第百八十話・半:あの日、君がいたから〈the last volume〉
――……それからの雪花は、異常なまでに穏やかだった。
妹のいないところで、いつも目だけは異様に鋭く、手負いの獣のようだったが、妹の前では穏やかな兄を演じきった。
その一方で、ありとあらゆる手を尽くして父親が恋した妖精を探し求めた。どこかに〝隠されている〟らしく、魔術で簡単に見つかるものではなかったが、雪花には権力も、金も、それを見つけるための全てがあった。
そして、雪花は見つけたのだ。父親が恋した妖精が、【Under Ground Online】というオンラインゲームで、学習性AIとして参加するという話を聞いた。
サービス開始前の、テストプレイの権利を買い取るのは容易だった。VR内部で魔術が使えないことはわかっていたが、それでも中に潜りこみ、探し出せる自信が雪花にはあった。
探し出してどうするのか――そんな考えを振り切って、雪花は地下世界に潜り――驚いたことに、成長した狛乃と再会した。
初めはもちろん、気が付かなかった。あどけない顔付きは成長してずいぶんと変わっていたし、頬にあんな火傷なんかなかったし、性格だってあんなに攻撃的では無かった……と信じている。
最初は適当に、トップランカー達との繋がりがある〝狛犬〟とやらと行動し、ほどほどのところで一発ベッドインでもして、色々と聞き出してからおさらばしようと思って雇われた。
現実でもVRでも、得意の話術で色恋沙汰に持ち込めば仕事は容易い。肌を合わせれば嘘でも親近感が芽生える。感情の色が見える雪花にとっては諜報活動はお手の物で、たとえ魔術が使えなくとも、素人なら簡単に手玉にとれる。
……今思えば、その前に気が付いて良かった、と雪花は心底思っている。
最初に、あれ? と思ったのは、ポーションの材料を確保した帰りの道。グルアの群れを楽しそうに倒す姿にはちょっと引いたが、問題はその後だった。
群れの中でも一番大きい個体の首を切り落とし、これは持って帰る、と言った時。はく製にでもすんの? と軽口をたたいた雪花に、狛犬は大真面目な顔で、はく製なんか好きじゃない。重要なのは骨だよ、頭骨! と言ったのだ。
その時はまだ、狛乃と同じ趣味の奴が実在するのか、と思っただけだった。振り返れば、もう少し気が付ける部分はあった気もするが、まさかそんなところで再会するとは考えたことも無かったので仕方が無い。
しかし、あれ? と思ったからには確かめなければならないと。元が生真面目な雪花はそう考え、ベッドインからのポイ捨て計画は延期することにした。半信半疑ではあったが、本当に狛乃だったら手は出せない。
途中、途中で、様々な話を振った。コッペパンを知らなかったり、ドーナツも知らなかったりしたあたりでやはり違うか、とも思ったが、最近知ったドーナツというものが、いかに美味しいかを雪花に語る姿には、確かにデジャヴを感じていた。
確信したのは――アルカリ洞窟群で、砂竜モドキを倒した後。水浴びに誘われて、きょどる狛犬の様子に、雪花はふと思い出したのだ。そういえば、狛乃は両性だったな、と。
人間なんてどれも〝動いて喋る肉の塊〟くらいにしか見えていない雪花にとっては、あまり気にすることでもなかったため、すっかり忘れていた記憶だった。
鎌をかければ、狛犬はあっさり引っかかった。最初からそう思っていた、と適当なことを言えば、ほぼそうだ、と言っているような態度で雪花の襟首を掴んできたのを覚えている。
そこで初めて、狛犬は狛乃なのだと確信した。名前といい、趣味といい、ドーナツへの謎のこだわりといい……極めつけに両性とくれば、確定してもいいだろう。
しかしその時は、ようやく出会えた感動よりもショックのほうが大きかった。過去を聞き出そうとすれば覚えていない、と言われ、頬の火傷を聞けば、やはりよく覚えていない、と返ってくる。
あれから何かがあったのは明白で、狛乃の両親がどちらもすでにこの世にいないと知った時は、あの黒い影の恐ろしさをまざまざと思い知らされた。
未だに現実世界では〝隠されている〟ようなので、陰ながら守る者がいるのだろうとは思ったが、心配で胃腸薬の量が増えた。
もちろん雪花は魔術師であり、ソロモンでの仕事上、すでに一度死を迎えた肉体は純因子で出来ているそれだったが、気休め、というものだ。飲まないよりかはマシだったが、胃痛が消えることはなかった。
