第二百五話:ミセス ピンクの災難




 ――南端、ログノート。


 大陸と同じ名を冠するその街は、今や恐ろしいまでの静けさに包まれていた。


 背景にあるは朝焼けに光る大海原。鱗のようにきらめく薄紫の雲が空に散り、昇り始めた太陽が時折顔をのぞかせては隙間から街に鮮烈な光を投げかける。


 そのまま陽光は穏やかにログノートの街の全体を。更には街を囲うようにして広がる緑美しいなだらかな丘となっている陸地部分をも明るくし、長い夜の終わりを順繰りに告げていっていた。


 けれども、そんな清浄な光で照らし出される今朝の世界は、皮肉ながらもログノートの街の裏側だ。


 ここはそれなりの規模の港町だった場所。今や船の一艘いっそうも停泊せず、地殻変動か、名のあるモンスターによる暴虐の跡か……埠頭までもが浅瀬に沈む〝成れの果てロストタウン〟となろうとも、かつてはここにも真っ当な輝きがあった。


 だが今は違う。攻略最前線からも遠く、それゆえに有力プレイヤーが訪れることもほとんどない南の果てでは、今や悪徳こそがさかえるばかりで善行などは物珍しい貴重品でしかない。


 一握りの正義であった世界警察ヴァルカンは今や瓦礫と化してちりついえ、その象徴たる支部長、アイノザさえも四肢をもがれて地に転がるばかり。


 半壊、全壊――幾多の瓦礫に囲まれた、家だったものの残骸の影のそこかしこに潜むのは、フェアリー・レギオンを名乗るケダモノ共だ。


 手にする得物は短剣、長剣、弓に拳銃。珍しいものでは耳慣れぬ名の暗器や銃器、アビリティ由来のスキルによって生成されたカードや罠など、何でもござれのごった煮状態。


 統括ギルド前の中央広場を起点にし、悪党共は街全体に散らばり、潜み、静かに敵を待ち受ける。


 ファンタジーならではの色とりどりの瞳は敵意と狂気に濡れ光り、せわしなく蠢くそれは鼠一匹の侵入さえも許さぬとばかりにしきりに周囲を警戒していた。


 わずかな物音にさえ反応し、得物を向ける彼らに死角はない。時に、味方さえも撃ち殺しそうになって彼らは歪んだ笑みを浮かべてみせる。

 まだ犠牲者は出ていないが、待ち伏せの時間が長引けば長引くほど、内輪揉めの可能性は高まっていく。


 敵が来て撃つのが早いか、味方を斬り殺すが早いか――。


 だが、街の中央広場に堂々と陣取る蜜蜂は、不穏な空気に視線ひとつ投げかけることはなく静観の構えだった。ギルドマスターである彼が動かぬ以上、古参の者も注意はしない。


 蜜蜂は先程までの煽動の時とは打って変わって静けさを保っている。薄っすらと不精髭の生えたその横顔にも笑顔は無い。黒髪の隙間に閃く藍色の瞳は凍てついた大岩のように静かで、そこには狂気も熱狂も存在しない。


 ――ただその薄い唇だけが、呪文のように何事かを呟いている。



「……来い……来い。……真っ直ぐにだ」



 何度も――何度も。まるで呪詛のように繰り返される言葉は、薄く砥がれた刃に似ていた。背筋が凍るような切れ味を連想させるが、脆く、折れやすい印象の声が早朝の冷たい風に紛れるように繰り返される。



「……来い、真っ直ぐに来い。……迷いなく、不意など打たずに真っ直ぐに」



 あるいはそれは、呪詛ではなく祈りに似ているようだった。全てをやり尽くし、計算し、もはや後は全て神の御意思にゆだねるしかないとこうべを垂れるように、蜜蜂は淡々と小さな願いを囁き続ける。



「来い……来い……来い……」



 南から冷たい風が吹く。塩気を孕んだ海風が、どういう神秘か北風ではなく南風となって蜜蜂の背を撫でていく。青地のマントが風を孕み、一瞬だけ蜜蜂の視界を隠したて、再び藍色の瞳になだらかな緑の丘が映り込んだ――瞬間だった。



「――――」



 ――来た、と蜜蜂が唇だけで囁くのと、ほとんど同時に。



 南端、ログノートに潜むケダモノ共が、蜜蜂と同じものを見つけて熱狂の叫びを上げたのだった。




























 第二百五話:Mrs.ミセス pinkピンクの災難




























 ケダモノ共の叫び――それはもはや絶叫だった。


 獲物を見つけた喜びからくる雄叫おたけびなのか、その堂々たる登場からくる恐怖の悲鳴なのかも定かにならぬ大絶叫が、南端ログノートの寒々とした空気を一斉に震わせていた。


