第百五十六話:踊るザイーツ・溺れるクローリクⅠ

 


第百五十六話:踊る野兎ザイーツ・溺れる飼い兎クローリク






 ――どこかで何かが、焼き切れる音がした。


 爆ぜる炎が、小さな獣の身に蔦のように絡むそれを呑み込み、喰い荒らし、塵も残さず焼き尽くす。


 振り切るように、億劫そうに獣はそれの内から這い出して、ブランの顔を悟りきった顔で覗き込んだ。


 ――ブランを助けたい、という自分の願いに、小さな獣は答えを返す。



 君がそう望むのなら。君がそうしたいと思うのなら、願いは叶う。それが、人の命と、心以外のものであれば。



 ――――――――「無効化」というカタチを取るならば、その願いは何であろうと聞き届けられる。




「一滴残らず焼き尽くせ――!」




 願う、というより、それは命令に近かった。小さな猫のような形をした炎の獣は、真っ白な炎を纏い、自分の望みを叶えるためにそっとブランの頭を一撫でする。


 さっ、と一撫で。軽やかに、けれどひどくゆったりと動いた腕の軌跡を追うように、白く輝く炎が宙に舞い、


「あ……息が、出来る……?」


 青褪めた顔に血の気が戻り、震えながらもブランは深く息を吸って、吐けることに目を見開いた。呼吸すらおぼつかなかった一瞬前との違いに驚きながら、ブランは勢いよく身体を起こし、それと同時にブランの頭を一撫でした小さな獣はほどけるように消えて行く。


「ブラン! よかった……どこか痛いところはある? 息は出来る? 出来るね、よかった、よかった……っ」


 起き上がったブランを抱きしめて、自分はよかった、を繰り返す。死んでしまうかと思った、本当に怖かった、と繰り返す自分のことを抱きしめ返し、ブランは自分の背を優しく叩いて普段通りの声で自分をなだめてくれた。


「え、えっと、狛乃さん落ち着いて下さい。大丈夫です、どこも痛くないし、息も出来ますから……」


「本当に? 本当にどこも痛くない? そう? ――じゃあ此処で待っててくれるかな。ちょっとあの女、仕 留 め て く る か ら」


「――あーっ! 何か怠い! ちょっとだけ頭とかが痛いかもしれません! ほら、いきなりでびっくりしたから!」


 自分が此処で待っててくれる? とブランに聞けば、ブランは、頭が痛い! 狛乃さんがいてくれれば安心できるからじきに治まると思う! と力説しながら、がっしと自分の腕を掴んできた。


 服を透かして揺れる炎はブランの手を焼くことは無く、ブランは必死になって此処にいてください、と懇願してくる。あんまりにも必死なので自分も思わずそれに頷き、わかった……と言えばブランは目に見えてホッとした様子で息を吐いた。


 それからブランは、ひたすら自分に頭を撫でられながらも、きょときょとと辺りを見回して、状況に追いつけないとでもいうように首を傾げ、自分と、斑鳩室長の顔を交互に見やり、


「えっと……急に息が出来なくなったんですけど、何があったんですか?」


 自分達に、そんな疑問を投げかけた。










































【あー、警報、警報。情報統括局、局長、セリア・ドァ・ライオネットより、警報っスよー】――【第――回目かは、まあいいっスかね。また反乱。またですよ、また。ソロモン王が外出中に何回やる気だよお前ら。留守番中の子供か。一々騒ぐんじゃねぇよ、中二かよ、心まで若すぎんだよまじワロエナイ】


【えー、はいはい。うるせぇよ、今アナウンスしてんだろうがよ……反抗所員は、第二種危険合成物取扱い事務所、有機科所属】――【黒蛇こくた族のリト、家名無し。見た目は――見りゃわかるっしょ】


【つーか、だから第二危合は危険所員のお目付け役に戦えるサドでも配置しとけってソロモン王が言ってたろ】――【……あ? 昨日の夜に配属されて明け方に死んだ? 事故扱い? そんなアホみたいな報告と書類通した奴は最下層南地区にトバしとけ。どー見ても地雷案件っしょ】


