第百七十三話:くろくも・すとらいく
第百七十三話:
殺意が沸く、とはこういう時のためにある言葉なのだろう。
ミニ温泉に浸かり、のんびりと目を閉じかけ、VR内とはいえぽかぽかとした幸せにうつらうつらとしていた自分の楽しみを――奴は台無しにしたのである。
(……――処さねば)
決意と殺意を腹に抱え、ゆっくりと目を開けば、クリアになった視界の奥の方でぶひひん、ぶひひひん、とエキサイトしている白い巨体。
純白の毛皮とたてがみをひるがえし、銀色の角を振りたてる、紺色の瞳の
美少年と美少女に目がなく、相手が女だと思えば、どんな時でも胸と尻から視線を外さないクズ野郎は、美少年が相手だと全身を舐めるように見るようだ。
紺色の瞳は見開かれ、わずかにのぞく白目は血走っていて気持ち悪い。というか直球でキモい。
クズの視線の先、名指しされたルドルフさんは、身構えながら困った表情で雪花を見る――が、肝心のクズの契約者は全力で現実から目をそらし、ただひたすらに壁を見ていた。
地下に作られているらしいこの隠れ家の壁は単に粘土のような土で塗り固められた単調なものなのだが、雪花はそこに見えない何かが見えるつもりでいるらしい。
ルドルフさんが何も言わないのを良いことに、雪花はギリーの頭を小脇に抱え、反対の腕で橙を抱えながら、ひたすら無言で壁を見ている。俺は関係ない、関わりたくない、という空気がぱんぱんだ。
クズはクズで鼻息荒く、「諦めぬ! せめて背に乗るだけでも!」と繰り返していた。
対するルドルフさんが臨戦態勢だからか距離をつめようとはしていないが、無駄に長い前脚が派手に床を引っ掻いて、窪みを作るたびに麦さんがほんのり嫌そうに眉をひそめている。
ネブラを抱えるがたいのいい赤髪の男性は壁際に寄ったまま引いているようだし、toraとアオと思しき男女は正座をさせられながら、
「いやー……ごめんね、モルガナ君! 僕、ちょっーと嫌かなぁ!」
そうですよね、としかいいようがないルドルフさんの拒否にもクズはめげない。大丈夫だ、怖くない! ほんの少しだけ! とわめくクズに耳という器官はついていないようだ。
クズはそのまま距離をつめ、うやむやのまま水中に引きずり込んでルドルフさんをさらう気になったらしい。お前はケルピーか。いつユニコーンからジョブチェンジしたんだ。
「かくなる上はさらうしか――!」とかほざきながら走り出すクズ――一角獣、モルガナの暴挙を止めるべく、自分は鋭くミニ温泉の中から指示を出す。
「がーふっ!」
(ネブラ、やれ!)
キュッ!! と小さく、可愛らしい鳴き声と共にネブラが動く。赤い髪の男性に抱えられたまま、ネブラは手持ちのスキルの中でも一番高威力な氷魔法を発動。
細かい指示などなくとも、ネブラも橙も、大抵は自分が「やれ」と言うだけで動いてくれるとても良い子だ。最高威力のスキルを選んだのも高ポイント。
まあ、これも日ごろのきちんとした躾のたまものである。雪花も見習ってほしいものだ。
『ぬ! 子竜よ、何を血迷った――!?』
――何だ血迷ったって。それ、そっくりそのままお前にブーメランだよ、という文句と共に、ネブラの魔法でクズの半身が蹄から凍り付く。続けて、後はこう吐き捨てるだけで完璧だ。
「――なふっ」
(――ギリー、やれ)
『――はっ!』
瞬間、雪花の腕に頭を抱えられていたギリーが動く。足元が凍り付き、身動きが取れないクズに向かってギリーは突進。スキルを総動員し、砂と体当たりの勢いでクズの巨体を水中に叩き込む。
ギリーのスキルでかなり氷を固めたので、死にはしないだろうが、しばらくは水流に流されて帰って来れないに違いない。
唯一、この場で自分の指示を聞き取ることが出来る麦さんが、おー、と感心の声を上げながらぱちぱちと拍手をしてくれた。
「さすが、ボスって呼ばれるだけあるんだ」
小さいけど、中身はアレだもんね、と。アレってどういう意味ですか? と問いただしたいようなセリフと共に、麦さんが我が救世主――ルドルフさんに、今の、くろくもの指示だよ、と教えている。
ルドルフさんは驚いたような表情で何度か瞬きし、それからにっこりと自分に向かって微笑みかける。
「ありがとねー。一度は雪花君が頑張って遠くまで流してくれたんだけど、いやぁ、戻って来るまで早かったねぇ、モルガナ君」
「あふっ!」
(あのクズ馬、一度流された後なのかよ!)