 剣を手に取り、地を裂きながら疾走する者。銃把を握り、気が早くも引き金を絞りながら笑い出す者。仕掛け罠に続く鎖を握りしめ、獲物が発動圏内に来るのを今か今かと待ち受け震える者――その全てが、喜びとも恐怖ともつかぬ絶叫と共にそれを見ていた。


 ――南端、ログノート。


 大陸の名を戴く南の果て。南部は当然として、西部、東部のほとんどをも海に縁取られるその街に、陸から続く道は一つしか存在しない。


 出島のように海に突き出す、この街の北部。緑美しいなだらかな丘の上に突如として現れた、傲岸不遜な


 南からの向かい風を物ともせずに、それは真正面から死地に踏み入らんと走り続ける。窪地から丘を駆け上がることで突然に現れたように見えるそれは、まるで冥府の底から罪人共を噛み殺しに、一息に駆け上がってきたようにも思われた。


 その姿を見て歓喜に、恐怖に。それから、良く分からない馬鹿げた衝動に――ケダモノ共は絶叫を上げ続ける。


 それはひどく耳障りな声。まるで隣にいる誰かが叫んでいるから叫ぶような、そんな根も芯も無い惰性だせいの絶叫。


 けれども、惰性でも雄叫びは雄叫びだった。


 勇猛なる強者が全力の戦いに獅子吼ししくを上げるように。その声に鼓舞こぶされた衝動が、ケダモノ共に束の間の夢を見せる。



 ――いける。勝てる。この数でなら。これだけの熱があれば、どんな怪物をも焼き尽くせる、と。


「チッ――やっぱり蜜蜂アイツは動かねぇか……テメェら、やるぞ! 合わせろよぉ!」


 だが全員が全員、馬鹿みたいに頭に血が上った者ばかりではない。およそ全体の5%ほどの人数だが、周囲がどれだけ浮かれていても蜜蜂による煽動を受けていても、冷静さを失わない者達は存在する。


 その5%の内の1人。元より蜜蜂のギルドに所属しておらず、本当にたまたまログノートに居合わせただけのPKプレイヤー〝クオン〟は、とうとう敵が姿を現したというのに中央広場に陣取ったまま動かない蜜蜂を一瞥。すぐさま舌打ちと共に、熱狂が過ぎて周りが見えなくなっている烏合の衆に向かって大声で指示を出す。


「とにかくもう少し近くに来てからだ! 〝罠師〟系統はありったけ拘束スキルをぶち込め! 魔法系や弓、銃士はデバフ、攻撃、目くらまし――遠距離なら何でもいい、撃ちまくれ! あんな巨体、まともにぶつかったら即死だ、忘れんな!」


 事前の作戦を無視して真っ先に飛び出した数十人には悪いが、いくら悪を為そうとしていても決まり事を無視して命があると思うのはアホすぎる――とクオンは即断で先頭集団を切り捨てる指示を出す。


「おい、聞いてんのか! 近くに来てからだぞ! 今飛び出したって何にもならねぇ!」


 罠師トラズナーに関係するアビリティを持つ者や、魔道士由来のデバフスキルを持つ者達は、クオンの叫び声にも似た指示にようやく自身の役割を思い出したらしい。


 目視は出来るが、罠にかけるには敵は遠い。およそ1㎞か2㎞ほど先にいるが、見晴らしが良すぎるのと、興奮しているせいですぐ近くにいるように錯覚しているだけ。すぐさま距離を詰めてくるだろうが、それでも駆けだすには早すぎるし、こちらから距離を縮める利点などどこにもなかった。


(しかも、トルニトロイとかの他の奴らの姿が見えねぇ。頭に何が詰まってりゃ、この場面で走り出せるんだ? ああチクショウ、蜜蜂の様子もおかしいし、嫌な予感がする。ラス食っちまったかもしんねぇ……ッ)


 再びの舌打ちと共に、クオンは榊の演説を聞くと同時に、自身の契約モンスターを街から逃がしておいて本当に良かったと安堵の息を吐く。


 元より、クオンはログノートには本当にたまたま居合わせただけ。逃げ遅れただけの被害者に近いのだ。こうしてPK活動に参加しているのも、PKプレイヤーとして中途半端に名前と顔が知られているせいで、統括ギルドの羊の群れにまぎれられなかったからだ。


