第百七十二話:世界の裏側と美少年



第百七十二話:世界の裏側と美少年




「ほら、この僕! ルドルフさんと、くろくもにごめんなさいは!?」


 と少年らしい、ソプラノ声の怒声が響き、若い男と女がそれに応えて、ごめんなさい……と、しおらしく言った。


「ほんとに、ほんとにごめんなさい!」


 まさかそんなに脆いとは思わなくて! と女が言えば、そう、そうなんだよ! と合いの手を入れるように男も叫ぶ。


「いや、まさかマジで落としただけで死に戻るとは――マジごめん!」


 ぼやける視界ではわかりにくいが、両手を顔の前で合わせ、謝罪のポーズを取る男と、女が目の前にいる。


 女の方が〝toraとら〟で、男の方が〝アオ〟という名前らしい。どちらも名前だけは掲示板で聞いたことがある、ランカースレの常連たちだ。


 いま、自分はあまりの寒さにぶるぶると震えながら〝腐肉兎アドルフ〟の毛皮に包まれて、少年の腕にしっかりと抱えられている。


 その足元では、ギリーとネブラと橙が心配そうに自分を見上げてぎゅいぎゅいと鳴き、誰かの腕がひょいと、2匹の身体を抱き上げていた。


 雪花がぐすぐすと泣いているギリーを宥めながら橙を抱き上げていて、大柄な男性がネブラを抱き上げたようだ。人嫌いのはずのネブラは妙に落ち着いていて、大人しく抱き上げられたままになっている。


 自分を抱えている少年はまだ2人に怒っていて、男も、女も、ごめんなさーい……、としょんぼりしている。


「きゅふ……」

(さむ……)


 お察しの通りログインして5分足らずで、運悪く固い地面に落とされ、それはもう呆気なく死んだ後だ。

 あの時、ほんの数センチ横には毛皮で出来たふかふかの絨毯があったことを思えば、運の悪さは極まっていた、と言ってもいい。


 気が付けば見覚えのある重苦しい荒野を経由し、自分は再び〝迷宮都市、アルバレー〟の巨大な壁の中に居た。


 相変わらず腹はじゃりじゃりし、和毛にこげは海風にじっとりと湿り、寒さに震えながら階段の奥でうずくまること、5分。


 救世主は、巨大な濃い藍色の〝翼馬ペガサス〟に乗って現れた。


 近視のようにぼやける視界でもわかるほど小さな身体の救世主は、見た目年齢10歳ちょいの、ベージュのポロシャツ、カーキの短パン、その上に白衣、という出で立ちの少年だった。


 彼は真夜中の海風の寒さにぷるぷる震える自分を見つけると大慌てで近づいて来て、持参したアドルフの毛皮で自分をすっぽりと包み、来るまでの時間と同じく、たったの5分でタンザム急流水路まで飛んできたのだ。


 タンザム急流水路に辿り着いた彼は、何やら色々と呟きつつ、水中にダイブ。水の中を緩やかに歩み、水中からしか入れないらしいこの隠れ家にようやく帰って来れたのだった。


 〝ルドルフ〟という名前の彼は、謝り倒すtoraとアオに向かって、ふん、と小さく鼻を鳴らし、此処まで帰ってきてもまだ震えている自分に気が付き、ああ、そんな場合じゃなかったんだ、と言って歩き出す。


 正直、寒すぎて声も出ないので、気が付いてくれて嬉しいです、はい。


「麦! 頼んだミニ温泉出来てる?」


「できてる。ミルクいる?」


「用意はしといて。ほら馬鹿2人、どいて! くろくもには、しばらく近付かないように!」


 はーい、とか、うーい、とか呻く男女の声を聞きながら、突然の浮遊感にぎょっとした直後。とぷり、と温かい液体に浸けられて、自分はようやく寒さに強張っていた身体から力を抜いた。


 湯気とかもろもろでよく見えないが、どうやらミニ温泉、とやらに入れてもらえたらしい。ようやくマトモな体温になってきたところで、永眠しかけて閉じがちだった目をはっきりと開いた瞬間――。


【アビリティレベルが上がりました。視界機能を調整します】


 アナウンスと共に、突然ぼやけた視界がクリアになる。何もかもがぼやけていたせいで、思考までぼんやりしていたのが、はっきりと見えるようになった、というだけでもやが晴れるようにすっきりした。


 ぱちりぱちり、と瞬きを繰り返せば、まず真っ先に目につくのは、10歳ちょいの美少年の顔。


 髪は薄茶の短髪で、瞳はガラスのようなあおだった。美少年の顔、とはいうが、その表情にあどけなさはほとんどない。子供特有の大きな瞳の奥は不思議なほど落ち着いていて、透き通った碧が、心配そうに自分のことを覗き込んでいる。


「これで〈凍死〉問題は大丈夫かな? まったく、HP体力10の相手に大人げない……図体ばっかりデカくなってもう……」


 声の高さこそ声変り前の少年らしいソプラノだが、その喋り方、声色は妙に大人びている。

 意識がはっきりしてくると共に、違和感が肥大していき、ある地点で納得と共に落ち着いた。


 〝ルドルフ〟――別名、〝奇跡の合法ショタ〟とか失礼な呼び名がついている、師匠ノアさんが管理するランカースレの常連さんだ。


 ギルド〝オルト工房〟のギルドマスターで、本人曰く、幼少期の不死薬過剰摂取が原因、という、嘘かまことかわからない理由を掲げ、堂々と10歳ちょいの見た目のままVR内で遊ぶだ。


 【あんぐら】はR25制限のかかるVRMMOなので、実年齢が25歳以上なのは確かなのだが、自分にとってはソロモンに出入りするようになった今、そもそも彼が本当にかどうかが疑わしい。


 ブラン曰く、実年齢と見た目が合致しない種族はそう少なくないらしく、成長は早いが中身は長らく子供に近い種族もあれば、成長が異常に遅く見た目よりも中身の成熟が速い種族もあるそうだ。


 ルドルフさんの雰囲気を見るに、どうにも後者の存在である可能性が高いように思う。

 いや、それ以前に、前から思っていたのだが、最近、テストプレイヤーは実は全員、自覚があるかどうかは関係なしに、皆人外なのではないかと思うようになってきている。


 思えば、ネブラの反応が違うのだ。ネブラは人間嫌い、とずっと思っていたのだが、よくよく観察してみるとそうではない。


 ブランカさんや、木馬先生、師匠であるノアさんや、レベック、デラッジなど、ランナーズハイの仲間達には、ネブラは最初から嫌悪感を示さなかった。


 あるいはそれは、ネブラと自分を助けてくれた仲間だからなのか、と思えば、ネブラはトルニトロイとのドンパチの最中、しばらくはセリアに拘束されていたわけだが、セリアにも嫌悪感は示していない。


 無理やり押さえつけられて怒ってはいたが、嫌悪感は無かったらしい、というのは、直接自分がデフレ君の背の上で確認している。ネブラは時折セリアの腕に噛みついてはいたが、その鱗が嫌悪感で逆立っている様子は無かったのだ。


 その後、弥生ちゃんと睦月さんも平気だったし、思えば、テストプレイヤーを相手にネブラが嫌悪感を示したことが無いのだ。


 逆に、正規サービス1日目。ネブラは突然、異常と言えるほどの嫌悪と拒否を示した。思えば、あれはゲームの正式稼働一日目。


 今までは街にいたのは、中身は精霊のNPCか、テストプレイヤーだけだったところに、大量の新規プレイヤーが訪れ、突然ネブラはオーバーヒートを起こした。


 しかし、よく考えてみればそれまでの街にはテストプレイヤー達がひしめいていた時もあったのだ。


 色々と今後を話し合おうだとか、一回、皆で喧嘩してみて優劣をつけてみようとか、くだらないことをしていた時にも、街中に50人は集まっていたように思うが、別にネブラは嫌がらなかった。


 むしろ、あちらこちらで可愛い、可愛い、と言われ、いい気になって触らせていたりもしたのだ。ネブラが、じゃあちょっとだけ触らせてあげる――という所までいく人は少なかったが、でも確かにいた。


 それが、正規サービス1日目に突然――ボン、だ。もしかしたら、ネブラは本当に純粋な人間だけが嫌で、人外の血が混ざっていたり、そもそも完全に人間じゃない者が相手なら、別に嫌悪感や拒否感を抱かないのでは? という説が持ち上がる。


 そして、ネブラが嫌悪感を抱かない相手は――圧倒的に、テストプレイヤーが多い。というか、テストプレイヤー相手にネブラが嫌がったことが一度も無い。


 つまり、そこから導き出せる結論として、テストプレイヤーは全員、人外か半人外なのではないだろうか。


 思えば、テストプレイヤーを選別する時の運営の面接では、妙な検査を受けたような記憶もある。


 テストプレイヤーは全員、常識がぶっとんでいる所があるし、何より、自分が確認した中では、自分と、弥生ちゃんと、月影さんと、セリアと、フベさんは、少なくとも人外だということは確定している。


 自分は……まあアレだし。弥生ちゃんはグリフォンのクォーターらしいし、月影さんは魔術師だし、セリアも普通に人外らしいし、フベさんも何だかんだいって、ドーナツ齧りながら自分は一卵性の混じりモノ、とか言ってたし。


 ……あれ、でもそれって、かなりヤバいんじゃ? テストプレイヤーが全員人外ってことは、人間らしい道徳とか、たがとか、常識とかが無いってことだから、ことだから――、


「あっふ……わふぅ」

(ああ……だから、PK&逆PKパラダイスとか起こってたのかな……)


 なんだかテストプレイの時に、連続ログイン時間とか、時流の速度も4倍とか他ゲーではありえない、って話をネットで聞いたことがあったが、もしかしたら全員人外だから許された時流速度なのかもしれない。


 気がついてはいけないことに気が付いたのかも……と思い、自分はミニ温泉の中でゆったりと脱力する。ああ、なんかあったかいから、もう何でもいいような気がしてきた。


 そのまままどろみの中に沈みかけ、うつらうつらとしていた自分の緩やかな楽しみを――




『我は、我は諦めぬ――!! ルドルフ殿! せめて、我の背中に乗ってはくれまいか――!!』




 ――聞き覚えのある一角獣馬鹿野郎の絶叫と、近くで上がるざばーん! という、入り口の水面を突き破って奴が現れた派手な水音が、何もかもを台無しにしたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る