第百六十話:それは魂を喰らう悪獣




第百六十話:それは魂を喰らう悪獣





 冷徹なる現代魔法学において――この世に、悪魔は二種類いる。



 後天的な悪魔で一つ。先天的な悪魔で一つだ。


 後天的な悪魔は全員が元人間。契約の女神、ジンリーとの契約によって、その魂のカタチは〝悪獣〟に歪められ、そうして人は悪魔となる。


 先天的な悪魔は、本来ならば存在しないはずの人工物。産まれる前の魔獣の魂を外法で以て捻じ曲げて、〝悪〟を抱かせ、悪魔は産まれる。


 世界にとっての悪ではなく、人にとっての――いいや、全ての意思ある者にとっての〝悪〟を呑みこみ、彼らは悪魔となった存在。先天的な悪魔と呼ばれる者達ですら、ある意味では後天的な悪魔ともいえる。


 それが一体、何を意味しているのかといえば簡単だ。


 そもそも自然界に、悪魔などという種族の生き物は存在しなかったのだ。だから、この世に悪魔がいるとすれば、それらは全て後天なる者達だ。


 では何故、彼らはこの世で、悪魔と呼ばれるようになったのか。そも、悪魔とは何を定義し、何を指すものなのか。



「悪魔の語源は――〝malgd悪の vaiz魔獣〟。魂喰らいの、ディグクソ野郎が……」


 全く、素晴らしいねエボルツァ、と軽い調子の声が続き、字面とは正反対の響きで吐き捨てられた。


 黒のスニーカーが血溜まりを踏み、薄手の黒パーカーとベージュのズボンを身に纏う男は、部屋をぐるりと見回した。黒灰色の髪がざわりと揺れて、舌打ちが無音の空間に落ちていく。

 

 男の目前には、項垂れ、床に座り込む人々の姿がある。その目は閉じられることもなく、瞬きすらなく、誰もがその瞳を濁らせている。口はぼんやりと半開きになり、腕も、足も、脱力しきった様子でだらしなく投げ出されていた。


 しかし、彼らは死んでいるわけではない。もしも死んでいるのなら、全員が床に座り込んだ姿のままでいるはずがないからだ。人型でもっとも重たい部位である頭が地に落ちていない以上、彼らはまだ、一応、死者ではない。


「局長ッ、セリア局長! 生き残り、いません! 記録映像によれば、魔術師の男性一名と、その血縁と思われる女性が一名、反抗所員に連れ去られてますが、それ以外は全員ものかと! てゆーか、連れ去られた女性の方は、呑まれた上にかれてるっぽいですよ!」


 甲高く、落ち着きのない声が、〝なんと全員死んでます!〟とはしゃぐように報告の後に続けて言う。

 セリアと呼ばれた黒灰色の男は、その報告の内容にも、そのキンキン声にも嫌そうに眉をしかめて舌打ちを一つ落とした。


「まだ死んでねぇよ。精神的に死んでるだけ……ま、一緒か。こりゃ、生け捕りだな」


「ええ!? っちゃわないんですか!? 意外! 血も涙もない冷血漢だって聞いてたから、配属初日のミルちゃん、ぷるぷるしてたのにっ!」


 ぷるぷる、と言いながら身体を激しく揺らす耳障りな声の主は、細く、露出の多い女だった。一言でいうならば、その装いはピンクのバニーガールといったところだろうか。


 ただし、うさ耳と尻尾だけは自前らしく、薄ピンクのそれらは髪の合間から飛び出して、本来の耳の位置より少しだけ高い所でゆらゆらと揺れている。


 髪色は耳の色と同色で、腰まで届くそれは露出の多い身体を覆うように全身を縁取っていた。ミルちゃん、と自称する女の派手な動きに合わせて、ぶんぶんと跳ねるそれらをセリアが嫌そうに下がって避ける。


「死刑なんざまだマシな方の刑だっつの。こんだけ重罪なら、最深部、南地区に流刑だ……あーあ、一層以下のモブは補充する方が面倒くせぇってのに……」


 コスパ悪ぃー、と。セリアは黒灰色の瞳を心底面倒そうに半眼にし、パーカーのポケットから白い端末を取り出した。いくつかのコードもポケットからずるりと引きずり出し、乱雑に繋いで警報用兼、相談用の魔法伝達機ボイスラッカーのスイッチを入れる。


「もしもしぃ? あー、先輩。ちょおっと問題があってー、いま来れます? は? ソロモンにはいるけど来れない? マジっスか」


 軽い態度で繋いだ先は、先代の情報統括局長であった琥珀の携帯だ。今忙しい、という先輩に、後輩はぐずるような声で状況をざっくりと説明し出動を要請するが、電話先の声はそれどころではない、と言った様子で叫ぶように、けれど潜めた声で言う。


