第百八十六話:くろくも あんだー ぐらうんど




 しゅわしゅわと――まるで炭酸水からガスが抜けていくような音と共に、4人目の哀れな犠牲者が死に戻っていくのを見送った。


 胸に突き立てられた大振りなナイフ。大型獣の爪のように緩く湾曲するその切っ先を背中の中心から生やしたまま、螺旋階段から宙に放られた男の最期である。


 投げられた軌跡に沿って空中には引っかき傷のように赤が飛び散り、死体は光となって霧散。ナイフだけが空中に取り残されるが、落ちていく一瞬前に、血に塗れたそれを回収するために飛び出す影があった。


 腰まで届く鋼色の髪を翻し、3階部分の螺旋階段から飛び出したブラウニーが宙で回転するナイフを掴む。その様子を視線で追って、哀れな被害者達の最後の1人――灰色髪の男がテイムモンスターに指示を叫ぶが、すでに何もかもが手遅れだった。


 主人の指示に、猫型のテイムモンスター6頭が一斉にブラウニーに飛びかかる。学習性AIではなく高性能AIだからこそ、恐怖に怯えることも無く、反抗して逃げ出すこともない。


 しかし魂を持たない人形など、どれだけ数を揃えても大した脅威にはなりはしない。


 一斉に飛びかかって来る『赤猫』の群れに、ブラウニーは空中で半回転。曲芸師だってやらないような動きで天井から下がっていた吊るしランプの鎖を、掴み、揺らして、反動をつけて一気に真上に跳ね上がった。瞬きの間の早業だ。


 飛びかかってきた『赤猫』の群れに柔軟な対応などインプットされていない。一瞬でも目標を見失い、動きに迷いが出た一瞬。

 四方から飛びかかってきたことで円陣型となっている『赤猫』の真上から、ブラウニーは逆立ちの姿勢で腕を伸ばして狙撃の構え。


 一拍の間――そのすぐ直後、鉤爪状に曲げられた人差し指と中指だけを、じゃんけんのチョキのような形で真下に向け、ブラウニーはスキルを発動。


「――【ツイン】――【バースト】!!」


 二連の衝撃波が薄青く光りながら円形に放たれ、『赤猫』の群れを直撃する。威力が高いのか、当て所が上手いのか。ステータス低下の無い6匹のモンスターを一撃で倒す手並みは、流石有名PKプレイヤーといったところ。


 しかし、まだ1人残っている。


 一撃でテイムモンスターをほふったブラウニーはすぐさま反転。スキルを撃った反動で一瞬だけ浮いた後、逆さになって落ちていく前に再び吊るしランプの鎖を掴んで真上に飛んだ。


 腕の力と腹筋を使い、全身をバネのようにしならせて跳ねるブラウニーの狙いは天井だ。曲げていた膝を伸ばし、平らなそこに着地――というか、なんというか。とにかく天井を足場にし、ブラウニーはアイスブルーの瞳を歪め、笑いながら天井を蹴った。


「お前が最後だ!」


 弾丸めいた速度で目指す先には、『赤猫』の群れに指示を出した灰色髪の男。手持ちのテイムモンスターを全て失った最後の1人は、舌打ちと共に中指を立てていた。


 レベルが違い過ぎることを理解しているのだろう。敵わないまでも、〝スクショ撮ったかんなー!〟と負け惜しみを叫びつつ、天井を蹴って降りかかってきたブラウニーによって、容赦なく額を割られて死に戻る。


 そのまま物凄い音を立てつつ、ブラウニーは中2階部分の螺旋階段に着地。穴が開かなかったのが不思議なほどの重さで着地をしたようだが、〝高等魔法略奪者トイ・ラーグ・グラビリー〟のスキルだろうか。


「ッぷはーっ! あー、やっと終わった!」


 やっぱ〝従魔士テイマー〟やりずれーッ! と天を仰ぎながら、ブラウニーは鋼色のウィッグを外して投げ捨てる。

 その足元では床に倒れ伏した最後の犠牲者の額から血が噴き出し、すぐに死に戻りの光に包まれて消えて行く。炭酸が抜けるような音と共に身体は消えるが、噴き出した血液はしばらくは残るだろう。


 ――『世界警察ヴァルカン、ユウリノ』ダッカス支部。ぶち抜きの2、3階部分では、まるでにわか雨のように螺旋階段の縁からぽたりぽたりと、被害者の血が床に降り注ぐ地獄のような光景となっていた。