……そこからの雪花は、狛乃が気が付いていないだけで、ギリーがこっそり、何事だ? と直接聞きに来るくらいには狛乃にベタ甘だった。
エロ好きのお兄さんという自業自得なイメージを
レジナルド事件の時は気が気じゃなかったので大量にメッセージを送ってしまったし、ログアウト後にソロモンまで出向いて直接本人に文句を言った。
が、逆に真摯に謝られた上、狛乃をよろしくね、とあんなに探していた住所まであっさりと教えられ、釈然としない気持ちになったし、ネブラが暴発した事件の時は不覚にもドア越しに狛乃の決断を聞いて目頭が熱くなった。
根っこは変わっていないのだ。あの日、自分の宝物を差し置いて、雪花のほうが大事だと――そう断言した心根は健在だった……と。
樹海大炎上の時は、俺がログアウト中の時は持ち出すなと言い含めておいた武器を勝手に使われ、案の定――攻撃性が増幅されて、亜神の面が顕わになった。
ログアウト中に誰かの介入があったようで、再ログインした時にはいつも通りの狛乃に戻っていたが、その夜――別件でソロモンに呼び出されていた雪花の耳に、狛乃の名前が飛び込んできた時には心臓が止まるかと思った。
よくもまあ短期間にこれだけのことがしでかせるな、とも思ったが、欲目というものがある。
事件の内容を聞いてさらに胃が痛んだが、慌てて現場を見に行ってキスシーンを見せつけられるとは思いもしなかった。
よりにもよってあのセリア――状況を聞く限り仕方が無いようにも思えるが、その後、ソロモンに帰ってきたセリアと雪花はこてこてに揉めた、というか派手に喧嘩をした。
ズタボロだった魔法使い法定監査部の後かたずけをしながら、〝手が早すぎるんだよネズミ野郎〟と嫌味を言った雪花に、〝アンタにだけは言われたくないっスわー〟とセリアが煽って開戦となった。周りの所員は雪花が口を開いた瞬間に全員逃げた。
ただでさえ半壊していた魔法使い法定監査部は余波で全壊。床どころか天井もぶち抜き、一時帰還したソロモン王から〝お片付けをしながら散らかすとか幼児か、お前ら。反省しろ〟と二人して物理的に3時間ほど吊るされる羽目になった。
そして、寝不足と疲れを引きずったままログインし、人のマイナスの感情に疎い狛乃から世間の注意をそらすために、用意していた保険をネタにルドルフ脅された――そうして今に至るのである。
「――へぇ、良い話だ」
もちろん、狛乃との出会いの全てを語ったわけではないが、かいつまんでは話さざるを得なかった。実行前に水の要石を強奪されたりして邪魔をされたら面倒くさい。
色々と好奇心に任せて聞きたがるルドルフに、雪花は怠そうに質問に答えていく。リアルでのルドルフを間接的に知っていて、根は悪い人ではない、と知っていたことも大きいだろう。
ただ、おじさん、こういう話大好きなんだよー。やっぱりノンフィクションだよー、と。少年の姿でおっさんのようなことを言いながら、根掘り葉掘り聞き出そうとするルドルフにはげんなりした。
「ボーイソプラノでおじさんって自称されてもねぇ……」
思わず思っていたことを口に出せば、ルドルフは大きく右手を振り上げて、だってさぁ! と不満そうに抗議する。
「僕の歳を考えてくれって話なんだよ。まあね、多少は口調も見た目に引きずられてるし、世の中には見た目が精神年齢っていう魔術師共がごろごろしてるわけだけど、あれと一緒にされちゃあ困っちゃうよ」
僕は別に精神年齢のせいでこの姿なわけじゃないんだしぃー、と膨れてみせてから、その態度が少年らしいと気が付いたらしい。
ひげ面のアバターが懐かしい……あの頃は威厳があった。グライフだって……とぶつぶつ嘆くルドルフに、雪花はもういいでしょう、と話を切り上げようする。
「十分話しました。これ以上はプライバシーなんで」
「まだ肝心な部分を聞いてないよ。ねえ、それ恋愛話に繋がりそうじゃない? いや、繋がるべきだよ。繋がってよ」
「ボスと話したでしょ、見たでしょ。精神年齢はまだガキなんですから、そんな話にゃなりませんよ」
そう、狛乃と直接話していてるとよくわかる。記憶の大部分が飛んでしまっているせいか、狛乃の精神年齢は異常に幼い部分があった。
恐らくは、本来あるべき記憶が抜けすぎているのが原因だろう、と雪花は思っている。
