第百九十三話:妖精女王――ティルタトルタ




【……〝rum-lルメーラ〟がお送りします】



【ただいまより適応称号:習得クエストが開幕します】――【達成課題は『30分以内に〝使用〟』すること】


【試用スキルは第1スキルが適用されます】


【これは適応の可能性】――【こちら、エディカルサーバシステム】




【適応称号クエスト】――【《妖精女王――呪いの君主ティルタトルタ》】




 ――――【開幕】
























第百九十三話:妖精女王――呪いの君主ティルタトルタ























 轟々と――水音がする。


 ダッカスが、塩の街が、ゆっくりと透明な水で満たされていく音を聞きながら、榊はふと閉じていた目を開けた。


 細い路地裏に立ち尽くし、彼女はひたすらに下を見ていた。『世界警察ヴァルカン』支給の黒の長靴ブーツに、ひたりひたりと小さな波が寄せては返す。


 ほんのりと冷たい液体が、砂にも混じらず揺蕩たゆたうさまはまるで流動生物のスライムのようだった。透明で、薄青く、肌も濡らさない水もどき。


 〝魔法使い〟である榊には、なじみ深い液体だった。だが榊はその液体を、憎いかたきであるかのように片足を上げて踏みつける。


 深紅の髪を振り乱し、ダンッ――と鈍い音がレンガを打つ。流体相手に、意味が無いことはわかっていた。だが、榊はオレンジ色の瞳を見開いて、腹立たし気にそれを踏みつけた。


「……ムカっつくんだよぉ」


 空には仄白く輝く幻月があり、紫色に滲む水平線に怪しげな光を落としている。月光は、路地裏の壁に斜めに差していた。榊の顔を半分ほど照らし上げ、意志の強そうな吊り目を際立たせる。


 突然のことだった。いや、ある意味では突然ではなかったか。監視精霊から警告は出ていたが、無視したのは榊のほうだ。

 悪質行為への警告。セーフティースキルの起動。そのどちらも、榊にとってはどうでもよかった。どうせ運営は、こんなことくらいでアカウントを凍結したりはしないのだ。


 現に、今この瞬間。まるで欲に溺れろ、とでもいうように、運営は榊の目の前に高価な餌をぶら下げている。


 適応称号――この状況を劇場に見立て、運営のアホ共が考えたくだらないお遊戯だ。


「何が妖精……うるせぇよ……うるせぇな、何が悪いって言うんだよ!!」


 吼えて、路地の壁を蹴りつける。


「なんでアタシの適応称号のカテゴリーが〝妖精〟なんだよ! ああ゛!?」


 ひとつにまとめた長い深紅の髪を揺らしながら、榊は獣のように吼え上げる。くるぶし辺りにまで満たされてきた水面が、派手な水音と共に荒立った。

 榊の瞳は怒りと憤りで満ちていて、オレンジ色に輝くそれが、月を見上げて不満を叫ぶ。


「何が――何が、〝悪辣なる者〟だ!」


 『世界警察ヴァルカン』で分類され、広く周知されている適応称号のカテゴリー別、性格診断。リリアンが言い出した、くだらないカテゴライズのお遊び表。


 竜は慈愛、幻獣は人望、神は二面性、悪魔でさえも信念、と。否定的な表現をされない他のカテゴリーに反して、リリアンが妖精に定めたのは〝悪辣〟の二文字だった。


 ――『どいつもこいつも、吐き気がする』と。妖精の適応称号を持つプレイヤー一覧を見下ろして、そう吐き捨てたリリアンの横顔を、榊は今でも覚えている。


 その時は、何とも思わなかった話だった。確かに、他ゲーならあっという間にアカウント凍結のクズ野郎ばかりだな、とは思ったが、自分とは関係のないことだった。


 セーフティーエリア内で、ギルドメンバーの1人を集団で公開リンチにした事件で、イカレ野郎として有名なプレイヤー、〝蜜蜂〟。


 初心者プレイヤーを影で脅し、自身のギルドに強制的に加入させ、便利な肉壁として扱っていることが現在進行形で問題になっている〝ライナー〟。


 PKプレイヤーであるくせに、『世界警察ヴァルカン』に捕縛されたことを逆恨みし、先日、世界警察ヴァルカン所属職員を連れ去った上に、自身の契約モンスターに命じ、頭からじわじわと丸呑みにさせて被害者にトラウマを植え付けた〝( ´艸`)クスクス