 これだけギスギスした空気の中、統括ギルドに指名手配中のPKプレイヤーが被害者面で紛れていたら、問答無用で叩き出されるに違いないし、あの状況で街から逃げようとすれば――自分の、この見た目だ。叩き出された先でアホ共になぶり殺しにされないわけがない。


(第一、おかしいよな。周りほとんど、完全に烏合の衆じゃねぇか。仕留める気でこんな杜撰な計画立てるか? 立てねぇだろ! つーことはあたしも含めてこいつら囮か、それともハナから負けるつもりか――)


 そこまで考えた所で、ふとクオンに嫌な閃きが降ってくる。どう見ても女子高生、と言われるせいでいつも細められている丸っこいピンクの瞳が忙しなく周囲を見渡し、目当ての人物を探すが何処にもいない。濃い緑の長髪に、淀んだ赤い瞳――その不気味な色合いが、つい先ほどまで鎮座していたはずの場所から綺麗さっぱり消えていた。


(――ライナーがいねぇ。捕虜のはずのtoraも)


 その意味を、理解できないほどクオンは馬鹿ではなかった。淡い桜色の髪をひるがえし、クオンはすぐさま中央広場――薄明竜フェルトダンパの頭上に陣取る蜜蜂を振り返る。


 視線に気が付いた大男は、クオンの形相に静かに苦笑。謝るように片手を上げて、そのまま人差し指を唇に押し当てて〝悪いね、でも黙っててよ。クオンちゃん〟とギルドメッセージを送って来る。

 蜜蜂のそんなふざけた態度に、クオンが怒りの表情で口を開いた時だった。



「あ゛あ゛あ゛――ぎゃああああああああああ――――!!」



 1人の男の絶叫が、クオンのすぐ後ろで響き渡った。


「な――んだ! どうした!」


 振り返ると同時に、クオンは素早く敵の位置を確認する。まさか蜜蜂を睨んでいた数十秒の間に、狛犬が此処まで来たのかと戦慄したもののそうではなかった。


 相も変わらずログノートに向かって走り続ける巨大な狼は、ほんの少し走る速度を落とし、燃えるような赤い瞳を楽し気に瞬かせ、数百メートル先から自分に向かって走り寄ってくる集団を面白そうに眺めているだけだった。


 クオンが真っ先に切り捨てたその集団も未だ狛犬とはぶつかっておらず、狛犬はこちらに視線さえも寄越していない。では、他の敵――セリアやトルニトロイ、水の精霊王による攻撃があったのかと視線を悲鳴が上がった方に向ければ、そういうわけでもないようだった。


「なんだ……刺し傷?」


 見れば、未だに痛ぇよぉ、とヒイヒイ泣き叫びながら転がっている男の足には――確かに刺し傷があったが、クオンからしてみればあんな叫び声を上げるような傷には見えなかった。


 確かに、何か手練れにやられた様子の傷ではあった。恐らく得物は小さなナイフで、最小限の突きで足の腱を切ったのだろう。暗殺者や、奇術師系統のアビリティ持ちが姿を消して奇襲する時の常套手段――まで思い至ったところで、クオンは全力で地面を蹴りつけ後ろに下がった。


「げっ、痛ってぇ!」


 クオンと同じ結論に達したらしい男が一拍遅れて地面を蹴るが、遅かったらしい。くるぶしの辺りを抑えて、いたたた、と尻もちをついた男に同情しつつも、クオンはすぐさま姿の見えない敵を炙り出そうと右手を突き出しスキルを叫ぶ。


「ちょっと痛いぞ――【トルネード】!」


 味方を巻き添えにする無差別範囲攻撃。だが魔力は出来るだけ絞り、範囲を広げて姿の見えない敵に掠り傷だけでも負わせるための攻撃だった。これも、奇襲対策の常套手段だ。姿を消す類のスキルはダメージをくらうと解除されるものがほとんどなので、初心者以外は誰もがこうするのが定石だった。だからクオンも躊躇わずにスキルをうった。


 それがまさか――今この場では、致命的な結果に繋がるなんて思いもしないで。


 クオンの叫びに応えてスキルが発動し、渦巻く風の刃が周囲一帯に吹き荒れる。肌を浅く傷つける程度の威力でしか無いが、襲撃者を炙り出すには最適の一手――のはずのそれは、一瞬にして現場を混乱の渦に叩き落した。