『――誰が被害にあったかなんてもう知ってますよ! 今、博樹が血相変えて飛び出そうとするのを、エミルと僕とで何とか抑えてるんです!』


「……ええ? どこからその情報引っ張ってきたんスか? 俺もついさっき知ったのに……それに、別に抑える必要ないんじゃないっスか? 勝手に確保してくれんなら俺は誰でもいいんですケド」


『ダメです。博樹の魔法はじゃほとんど役に立たないんですから、先天悪魔なんて相性最悪ですよ。挑むなんて死にに行くようなものです! 睦月君の方は魔術師ですから良いとして、もう一人は――もう一人は……ああもう!』


 どうしてそこまで知ってるんスか、と鼻面に皺を寄せるセリアに対し、電話の向こうの声は必死だ。親切にも魔女から連絡が来たんですよ、と続ける琥珀に、セリアは全ての意味を悟って呻く。


「あー、思いっきり誘ってマスね。勝てない戦いに誘い出す気満々じゃないっスか。マジで悪趣味。ないわー。ひくわー……じゃ、とりあえず警報流しま――」


『――樹木ゥ! 止めるならお前行ってこい! これで弥生の魂と身体が回収出来ないようなことがあったら、お前、本当に、――エミル! 君のせいでもあるんだぞ! どうして弥生がを受けると聞いた時に電話してくれなかった! 魔女が絡んでるんだ、邪魔してこないわけがないだろう!?』


『だって――彼女は人形じゃないんだよ。止めたっていつかは……それに琥珀君は魔女との契約で家族関係以外は悪魔とは不可侵だから無理だってば博樹く――あだだだ、噛まないで! スライムだって痛覚くらいあるんだから、ね、ほら、落ち着いて――琥珀君、手伝ってよぉ』


 電話先から漏れ聞こえるほどの絶叫と、その声に慌てて琥珀が近付いたのか、続けて聞こえてくる情けないような、けれども妙に落ち着いた声が助けを求めて琥珀の名を呼ぶ。


 恐らく、その声の主こそが琥珀の言うエミル――今日の授業で危険生物の見本として呼ばれたという、悪食と名高いスライム野郎か、とセリアは頷き、修羅場みたいなんで切りマスね、と通信を遮断する。


 それからセリアはうんざりとした口調で愚痴を交えた警報を流し、途中、再び琥珀からかかって来た電話で、子供たちの安全を最優先にと言われ、現実はエクストリーム課金ゲーとぼやきながらも、第六層と100階層の防壁を閉じた。


 最後の最後に、被害が200人を超えるまで俺は寝る、と宣言し、セリアはその後、いくつかの情報を第8情報室の斑鳩いかるが室長から伝え聞き、魔法伝達機ボイスラッカーをポケットにしまいこむ。

 そのまま視線は室内を走り、黒灰色の瞳が哀れむように床に座り込む人々を見た。



 ソロモンでは地下に潜れば潜るほど、果ての無い危険と、類稀なる実利が同居する。


 此処はソロモン本部、第四層。地上から遠のく100階層の更に深部、第一層から四つほど、地獄の階段を下りた地下世界Under Ground


 ゆえに、此処で働く彼らも、いつかはこんな日が来る可能性は覚悟していただろう。けれど、それはきっと机上の覚悟で、戦場へと向かう際の覚悟と比べるまでもないものだ。


 ここで長く生きるために必要なのは、不運をねじ伏せる力か、知恵、もしくは不運に出会わぬ強運のみ。だからこそ、


「――不運な奴ら」


 と、セリアが言えば、しかしすぐそばで大人しく控えていた女は、ひくりと鼻を鳴らしてこう返した。


「いいえぇ、あんがい、強運な方達かもしれませんよッ! 持ってるね~! このっ、この~!」


「は?」


「だって! ほら!」


 何言ってんだコイツ? と首を傾げて振り返るセリアに向かって、女は――ミルキーは、聞こえるでしょ! と両手を広げ――



 直後、ど派手な爆発音と共に、ソロモン本部第四層、魔法使い法定監査部の天井がぶち抜かれる。


 振り返ったセリアの視線の先、両腕広げるミルキーの背後の床に、深紅の炎塊が小さな隕石のように天井を抜いてぶち当たった。


 上から落ちて来たそれは密度の高さゆえに中身がわからず、セリアは咄嗟に後ろへ下がり、ミルキーは逆に前へ出た。好奇心から突き出された小さな顔に炎が迫り――その鼻先でぴたりと止まる。


「――」



 そして、は、恐ろしいまでに静かな声でこう言った。




 ――ああ、かわいそうに。取り返してあげないとね、と。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る