 どいつもこいつも、リリアンの言う通り。根っからのクズ野郎だ。現実世界由来の揉め事以外には、性暴力を除き、絶対に介入しないと言い切る【あんぐら】だから、未だに活動を続け、あまつさえ適応称号なんてものをぶら下げているゴミ野郎共。


 そのどれもが、得た称号の名前は〝妖精〟だった。ゆえに、リリアンが下した命名は――〝悪辣なる者〟。


「……っんで、アタシがそのカテゴリーなんだよぉ!」


 再度――今度は壁を蹴りつけて、榊が叫ぶ。理解できない。納得いかない。ああ、今ここにサポート妖精でもいたら、その細首をこの手で絞め殺してやっただろうに、と。


 思い、榊は唸り出す。


 制限時間は30分。達成課題は狛犬に呪いをかけること。それも、効果は致死性の呪いではない。打倒ではなく、敵に苦痛をいるスキルだ。


 単純に、〝rum-lルメーラ〟は使しろ、と言い渡した。それがお前の達成課題だと。


 使用するために必要な手順は多い。何せ、呪いだ。〝呪術師〟が扱うような呪術ではなく、――それは、呪術と似たような響きの異物だ。


 悪意によってもたらされる、と。スキル説明はそうのたまった。


 そのふざけた態度にも、説明にも、榊は怒り収まらぬ様子でステータスを開き、適応称号スキル……発動のための詠唱文を表示する。紅を塗ってもいないのに、どこまでも赤い唇が動き出す。



「――……〝灰の国にて立っている〟」



 腹に抱えた苛立ちが止まらない。



「〝全てが燃えた不毛の地で 誰もが灰の中にいる〟」



 全身を這い上る濃紫のうしの紋様と共に、せり上がってくるムカつきを呑み込み切れない。



「〝空は暗い 水はにごれり〟」



 イライラする、イライラする――イライラする。



「〝風は腐る 息には毒が〟」



 何に? と聞かれても答えられない。髪が一房、黒く染まる。



「〝青葉はちた 果実は落ちる〟」



 だって、ムカつくのだ。腹が立つのだ。苛立たしいのだ。



「〝灰にうずもれ 獣は死んだ〟」



 恨みに思っているわけではない。憎しみが止まらないわけでもない。今やもう、ただ純粋に。煮えたぎるような苛立ちを抱えているだけなのだ。



「〝灰にうずもれ 彼らは死んだ〟」



 ムカつく――だから傷つけた。


 腹が立つ――だから思い知らせた。




 苛立たしい――だから、何度だって傷つける。




「〝灰にうずもれ ここに再び呪いをす〟……!」



 水を蹴立てて、榊は路地から跳ね上がる。普段からは考えられないほどに身体が軽い。速度も、瞬発力も桁違いに上がっていた。

 壁を蹴り、屋根の上へ。倒壊していない場所を選んで、榊は走る、疾走する。目指すは、巨狼と化した狛犬の下へ。



「〝呪う我が名はただひとつ〟――!!」



 深紅の髪が漆黒に染まり切り、風になびいて夜気やきに混じる。濃紫のうしの紋様が鼻梁をまたぐ。浸食されていくように、オレンジの瞳が底知れぬ輝きを示し出す。



「〝嘆きの声を――――【呪いの君主ティルタトルタ】〟!!」



 スキルの完全発動と共に、カチン、と音を立てて蓄積カウンターが動き出した。残りおよそ20分です、と。冷めた声で〝rum-lルメーラ〟が言う。


 達成課題は4つ。呪いの発動コスト分の魔力を溜め、対象の身体の一部を手に入れ、対象の攻撃に当たらず、そして最後――発動時には、相手に触れる。


 この速さなら楽勝だ、と。榊は思うままに動く肉体を操って、絶叫しながらその身を大岩に打ち付ける巨獣を目指して疾走する。気が付かれないように時折わざと路地に潜り、姿を隠しながら近づいていく。