【あー、繰り返しマスよー。警報、けいほ……あー、今、第二種警報になったっスね、これ】――【現在、馬鹿女は下級幹部3名、ついでに雑魚モブ共――所員な所員。100階層以下、第三~第四層付近で所員67名を絶好調でお散歩中】


【というわけで、馬鹿女は重罪。つまりは確保対象っつーことで、殺害禁止の捕縛対象になったスからねー。間違えてっちまわないように】――【現在位置は第8情報室から逐一アナウンスさせ、ようと思ったのに室長休憩中につき不在ぃ? まだら―、 何処にいてもいいから、仕事しろー】


【は? 連絡事項? ――まだあるんスか? 何? あのクソ高ぇ授業料払ってる坊ちゃん、嬢ちゃん方の安全確保が所員の命より最重要? ――やっぱリアルが一番のクソゲーだわ。エクストリーム課金ゲーにもほどがあんだろ】――【つーわけで100階層と第六層のハッチ閉じとくっスよー。出勤中の上級幹部は……変態と悪党以外ほぼいねぇな。お前ら不運すぎ】


【じゃ、モブが200逝くまでは俺ベッドに戻るんで】――【おやすみ】











































 思わぬところから答えを得て驚きに目を丸くするブランをよそに、ブツリ、と音を立てて幹部談話室のスピーカーは沈黙した。部屋の中でじっと警報内容を聞いていた幹部達は口々に溜息を吐き、呻き、がっくりと肩を落とす。


 アナウンスの内容と幹部達の様子を見る限り、試される組織、ソロモンではごく当たり前の事件らしい。今月これ何回目だ? と1人が怠そうな声で言えば、どこからともなく14回目、と憂鬱そうな声が上がった。


 ちなみに今日は10月9日。1日あたり1回か2回はこんなことが起こっているという事実を再確認し、幹部達がまた重たい溜息をく。

 同時に幹部談話室の壁が青白く光り、警戒に身構える幹部達の視線を受けながら、1人の男が転がり出た。


「――ご無事ですか坊ちゃん!」


 止める間もなく、転びそうになりながらもすごい勢いでこちらに走り寄る。膝をつき、未だに床に座ったままのブランの手をがっしりと握りしめ、その男はさめざめとしながら、良かった……ご無事だった……と感極まった様子で繰り返した。


「えっと……クライム、さん?」


「さん、なんていいんです、坊ちゃん! さっきも言った通り、いつも通りに呼び捨ててくださいませ!」


 このクライム、坊ちゃんがあんな風に死にかけるぐらいなら、もうトルカナ様に叩っ切られようとも潜入スパイなんていたしません! と叫びつつ、灰色のマッシュボブを振り乱しながら、赤い瞳の三十路男が涙ながらに幼気いたいけな少年に縋るさまは、非常に、その、なんていうか……。


「――シュール過ぎて笑えない上に絵面も良くないからどいてくれるぅ?」


 シュールだ――という自分の内心を代弁するかのような台詞と共に、次の瞬間、ごきっ、とダメそうな音を立ててクライムの横腹に長い足がめり込んだ。

 そのままクライムは吹っ飛ばされ、驚きに硬直するブランと自分は、恐る恐る視線を上げて長い足をゆっくりと上に辿っていく。


 黒の革靴に紫色の長ズボン、灰色のワイシャツの上に丈長の白衣。腰まで伸びた黒い豊かな巻き髪を揺らしながら、そこにはやけに長身の男が立っていた。


「あら、元気そうじゃない若旦那様。黒蛇こくた族の毒にやられたって聞いたから、死んだか虫の息だと思ってたけど……」


 深い藍色の瞳で興味深げにブランを見下ろし、妙に扇情的な仕草で自身の真っ赤な唇を指先でなぞる男は、聞き間違いでなければ女言葉でそう言った。

 これがオネェというやつか? と思いながらも見上げていれば、男はブランをじっと見つめ、それからすぐに自分にむかって視線を向ける。長い指先がブランの傍らにかがむ自分の顎をつい、と掬い、


