第百八十四話:水葬には花を添えて
友よ。
君が頷いてくれるなら、この世界を共に歩もう。
友よ。
ぼくは君の絵を見て来たよ。君の叫びを聞いてきたよ。
友よ。
ぼくはね、花が好きなんだ。遠いむかし、氷湖の隙間で溺れ死んだぼくに、誰かが花を供えてくれたから。でも、ぼくは叫んだんだ。〝ここはさむい〟と。
友よ。
今は肉体も無く、完全に妖精と化したぼくだけれども、それでもぼくの骨は湖に沈んだままだった。もしかしたら、魂さえも。ぼくは叫んだ。〝だれかたすけてくれないか〟と。
友よ。
信じられないかもしれないけれど――ぼくは昔、氷原を走る狼だった。魔獣ですらない、ただの狼だったんだ。ぼくは湖の底で叫び続けていた。〝ぼくはつかれきっている〟と。
友よ。
ぼくは君の叫びを無視できない。だから君に力を貸そう。
君に牙を。爪を、魔力を、ぼくの全てを。
――……そして君が殺したものに、ぼくが花を添えてあげよう。
第百八十四話:水葬には花を添えて
嵐の前の静けさに沈む真夜中のダッカス――夜空に滲む幻月の下、モンスター達の反抗が密やかに始まっていることに、まだ誰も気が付いていなかった。
それは、〝迷宮都市、アルバレー〟で
正義の根城の前に仁王立ちになり、手負いの獣の目で雪花は右腕を緩やかに振り上げた。それはまるで、彼がボスと仰ぐ狛犬が、かつてニブルヘイムの背の上で〝黄金の矢〟を射る時の仕草によく似ていた。
しかして今。雪花の隣にいるのは黄金の竜ではなく、流水の化身のような水冷の狼だ。
水の精霊王――ワワルネック。かつて凍れる湖で、孤独に溺れ死んだ狼の成れの果て。全身流水の青い身体は、言われてみればなるほど冬の冷たい湖のような色合いだった。
雪花の上げた右腕がぴくりと動き、ワワルネックは身構える――全身に絡む蔦から生える、赤い蕾が開いていく。
深く澄んだ冷たい湖。その縁から投げ込まれたのは、一掴みの赤い花だった。その成り立ちゆえに四肢には新緑の蔦が絡み、その節々で指先ほどの小さな深紅が咲き誇る。
そして彼は――その孤独ゆえに生者を
「ワワルネック――!」
『――【
主人の叫びに、ワワルネックは速やかに動いた。振り下ろされた右腕に従って水の毛皮を波立たせ、流水の牙を剥き出しにして2連続で水の塊を正義の根城に叩き込む。
轟音と共に耐湿、耐塩の黒レンガがぶち破られ、大穴の向こうには驚きに固まる『
伊達に泥臭い【Under Ground Online】で、未だにデータディスクを投げ出さず、こんな早朝からでもログインして『
大穴の向こうに構えるのは2名の男女。どちらもピストルに見立てた指を敵がいると思われる方向――すなわち雪花の方に向けている。足元に転がって呻く不運な同僚のことなど見向きもしないという徹底ぶりで、敵は攻撃による土煙を透かして雪花の姿を見定める。
ああ、正しく
「「――【ギル・ヴァーナ】!!」」
迷わず、正確に、撃ち漏らしのないように、と。徹底的に鍛えられたのだろう連携で、〝魔法使い〟による二重魔法が飛んでくる。
【ギル・ヴァーナ】は×型に斬撃を飛ばす風魔法。同名の魔術に比べれば威力は低いはずが、タイミングを合わせて二重に撃ち出されるそれは、もはや魔術よりも高威力な風の刃となって迫りくる。
わざわざ避けられないように、狙いを澄ませて彼らは撃った。外からの襲撃者に対し、あえて前に出で大通りに出ることで攻撃範囲を増大。放射状に拡大していく魔法スキルの性質を考えれば、迎撃しか道は無い。
しかし強引に剣で切り払うには属性の相性が悪いし、ワワルネックは水の身体だ。ダメージも受けないが盾にもならない。ワワルネックのクールタイムは終わっていない。短縮詠唱で防げるような威力でもない。
(それが――どうした!)
だからなんだ、と頭に血が上り過ぎている雪花は剣を片手に、さらに前に出ようとする。背後からは『
全てを無視して雪花は剣を抜きかけ、突入の姿勢。ワワルネックがそんな無謀な主人を真上に跳ね飛ばすべきかを悩んだ一瞬――ボーイソプラノの声が
「どいて、雪花君! ――【耐魔式:
剣を抜きながら前に出ようとした雪花の前に躍り出て、ルドルフがスキルを叫ぶ。〝錬金術マイスター〟による対魔法系スキル。風に特化した正六角形の防御陣は×状に飛んできた風の刃を減殺。
二重魔法は威力を落とされ強風となり、敵味方――両者互いに、吹き荒れる風を利用して距離を取る。
「頭冷やして雪花君! 冷静に! ここ教会の2軒先なんだよ!?」
ゾンビアタックの名所なんだから! というルドルフの叫びに呼応するように。先ほど風魔法を撃った男女の片割れが、足元に転がっていた同僚を前に出たルドルフに向かって蹴り飛ばす。
そして一切の躊躇なく、再び彼らは構えの姿勢で魔法を撃った。
「合わせて!
