第百七十八話:〝塩の街、ダッカス〟
第百七十八話:〝塩の街、ダッカス〟
「やべぇ。急いだつもりだったけど、ログイン制限ギリギリだったわ……くろくも、俺ちょっと落ちるけど、すぐ戻って来るからちょっと待っててな」
何もなくてもよく笑う男――ブラウニーさんがそう言い残し、簡素な藁のベッドに倒れ込んだ直後。紫色の短髪が不思議と少し浮いた瞬間、ふと、彼の身体から生気が消えた。
(ログアウトか……モンスターにはログイン制限ないからな……)
in宿屋。さらに詳しく言えば、自分たちは〝塩の街、ダッカス〟の宿屋の一室にいた。半分以上が塩田で出来た――いや、塩田に添えるようにして必要最低限の規模で作られたこの街には、どこの街にも存在する天然のセーフティーエリアが、統括ギルドと、その隣の教会にしか存在しない。
あるのは海と塩田。それらを取り巻くように作られた、いくつかの民家と統括ギルド、隣に教会。正規サービス開始前からあった宿屋は一軒だけで、それ以降に出来た宿屋は、プレイヤーの大量流入に伴い、これは稼げるとみたNPC達が提供している元民家だそうだ。
自分たちが今いる此処も、元は宿屋の主の自宅だったらしい。今では稼いだ資金でもっと豪華な家に住んでいるらしく、宿の管理自体は別の人がやっているのだとか。宿のグレードとしては、ほぼ最高。安宿に泊まらないのは、ブラウニーさんの「潜入任務」のイメージへのこだわりのようだ。
それなりの広さの室内には暖炉が備え付けられていて、ログアウト前にブラウニーさんが足した薪がごうごうと燃えていた。暖気がふんわりと部屋を満たし、毛皮で覆われたレンガ壁が室内を巡る熱を逃がさない。
板張りにされた床にも毛皮が敷き詰められ、段々と寒くなって来る季節を予感させていた。節気自体はまだギリギリ《
冬を越えるために6つの蓄えをする節気だそうだが、自分たちはまず蓄えの前に目前の問題を解決しなければならない。道中、ブラウニーさんが言っていた通り、暇があるなら作戦までは基本自由行動なのが魔王軍のいいところだ。
必要な準備さえ終われば、要石の1つくらいは『ランナーズハイ』のみんなで協力し、入手できるかもしれない。そう思えば俄然、どんなことでもやる気になる。まずはアカウント切り替えのため、アビリティレベル10を目指して暇な時間は基礎鍛錬だ。
短い手足を動かして、えっちらおっちら歩き回る。頭蓋と同じぐらいの重さの角も、身体と同じくらいの尻尾も、邪魔で邪魔で仕方が無い。
だが頭の巻き角は相変わらず重石にしかなっていないが、尻尾の方はどうにか使い道が見えてきていた。この入れ物に慣れてきたからなのか、尻尾が思うように動かせるようになってきたのだ。
そしてこの尻尾、ほとんど全てが分厚い筋肉で出来ているらしい。普通、ギリーなんかもそうだがイヌ科の尻尾の中身というのは細く、大したつくりではないのだが、この【
身体と同じくらい……どころか、身体よりも大きいのでは? と思うほどの大きさの尻尾は、時間が経てば経つほどに自由に動かせるようになっている。
その上、時折ほのかに拍動を感じる。心臓に似たその動きは、まるで第2のそれのようでもあり、チェーンソーなどの機械に備え付けの、スターターロープを引いた直後の、独特の震えにも似ていた。
要するに――直感でわかる。これは、いいや。これこそが、モンスターとしての自分の、最大の武器なのだと。牙も、爪も、鋼に似た巻き角も、この尾の前にはただの飾りにすぎないのだと――!
などと、自分で自分を盛り上げつつ、大きな尾を身体全体で振り抜いた。それを何度も繰り返し、仮想の敵を尻尾でびったんびったん叩きのめすイメージトレーニングを続行する。
見た目としては、子犬がくるくると半回転して遊んでいるようにしか見えないだろう。しかし、これは鍛錬だ。はたから見てどう見えようが、これは鍛錬――、
「ただいま……って、何してんの? 尻尾かゆい?」
(違う!)
