第百七十九話:幻月――寒空に浮かび、悪心を掻き立てる


「くろちゃん……わかってるよね……」


(わかってるわかってる。まずは、ブラウニーが『世界警察ヴァルカン』に自分を『新種のモンスターの幼体』として報告するんでしょ――?)


「そ……そこから先は、覚えてるよね……最初は派手に暴れようかと思ってたんだけど……内通者にもアテがついたし……人数差で制圧される可能性が高いし、それに――手間は少ない方が良い」


 と、最後の一言以外は、ロールプレイを徹底した口調でぼそぼそとブラウニーが言う。黒のVネックシャツの上から着込まれた黒パーカーの懐に潜り込んでぬくぬくしつつ、自分は適当に可愛らしい動きなんかを追及していた。


(これなんかどう?)


 半分ほど閉められたパーカーの内側で、ころりと仰向けに転がって首を傾げてみる。ブラウニーは死んだ魚のようなアイスブルーの瞳で懐にいる自分を見下ろし、そこですかさず可愛い鳴き方をするんだ、とのアドバイス。


「――きゅきゅーう?」

(こんな感じ?)


「すばらしい……とりあえず、トルニトロイ首刎ね事件以降……世界警察ヴァルカンにモンスターを雑に扱う人員が少ないことは調べがついてる……一部の人以外には、大人気だろう……」


 なるほど、言われた通りにやってみただけだが、人間というものは見た目に騙される生き物なのだ。雪花の様子を思い出せば、確かに今の自分の見た目は可愛いのだろう。子犬ばんざい。これはロールプレイがはかどるぜぇ。


「あっふっふっふー!」

(やったるぜー!)


「一応、言っておくけど……【魔獣語】スキル持ちだっているんだし、モンスターもいるんだから……発言には気を付けるようにね……」


「なーふ」

(はーい)


 適当な返事をすれば、ぺしり、と小さく頭を叩かれた。痛くもかゆくもないが、ブラウニーが言いたいことも分かる。自分は仕方なく、もちろん仕事はちゃんとやるよ、と小さく伝え、彼は満足そうにそれに頷く。


 頷いたブラウニーの鋼色の長髪が海風に吹かれ、その冷たさに気が付いた彼は自分が凍死しないようにと、肩から下げた鞄から小さなマントを取り出した。


 toraさんが試作品として作ったものらしく、ブラウニーは慣れた手つきで懐にいる自分の首にそれをかける。留め金付きの赤い毛皮のマントはビロードのように柔らかく、保温機能でもついているのか、じんわりと温かい。


「さ……此処だね……」


 月下――ふと、ダッカスの街を歩くブラウニーが足を止める。黒一色のブーツの踵を鳴らし、立ち止るは正義の根城の真正面。

 ダッカスの大通り、レンガ敷きの大通りにつつましく存在する統括ギルドの右隣――耐塩、耐湿の黒レンガで造られた、三階建ての偉容である。


 統括ギルドの3倍は大きい円筒形の建物は、ブラウニーさん曰く、元は小金持ちのNPCの邸宅だったらしい。ゲーム内時間で築2年の物件だが、ネタ物PKギルド『まじかる☆ちゃーりー』による、ダッカス支部爆破事件の後、修繕と共に大幅な改装が行われた。


 前情報としていくつかのスクリーンショットと共に教えられたのは、構造としては一階部分が全面ぶち抜きのホールになっていて、存在するのは上階を支える太い石柱と、空間の隅に作られた小さな受付用カウンターのみだということ。内装はホテルのロビーに似ているものの、透明になって姿を消すタイプの侵入者を警戒し、床には一面に小さな玉砂利が敷き詰められている。


 二階部分から三階にかけては爆破で半端に吹っ飛んだ天井を全て取り払い、今では吹き抜けになっている。更に異様なことに、『世界警察ヴァルカン』ダッカス支部には部屋というものが無く、二階から三階にかけて、巨大な幅広の螺旋階段――そのものに机や椅子、棚やロッカーなどが備え付けられていた。


 スクリーンショットを見る限り、設計者の意図するところは一つ――すなわち、二階、三階ならば何処にいても、何処からでも侵入者を発見、撃退することができる、攻撃的な内装となっている。


 そもそも、現実世界とは業務も異なり、紙の類もある程度貴重な【あんぐら】の世界観で、事務仕事などほとんど必要ない。

 書類仕事のためのデスクなど必要なく、あるのは壁沿いに点在する小洒落た木製カウンターと小さな椅子。統括ギルドより入手できる、各種書籍シリーズなどがまとめられた小さな本棚。


