第百七十六話:敵は髄まで泥に沈めて



第百七十六話:敵は髄まで泥に沈めて




 ここから先は、他言無用――。


 潜めた声でそう宣言し、美少年は緩やかに微笑んだ。ガラスのようなあおい瞳が細められ、銀目の魔王の名代はひらりと4枚の誓約書を炬燵の上に滑らせる。


「さ、やる気があるなら、確認の後にサインをどーぞ」


 統括ギルドにて発行できる誓約書の効果は、誓いを破りし者に破滅を、だ。


 破滅と言っても、内容は誓約書を発行するプレイヤーが自由に決められるので、効果はまちまち。とぶささんのものだと『3日間のログイン制限』だったが――。


「……『賠償金5億フィート』」


 手元の誓約書に書かれた文字を読み上げ、雪花が何とも言えない顔で黙る。実に即物的で端的な破滅の指定だ。


 誓いを破ってもしばらく滅私プレイに徹すればギリギリ払えるが、その間はかなりの苦さを味わうことになるだろう。破滅の種類は性格が出るというが、それでこそフベさん、という感じだ。


 自分でも誓約書を直接見るが、書かれているのは基本的な定型文と、作戦に参加した時の報酬一覧。ブラウニーさんが心配していた懸賞金打ち消しについても、しっかりと記載されている。


 その他にも、様々な補償と責務が並び、その中に〝塩の街、ダッカス〟での偽契約書奪還作戦、要石ギルドオークション投入作戦などの文字を見つけて鼻白む。


 これは、あれだ……フベさんは、攻略組に徹底的に嫌がらせをするつもりなのだろう。いや、もはや嫌がらせのレベルではない。相手の顔に泥を塗るどころか、もれなく全身、泥に沈めるつもりのようだ。


 その作戦リストの内容に、底知れぬ覚悟と執念を嗅ぎ取ったのは自分だけでは無かったらしい。


「……これ、本当にやるの?」


 ルドルフさんの隣に座るアオが、その名と同じ青い髪をわずかに振って首を傾ける。

 先程までtoraと一緒になってふざけていた様子とは打って変わって、真剣な眼差しでフベさんの代わりを名乗るルドルフさんに問いを投げた。


 細く長い指先が示すのは、誓約書の最後の一文。


 ――〝公式イベント後、新大陸を目指す攻略組船団の殲滅〟


 真剣な眼差しを受け取ったルドルフさんは、けれど、のんびりとした様子で微笑んでみせる。


 指先に摘まんだ枝付き干しブドウレーズンから一粒、噛んで毟り取り、甘さを噛みしめながら美少年は朗らかに言う。


「やるよ」


 ただ一言。だが、それが全ての答えだった。


「……アオ君以外も、引き返すなら此処が最後だ。これは、攻略組への報復でもあるけれど、勿論、それだけの理由でゲームの全体攻略を妨げるのはマナー違反だ。それは僕も、フベもよくわかってる」


 それは、まあそうだろう。ルドルフさんの言う通り、普通に考えたらこの作戦はVRMMOにおけるマナー違反だ。


 始めは初心者だった自分も、長くVRMMOを続ける内に暗黙のルールやマナーというものがあることは聞きかじっている。


 特にゲーム全体の、プレイヤー全員にとって不利益となるような行いは、本来MMOにおいてタブーに近い。いくら報復の大義名分を持つフベさんであっても、悪役プレイの枠を大きく超えてしまう行為だ。


 悪役と悪は違う。不本意ながら、今まさに自分が攻略組のプレイヤー達から恨みを買っているように、お祭り騒ぎと人災の表現の合間には、決定的な違いがある。


 このまま突き進めば、まさしくフベさんは魔王――冗談めかして、時には親しみさえ込めて呼ばれる名前から、同じ響きの全く違う存在になるだろう。


「では何故?」


 ルドルフさん以外の全員が、同じ疑問を抱えている中、toraが静かな声で踏み込む。猫に似た縦長の瞳孔がくるりと動き、黄色いそれは物憂げな様子。


 だが、周囲をよく見回すと、誓約書を見て難しい表情になったのはアオとtoraと雪花だけだ。自分を含め、差し出された誓約書の枚数とも合致する。


 ということは、涼しい表情で薄紫の前髪を撫でつけているブラウニーさんと、ひたすら自分の頭を撫でてもふもふを堪能している軍人みたいなフラフムさん。


 ついでに家主の麦さんなんかは、事前に話を聞いて納得の上で此処を貸し出しているのだろう。無謀とは縁遠そうな人達が納得済みということは――、


「なふ、あふ」

(フベさんは、モンスター側についたんですね)


 静まり返った空間に、間の抜けた自分の声が響き――。


「そう――この世界では、モンスター達の名代としての魔王になる、って言ってたよ」


 唯一、自分の言葉を理解する、麦さんだけが静かに返した。






 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐



 この世界には、現在、大きく分けて3つの勢力がある。


 NPCと、プレイヤーこと彷徨い人と、そして学習性AI入りのモンスターだ。


 共通点は死に戻りシステムが適用されること。そして、自由意思があること。


 元々は数百人のNPCと、彼らが安全に暮らせるセーフティーエリア、そして数多のモンスター達だけがいた世界に、我らプレイヤー達がなだれ込んだ。


 いくら世界が本物に似ていても、プレイヤーはプレイヤーだ。MMORPGというジャンルにのっとって、プレイヤーはモンスターとの円滑な付き合いを切り捨て、叩きのめし、勢力拡大のために道をならした。