デリカシーの欠片も無い野郎に対し、否定の声と共に尻尾を振り抜く。ぺいっ、ぺいっ、と気の抜けた効果音が聞こえてきそうだった先程までの動きと違い、ブォン、と妙に確かな手ごたえ。
「痛った!」
瞬間、悲鳴と共にブラウニーが片足を引き、藁敷きのベッドに尻もちをついた。遅れて通知ウィンドウが視界の端に閃き、新しいスキルを習得したことを知らせてくる。
「ちょっ――体力1割も減ったんだけど!?」
(え、ごめん……そんなに!?)
そんなすごいスキルを習得したのかと慌てて新スキルを表示するが、習得したスキルは単純明快――単なる【
前衛系のアビリティの中でも、〝拳闘士〟などの生身で攻撃するようなイメージのアビリティが保有している、基本的な初期スキルだ。分類はパッシブ。効果は強打と思われる動作による攻撃が何かに直撃した場合、一時的に攻撃部位の筋力値を倍加する、というもの。
本来の使い方は攻撃用スキルなのだが、頭のおかしいテストプレイヤー達が相手の攻撃の瞬間に合わせ、倍加筋力部位の防御力を上げて衝撃を減殺するために使われることもある。
確か、ギリーにモルガナ、うちの子竜たちも持っているスキルだ。そのままステータスを流し見するが、そのほかに習得したスキルは無し。死に戻り地点についての詳細が追記された程度だった。
ただ、ざっと眺めていくと、何故か黒く塗りつぶされているスキルがあった。新着扱いでもなく、初期スキルでもない。ただ【SS】――【■■■■■】とだけ表示されている。
気になってタップしてみると、どうやらSSとはシークレットスキルの略らしい。通常行動で解放されるスキルではなく、通常、人権が無いはずのモンスターにプレイヤーが入っているために可能になってしまう、人権を侵害する理不尽な悪質行為対策のためのセーフティースキルです、との説明があった。
説明に使われている単語だけでも不穏だ。具体的にはどんな悪質行為が可能なのかはわからないが、いかにモンスターに権利というものが薄いのかをしみじみと感じさせるスキルである。
うんざりしながらも視線でステータス欄を辿っていけば、
〝狛犬〟としてゲームを開始した時の筋力値が8だったことを思えば、大したことはない。第一、相手は仮想懸賞額トップにほど近いPKプレイヤー。鍛え上げられたステータスと体力を、ようやく目がはっきり見えるようになった子犬が1割も削るなんてあり得ない。
バグかな? と首を傾げる自分から事情を聞き、ブラウニーもぶたれた足をさすりながら首を傾げる。【
「もしかしたら――待ってろ、統括ギルドで測定器借りてくる!」
言って、すぐさまブラウニーは走り出した。階段を下りて宿を出るのが面倒だったのか、分厚い窓をしゃっ、と押し上げ、3階のそこからひらりと身を躍らせる。
エアリスやエフラーと違い、此処ダッカスでは街とは言いつつも規模は村に近い。土地のほとんどが塩田で、建造物は極端に少なく、統括ギルドも、その隣の『
窓から身を乗り出し、走り去ったブラウニーを見守ること3分たらず。彼は行きと同じように窓から帰還し、なにやら電卓のような機械を自分に向かって翳してきた。
(それが測定器?)
「そ、筋力ってプレイヤーの場合12の部位ごとに数値が違うらしいんだが、ステータス上の筋力値って、それの平均値しかでねぇんだってよ。で、俺の知り合いにVRん中でも数値から均等に美しい筋肉をつけたいとかって変態がいてさ、どうやって判別するかって聞いたら、統括ギルドで測定器貸し出してるって言ってたから……よし」
(なるほど)
そういえば自分や
まだまだ知らないことがあるんだなぁ、と思いながらも欠伸を一つ。そのまま、かちり、と小さな牙をかみ合わせれば、ブラウニーが呆れた声と共にしゃがみこむ。
「おいおい、原因わかっちゃったぜ――ほらこれ」
(どれどれ……右前足の筋力3、腹が1、背中2……ゴミじゃん)
「よく見ろ、ここ」
(んー? 尻尾の筋力55……55!?)
