第百九十二話:叫ぶ声に全てを
――魔王がやりやがった! おい、掲示板でフベのPKスクショ持ってるやついないか呼びかけろ!
――誰か! アルトニコス支部の襲撃犯のスクショ撮りに行くのを手伝ってください! 闇の精霊王の対策に光属性の方!
――白虎さんの護衛を増やせ! 手段を選ぶな、全面戦争だ!
――本部への問い合わせが殺到しています……! 無理だよ、こんなにメッセージ捌ききれないよぉ!
――襲撃報告が入っていない支部も襲撃されたものと考えろ! とにかく手が空いてる奴は警告と避難誘導に回るんだ!
阿鼻叫喚の『
突然の『
襲撃の証拠を撮ろうと奔走する者がいれば、不運にも巻き込まれただけの一般プレイヤーに対しての避難勧告を優先する者もいる。本部へのメッセージによる問い合わせが多過ぎると泣き言を言い始める者もいれば、組織が抱える戦力に協力を要請する者がいないわけもなく――、
「セリアさん! せめて此処から直近のダッカス支部に応援を――!」
――『
「…………無駄でしょ。今更現場に行って何するんスか?」
だが、セリアの答えはそっけない。自身が所属する組織が同時襲撃を受けている最中だというのに、彼は『
それどころか扉の向こうでぎゃあぎゃあと喚いている同僚の声に、うるさそうに耳を塞いで見せる始末だった。
床にクッションを置いてだらしなく両足を投げ出しているセリアは、自身の契約竜を背もたれにくつろいでいる。背もたれにされているトルニトロイは、暖炉の前に寝そべる犬のように扉に背中を向け、しょぼくれた様子で伏せていた。セリアの自室が無駄に広いのも、全てはトルニトロイが座る場所を確保するためだ。
しかし、セリアに声をかけるためにノックも無しにドアを開いた青年は、しょぼくれたトルニトロイなどは見慣れているものの、セリアの姿を見てぽかん、と口を開いて目を丸くした。
「あの……その怪我、
「…………こっちで怪我してガーゼなんか必要ないっしょ。見苦しいから〝医者〟持ちに生成してもらったんスよ」
全身、包帯とガーゼの嵐。黒いTシャツからむき出しの腕には包帯が巻かれ、右の首筋と頬には特に大きめのガーゼが貼られている。他にもあちらこちらにガーゼや包帯が目立ち、辛うじてミイラ男にはなっていないが、一目見てわかるほどに傷だらけだ。
【あんぐら】でのアバターは、自己肉体の場合、現実世界の傷やあざなどを消すことが出来ない仕様なので、痛みは無くともエグい傷跡はアバターに反映されてしまう。
通常、そこまで酷い怪我ならばログイン自体が難しいはずなのだが、セリアはそれでも【あんぐら】にログインしていた。現実世界でじくじくと痛む肉体と向き合いたくなかった、というのもあるのだろう。
誰がどうみても不機嫌です、という顔をして、セリアはだらしなくトルニトロイにもたれかかり、応援を要請する青年の声にこう返す。
「無駄だよ……どーせ今から行ったって、わぁ、瓦礫の山だぁ――なんて感想文書くくらいしかやることねぇし」
言いながら、ごろり、とセリアは床に転がった。完全に職務放棄の姿勢で横になり、セリアは深々と溜息。その奥で、顔は見えないがトルニトロイも同じように溜息をつく。
『ふん……ニブルヘイムなんか俺のパシリには役不足だ。別にあんなやついなくたって……ふん……ふん……別に寂しくなんかないぞ……そうだ、俺は強いんだ……そうだ、強い子なんだぞ……』
「トルニトロイぃ、お前さぁ……俺のアカウント勝手に使ってコメントするなって言ったっしょ……」
何掲示板で慰められてんだこのダメドラゴンが……と呆れ声でセリアがトルニトロイを
契約モンスターの特権を使い、トルニトロイはここ最近、ずっとこうしてしょんぼりしながら、セリアのアカウントを使ってどこかしらのスレに居座っている。最近のお気に入りは、ノアのランカースレか、ポムのワクドキ情報局というスレらしい。
どちらもスレ主がいたくトルニトロイのことを不憫がり、とても優しくしてくれるらしかった。今もまた、ランカースレでノアに『トロイは強い子だもんな。後、役不足って意味違うぞ』と慰められ、すん……すん……と鼻を鳴らしながらも、くるるるる……と小さく唸っている。
『うん……うん? 仕事でログアウト? そうか。ノア殿も大変だな……うん、じゃあ俺はポム殿の所に行く……そうだ、俺は強い子だから……』
「あー、めんどくせぇ。痛くねぇけど
主従揃ってマイペースに、どちらも床をごろごろと転がりながら愚痴を呟くセリアとトルニトロイを見下ろして、正直者の青年は思ったことを声に出した。
「…………俺、こんな組織にいて大丈夫かな」
しかし、その呟きに君の不安は正しい、と言ってくれる者は誰もいない。青年もセリアを動かすのは諦めて、しょうがないから無駄でも何でも『わぁ、瓦礫の山だぁ』と感想文を書くためにダッカスに行こうかな、と歩き出そうとした――その時だ。
『――何ということを』
平時とは全く違う、
『人間とは――こうも浅ましく……!』
半月近くに渡り、引きこもりと化して一度も立ち上がることのなかったトルニトロイが立ち上がる。深紅の鱗をざわめかせ、赤竜、トルニトロイは巨大な翼を広げて
しかし、セリアは床に転がったまま動かない。怠そうに溜息をつき、今度は掲示板で何を見たんだか……と思いながらも目を閉じて無視を決め込んだ――その瞬間。
『セリア! 狛犬を助けに行くぞ――!』
「――――は?」
セリアの返事を待たず、がっし――とトルニトロイの後脚が床に転がるセリアを無造作に鷲掴み、巨大な翼が羽ばたいた。次の動作は決まっている――【あんぐら】恒例、非常識共の常套手段――壁、もしくは天井のぶち抜きだ。
セーフティーエリア内であることを良いことに、トルニトロイは一切の迷いなく『
セーフティーエリアと言えども、物理法則が消えるわけではない。スキルが使えずとも純粋な筋力さえあれば、わりと色々なことが出来てしまうのだと、この日、トルニトロイは証明してしまったのだ。
現場に居合わせた青年はすでに瓦礫が降って来ない場所に逃げおおせていて、物陰から頭上を仰ぎ、うわやっぱり……と呑気にも呟いている。
対して雑に掴まれたセリアは、嫌な浮遊感を全身で感じながら全力で叫んでいた。
「うっそだろお前――! 何して――いや、どこ行く気だ!? このダメドラゴンが――!」
『ダッカスだ! 狛犬は嫌いだが、俺の翼にかけて、助けないわけにはいかないだろう!』
「狛犬!? なんだそれ、知らねぇよ! 行きてぇなら1人で行けばいいっしょ!!」
『何を言っている――? お前は俺の装備品だぞ、持たないで戦いに行く方がおかしいだろうが!?』
「ッッ――く た ば れ、クソドラゴン!!」
エアリスの夜空に飛び出したトルニトロイと、それに掴まれるセリアは互いに叫び声で会話をするが――悲しいかな、会話が常に意思疎通の役目を果たすとは限らない。
トルニトロイは心底不思議そうな顔で、セリアは逆さに掴まれたまま自身の契約竜に中指を立てて吐き捨てるも、この状況で竜を止める手段など何処にもない。