「――ねぇ、何があったか説明してくれるかしら?」


 と蠱惑的に微笑んだ。すぐ隣でブランが、あっ、と息を呑み、男が微笑みを深くする。どうやら敵では無さそう、というより、この人が斑鳩いかるが室長の言っていた医者のノルディックという人だろうと当たりをつけ、自分は立ち上がりながら握手を求めつつ、まずはどこから話そうかを考えながら切り出した。


「あー、あなたがノルディックさん、ですよね? えっとまず、ブランは……」


「――待ってちょうだい」


「はい?」


「何かこう、まずないの? イケメン、抱いて! とか。好きです! とか。ぐっちゃぐちゃに――ピーして! とか」


「…………あ゛?」


 一瞬、脳が理解を拒んだのか、彼が何を言っているのかわからなかった。だが遅れて発言の内容を吟味した結果、自分の喉から低く脅すような声が部屋に響く。

 肌を舐めるように動いていた炎は臨戦態勢に移行し、ゆらゆらと逆巻くのを見ても男は怯まず、不可解そうに自分の顔を覗き込んだ。


「……アタシはノルディック。淫魔のノルディックよ。真正面から目を合わせて、意図的に話しかけて、堕ちないってアンタどういうこと?」


「――」


 なるほど、というのが顔に出ていたのだろう。ノルディックは更に不可解そうに眉を潜め、唇を尖らせる。

 だからブランは咄嗟に息を呑んだし、ノルディックは自分の反応がおかしい、と言っていたのだ。ゲームでいうところの魅了、的な何かだろうか? それを仕掛けられるとあんなことを口走るのだとしたら、淫魔的には必須なのかもしれないが、わりと最悪な能力だ。


「ことによっちゃ――」


「それは後で説明しますんで、とりあえずブランが本当に大丈夫か診てください」


 淫魔うんぬんは後で聞きますから、ね? と続けて言えば、ノルディックは絶句。どうみても新人なのにどういう神経してんの? と聞いてくるので、落ち着いて答えを返す。


「トルカナ様から、敵は即殺そくころ。味方にはふてぶてしくいけ、と教わったんで」


 敵は即殺だぞ狛乃! と言いながら実に楽しそうに砕剣ラグをぶん回すトルカナ様を見ていると、うっすらとだがソロモンでどう振る舞えば長生きできるのかが見えてくる。他にも、味方は存分に使え! 便利な奴は減らないからな! とも教わった。


 ――ノルディックさん、第十二層にいらっしゃるお医者さんで、斑鳩室長がノータイムで呼んで来いって言ったってことは、味方か、敵みたいな味方なんでしょう? と言えば、彼は納得した様子で何度も頷き、ノルって呼んでいいわよ、と言いながらブランの前にしゃがみ込んだ。


「じゃ、ちょっと動かないでね、若旦那様」


 毒が残ってるか確認するから、とそう言って、ノルはブランの頭に薄っすらと白く光る手を翳す。そのまま数秒、おもむろに立ち上がったノルは、肩をすくめてポケットから煙草を一本取り出した。


「問題無し。健康よ」


 煙草をくわえたままノルは端正な顔をこちらに近付け、自分の肩辺りで揺れる炎で火をつける。煙草を深く吸いながら長い腕を伸ばし、猫の子を掴み上げるようにしてブランをひょいと立たせて栗色の髪をくしゃくしゃっと撫でた。


「ありがとうございます! ノルディックさん」


「お礼言われてもアタシ何もしてないし……ああはい、どーいたしまして」


 口ではそう言っても、頭を撫でられながらきらきらした目でブランに見つめられることに耐えられなくなったらしい。ノルはおざなりに礼を受け、それで? 説明してくれるんでしょ? とこちらに向き直る。


「ついでに――その紋様と、炎についても説明してもらうわよ」


 そう、囁くように言いながら、彼はゆっくりと煙を吐いたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る