その証拠に、最近は出会った当初よりかは大人びている。記憶を取り戻すたびに、少しは落ち着きも出てきていた。
「えー……せっかく萌えるネタだと思ったのに」
「燃える……?」
「雪花くん――僕はねぇ、これでも昔は知られた作家だったんだよぉ? メインジャンルはノンフィクション異種間ラブストーリー! ……ねえ、何か発展したら教えてね? 絶対だよ?」
「勝手に何か書いたら燃やしにいきますよ?」
「勝手には書かないさ――勝手にはね。けれど皆、ハッピーエンド迎えた後には自分から言ってくるのさ……書いて、思い出を残してくれってね」
どうにも信用できない笑顔でルドルフは言う。雪花は胡散臭そうに鼻白むが、少年姿の彼は気にする様子もなく、優しく微笑んでこう言った。
「正しきを愛し、善良たらんとする者の行動によって救われる――うん、最高に良い話じゃないか。まさに、人とはこうあるべきだ。それでこそ人間さ」
「はは……」
ルドルフの言葉に、雪花は乾いた笑いで答える。救われた――そう、確かにあの日、雪花は狛乃に救われた。
けれど結局、狛乃がくれた言葉も、温かさも、雪花は失くしてしまったのだ。ルドルフに経緯を語る時、雪花は自分で自分に打ちのめされた。
確かにあの日、狛乃に何かを言われて、救われたはずなのに。その言葉が思い出せない。今ではもう、心のどこを探しても見つからない。もう二度と、あの言葉は聞けないのに――。
「――そんなことないさ」
「……え?」
突然――まるで心を読んだように、ルドルフは馬上で器用に振り返り、真っ直ぐに雪花を見つめて言う。
「きっと思い出せる日が来るとも――保証する。君は再び手を差し伸べられる日が来るだろう。歴史とは繰り返すもので、それは人生にもいえることだ」
「そんな……気休め……」
そんなのは、気休めだ。
たとえもう一度、同じ絵を見て狛乃がまったく同じ言葉を言おうとも、それはあの日、雪花の心を動かしたものではない。それぐらいに、代えがきかないものなのだと、反発しかける雪花にルドルフはそっと首を横に振る。
「違うよ、新しいフレーズに取って代わられるということじゃない。そんなことを怖がってはいけないよ。大事なのは、思い起こされる、ということさ」
――重要なのは、いつ心動かされたかでもなく、どんな言葉で救われたかでもないはずだ。
そう言って、ルドルフはガラスのような碧い瞳で雪花を射抜く。
「その言葉がもし違う表現だったとしても。いいや、たとえその言葉がなくったって、きっと君は救われたはずだ――少なくとも、僕は君の話を聞いてそう思った」
「……」
ルドルフに断言され、雪花は戸惑う。そうだろうか、本当に?
でも、確かに救われたはずだ。それは、あの日、狛乃が言った言葉が救ってくれたはずで――、
「……ああ……そっか」
額がじんわりと熱を持ったような気がして、雪花は思わず右手で額を押さえた。
その動きにルドルフはにやりと笑い、ほらね、と訳知り顔で頷いてみせる。
「君は、あの子の思いやりに救われた――そして君は、あの子の思いやりは健在だったと言っていた。ならば、」
ならば――再び、救われる日が来るだろう。その時にきっと思い出せる。
「だから、大丈夫さ」
「……」
「大丈夫、大丈夫。本当に大切なものは忘れられないものだよ、思い出せないだけでね」
「……どうも」
ぶっきらぼうに。礼を言う雪花を慈父のように見やってから。ルドルフは腕を上げ、楽しそうにはしゃぐ声でこう言った。
「ほら――〝ダッカス〟が見えてきたよ!」
ルドルフの言う通り、遠くに海が。その手前にじんわりと広がる、〝塩の街、ダッカス〟の様子が見えてきていた。
今頃、狛乃はブラウニーと一緒に『
後で話したいことがあるんだ、すごいんだぞ、とはしゃいでいた狛乃のことを思い出す。何か現実で、良いことでもあったのかもしれない。
そこに自分がいないのは少しだけ寂しい気もするが、それでいい。狛乃が両親のことを思い出すまで、変に過去の記憶を刺激して辛いことを思い出させる必要は無い。
それよりも、何よりも。
(――本当に……生きていてくれてよかった)
ただそれだけを静かに思って、雪花はそっと目を閉じた。
第百八十話・半:あの日、君がいたから〈the last volume〉
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