9:Under Ground(意訳――朝駆けの徒)
第百七十一話:君は、何も言わなかった。
シャワーから上がり、ブランに無事に着いたと連絡し、さて次に自分がやるべきこととは。
「心配してるだろうなぁ、ルーシィ……」
そう、端末のコンセントを戻し、毎夜、楽しい歓談を続けている相棒にも、無事を伝えることである。
「よいしょっ……と」
家庭教師の仕事をする時、あるいはゴーグルで画像を見たい時にだけセットする大型モニターを引っ張り出し、接続端子を繋ぎながら思わずため息。
時刻はすでに4時を少し過ぎたところで、いつもならとっくに、ソファの上でだらしなく夢の中にいるお時間だ。
もちろん、ルーシィには出かけることはちゃんと伝えた。というか、自分に起こったことについて、ルーシィに話していないことはほとんどないので、自分が今日、どこへ向かったのかも相棒はしっかりと把握している。
ただし、問題が1つだけ。ルーシィには、帰りの時間は3時と伝えてあるのだ。たぶん3時くらい、と伝えたので、そこまで心配している、とは思わないが、何かあったのだろうか? くらいは思うだろう。
つるりとした機体を2度叩き、端末を起動する。唸るような廃熱の音を聞きながら椅子に座り、ぼんやりと画面を見つめてルーシィの登場を待っていれば――、
『やっと――帰ってきましたね』
予想を違わず、彼女は瞬く間に現れる。心配したんですよぅ、と恨みがましい声が続き、画面の中のルーシィは、ぷぅ、と頬を膨らませて自分を睨んだ。
ごめん、ごめん、と謝れば、ルーシィは無事ならいいです、と小さく言って頷いてくれる。緑のドレスを揺らしながら、今日は何がありました? と、いつも通りの話の振り方。
「……」
毎日、当たり前のように聞いてきたその問いが、何だか妙に安心できて。ああ、家に帰ってきたんだな、としみじみ思いながら一呼吸おいて話しだす。
今日、あったこと。今夜、自分に起こったこと。明日から、変わっていくことを。
長い話をかいつまみながら、自分は今夜あったことを、噛みしめるようにして話していく。
ブランのおかげで声も、目も取り戻したこと。
トルカナ様のこと。ソロモンでのこと、リトのこと。弥生ちゃんのこと、博樹さんのこと。睦月さんのことや、セリアのことも。
――呼ぶだけですぐさま現れる、小さな炎の獣のことも。魔女のことも、記憶が曖昧なことも、何もかもを。
色々あった、と省略することも出来たけれど、自分はそうはしなかった。
ただ、淡々と、緩やかに。
時折、静かに相槌をうつルーシィの声と、自分の静かな声だけがゆっくりと部屋に降り積もっていく中で、思い出したように少ない荷物をまとめながら。
夜明け前の最後の時間を、自分は愛おしむように過ごし――。
「あ、ログインしなきゃ。じゃあね、ルーシィ、また夜にね」
――見事、完徹のまま6時を迎え、【あんぐら】にログインする時間になったのだ。
『はい、相棒……いってらっしゃい』
「うん――いってくる」
そう言いながら立ち上がり、モニターに背を向けて歩き出す。
その自分の後ろ姿を、ルーシィはただ静かに見送って、
『――――』
何も言わずに、彼女は、端末の電源を切った。
第百七十一話:君は全てをのみこんで、何も言わずに、ただ自分を送り出した。
【Under Ground Online】
第9章――Under Ground(意訳――
VRMMO――【Under Ground Online】
そこは、全てが始まる場所。
自分が変わるきっかけを生み出した世界。
あらゆる問題を動かし、転がし、変化を促す地下世界。
出会いも、別れも、闘争も、逃避さえも受け入れて道を刻み、そしてそれは、ゆっくりと地上へ這い上がる。
ユートピアだと声高に言う人がいる。ディストピアだと苦々しく言う人もいる。
逃げ道だと囁いた人もいた。袋小路と嘆いた人も。
それでは、此処は、自分にとってはどういう名前の場所だろう?