 此処で問題なのが、【Under Ground Online】において、学習性AI入りのモンスターとは出現ポップするものではなく、そこに暮らす魔法生物群だったことだ。


 彼らは死に戻りの権利を持ちながらも優先権を持たず、野生のモンスター達が再び血肉を取り戻すには、2~3年の歳月を要するという。


 一部のボスモンスターのように、一日に一度までなら討伐可能、という仕様になっているモンスターや竜もいるが、大多数は数年の無為を恐れ――仮初の死を恐れている。


 勿論、それだけではゲームは回らない。フィールドの何処へ行ってもモンスターがいないMMORPGなんて誰もやりたくはないわけで、あんぐらでも従来通りに出現ポップするモンスター達はいる。


 学習性AIが入っていない、ただの高性能AIによるモンスター達は、地下の竜脈においてのみ何もないところから出現ポップ再出現リポップもする。

 だが、それらが地表に以外で、地上にモンスターの影がふらつくことはない。


 最低でも2年ほど。死した彼らは、求める者がいなければ戻ることはなく、そしてそれを嫌がりプレイヤーに与するのが多数の契約モンスター達だ。


 彼らは魂に無為を刻む死を恐れ、プレイヤー達に次から次へと自身との契約を申し出た。何匹かは裏切られ、哀れにも死期を早めただけだったが、それでも何十匹ものモンスター達が難を逃れ、死の恐怖から解放された。


 死に戻り優先権を得て、契約主の庇護の下でぬくぬくと暮らすモンスター達を、契約ペットモンスターと揶揄やゆする野生モンスターもいるという。


 そう、彼らはプレイヤーの軍門に下ったのだ。野生を捨て、モンスターという派閥を抜けて、プレイヤーの側についた。

 彼らは分かっていたのだ。何度でも死に戻りを繰り返し、死を恐れぬプレイヤー達が、いずれは地上のどこにも蔓延はびこることを。


 「モンスターの時代は終わったのよ」――と、言ったのは〝白虎〟さんだ。彼女は『人喰いガルバン』をその手で仕留め、モンスター達が跋扈ばっこする時代に終わりを告げた。


 今や、名前持ちボスモンスターといえどもログノート大陸に居場所は無く、一部の地域を除いて、この土地は全て人間の預かる土地になったと。


 屈辱を噛みしめ、怒りに身を震わせながらも『人喰いガルバン』は諦めなかった。もはや守るべき配下のモンスター達をほとんど失い、その土地に君臨する意義すら無くなっていたとしても。


 彼が、この土地を、世界の支配権を諦めないと誓った時――同じく辛酸を舐め、再起を誓う1人のプレイヤーが居合わせたことが、攻略組の不運だった。


 それは、どちらが欠けても成り立たない作戦だった。モンスターだけでは成し遂げられず、プレイヤーだけでもどうにもならないことだった。


 けれど、1人と1頭は出会い、それぞれの胸中を知り、そして互いに決断した。


 モンスター――『人喰いガルバン』は、その人間を信用すると決め。プレイヤー――銀目の魔王ことフベは、この世界においてモンスター達の名代として、その代理人である『魔王』になることを決断した。


 契約モンスター達がプレイヤー側についたように、自身もまた、人ではなくモンスターの側に立つ、と決めて。




 ――そして、そのために自分たちは集められた。




 敵を髄まで泥に沈め、破滅をもたらすためにフベさんが欲した力達。確かに、此処に居る全員が相当に戦闘に慣れている。


 リスクを除去し、報酬すら約束し、銀目の魔王は自分達にこう言っているのだ。「モンスターの先兵として、彼らに混じって世界の敵となれ」と。


 思うままに敵のはらわたを食い破り、プレイヤーとしてではなく、モンスターとして敵を討て――モンスターにルール無用、全ては野生の旗の下に許される。


 ゆえに、ルールもマナーも度外視に、フベさんは容赦を考えない。考えないからこそ――、


「〝もはや、我らはプレイヤーにあらず〟――それが、フベの伝言だよ」


 ルドルフさんが柔らかな口調でそう言って、事の顛末を、全てのきっかけをじっと聞いていたアオ達に返答を促す。


 小さな呼び声にアオは「悪くないね」と端的に言い、さらさらと誓約書にサインを。そしてそのまま立ち上がり、スーツを整え、ネクタイを締め直してから彼はひらりと皆に手を振った。


「じゃ、俺はこの誓約書にある指示のとーり。闇の精霊王との交渉に入るから。お先に、じゃーねー」


 軽やかに、間延びした口調でそう言い切り、アオはスーツ姿のまま躊躇なく水中に沈む出入り口へ。水音すら立てずに彼は出て行き、ルドルフさんがおっとりと、「いってらっしゃーい」と見送りの言葉を口にする。


 続けて、toraもまた、「野生返りみたいで燃える」とか言いながら誓約書にサインを。アオと同じく何かしらの指示があったらしく、お先にー、と言いながら彼女も出て行く。


 去り際に自分に向かって何かを投げ、雪花がキャッチしたのを確認してから彼女は無言でサムズアップ。そのまま水中に沈んでいった。


 雪花と自分以外の残る3人、ルドルフさんに、ブラウニーさん、フラフムさんは、じっと静かに自分たちを見つめている。


 残る誓約書は2枚。雪花は、自分に従うと肩をすくめ、自分は勿論――、


「なーっふ! あふ!」

(ノープロブレム! サインだ、雪花!)


「あー、はいはい。やるんですねー」


 言葉は分からずとも以心伝心の使える傭兵が、涙をこらえながら、2人分の誓約書にサインを施したのだった。

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