 けれどそのシンプルな構造と、少ない家具、外敵への異常なまでの警戒ゆえに、フベさんも、ブラウニーも、例の偽造契約書がダッカス支部にあると睨んだのだ。


「いくよ……手筈どおりに……」


「なっふらー」

(出来れば丸っと燃やしたいなー)


「……くろちゃん……契約書は燃やしちゃダメだよ……」


「あふ」

(もちろん)


「よし……じゃ、相棒。上手くやろうぜ」


 自分の返事を確認して、ついにブラウニーが『世界警察ヴァルカン』ダッカス支部の扉を開く。青白い幻月の下、赤く塗られた内開きの木製扉を押し開き、今――正義の城に、自分とブラウニー……1人と1匹の賊が堂々と踏み込んだ。






















第百七十九話:幻月げんげつ――寒空に浮かび、悪心あくしんを掻き立てる





















 ――その男の歩みは、怯えた犬のようだった。


 男は、内開きの扉が開かれた瞬間、室内の至るところから射るような視線にさらされた。赤い瞳、青い瞳、黄色の瞳――此処はVR、オンラインゲームのファンタジー世界ともなれば、プレイヤー達の髪色と瞳の色はありとあらゆる非現実的な色で溢れている。


 それぞれが、炎のような、凍てつくような攻撃的かつ鋭い視線。明らかに爆破事件以降、『世界警察ヴァルカン』の職員達は余所者を異常に警戒していた。


 『まじかる☆ちゃーりー』の時は突然走り込んできた彼らが室内で魔法を連打し、最終的に持ち込んだ爆弾を炸裂させて逃走した。それ故に、彼らはまず建物の中に入ってきた余所者には尋常ではない警戒を見せるのだ。


 ともすれば武器さえも構える十数人の職員に対し、一瞬だけ立ちすくんだ男は、そろそろと歩き出す。敷き詰められた純白の玉砂利の上をじゃり……じゃり……とすり足で進み、飛び交う視線の銃弾を恐れるようになで肩をすくめていた。


 うつむく横顔には鋼色の長髪がばさりとかかり、不健康そうな青白い顔を覆い隠す。全身、黒ずくめの男は黒のパーカーの懐だけを膨らませ、それをおっかなびっくりといった様子で服の上から抱えながら、ぶち抜きのフロアの奥へと進んで行く。


「――止まりな」


 受付へと――その奥に存在する、二階へと続く扉付きの階段に近付く前に、黒ずくめの男は1人の女に止められる。

 すらりとした長身の女だった。茶色の革鎧に、要所にだけ金属鎧を身に纏い、腰には赤い林檎のキーホルダー。意志の強そうなオレンジ色の吊り目が黒ずくめの男を睨み、名前は、と短く問う。


「……あ、あの……僕、〝毒ニンジンヘムロック〟といいます……」


「此処の用心棒任されてる〝榊〟だ……用件は?」


「その……あの……」


「ッ――さっさと答えろうっぜぇな!」


 深紅の髪をひるがえしながら、途端に榊と名乗った女が声を荒げて抜き放ったナイフを突きつける。浅く頬を切り裂かれ、男の青白い顔に赤が散った。切り付けられたヘムロックは怯えた声でひぃ、と小さく悲鳴を上げ、「ごめんなさい……っ」と蚊の鳴くような声で言いながら尻もちをつく。


「……なふー?」

(……だいじょうぶ?)


 途端、尻もちをついたヘムロックの懐からは可愛らしい子犬が鳴く声が響いた。あどけない鳴き方で、ひょこりと男の懐から愛らしい生き物が顔を出す。

 黒く、小さな巻き角が重そうな、丸みをおびたふわふわの頭。それが、きょときょとと周囲を見回し、ヘムロックを傷つけた榊をつぶらな瞳でじっと見上げる。

 子犬に見上げられた榊はその視線を真っ直ぐに睨み返し、ドスのきいた声で唸るようにこう言った。


「――なに見てんだよォ」


 脅すように言って、そしてすぐに気が付いたようだった。榊はオレンジ色の目を見開き、そいつは――! と素早くヘムロックの懐に腕を伸ばす――が、その腕はヘムロックによってでも、子犬によってでもなく、榊の後ろから歩いて来ていた一人の女によって止められた。