「「――【
雪花とルドルフ目掛けて吹っ飛ばされた男は〈瀕死〉ではないようだが、重傷で動けないようだった。いうなれば死に戻りからのゾンビアタックも出来ない役立たず――とくればだ。
「まあ、そうなるよねぇッ! まったく――【
敵の魔法の2発目は砂のマシンガン。役立たずの同僚を投げつけて稼いだ時間でクールタイムを終え、男女は再び二重魔法で襲撃者を仕留めようとする。
ついでに仲間も魔法の効果に巻き込み、強制的に〈瀕死〉状態に誘導するという手法。効率的且つ実用的だが、非人間的なやり方だ。
ルドルフは何か極小の丸底フラスコを投擲しつつ、それを起点に再び防御スキルを発動。四角い網状に広がった何かが砂の連弾を防ぎきる。
錬金術系統の強みは対魔法系への
その隙に、雪花は余裕で2つほど魔術の詠唱を終えていた。
「〝精霊王の恵みとならん〟――【フル・ラドーナ】!」
〝魔法使い〟初期スキル。しかし、最大まで上げられた熟練度を持ち、水の精霊王を魔力タンクとして扱う雪花が放てば、それは局所的な鉄砲水となる。
クールタイムのせいで魔法を撃てない二人組が濁流に押し流され、追って雪花が走り出す。先に唱えていた水の移動補助系スキル、【アーグワ】による空中移動。
踏み切りに使った瞬間に冷却された水は刺激で瞬間凍結、踏み込む勢いで地表に氷の杭を撃ち出す【アーグワ】は、空中移動にも、移動しながらの攻撃にも優れている。
濁流を飛び越えながら雪花は飛翔。狛犬の前では決して見せない超人的な動きは、【あんぐら】でのアバターがようやく現実の肉体に追い付いてきたゆえのもの。
薄い唇は次の魔術の詠唱のために滑らかに動く。殺意に色を濃くした橙の瞳が空中で獲物を見据え、氷の杭が正確無比な弾丸となって先程魔法を撃ってきた男女を続けざまに串刺しにする。
「……ッ!」
「
死に戻りからのゾンビアタックをさせないために、雪花は非常識な精密さで両者の両肺を氷の杭で撃ち抜いた。
リアルさが売りの【あんぐら】では、内臓機能は妙に重視されるもの。肺に穴が開けば呼吸が出来ないとは言わないが、まともにスキルは唱えられない。
しかも急なダメージに状態異常――〈ダウン〉状態となったのか、男も女もその場に膝をつき、胸に開いた穴を抑えてダッカスの大通りにうずくまる。
しかしどれだけ息苦しかろうが氷の杭はそう太くはなく、肺に多少の穴が開いたくらいで即死はしない。死に戻りまでの時間が少しでも稼げれば、それだけゾンビアタックの効率は落ちていく。
「雪花君、えっぐ……ッ!」
エグい、エグすぎると戦慄するルドルフをその声ごと通りに置き去りにして、雪花は未だ倒壊していない『
内部で構えているのは5人ほど。精鋭の〝魔法使い〟2人があっという間にやられたのを目撃し、マニュアルに従って相手のアビリティ確認を優先したようだ。
〝
「っ、ぁあああああああ――!!」
色々な事情から痛み機能をオフにしていなかった被害者の悲鳴が響き、その神業に驚いた同僚達は今度こそ動揺を隠せずに目を見開いた。
【あんぐら】では空気の粘度、湿度、重力など、環境は現実とほとんど同じもの。スキルの性質と効果を考えれば、理論上は可能な芸当――。
しかし、いくらVR内では超人的な動きが出来るといっても、そんなことが出来る者はほとんどいない。現実でも似たようなことが出来るのならば可能かもしれないが、少なくとも一般人の廃ゲーマーに真似が出来るものではないのだ。
それがわかってしまったからこそ、図太い神経と厳しい訓練を潜り抜けた『
雪花の絶妙な加減によって即死を
『
純白の玉砂利の上に獣のように四肢をついて着地し、雪花はそのまま鼻面に皺を寄せ、
「――〝波間に轟け〟【ボルテッド】――ッ!」
――両腕を水中に突っ込んで発動する、雷の魔術の効果は絶大だ。
スキルを叫ぶと同時に、一瞬先に光が。遅れて雷撃が水を伝って吹き荒れ、更に遅れて雷鳴が轟き渡る。腹の底に響く音を立てながら、熟練度、使用魔力――共に最大の雷の魔術が吹き荒れ、次々と職員を感電させていく。
状態異常――〈麻痺〉の効果は30秒ほど。長く感じるが、そもそも【あんぐら】では滅多に〈麻痺〉状態になることはない。それでもあれだけ水に濡れ、高威力の雷撃魔術を喰らえば誰だって動けなくなるだろう。
そして動けないまま床に倒れれば、膝丈程度の水でも人間は溺れ死ぬ。次々と溺死していく職員達を見下ろして、雪花は冷めた橙色で周囲を睥睨する。
小さな受付の向こう、階段があると思しき部分で怒号を聞いた。恐らくブラウニーが戦っているのだろう、と考えてから、そういえば手伝ってほしいことがある、とメッセージを受けていたことを思い出す。
目の前で死に戻っていく職員達が教会から戻って来るまでに、1分あるか、ないかといったところ。そろそろ一番最初に仲間の魔法で撃ち殺された男が戻って来る頃合いだった。
案の定、通りの方では最初に死に戻りをした男が戻ってきたようだ。あっという間にルドルフにやられている音が聞こえるが、延々と繰り返されれば面倒に違いない。
「戻って来たいなんて思わせるからいけないんだよな……」
もう二度と此処には戻りたくない――そう思わせるべきなんだ、と。流れてきた林檎のオブジェをゴツリ、と踏みつけながら雪花は言う。
滑るように隣にやってきたワワルネックの鼻面を片手で撫でながら、雪花はゆっくりと正義の根城の横腹に開いた大穴を振り返り――
「……早く戻って来いよ」
――底冷えのする声でそう言った。
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