空には星が、地上には街の明かりが瞬く〝始まりの街、エアリス〟の夜空に舞い上がり、トルニトロイは大口を開けて咆哮する。
夜空に同化することのない深紅の鱗をぶるりと震わせ、トルニトロイは鋭く尾を振り、なんだなんだ、と騒ぐプレイヤーとNPCの視線の中、怒りを隠さずに吼え猛った。
『恥を知るがいい、人間ども! 自らの無能を
エアリス本部に引きこもり、掲示板に入り浸っていたトルニトロイは知っている――昨日の謳害がきっかけで、狛犬を責める者がいることを。
トルニトロイは知っている――狛犬に悪気はなくとも、謳害の原因があの大火災なのだから、謳害も狛犬のせいだと言われていることも。
トルニトロイは知っている――皆が皆、狛犬を責めているわけではないことを。エリアボスを倒すために樹海を燃やし、その結果不運にも謳害が起きてしまったのだから、これは仕方が無いことだったという声があることも。
トルニトロイは知っている――それでも狛犬が責められるのは、人より手にしたものが多いからだということも。
狛犬とニブルヘイムに負けてから……掲示板で多くの人々を見て来たトルニトロイは知っている。
『狛犬は強いんだ! お前らなんかより多くを手にして当然だ!!』
吼えて、トルニトロイは羽ばたいた。赤の竜はエアリスの夜空を走り出し、驚き顔のプレイヤー達を置き去りにして、ダッカスへと出発する。
その脚に、不機嫌な顔の装備品を
第百九十二話:叫ぶ声に全てを
――ダッカスが沈みだす。
集まるのは水の幻精霊。水の精霊王の行くところ、何処へでもついて回る彼らは王の号令に従って際限なく水の因子を生み出していく。
水の因子は、原色の青。純因子を含まないそれらは、攻撃力の無い青の因子の塊でしかない。すなわち、土にも、木にも……何にも混じらず溢れ出していく水もどきだ。
魔術によって生成された正真正銘の水とは違い、魔法による水もどきは服を濡らさず、肌に染みることもない。だが、水もどきといえどもその性質はほとんど同じもの。服も髪も濡らさずとも、そこに沈んだ者を溺死させることはわけもない。
すでに家々の二階部分近くまでを水の因子で沈め、逃げ遅れたプレイヤーが背の高い屋根の上に残るばかりのダッカス。
強制的に水の街と化したその上空で、新緑の蔦を輝かせながら水の身体をぐいぐいと動かし、夜空を駆ける水冷の狼の上、雪花が冷静な声でワワルネックに問いかける。
「ワワルネック――ボスに近付けるか!」
『難しいよ……尾が厄介だ。僕は物理攻撃なら大丈夫だけど、炎混じりの尾で打ち据えられたら自信が無い』
レベル差があるから一撃死はしないけど、でも当たればマスターが死ぬね、と。ワワルネックは呟いて、まだまだ足を浸す程度の水など気にもせずに首を家々に叩きつける狛犬を見る。
全身、毛皮の隙間からは散発的に炎が噴き出し、水もどきとぶつかり合っては因子が蒸発。厳密に言えば水蒸気ではないが、似たような蒸気が巨大な狼の周囲で渦巻いている。
『あまり長引かせるのは可哀そうだ……でも、倒しちゃまずいよ、マスター。レベルが1とか2ならすぐに戻るけど、あのレベルじゃあしばらく〝聖地、シャルトン〟に放り出される』
あんなぶつかる物も無い荒野で放置したら、正気が戻ってこないかもしれない。もしかしたら運営が気を使ってHP機能を凍結させてる可能性もあるけど、楽観視は出来ない、とはワワルネックの談だ。
『僕……運営のことは信じてないんだ』
「奇遇だな、俺もだよ……ッワワルネック! 急げ、出力上げろ!」
『うん、急ごう』
――キュォォオオオオオオオオンン!!