「あ゛、あああ゛あ゛あ゛!!」


「痛い、いた、痛い痛い痛い!!!」


「――――ッッ゛ッ゛!!」


 ある者は叫び、ある者は呻き、ある者は声すら上げられずにを押さえてのたうち回る。


 本当に些細な傷。それも、目や口など、痛みが強い場所にできた傷ではない。腕や足にほんの少し、血が滲む程度の小さな傷。

 現実世界でついたとしても、そんな叫びを上げてのたうち回るような傷では決してない。垣根の棘でも引っかけて、やっちゃったよ……、なんて苦い顔をする程度の傷だった。


「なんっ……なんだよおい。そんなレベルの傷じゃないだろ?」


 この阿鼻叫喚の状況は自身が引き起こしたらしいことは理解できても、何故こんなことになっているのか理解できずにクオンは動揺に立ちすくむ。


 絶え間なく痛みを訴えて地面で転げまわるプレイヤー達の中で、立ち尽くすクオンと、さきほど足をやられて尻もちをついた男だけが、何が起きているのか理解出来ずにきょとんと目を丸くしていた。


 立ち上がれはしないようだが、その男の腕にもトルネードによってついた浅い傷がある。血も流れているが、他の者のように派手に痛がっている様子も無い。むしろ周囲の絶叫に驚きすぎて、自身の痛みなんか思い出せもしないようだった。


「痛い! ――痛い痛い痛いよぉ!!」


 なんだ? 何が起きているんだ? と呻くクオンの右手側で、トルネードの範囲外にいたPKプレイヤーがまた1人悲鳴を上げて倒れ込んだ。遠目に見ても大した傷では無いが、やはり異常なまでに痛みを訴えてのたうち回る女のくるぶし辺りに、小さな刺し傷がある。


 襲撃者を炙り出すための攻撃が、何故かはわからないが周囲に甚大な被害をもたらしたものの、肝心の相手には全く効果が無かったとわかりクオンは愕然。


 効果範囲から逃れていたか、それとも通常のスキルの効果ではないのか。どちらにしても打つ手は無い。これが周囲に人気が無ければ音を、風の流れを、契約モンスターによる匂いを頼りに敵の居場所を割り出したりも出来るが、こうも人が多いと――、


(人が多い以前に、こんな大混乱状態に見えない敵なんざ割り出せるかよ!)


 それにやはり、何かがおかしい。ほんの少しの些細な傷で大袈裟に悲鳴を上げるプレイヤー達は、どいつもこいつも蜜蜂のギルドに属している者達だ。どれだけ目をこらしても大きな傷など無く、そこまでのたうち回るようなダメージを受けている者は1人もいないのに、彼らはまるで内臓を抉られでもしたかのように痛みを訴えている。


 クオンも一度だけ、同じテストプレイヤーのエルミナにやられて似たような傷を受けたことはある。奴の得物はスティレットで――ニコニコ事件に乗じてアイテムを持ち逃げしたクオンにも非はあったものの――やり口ももっと荒っぽかったから彼らよりも傷口は酷いありさまだったが、それでも当時、クオンはここまで痛がった覚えなどない。


(なんだ、何が違う? 痛みを操作する適応称号? でも、ならなんであたしとさっきの奴は大して痛みを感じてないんだ?)


 未知の塊である適応称号スキルによる効果を疑い、すぐさまその可能性を打ち消してクオンは周囲をゆっくりと見回していく。

 共通点は、全員が全員、蜜蜂のギルドに初めから所属していた者達だということだけだった。男も女も関係なく、次々と痛みに絶叫を上げて彼らは地面をのたうち回る。


「ま、さか……」


 不意に、クオンに再びの閃きがあった。だがそれは、【Under Ground Online】においてほぼあり得ないことでもあり、しかしそれ以外に答えを見つけられずにクオンはすぐさま目の前でうずくまる男の腕を掴んで詰め寄った。


