断章:「小さな獣、あるいは、狛乃になるかもしれなかったもの」

 


 断章:「小さな獣、あるいは、狛乃になるかもしれなかったもの」





 ――なぜ? という問いは、人間の大好きな問いの1つだ。


 なぜ、どうして、どうやって。


 いつだって理由を、原因を、原理を知りたがるのが、知的生命体のさがというものである。


 なぜ、と口にしたことが無い人はいないだろう。特に、子供の頃は何でもかんでも親に聞いて、困らせてしまったこともあるかもしれない。


 ぱっと思い浮かぶのは、お散歩中にふと空を見上げてから投げられる、「どうしてお空は青いの?」だろうか。ああ、あるいは、おやつを前にして、「どうしてお腹はへるの?」でもいいかもしれない。


 他にも、子供から大人へのなぜ? ではなく、大人から子供へのなぜ? という問いもあるだろう。


 ガラクタというか、綺麗に洗った骨を大事そうにしまう子供に、「どうしてそこまで骨が好きなんだ? 言ってみなさい、怒らないから」と聞いたりとか。


 気が付くと炎で出来たジャガーそっくりの獣を突っつきまわし、あまつさえそれとお喋りなんかしながら遊んでいる我が子を見て、「……コレはなぁに? お父さん、知りたいなぁ~」と引き攣った声で聞いてみたり。


 さて、もしも我が子に対して、そんな質問をせざるを得ない親がいたら、当然我が子を案じるに違いない。もちろん、愛ゆえの心配だ。父親は必死になって、あの手この手で我が子から情報を引き出そうとする。


 子供は拗ねると厄介だからと、お菓子に、ジュースに、それはもう色々と苦心して我が子に問う。その……猫ちゃんみたいなのはなぁに? と、どこから声を出しているのかわからないような声で。


 けれどその子供は、必死な父親のなぜ? に、きょとんした顔でこう言うのだ。


「〝にゃんこ〟」


「にゃんこ……ちゃん、っていう名前なのかな?」


「ちがうよ?」


 もちろん大人ならば、ちがうよ、の後に何かしらの別の答えがあってしかるべきだろう。けれどそれは父親が発した問いで、子供というものは個人差はあれど、あまり察しない生き物である。


「……お名前はなんていうのかなー?」


「ないよ?」


 あっけらかんと、子供は言う。炎で形作られた巨大な獣の腹を、同じく小さな手で押しやって、並べた骨の上で転がす、という遊びをしているらしい。もちろん、子供に押された程度で転がるような大きさではなく、押されたから転がる、という動きでそれはごろごろと骨の上を行き来する。


 子供は楽しそう、というよりは、真剣な表情だ。もしかしたらそれは遊びではなく、別の何かだったのかもしれないが、父親にはそんなことはわからないし理解できない。


「……お父さんには、ジャガーみたいに見えるんだけど」


 父親が巨大な獣を眺めながら恐々とそう言えば、子供は何度も仕事の邪魔をされてムッとした表情で父親の顔を見上げてこう言うのだ。


「だから、〝ちっちゃいの〟だってば。も、おとーさん、あっちいって」


 何度も言うが、別に小さくは無いし、猫と呼べるような存在でもない。大きめのジャガー――つまりは、小型のライオンほどのそれを小さいという者はいないだろう。けれど子供はそれを〝にゃんこ〟もしくは〝ちっちゃいの〟と称す。


 幸いなことに、じゃましないのっ、と父親にしかめっ面をする子供が嫌そうに手を振っても、ジャガーらしき獣は腹を見せて転がったままちらりとそれを眺めるだけで、特に子供の代わりに父親を追い払おう、という気はないようだった。


 炎で出来た瞳は、子供を心配する過保護な父親と、それを煙たがる子供、という、この状況をよく理解しているとでもいうように瞬いていて、父親はそこに子供とは違う深い知性と、そして我が子とは全く別の〝個〟を感じ取る。勿論、父親が余計に心配に思うのも無理はないだろう。


 しかし、我が子の機嫌は最悪に近い。このままでは質問に答えるどころか、ふて寝に走る可能性もあった。話は聞きたし、機嫌は悪し。父親は悩みに悩み、そして苦渋の決断の果てに最終兵器を持ち出すことになる。


 最終兵器、即ち――


「――狛乃! ほぉおら、熊さんの頭の骨だぞぉ! お父さんの質問に答えられたら、お父さん、これ狛乃にプレゼントしちゃうぞぉ!!」



 狛乃が今現在、最も欲しいと母親にこぼしていた骨――熊の頭骨である。



 語るならば、それは2週間前の出来ご――いいや、長くなるので、わかりやすく省略しよう。


 ようするに、2週間前に父親が仕留めて、捌いて、肉を食したのだから存在するはず! という論拠の下、狛乃が執念深く探していたキング・オブ・キング的な頭骨なのである。


「――っ、くましゃん!」


 もしも父親が手にしているそれが、ふわふわのぬいぐるみだったならば、父親からのプレゼントに喜ぶ微笑ましい光景だったのかもしれない。


 しかし、現実は非情である。


 狛乃は喜びのあまり、滑舌も怪しく、父親が右手に掲げる熊の頭骨に向かって、おおお……、と崇めるように手を伸ばし、それからキラキラとした――否、ギラギラした目で父親を見る。


「さあ、狛乃、運命の質問タイムだ!」


「なぁに、おとーさん!」


 大興奮の狛乃はノリノリで、父親はゴリゴリと精神力を削られつつ、骨を掲げていない方の手がびしり、とジャガーらしきものを指さした。


「あれは、なにかな!?」


 ああ、それは魂の叫びだった。正直、心底疑問だったのだろう。敵ではなさそう、状況も理解している、狛乃の父である自身に攻撃的でもない。けれどソレは一体何なんだ!? という、全力の問いは、しかし――、


「……〝なんか、やわらかいの〟?」


「――――」


 狛乃自身もよくわかっていなさそうな答えで返される。疑問符で彩られた言葉尻に、父親はがっくりと肩を落としかけて、それでも根性で持ち直した。


「わかった……では質問を変えよう。あれは、どこにいたのかなー……なんて」


「さいしょからだよ?」


「最初から……?」


 この質問じゃわかんないか、と言いかけた言葉が、すぐに返された答えに止まった。怪訝そうな顔をする父親が、更なる答えを望んでいるのを感じ取り、狛乃は熊の骨欲しさに一生懸命に考える。


「うんとね、これはね」


 これ、と称してジャガーのようなカタチの炎を叩き、狛乃はたどたどしくも語り続ける。


「狛乃にね、くれたの。〝これは君のだから〟って言って、狛乃にね、お手ても足も、目も、くれたんだよ。これはね、いらないんだって、だから狛乃がもらっていいって」


「――――」


 今度こそ、本当に絶句した父親は、その翌日。約束通りに熊の骨がもらえて、大満足の狛乃を連れて、吸血鬼と悪魔の混血の、古い家系の末子であるサキという名の男を頼って、こう診断されることになる。



 ――亜神の魂と、魔術師の魂があるってことは、魂が2つあるってことだ。魂が2つあるってことは、魂に根を張る思考神経も2つあるってこと。わかりにくいかな? つまり、人格が2つ出来てしまうってことだよ。



 ――でも、そんなの困るよね? 人格が2つもあったら、どっちが主導権を握るかわからない。いつ裏返るか、裏返った先で、想いは同じかわからない。だって、同じ体の別人だもの。だからね、この獣の姿をしたこれは、この子に何もかもを譲り渡したのさ。



 ――本当は、亜神の魂が全部食い潰すはずだったんだろうねぇ。でも、そうはならなかった。そうしたくは無かったのかもしれないね。曲がりなりにも、死を与え、生を与える神の遺伝子なのだから、気まぐれに針は傾いて、生を与えたくなったのかもしれない。



 ――でも、消滅することは出来ない。本当は、消えた方が良かったんだろうけど。だから、元の魂を壊さないように内側に潜り込んだ。ん? ああ……最近になって急にこれが出てきた理由は、私には何となく察しがつくよ。



 ――嫌がっただろう。君も、奥さんも、多分、レジナルドも。この子が、六迷ろくめいを欠くのを嫌がっただろう? 悲しみを知らない子は、意地悪になるからね。私もそれには賛成だ。でも、だからこそ、この子は君達の願いを叶えるために、中継地点が欲しかったんだ。



 ――んん? ああ、勿論。六迷を欠いたこの子も、この子には変わりないよ。人格は1つだけだ。それは、もちろん。この獣みたいなこれは、この子に全てを譲り渡した全く別の思考神経――つまり、この子の2つの魂の内側で保護された、オマケに近いんだ。



 ――この子の意思なくして存在できない。この子が否定すれば、途端に死んで目覚めなくなってしまうような、おぼろげなモノ。ま、そんな感じかな。……さあ、話を元に戻すよ。よく聞いてね。



 ――この名前のない獣は、これでも亜神の思考神経を元に成り立っている。つまりは、元は亜神の魂から分化したものだ。だからこの子は、自分が六迷を欠かないままに「神性」を使うための……迂回路、って言ったらわかる? わからない? うーん、弱ったなぁ。



 ――まあ要するに、代理人を雇ったんだよ。代理人に、仮の権利を持たせたんだ。ちょうどいいや、と思ったんじゃないかな? 魔術師のまま火が使えるって。……正直ね、こんな魂の状態とか前代未聞だから、前例とか聞かれても困るんだよねぇ。でも、探ってみた限り、そうだよ。



 ――あとついでに、魔術特性の方も任せっきりみたいだね。基本、ものぐさみたいだから、面倒だったんだろう。あんまり任せ過ぎて、魔術のやりかたを忘れなきゃいいけど……ま、そこは本人次第だし、この獣もこの子第一みたいだし。




 ――なんとかなるんじゃない?




 サキと名乗った青年はうっそりと微笑んで、そのまま静かに口を閉じた。


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