さかき――落ち着いて。いくら爆破事件の後だといっても、あんまりな態度よ……すみません、ヘムロックさん。皆、神経質になっているんです。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「リリアン――邪魔すんじゃねぇよ、良い子チャンがッ! 狛犬が消えた直後に雪花の野郎がそのチビを〝ボス〟って呼んでんだ! そのチビが狛犬だろう! おいこら、ぬけぬけとよくも真正面から入ってこれたなぁ!?」


「榊、落ち着いて、ね。――ヘムロックさん、その子はどこで?」


 ひたすらに声を荒げてそいつが狛犬だ! と叫ぶ榊をなだめるように、リリアンと呼ばれた女が穏やかにヘムロックに向けて問う。怯えた様子で榊を見ていたヘムロックは、優し気なリリアンの声に恐る恐る質問に答えていく。


「あ、えっと用件は……この子のことで……この子、謳害の後の迷宮都市の入り口あたりで……拾ったんですけど……」


「ええ、続けてください」


 嘘だそいつが狛犬なんだ、と言いかけた榊の首根っこを掴んで黙らせながら、リリアンは穏やかな声で続きを促す。


「その……その方の言う通り、スレで見た写真のモンスターとそっくりだったのと……死に戻りとか……もしかしたら、何かイベント用のキーモンスターなのかもって思って……その、あの……」


「なるほど――くわしい話は奥で伺います。榊、聞いたでしょ? キーモンスターの可能性が高いわ。出し抜かれたくなきゃ、貴重な情報の鍵は丁寧に扱うべきじゃない?」


 リリアンは薄い茶色の瞳をゆっくりと伏せながら、激昂する榊の肩を二、三度叩く。穏やかな所作だが、榊の肩を柔らかく叩く右手とは裏腹に、左手は未だに榊の後ろ首を掴んだままだった。ギリギリと音が鳴るほどではないが、咄嗟に振り切って飛び出そうとすれば、すぐさま締め上げられるとわかる程度には強い抑え。


「――――」


 高いプライドが本能的に反発を叫ぶが、榊にも多少の理性はある。そして理性は、この状態ではリリアンには勝てないとの沙汰を下していた。

 あるいは、確かにリリアンの言うとり、目の前で毒ニンジンなどと名乗ったなまっちろい男が連れて来た子犬は、イベント用に配置された特殊なモンスターなのかもしれなかった。


 けれど、榊にとっては。目の前のこの子犬が、狛犬が化けた姿であろうがなかろうが、狛犬かもしれないならのだ。


 榊は狛犬を恨んでいる。会ったこともないし、見かけたこともないが、彼女にとっては何もかもが気に入らなかった。


 やっていることは荒くれ者のくせに、あちらこちらでちやほやと――夢にまで憧れた金色の竜、ニブルヘイムを従えて、トルニトロイとの一騎打ちに駆ける姿には、憧れよりも強い敵意を抱いた。竜の卵を2つも抱え、制御に失敗すればいいと願っていたのに、懐かれている様子なんか聞きたくもない。


 ――まるで主役のようなすました顔をして、好き勝手に暴虐を振るうクズ野郎。


 だから、謳害による被害の後、〝人災〟と――〝黒雲くろくも〟と呼ばれて糾弾されている様をみるのは、酷く愉快なものだった。


 このまま捕まれ――リンチされて、泣き叫べばいい――お前なんか所詮こんなものだ――竜に認められるなんてあり得ない――。


 なのに――狛犬は捕まらなかった。


 〝どどんが〟は大間抜けのくせに協力を拒み、榊はあの日、ずいぶんな恥をかいた。ああ、アイツも許せないが、そんな原因を作ったのも狛犬だ。


 許さない、許さない――絶対に許さない。


 それに、味方はたくさんいる。皆だって言っていたのだ――狛犬を吊るし上げろと、痛い目に合わせろと。皆が皆、アイツのせいだと言っていた。だから、自分が正しいのだ。まさに――正義は我にあり。


 本当にそうかなんてどうでもいい。こいつが狛犬だ。きっとこの子犬が狛犬なのだ。きっと、そうであるべきだ。


 ムカつく奴は叩けばいい。だって、狛犬が悪いんだ。そう言っている奴が沢山いるから、これはきっと許されることなんだ。だから、だから――、



「――――そうだね」



 ――榊は首根っこを掴むリリアンの腕をそっと払いのけ、落ち着いた様子でこう囁いた。



「そうかも――焦ってた。ごめん、リリアン。もう大丈夫……じゃあ、奥で話を聞こうじゃないか」



 絶対に、酷い目に合わせてやる――そんな決意を胸に秘めて。



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