 フベさんの最終決定を聞き、ブラウニーが存分に活躍した結果である。いいなぁ、自分も戦いたかった。そう不満げに鼻を鳴らせば、隣で伏せっていた塊がぴくり、と動く。


 血溜まりの出来た床の上で、律儀にも初撃で〈ダウン〉となり動けなくなったをしていたリリアンだ。最後の職員が死に戻りしたことで、彼女はむっくりと起き上がる。


「――最悪だわ。何がって、り方が狛犬君レベルで最悪」


 お洒落な白いブラウスは血染めの赤に変わり果て、リリアンは不機嫌な声で文句を言いながら、階段の上のブラウニーを睨みつけた。

 対するブラウニーは「ごめん!」と元気よく謝るものの、満面の笑みで言われても釈然としないのだろう。


 リリアンの傍らでぼけっと座っていたせいで、同じく血の雨を浴びてしまった子犬姿の自分をひょい、と抱え上げながらリリアンはむっすりと唇を曲げて言う。


「さ、ゾンビ共が戻ってくる前に、さっさと終わらせて帰ってくれる?」


「はいはい。じゃ、俺が壁壊すから、頼むなリリアン」


「ん――はい、狛犬君持ってて」


 そう、此処からは時間との勝負。2軒先からゾンビアタックをしに戻って来る職員達を、雪花とルドルフさんが抑えている間に、こちらの問題を片付けなければいけないのだ。


「はいよ。じゃ、合図してくれ。そしたら壁壊すから」


「出来るだけ急いでね」


 協力してる姿を見られたくないから――と。リリアンは言いながら、床の一部を叩いて地下への階段を出現させる。そのまま小走りで内部に駆けこみ、直後、ズズン……と重たい音を立てて鉄の落とし扉が下りてきた。


 想像通りの仕掛けにげんなりとしながらも、通路の奥まで走ったリリアンからの合図を聞き、ブラウニーは自分を片手に持ったまま、反対側の腕を振りかぶる。


「よっしゃいくぜ――【爆発拳ダイナクト】!」


 振りかぶられた右腕は赤く発光し、ど派手な爆発音と共に右拳のストレートが鉄の落とし扉に直撃、粉砕する。

 おっしゃ、やっぱ無属性なら通ると思った! とブラウニーがガッツポーズをし、鉄扉に穴が開いたのを確認して走り出てきたリリアンと、ハイタッチをしながら頷き合う。


 ブラウニーは左手に掴んでいた自分を、ひょいとリリアンの腕の中に放り込み、瞬く間に開いた穴から地下に侵入。1分足らずで戻ってきた時には、その手にしっかりと目的のブツを握りしめていた。


「それじゃ――後でな、相棒」


「なふっ!」

(おうよ!)


 リリアンの腕の中で吠える自分に、【交信テレパス】を使うまでもなく理解を示してブラウニーは頷いた。そのまま跳ねるように螺旋階段を上っていき、スキルで壁を破壊して、天井近くから脱出する。


 一緒に行かない理由は、ブラウニーが移動系スキルを使って本気で走ると、子犬状態の自分は身が持たないだろう、と言われたからだ。

 前に高性能AIの『吸血鼠ラグ・ラット』を掴んで全速力で走ったら、衝撃と風圧で死んでいたことがあるらしい。


 鼠ほど脆くは無いだろう、と思いたいが、死んだ時が厄介なので自分はリリアンから雪花とルドルフさんに引き渡されることになったのだ。でも風圧で死ぬって、どんな走り方してるんだろう。


 そんな、衝撃と風圧で鼠程度なら殺す男が、猛然と屋根を走り抜けていく音を聞き届け、ようやくリリアンと自分は一息つく。現場は血の海だが、じきに魔素に変換されて消えていくだろう。


「ああ、ひやひやした……」


「あふっ」

(お疲れ、リリちゃん)


 疲れた、と言いながらも。リリアンは注意深く階下の様子を窺いながら、そっと自分を抱えなおして歩き出す。タイミングを見計らい、リリアンが雪花かルドルフさんに自分をぶん投げたら、魔王軍――撤退だ。


 少し危うい場面もあったが、無事に終わって何よりだ。失敗なんかしたらフベさんがどんな顔して、どんな風に怒るかわかったもんじゃない。今なら〝どどんが〟さんの気持ちがわかるとも……ああ、〝俺、俺――フベに殺されちゃう!〟と涙ながらに叫んでいた彼は、今頃どこにいるのだろうか。


 遊び半分な気持ちで、哀れな〝どどんが〟さんの事を考えていれば、リリアンがびくり、と身体を震わせた。なんだなんだ、と顔を上げれば、どうやら一階の様子に耳を傾けているようだった。


 つられて自分も注意を向ければ――階下からは普通、VRゲームで聞くとは思えないレベルの悲鳴が響いてくる。


 痛みに吼え、濡れた音を立ててのたうちまわる生々しい絶叫に、リリアンも自分も、思わず警戒を忘れて目を丸くした――その瞬間。



「リリアン、アタシさ――」



 背後から、声が響いて、



「ずっとアンタのこと――大っ嫌いだったよ」




 リリアンの細い首に、一本のナイフが突き立てられた。


























第百八十六話:くろくも 悪意に掴まれるあんだー ぐらうんど





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