悲痛な絶叫と共に、街の所々に突き出ている岩の中でも、一際巨大な岩に狛犬が突っ込んだ瞬間、ついに強靭な首筋に傷が出来た。痛み機能がオフにされているせいか、巨狼はそんな傷にも怯みもしない。
黒い獣毛が散り、手荒な扱いに限界を迎えた皮膚が裂ける。巨体ゆえに、噴き出す血の量はそれなりに多い。
水もどきには血も混ざらない。ただぼんやりと沈んでいき、地に触れて初めてそこに染みこんでいく。その途中で、緩やかに魔素に分解されて消えて行く様子を見て、雪花は焦りを押し殺してワワルネックに急げ、と言った。
「自滅を避けるための水でもあるんだ、最悪、局所的にでも……っくそ、嘘だろ、冗談じゃねぇぞ!」
言って、雪花は気付く。同時に狛犬も気が付いた。深紅の瞳が怒りに沸騰し、威嚇のためにずらりと並んだ牙がガチガチと噛み鳴らされるが、威嚇された人物は怯まない。
沈みつつあるダッカスの街――その水面から突き出ている、倒壊を免れた家々の屋根の上を、この事件の元凶が疾走していた。
ひとつにまとめた黒い髪、すらりとした長身には茶色の革鎧。膝や胸などの要所にだけ金属鎧を身に纏い、腰には赤い林檎のキーホルダー。
意思の強そうなオレンジ色の吊り目は敵意以外の何かで光り輝き、その身に何かしらのスキルの効果が働いていることを示している。
夜闇に紛れ見えにくいが、その全身には毒々しい
適応称号――恐らくは、この状況こそをクエストとした、試し打ちのための試用スキル。
達成課題が何かなどはどうでもいい。ただその目的は、誰がどう見ても疑う余地が無い。さきほど散々に苦しめた狛犬に、榊は再び刃を振り上げようとしているのだ。
それに気が付いた瞬間。今まで必死に、冷静さを保つために榊の存在を無視していた雪花の思考はショートした。
「榊――ッ、てめぇッ!!」
抑え込んでいた憎しみが噴き出したがゆえの、一瞬の混乱だった。煮え滾る感情を制御できずに、雪花は惑う。
考えがまとまらない。早急に手を打つべきなのに、どうすればいいのかわからない。
榊は異常なスピードで巨狼の鉄槌を逃れながら、屋根から屋根を、突き出した岩を足場に狛犬に近付いていく。
巨体ゆえに一撃の破壊力は高く、火属性に特化している分だけ筋力は強い――だがその分、狛犬は人でも獣の姿でも、スピードでは何歩も劣る。速さで翻弄され、適応称号スキルなどという効果の分からない攻撃を受ければ、何が起きるかわからない。
なのに、雪花はワワルネックの背の上で、迷子の子供の様な顔でいるばかり。
「ちくしょ……ちくしょうッ――あああ゛っ! くそがぁ!」
――後悔するぞ、と師匠の声が脳裏に響く。
『マスター落ち着いてっ……どうするの!』
――忘れんなよ、と言われたはずなのに。忘れないと、誓ったはずなのに。
「ッ、ワワルネック、スキルで――!」
『無理だよマスター、あの速さじゃ当てられない!』
ワワルネックは素早さに秀でた精霊王ではない。むしろ逆。環境を変え、じわじわと相手を追い込んでいくのに長けた性質。
「……ッッ」
そんなことさえも忘れたのか、と。自分で自分を責める声がする。焦れたワワルネックが、今更無駄だと、間に合わないと分かっていても夜空を走り出した。
榊の疾走は止まらない。狛犬は怒り狂いながら応戦している。そこに冷静さの欠片も無い。スキルの効果など、考えてもいないだろう。
単調な攻撃では、榊は仕留められない。濃紫の紋様を鈍く光らせ、榊は怒れる巨獣にフェイントを入れる――ほら、簡単に引っかかった。
目の前に飛び出すふりをして、巨獣の噛みつき攻撃を誘発させた榊の笑う顔。歪んだ笑みを浮かべたその横顔は、勝利を確信して暗い喜びに輝いている。
ざまぁみろ――と。その唇が動く様が、遠くからでもよく見えた。
獲物を噛み損ね、不思議そうに。ほんの一時、動きを止める狛犬のすぐそばで、榊が最後の跳躍のために膝をたわめる。
「――――」
届かずとも――避けろ、と叫ぶべきだった。
聞こえずとも――危ない、と危険を伝えるべきだった。
けれど、雪花の喉から放たれた叫びは、ただ一つ。
「こまのっ…………!!」
幼いあの日、その身を案じた時と同じ叫びが――零れ落ちただけだった。
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