美少年の微笑みって破壊力高いんだな、と思いながらもツッコミを入れつつ、ぎろり、と雪花を睨めば、うわめづかいのボスまじかわいい――と違う、そうじゃない、みたいな返事が来た。
「きゃふっ! なぁーふっ!」
(ちっげぇよ! お前の不始末に怒ってんだよ!)
自分の契約モンスターの粗相くらい自分でどうにかしろ! 上目遣いで見つめてやったんじゃない、睨んでんだよ! と【魔獣語】でわめきながら短い前足を振りあげれば、麦さんが無表情のままぽそりと呟く。
「くろくも、それ、逆効果だと思うよ」
「うんうん、子犬があふあふ文句言いながら前足振り回してるのって、言葉がわかんないと本当に可愛いだけだよ」
「あふっ――?」
(そんなに――?)
みんなして可愛いだけ、と頷くので、そういえば、と昨日雪花に言われた言葉を思い出す。「大人しくしていれば、美女の胸もイケメンの膝も堪能し放題……」という言葉を。
「……」
(……)
今更だけど、今からでも大人しくしていれば、実はけっこうこの子犬状態って最高なのでは? と思い直して、自分は振り上げていた前足をおろし、口も閉じ、ちょっとうつむいたまま考えてみる。
周囲を見れば、雰囲気イケメンなだけで実は意外としょうゆ顔の雪花はともかく、テストプレイヤー全員、実は人外なんじゃね? と推測するに足るだけのイケメン&美女率である。
ここはもう、存分に子犬プレイを楽しみ、ちやほやされるのが――まで考えた所で、これではクズ馬と思考回路が同じなのでは? という重大な問題にぶち当たった。
そうしてプライドと欲望がいじましくも戦った結果、媚びることも出来ず、素を全開にすることも出来ず――自分はしばしの沈黙の後に、小手調べとして自己紹介を繰り出してみることにした。
「――なふっ」
(――狛犬です、よろしくお願いします。くろくもでもいいです)
なんだかこの状態だと皆して〝くろくも〟と呼んでいるみたいなので、それでもいいです、と自己紹介。すかさず麦さんが通訳し、皆に、知ってる――みたいな反応で頷かれる。
「なんだか色んな葛藤があったみたいだけど、くろくもが自己紹介だって。〝狛犬です、よろしくお願いします。くろくもでもいいです〟だって」
内心を見透かされているようで居心地が悪いが、けっこう悪い顔でうつむいて考え込んでいた自覚はあるので、文句は言わないとも。
とりあえず、麦さんの通訳を聞き、真っ先に反応したのはいまだ自分の目の前にいる救世主様だった。
「僕は、ルドルフ。よろしくねー、くろくも」
よしよし、と自己紹介と共に美少年に頭を撫でてもらえて、自分は満足です。
あのね、欲望に忠実なのは別に悪くないと思うんだ。だってさ、誰だって絶世の美少女とか美少年とか、イケメンとか美女によしよしってされたら、ぽーっとすると思うんだ。そうでしょ? そうだよ。うん、だからこまの悪くない。
「あーふ……」
(はーい……)
どっから声出してんだ、と言われても仕方が無いふやけた声で返事をし、自分は思わずミニ温泉の中で陶然としてしまった。温泉の縁に顎を乗せ、巻き角が重たい頭を支えながら、存分に撫でてもらう。
ああ、toraとかアオとは比べるべくもない丁寧な撫で方、最高です。
麦さんの撫で方も丁寧だったけど、ルドルフさんのほうが何かツボをわかっているというか、撫でるのが上手い人相手に猫がごろごろ喉を鳴らしてしまう心理がわかるというか……。
あ、やべ、だんだん眠くなってきた……。眠く……ねむ、ねむ……。
――その後、自分は初めてVR内でガチ寝をしたらしく、しばらく意識は戻らなかった。
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