「痛い、痛い……ッ何だよ、お前のせいで、酷い目にあっ」


「黙れ――黙って、質問に答えろ」


「――」


 クオンに睨まれ、腕についたを押さえて喚いていた男が口を閉じる。

 瞳には怯えと困惑の色。そこに、絶対的強者であったはずの自分が、何故こんな目にあっているのか理解できないという傲慢を見て、クオンは小さく唇を噛みしめる。


「アンタ、最後にダメージ受けたのいつだ?」


「え、え?」


「最後に痛い目にあったのはいつだって聞いてるんだよ!」


「み、蜜蜂さんのギルドに入る前だ! 入ってからは、こんなこと一度も……ッ」


「ッ……ああそうかよッ!」


 やっぱりな――という感想がクオンの脳裏に短く浮かび、感じたやるせなさと共に掴んでいた腕を突き放した。男は地面に倒れ込み、その程度の衝撃にも強い痛みを感じたらしい。ひいひいと哀れっぽい声を上げながら、男は這うようにしてクオンから逃げていく。


 周囲を見渡せば、阿鼻叫喚の地獄絵図。先ほどまでとは違う視点で状況を見てみれば、もはや襲撃者を炙り出す気力さえもクオンは抱けない。


 数人のプレイヤーを除いて、誰もが地面に転がり、痛みに泣き叫ぶ異様な光景が広がっているその中で、立ち尽くしたままクオンは呻いた。


「そういうことかよ、蜜蜂……ッ!」


 【Under Ground Online】――そこは、PK優位のいびつな混沌世界。現実世界のレビューでもそう書かれた。実際に、クオンもこの世界で活動し始めて、しばらくはそう思っていた。



 だが悪に対し無法のようにみえるこの世界でも、無法者にされる法はあるのだ。



 それを初めて知った時。まるで、のようだとクオンは思った。因果応報とでも言えば良いのか。いいや、それよりも過激といって差し支えは無いだろう。



 この世界では――のだ。



 それが良いことでも、悪いことでも。魂に刻まれた因果が、で現れる。



 善行に幸運を。


 悪逆に――耐えがたいほどの痛みを。



 痛覚の反映率は、その悪質さに比例する――とは、誰が初めに言い出したことだったか。クオンも、きっと他のテストプレイヤーの誰も覚えていない。


 けれども、それは事実だった。悪質な行動を繰り返せば繰り返すほど、戦いで生じる傷は酷く痛んだ。例えば、心から助けを乞いつつ逃げる者を追い詰めたり、その心根を叩き潰すような行為は特に反映率が高くなっていく傾向にある。


 どんな行いも監視精霊は全て見ていて、1人ずつに丁寧に沙汰を下すのだ。


 クオンもまた、それによって痛い思いをして学んだ口だ。PKキルする相手にも敬意を――というと何だか変な感じがするが、この世界で長く、普通に悪役をやるなら必須の心得でもある。


 無意味な殺しはしないために、初心者は狙わない。中堅や上級者をPKする時も、馬鹿にしたり嘲笑ったりはしない。それは常に真剣勝負で、互いにやるかやられるか。一秒だって気を抜けない削り合いになるのが常だった。


 そういう意味では、野生のモンスターのような心地でPK活動をするようになったと言ってもいいだろう。空腹を満たすために狩りをする肉食獣のように、獲物を見定め、牙を研ぎ、命を賭けて襲い掛かる。


 クオンの行うPK活動が、もはや利益のために行う略奪では無く、この世界での生き方プレイスタイルと化してきたのもそれらのシステムが遠因だった。

 誰もがクオンのように考えやスタイルを変えるわけでは無いが、クオンは自然とそうなってしまったのだ。


 だが、クオンのように痛い目にあい、悪逆の報いを思い知った者ばかりではないということに、クオンはたった今気が付いた。そして同時に、自身が戦場ではなく、たんなる屠殺場に立っていることにも気が付いてしまったのだ。



 ここは命の限りを尽くして戦う誇り高い戦場などではない――屠殺場だ。



 どうしようもなく腐りきった悪党どもを、まとめて処分するために蜜蜂が用意した、下らない三流舞台そのものなのだと。



「ッ――冗談じゃねぇぞ! あの蜜蜂クズ製造機、エルミナより性質たちわりぃ!」



 しかし、理解するのと納得するのは別のこと。怒りに満ちた叫びを上げて、クオンが蜜蜂のすかした顔に一発拳をキメようと、戦慄わななきながらも中央広場に向かうため小さな身体を反転させたその瞬間。


「――――」


 クオンの足元に伸びていた影が消え失せて、彼女は感じた嫌な予感に一も二も無く顔を上げ――



「――ぅ恨むからな蜜蜂ぃぃぃ!!」



 真上から隕石のように降って来る赤竜トルニトロイの巨体を見て、見事な巻き舌で悲痛な絶叫を上げたのだった。




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