第百八十二話:歯止めのきかないブルー・ギャングⅠ




第百八十二話:歯止めのきかない荒くれ者ブルー・ギャング




「んんぅ――嫌な予感がする」


 潮騒が満ちる真夜中のダッカス。


 規模の小さな街にしては小洒落たカフェなどが併設されている統括ギルドのテーブルで、瀟洒しょうしゃなマイカップを片手にルドルフがそう唸った。


 すらりと細く、けれどたおやかな少年らしい足をぱたぱたと動かして、美少年姿の彼は鼻先にぐっと小皺を寄せる。視線は左に。統括ギルドの壁の向こう、『世界警察ヴァルカンユウリノ、ダッカス支部』を透かすように探り見て、再び同じ言葉を繰り返す。


「すごーく嫌な予感がする」


「…………どうしたんですか?」


 繰り返される意味深な台詞に、嫌そうに合いの手を入れるのは雪花である。


 統括ギルド内のカフェでしか買えない限定ドリンク――ヘーゼルココアを啜りながら、雪花は心底面倒そうにルドルフを見た。橙色の瞳は不満と不平でいっぱいだったが、弱みを握られているせいでスルーすることが出来なかったらしい。


「……ブラウニーって、手練れのPKプレイヤーじゃないですか。嫌な予感も何も、多少は荒事にもなるもんでしょう」


 しかし、すでに本性を知られているせいか、雪花の語調は明るくない。低く、冷たく、投げやりに。けれどほんの少しだけ遠慮を交え、雪花はルドルフの不安を宥めるようにそう言った。


 対して、ルドルフは雪花の語調など気にした様子もない。ともすれば無神経にも思える図太さで、彼はぱたぱたとテーブルを叩いて言い募る。


「そういう問題じゃあないんだよ、雪花君。いいかい、ブラウニーとくろくもは似てるんだ。雑な所とか、面倒事をとりあえずスルーしてみるところとか、無駄にポジティブなところとか――」


「とりあえず戦ってみたいところとか?」


「それだよ。PKプレイヤーなんかね、フベみたいにリアル事情で屈折しまくった変人じゃないなら、大概がネジのぶっ飛んだ戦闘狂だ。戦狂いくさぐるいってやつだね……でだ」


 ――そんな奴らが問題に直面した時、いったい何を考えると思う?


 飲み物を購入すると無料でついてくるビスケットを噛み砕きながら、ルドルフは指揮者のように右手を振るう。ココアを啜り、頬杖をついて適当な掲示板を眺めつつ、話半分で雪花は答えた。


「武力解決」


 これまでVR内で数か月、狛犬と行動を共にしてきた雪花の答えは端的でいて的確だった。まああんな戦闘狂の間近にいて、実感しない者もいないだろう。


 毎日毎日やれあっちに気に入らないPKがいるから戦いに行こうだの。やれ可愛い女の子が困ってるから助けてあげようだの。とりあえずまあ一戦しようだの。

 とにかく何でもかんでも理由をつけて何かしらの戦闘に持ち込むのは、ある種の才能だと雪花は思っている。


「そう――武力で解決しようとするんだよ、奴らは。何でもかんでもね」


「わかってたことでしょう、今更何言ってんですか」


 膝の上でいつのまにか、小犬サイズになって待機している水の精霊王にビスケットをやりながら、雪花は怠そうにルドルフに言う。


 今まで何処にいたのか。くろくも姿に化けている水の精霊王は、のんびりとした様子で与えられたビスケットをしゃくしゃくと噛んでいる。姿を隠すために金縁の黒ローブを被っているが、重そうな角はわざとらしくはみ出していた。


 事実、統括ギルドの椅子に座りながらも、すでに幾人かがさりげなくスクリーンショットを撮る動作を見せていた。雪花はぶしつけな視線にも、隠れた敵意にも振り返りもしないが、ルドルフはそれを見咎めてわずかに眉根を寄せて言う。


「……雪花君、それいいの?」


「わざと見せてんですよ」


 現在、ダッカスの統括ギルドにいるのは10人にも満たない。リアルの時間では朝早いことも、攻略最前線である〝迷宮都市、アルバレー〟からも遠いこともあり、統括ギルドにいる人数こそ少ないが、人数は情報の巡りとは関係ない。


 ただでさえ雪花は〝人災〟の雇っている傭兵とくれば、狛犬ほど敵視されていないだけで同罪とする者もいないわけではない。つい狛犬が心配でダッカスまでやってきたわけだが、ブラウニー達の作戦の邪魔がしたいわけではないのだ。