理想郷。終末世界。逃げ道。袋小路。
――いいや、此処は
たとえ仮想と名が付こうとも、そこで揺らめく人々の感情までは仮想ではない。
ぶつかり合い、せめぎ合い、火花を散らして生きている。
ゲームだから。現実とは違うから。そうだとしても、その肉を模した仮初めの肉体には、確かにそれぞれの魂が燃えている。
憎み、愛し、喜び、悲しみ、それぞれの感情と意志のままに、見聞きし、言葉を話すなら。
画面の向こうのアバターではなく、自らの魂にてそれを動かすのならば。全てを五感のままに感じ取るならば。
暗く冷たい部屋からでさえも、魂だけで逃げ出せるならば。
きっと、そこで育まれた全ても――いつかは本物の血肉になれるのだろう。
‐‐‐‐‐
「ボス、ボス――! ごめんね、ほんと、マジごめん!」
夢から目を覚ますように瞼を開ければ、ぼやける視界のど真ん中に、聞き慣れた声で話す物体があった。
ふにゃふにゃと動かしづらい
ああ、そういえば、昨日のログアウト直前。自分は獣化――モンスター化したまま、冷たい砂地で絶望から救われたままだったな、と。
空を舞う黒い鳥達。無力なまま死に戻りを繰り返すだけの存在になりかけたところを、銀目の魔王――フベさんに救われたのだ。
約束通り、彼はこの身を雪花に届けてくれたらしい。此処がどこかはわからないが、セーフティーエリアの外だということだけは確かだろう。
寒さ、空腹、ですぐに死に戻りするからか、自分の小さな身体は柔らかいアドルフの
両脇はネブラと橙が固めていて、2匹はゆっくりとまどろんでいるらしい。目の前でわあわあと騒ぐ雪花を押しのけて、ギリーらしき巨体が自分をそっとのぞき込む。
「あふっ」
(おはよう、ギリー)
『ああ、主。おはよう、よかった無事に回収できて……』
おはよう、と声をかければギリーは安心した様子でそう返す。鳴いてるだけで可愛い、とか言い出している傭兵さん(笑)を無視しながら、此処はどこ? とギリーにたずねる。
『此処は――』
「此処は俺ん
俺、『
〝
「あ、あふっ」
(あ、どうもはじめまして……狛犬です)
場所がわかったのに……というか場所がわかったせいで何故此処にいるのかさっぱりわからなくなった自分は、混乱のままに挨拶をした。
麦さんは自分のあいさつに頷いて、ミルク以外も食べられそうですか? とか、寒くないですか? と聞いてくる。
大丈夫です、と反射で答えれば、麦さんは満足そうに頷いて、触ってもいいですか? と丁寧な口調でたずねてくる。
わけもわからず、いいですよ、と言えば、そっと伸びてくる右手が巻き角を撫でて、そのまま恐る恐るふわふわの毛に包まれた丸っこい頭を撫でてきた。
さわさわと頭を撫でながら、麦さんはちらり、と背後を振り返る。一瞬だけ自身の背後に向けて何か言おうとしたようだが、気が変わったのか彼は何も言わなかった。
無言で首を横に振り、麦さんは黙って自分をわさわさと撫で続ける。
雪花は自分の頭を撫でる麦さんに、可愛いでしょ、とか。ふかふかでしょ、とかうるさいが、麦さんは律儀にうんうん、と頷きながら柔らかい子犬のもふもふを楽しんでいるようだ。
全くもって状況がわからない。第一、あっという間に身バレしているし。まあ、雪花が何も言わない、ということはバレても大丈夫な相手だということはわかるのだが。
というか、麦――麦さんの名前は、確かランカースレで見たような記憶がある。
先ほどの〝
「なふ、あぁーふっ!」
(いや、待って! ますますわからない! 自分はなんで此処にいるの!?)
「それは……」
なんでだ! と叫ぶ自分に、麦さんが何かを言おうと口を開いた瞬間。それは、怒濤の勢いで襲いきた。
「あっ、くろくもちゃんログインしてる!」
「マジで!? 麦! 俺にも触らせて!」
「写真、写真! 記念撮影しようぜ、いぇーい!!」
酔っぱらいのようなハイテンションで迫り来る、男、女、男。ステータスが高いのか、妙にすばやい動きで彼らの手は自分に迫り――、
「ちょっと貸してよ!」
「俺が先ー!」
「えーっとスクショ……スクショ……」
もみくちゃにされ、取り合いになり、自分が文句を言うよりも、ギリーが悲鳴を上げるよりも、雪花がわって入るよりも前に。
「「あ……」」
もみ合いになる男女2人の手の隙間から、自分はころりとこぼれ落ち、どうなったかは――、
もはや……深くは語るまい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます