叫ぶと同時に、トルニトロイが勢いよく雲の海に下から突っ込み、ポムの悲鳴と泣き言が南端、ログノートの上空に響き渡った。


「あああ、ていうかテンションは上がるけど超こわい、こわい、こわい! あんぐらで初めて空とか飛んだけど酷すぎる! 物理エンジンの比じゃないよこれ! 絶対に琥珀君のせいだ! そうに違いない! 今度会ったら――あああ、トロイ止めて! 錐もみ飛行とかしないでぇぇ!」


『む――ポム殿、何か仰ったか? つい嬉しくて聞いていなかった! 何せポム殿との共同作戦だからな! ポム殿やノア殿の言う通り、俺は強い子だから! 強い子なんだぞ!』


 強い子だから! を連呼しながらトルニトロイはまだらに浮かぶ雲に出たり入ったりを繰り返し、錐もみ状に回転したり急降下してみたりを繰り返しては嬉しそうに吼え声を上げる。

 もちろん、地上にまで届くほどの大音量では無いが、それでも黒い鉤爪を携えた巨大な後ろ足に掴まる人間達には耐えがたいほどの音量だ。


「ちょっと、トロイ君! わかったから少し静かにして! 後、雲に入ると地上の様子が見えない! 少しだけ高度下げて!!」


「トロイぃ! ゆっくり飛んで! ゆっくりぃぃ!!」


 視力強化アイテムである眼鏡を押さえつつ、リリアンは怒りを込めて。ポムは必死になって命綱を握りしめながら、悲鳴と共にトルニトロイに向かって指示を出し、ようやく赤いドラゴンは空を優雅に飛び始める。


「えらい、えらいよトロイ! よーし、そのまま姿勢制御だ!」


 一部の猛禽類がやるように、翼を広げ、揚力を得ての空中停止を披露したトルニトロイは、ポムに褒められたことでご機嫌な様子でぼっふ、と小さく炎を吐いた。

 ようやく安定感を得られたリリアンは、すかさずポムの管理する掲示板に自身が感じた懸念を書き込んでいく。音声入力で全てを打ち込み、リリアンはポムに確認の言葉を投げかける。


「【書き込み】――ポムさん、読みましたか!」


「読んだ! 確かに、妙だな……でも、もうコル――クスクスは攻撃し始めてるみたいだから、とりあえず予定通りに行こう! もしもライナーが乱入してきたら……きたら……えっと、リリちゃん……戦える?」


「【書き込み】――そこは嘘でも「僕も戦うから」って言いましょうよ、もう! ええ、ええ、戦えますとも! それじゃポムさん、トロイ君に指示を!」


「ごめんね! わりと無力だからね僕! うん、よし! トロイ! 急降下で突っ込むよ! リリちゃんはクスクスに合図を!」


 微妙に戦力にならないことを謝りながら、ポムはトルニトロイに指示を出す。

 主人以外からの指示を受け、トルニトロイはむしろセリアに命じられた時よりも喜々としてそれを了承。巨大な翼が勢いよく打ち下ろされ、揚力を得てふわりと巨体が浮き上がり――


『任せてくれ、ポム殿! 俺は――強い子だからー!!』


 ――そんな間の抜けた咆哮と共に、深紅の巨体は南端ログノートの北部に向けて急降下を開始し、そしてクオンの大絶叫が響き渡ることになったのだった。




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