第百八十七話:悪心、それは人ゆえに
死に戻りをしない程度の力で首根っこを掴み上げられながら――自分は思った。
思えば、油断をしていたのだろう、と。
油断――そう、油断だ。格下相手の戦闘ばかりを繰り返し、
子犬のアバターになったとはいえ、周囲への警戒を忘れるべきでは無かったのだ。人の手で砕かれた砂糖を舐めながら腹を見せ、ごろごろと甘ったれた声を出している場合では無かったのだ。
力が無いことを自覚していないまま、呑気な考えてふらふらと敵地へとやって来るべきでは無かったんだ。
何故なら自分は――、
「――……やっと捕まえた。なあ、お前なんだろ? 狛犬よお」
懸賞金、1億フィート――そんな額にまで賞金が跳ね上がるほどのことを、やらかしていたのだから。
「が……ふっ……!」
(お前……
亜神の魂のせいと言い訳をしようとも、オーバー大樹海地帯を燃やし尽くしたのは事実なのだ。それゆえに精霊達の大量発生が起き、謳害を引き起こしたことも。
意図したものではないといっても、攻略組の大キャンプ地に甚大な被害があったことも事実なのだ。だからこそ――だからこそ、油断などしてはいけなかったのに――!
「お前……アタシの名前知ってんのか。……ああ、良い子チャンのリリアンが教えたんだな」
ごり、と床に横倒しになったリリアンの頭を蹴りつけるように踏みつけながら榊が言う。背後から声帯を狙って細身のナイフを突き立てられたリリアンは声も無く床に倒れ伏し、何かしらの呪具の効果かぴくりとも動かない。
床に広がる血潮に染まったリリアンの顔の反面が歪む。薄茶の瞳だけが怒りに燃えて榊を睨み上げていた。それを見下ろし、冷たく嘲笑する榊は唇の端を歪めて吐き捨てる。
「まあ見てろよ――上手くいけば面白い見世物になるからよ。ああ、喋れない〝魔道士〟様はいいよなぁ? ただのお荷物! おまけに変な意地なんか張るからモンスターのいない〝
「――――ッッ!」
声も出せず、指先1つ動かせないリリアンは声なき声で榊に何かを叫んだようだった。唇が動く様子だけを一瞥し、しかし、全てを無視して榊は歩き出す。
右手で自分を掴んだまま、榊は螺旋の階段を上っていく。階下からは絶叫は止み、ただただ派手な戦闘音が響いてくる。事前の打ち合わせ通り、よほど時間が経たなければ雪花とルドルフさんが階段を上って来ることはないだろう。
リリアンは動けず、『
後ろから首根っこを掴まれているせいで尻尾アタックさえも出来ないのだ。全身の筋力自体はゴミに近いせいで、腹筋だけで尻尾を後ろに振るうことさえもできない。
自分が今、どれだけ無力な存在なのかを突き付けられているような気がして小さな牙を噛み合わせるが、救いの手は降って来ない。
「お前に思い知らせてやりたくて、色々準備してたんだよぉ。録画道具とかなぁ。そしたら運良く雪花の野郎が殴り込んできやがった。ありゃあ怖いな、ははっ、怖い怖い!」
榊はぶつぶつと、正気とは思えない様子で呟きながら階段を上っていく。一歩、一歩と進む度に、処刑台への道を歩かされている気分だった。
満遍なく滴る血の痕を踏みにじり、女はただひたすらに上を目指して歩いていく。
「おかげで1人抜けたくらい気付かれなかった――万々歳だな。はっ! ……ああ、そうそう。これからやることだよな。そうだよ、エンターテインメントなんだから、色々と考えないとな……」
「ぐ――ぁふっ! がぁーふっ!」
(榊――お前、ふざけんな! 離せ!)
「あっははははは!! 愉快だよなぁ……天下の狛犬様は護衛も連れずに、こーんなぬいぐるみみたいなアバターで――」
ふと、足を止めた榊が自分を掴む手を持ち上げた。尾が届く距離ではない。しかし、榊は顔を上げて自分を真正面から見上げて目を合わせる。
狂気的な紫の瞳に射抜かれて思わず硬直すれば、榊は不意に笑顔を消してこう言った。
「――まだ……偉っそうに、はしゃげるんだからよぉ」
次の瞬間――――自分は宙に投げられる。視界の端でリリアンが目を見開いた。
榊の、紫の瞳も見えた。正気ではない――確信するがもう遅い。
「笑顔だ――! 狛犬、笑えよ! そんで全員に教えてやろうぜ!」
榊の手が閃く――手には銀色のナイフが握られていて、そいつは高らかに笑いながら――、
「クズ野郎の――虐殺ショータイムだ!!」
【狛犬担当、76番――榊担当、1780番の監視精霊より――緊急の予測報告】
【プレイヤーによる問題行動と思われます】
【
【対応セーフティースキル――起動準備】
【【
【未適用のまま様子を見ます】――【10分以内に10から15の死亡数を確認後、適用します】
【SS適用後――榊の『適応称号クエスト』発生の可能性を提言します】
【演算結果】――【97%の確率です】
【該当の担当精霊は準備をお願いします】
【Under Ground Online】――【episode. 187】
【
【それでは】――【観測を開始します】
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