 あれだけ執拗に首を叩きつけていれば、そのうち毛でも何でも落ちてくるだろうという榊の目論見は見事に当たり、榊は労せずして巨獣の体毛を手に入れていた。


 魔力の溜まりも上々、雪花が水の精霊王と共に上空で色々とやっているが、この距離ならば目的達成までに追い付かれることはない、と榊は冷静に判断していた。


 水属性の攻撃は足が遅い――それは、〝魔法使い〟として各属性を扱う榊にとっては、考えるまでもなく当然のこと。あんな奴、敵じゃないなとほくそ笑みながら榊は走る。


 もはや路地の隙間を跳ねまわる必要は無い。屋根の上を、水面から突き出た岩々の上を堂々と。驚き、間抜けな顔を晒しているモブ共の脇を走り抜けつつ、榊は今、この世界での主役は自分なのだと歪な笑みを浮かべていた。


 妖精なんてカテゴリーには心底腹が立つが、まあいい。この劇場の主役はアタシだ。今は他の誰もがモブだ……!


 そう信じてやまず、榊はわざと口笛を吹いて狛犬の注意を誘う。月に向かって吼え猛る巨獣が気が付いた。榊を見つけた深紅の瞳が、恐怖と怒りに染まる様は最高に見物だ。


「怖かっただろう、絶望しただろう――そうだ、もっと、もっと痛めつけてやる……っ!」


 明確な悪意を口にし、榊は走る。その悪意こそが、〝悪辣なる者〟とうたわれる、妖精という適応称号を与えられた理由だということに気が付けないまま。


 榊を狙い、狛犬が右前脚を振り上げた――遅い、と呟きながら榊は躱す。鉄槌のような一撃が振り下ろされ、哀れなモブを巻き添えに家を倒壊させる頃には、榊は十数メートル先の足場に着地している。


「はしゃぎすぎだよ、ばーか」


 そしてそのまま、あえて待つ。獲物を見失った狛犬が、深紅の瞳で周囲を見渡す。モンスターの目だ、これだけ暗くともすぐに見つけられるだろう。

 案の定、狛犬はすぐに榊に気が付いた。屋根の上に突っ立って、指先を動かして挑発すれば獣の思考はすぐさま沸騰する。


 飛び出すふりでもしてやれば、簡単にフェイントに引っかかる。狛犬に向かって跳躍するふりをして巨獣の噛みつきを誘発し、再度――榊を見失った狛犬が、不思議そうに動きを止めるその一瞬。



「――――ざまぁみろ」



 あざけりを呟き、狛犬の死角から榊が跳ねる。ご立派な巻き角の影から飛びかかれば、狛犬は気が付けない。図体がデカいぶん的もデカい。



 達成課題は後1つ――狛犬に手が、指先が、触れた瞬間に望みは叶う、



「――――ッ」



 はずだったのに。



『――やれ、セリア!』


「マジで俺に命令すんな、クソドラゴンッ…………つーわけで、ちょっと下がれよ――クズ野郎!!」



 鋭い罵声と共に――突如上空から降ってきた男が榊の伸ばした指先を空中で蹴りはじく。


 ごきゅっ、という嫌な音と共に指先が折れ曲がり、空中でバランスを崩した榊は驚愕の表情で攻撃してきた男を見た。


 驚きの理由は、攻撃されたからではない。最後の最後で、邪魔をされたからではない。


「お前……ッ」


 アシンメトリーの黒灰色の髪に、皮肉気に歪められた同色の瞳。頭上には深紅の鱗をざわめかせる竜を伴い、一線級のプレイヤースキルを持った無駄に整った顔の優男を、『世界警察ヴァルカン』に所属していて知らない者がいるわけがない。



 誰が来たのか。誰が自分を攻撃したのか――理解に至った榊の顔が、驚愕から憤怒に染まり、



「ざっけんなよ――――セリアァ!!」



 悪辣なる者の咆哮が、ダッカスに響き渡った。




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