 だが要石のことは約束通り黙っているように、と。目線だけでルドルフを牽制しながら、雪花は溜息と共に水の精霊王を右手で小突く。気にしない性格なのか、契約者の些細な意地悪にくろくもの姿をした精霊王はちらりとも顔を上げない。


「それで? 何が問題なんですか」


 無反応な精霊王への嫌がらせを諦め、そんなことは初めから分かっていただろう、と気を取り直して雪花が再び話を戻す。言われてはっとしたルドルフが問題しか無いよ! とボーイソプラノで叫ぶが、雪花は怠そうにヘーゼルココアを啜り続けるばかりだ。


 ズズズー、と。そんな話には全く興味が無いと態度で示す雪花に対し、ルドルフはガラスのような碧い瞳を細めながら、苛立ちを隠さずにテーブルに両手をついてすごんで見せる。


「君ぃ……バレた後はずいぶんと態度悪いねぇ……」


「当然。ボスの体裁のために良い子ちゃんやってるだけなんでー。意味ない相手に取り繕う必要ないでしょ……あー、くそ心配だ。ブラウニーめ――ボスになんかあったら見てろよアイツ……」


 二度と軽率な行動が出来ないようにしてやる――と呻きながら、雪花が指先でビスケットを砕き潰す。はらはらと散るビスケットの欠片を払い捨て、ルドルフを見る目は手負いの獣のそれだった。


 隠す必要がない場所で、隠す必要のない相手。更に無理やり過去を喋ることで思い出したくないことまで連座式で思い出してしまった雪花は荒れていた。


 魂と直接接続するアバターは忠実に感情を表現する。此処はVRなれど――底光りする橙色の瞳に宿る激情は本物だ。


 憤りを――この破壊衝動の捌け口を――探して雪花は獣のように唸りを上げる。本来ならば、雪花は従順な飼い犬ではない。


 野生の狼であれと。魔術師として生まれ、死して死を知らぬ我らの中で、常に敵を許すなと――雪花はソロモンで、そう教えられ鍛え上げられた。


 〝自分には扱い切れない〟――本当ならば、狛乃が初めに感じたその直感こそが全て。


 しかし、敢えて首輪を享受し、大人しく従順な犬になっているのは他でもない――この世で母と妹以外に、唯一の大切なあの子がそうあれ、と言ったからだ。


「あ゛ー、イライラする――……『世界警察ヴァルカン』なんか吹っ飛んじまえばいいのに」


「止めておくれよ……本当に吹っ飛んだらどうするんだい。可能性はあるんだよ? もしもあの2人がやる気になったら、きっと僕らに連絡が――」


 雪花の呻きに、ルドルフが不安を口にした。その瞬間だ。


 にゃん――と可愛らしい音と共に、ルドルフにメッセージが届く。公開設定にしていたのか、間抜けにもギルド内に響くその音声。

 タイミング的にも、今の話題的にも。なんだか嫌な予感がするメッセージを開き、読み、ルドルフは頭を抱えて黙り込む。


「……」


 遅れて雪花にもメッセージが届き、開いたそれに喜色を滲ませて雪花は笑う。ああ、ちょうどいい、と。八つ当たりには良い相手だと、雪花はルドルフに向かって微笑んで、移動しましょうか、と涼やかに言う。


「待って――待ってよ! だって相手あれだよ!?」


「ワワルネック――行くぞ」


 こうなればもはや取り繕う必要も無しと水の精霊王の名を呼んで、雪花は堂々と立ち上がる。何だ何だとルドルフの叫びに人々が振り返る中、名を呼ばれた水の精霊王は一瞬で擬態を解いた。


『――うん、マスター』


 全身流水の巨大な狼の偉容。深い青一色の四肢には細い新緑の蔦が絡み上がり、小さな深紅の花や蕾が点在する。しかし絶え間なく流れる水が滴ることは無い。


 水の精霊王――『溺死させる者ワワルネック』の突然の出現に、その場に居合わせた他のプレイヤーは息を呑む。


 スクリーンショットを撮る指先が震えるほどに、暴力的な美しさと威圧感を撒き散らしながらも、彼は従順に、雪花をマスターと呼び従った。走り出した雪花を追って、ワワルネックも空中を滑るように走り出す。


「絶対頭おかしいよアイツら! 君もね! あー、好奇心に負けてついてくるんじゃなかったかなぁー!」


 ラス食っちゃったよ! 最悪だよ! とぎゃんぎゃん文句を言いながらも立ち上がり、ルドルフも雪花と共に走り出した。


 目指すは統括ギルドのその隣。正義と秩序を旗に記して『世界警察ヴァルカン、ユウリノ』と名乗る正義の根城。



「――……更地にしてやる」



 八つ当たりの規模をそう決めて。月下――水冷の狼が、破壊のためだけに走り出していた。



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