嘘でしょ、と呟けば、ブラウニーは単純に倍化だと筋力110でぶん殴られたのか……と、どこか黄昏るような声を出した。
「えーと、尻尾が55だろ、他が1、3、2……合計を割って、端数切捨てで6――これが表示されてる筋力値になるわけだ。そうつまり、くろくもの尻尾は【
(マジかよ。モンスター謎すぎるだろ)
犬パンチだとダメージ判定すら発生しないくせに! と吠えれば、ブラウニーはしげしげと大きな尻尾を見下ろして、指先で突っついた。ふに、ふわ――ではなく、ぐっ、と硬く弾力のある手ごたえを感じたのか、そのままがっし、と鷲掴む。
「……これ、何か妙に強く脈打ってるんだけど、このアバターだと尻尾に心臓あったりするのか?」
(そんな気もしなくもないけど、とりあえずスルーしてる)
「……そっか」
モンスターってすげぇんだな、とブラウニーはしみじみと言い、しばらく互いに見つめ合った。しばしの沈黙を挟み、互いの心は通じ合う。よし、とりあえず保留にしておこう――と。
「よっし、んじゃ一仕事行きますかぁ!」
(おうともさー!)
叫び、決意を新たに頷き合う。面倒くさそうなことは後回しにするに限るのだ。はりきるブラウニーは手早く潜入のための準備を進めていき、自分はその間も、やはりレベルアップのために尻尾の素振りを再開する。
可愛さと小ささが武器、と言われたが、この尻尾アタックは緊急時に使えそうだ。まさか敵もこんなよちよち歩く子犬の尻尾が、スキル込みで中堅〝拳闘士〟の正拳突き並みの威力を叩き出すとは思うまい。
体制崩しに使うもよし、隙があれば急所にぶち当てて〈即死〉を狙うもよし――。作戦の幅が広がるじゃーん! と、わふわふ吠えながらテンションを上げつつ尻尾を振り回す自分からさりげなく逃げ、ブラウニーは腰まで届く鋼色のウィッグを被り、目にはアイスブルーのカラコンを装着。
そういえば変装するって言ってたけどどんな感じになるのか、特訓しながら眺めていれば、見苦しーから向こう向いててなー、と言われて後ろを向く。がらがらと重そうな金属音が背後で響き、もういいよー、との声に振り返れば、動きやすそうな黒ズボンに、肌着として
さきほどまで着ていた丸襟の白シャツは床に脱ぎ捨てられていて、ブラウニーは重そうな帷子の上から切れ込みの深いVネックの黒シャツを着こむ。首には棘付きの黒いチョーカーをつけ、どこから取り出したのか、つけ睫毛まで手際よく装着。
青く光るメニューウインドウを鏡代わりにしながら筆を取り出し、黒っぽい何かを瞼にさっと塗り広げる。仕上げに指先だけ切り抜かれた革の黒手袋をはめ、ブラウニーは準備おっけー! と満面の笑みでこちらを向いた。怖い。
趣味はスポーツですとか言いそうな爽やか青年から、あっという間に似非メタルバンドのボーカルみたいな姿に変身したブラウニー。2、3度肩をぐるぐると回し、わざと力を抜いてなで肩にする。
喉を押さえ、首を左右に傾けて――彼はゆるゆると声を出した。
「あー、あー……いくよ、くろちゃん。僕たち2人で、がんばろうね……」
(待って、どこから声出してるの!? そのなよっちい声はどっから出してるの!?)
独特なファッション、なで肩、喋り方――どれをとっても、元の好青年の面影はない。目の前にいるのは、暗い沈んだ表情で、ぼそぼそと喋る不健康そうなミュージシャン系お兄さんだった。
ブから始まるお姉さんとお兄さんは、何かリアルでもそういうお仕事をしているのだろうか? ブランカさんといい、ブラウニーといい、変装のレベルが違う。
信じられない、と愕然とする自分にブラウニーは目だけでそっと微笑んで、ああ、いけない――と呟いてから鞄から小さな瓶を取り出した。
薄青の液体が入ったそれの蓋を開け、指先に液体を落としてブラウニーはざっくりと全身にそれを染みこませていく。
途端、自分の鼻が――モンスターの鋭い嗅覚が、ふわりと香るジャスミンの匂いをキャッチする。全身からフローラルな香りを漂わせ、ブラウニーは再び自分に向かって微笑んだ。
「じゃあ行こうか、くろちゃん……がんばろうね……できれば、脱出するときは派手にやりたいね……」
(……そーだね)
臆病そうなその声色には似つかわしくない、過激な台詞をぼそぼそと呟いて――ブラウニーは最後の最後に子犬を装備し、まだ夜の明けぬダッカスの街に繰り出した。
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