第百五十五話・半:悪意の矛先



 



「――」


 暗闇の中で、魔女は目を覚ました。


「――」


 自身の部屋の、ベッドの中で。柔らかな羽毛の掛け布団に包まれて、魔女はゆっくりとまばたきを繰り返す。

 濃い桃色とも、淡い紫ともつかない色の瞳はかすむように瞼に隠れ、そうしてからまたおぼろげに現れる。


「――」


 金糸の髪が一払い分、瞬きに揺れる瞳にかかる。細い指が億劫そうに伸ばされて、それを小さく払いのけた。部屋の中に明かりは無く、けれどその瞳はゆるゆると光っているかのように揺れている。


「――」


 発声の準備のための吐息は小さく、ためらいのようなそれは音すら立てず。身動みじろぎと共に長い金の髪はシーツに散り、魔女は小さく呟いた。


「世界に愛されているのね――」


 それは間違いなく、重たい呪詛を込めた言葉だった。声だけで震えあがりそうな、けれど、同時に可憐な少女のような声色でもある。


 凍れるような、鈴を転がすような声でそう言いながら、魔女はゆっくりと身を起こす。シーツに遊ぶ自身の髪を撫でながら、魔女はゆっくりと顔を上げ、今はもう分厚いカーテンの引かれた窓辺を見やる。


「――あんなに強い呪いをかけたのに、1つ、焼かれて消えてしまった」


 魔女はぼんやりとそう言った。強い呪い。魔女の呪い。それは、本来ならばどう足掻こうとも解けることの無いもののはずだった。



 ――この子から、誰もが遠ざかりますように。



 一言目は、無償の愛を唱える親のように。



 ――この子にとって最悪の日に、この子の『――』が失われますように。



 二言目は、無垢な子供の願いのように。



 ――この子の幸せが、何もかも、すべからく取り上げられてしまいますように。



 ついの言葉は、慈愛を持った聖者のように。



 それらは全て、かつて生意気にも頬に〈復讐印〉など刻んだ小さな子供を前にして、魔女が優しく言った言葉だ。もう二度と、加減などして手痛い反撃を食らわぬように。鴫のあの時のような思いをしなくてすむように、徹底的に潰すつもりでかけた呪い。


 本来ならば、決して外れぬはずの呪詛。外すには、呪いをかけた者を殺すしかないゆえに、死を知らぬ魔女の呪いは決して解かれることはない。あるいは、その呪いを引き受ける者がいれば話は別だが、それにさえも魔女の承認がいる。


 呪いを受けた狛乃を前に、誰が身代わりになると申し出たとしても、魔女がそれを認めないのは明白だ。


 ならば何故、解かれることのないはずの呪いは、燃えて消えてしまったのか。偶然などあり得ない。誰もそんなことは成し遂げられない。たとえ1000年の時を積み上げた代償魔術師が、その人生の全てを対価にしたとしても、届くはずの無い領域に、一体何が届いたというのだろうか。


「――世界に、ああ……本当に」


 世界に愛されている――と魔女は言った。それは、かつて神殺しに赴く青年に、創造神とこの世界が与えた、神にさえ届く力をさしていた。


 魔女の愛するハブが何処かに去った今も尚、残り続けるあの日の残滓。それは未だに世界のあちらこちらで生を受け、死を知らぬ顔をした神の真似事をする紛い物が、対価なき奇跡と呼ばれる力を振るっている。


「魔術というものは本当に……」


 けれど、まだ1つ。焼かれたそれは確かに消えてしまったが、不完全な反抗は全ての呪いを焼き尽くすほどではなかったのだろう。未だ、その魂に深く絡み続ける呪いは消えてはいない。ならば、その程度の損害、微笑みと共に捨て置くつもりは――



「でも、ああ――頃合いかもしれませんね」




 ――魔女にはない。































 第百五十五話・半:悪意の矛先





















 真夜中のことだった。時間は判然としない。そもそも、彼にとっては時間などどうでも良いことだった。


 窓には水色の水玉カーテン。ふんわりとした天蓋付きの薄ピンクのベッドには、彼の飼い主となった少女が、幸せそうに眠っている。高価な羽毛の布団にくるまれ、枕もとには特注のラムキャットのぬいぐるみ。小さな唇からは、時折寝言で〝ふーちゃん〟という名前が零れ落ちた。


 少女が幸せそうにその名を口にする度に、彼は、何でしょうか? と聞き返しそうになって、慌てて口を閉じて押し黙る。ふやふやとした寝息に三角の耳をそばだてながら、彼はそっと少女の寝顔を覗き込んだ。


 少女の枕もとに行儀よく座り、彼は――今日付けで夕苑ゆうぞの家の〝ふーちゃん〟となった竜猫は、つとめて静かに瞬きをし、音も無く身繕いをしては、また少女の寝顔を覗き込む。


 灰色の地に、鱗のような黒い斑模様の毛皮。細長い尾に、すらりとした体躯。通常の成猫よりもいくばくかは大きいが、彼は一見、猫にしか見えない生き物だった。


 けれど、その双眸にだけは竜の証を持っている。灰色の虹彩に浮かぶ、鋭い竜の瞳孔。磨き抜かれた刀身のようなそれは、何度も何度も、本当に不思議そうに少女の寝顔を見つめている。


 何故、と聞かれれば彼は迷うだろう。だが誰かにそう聞かれれば、彼は迷いながらこう切り出したに違いない。



 ――拾ってもらおうと思って、あそこで行き倒れていたわけではないのです、と。



 今日の夕刻。彼は本当に空腹と疲労で満身創痍の状態だった。自身が今どこにいるのかも、時間も、追っ手がいるかどうかさえ判然としない状況だった。


 ただ保健所に捕まるわけにはいかないと、あてどもなく足を動かしていただけ。途中、竜混じりのその身を心配した一羽のカラスに声をかけられたような気もするが、それだって定かでは無かった。


 月並みだが、手も、足も棒のようだった。筋肉が疲労に耐えかね、悲鳴を上げながら震えているほどだった。あるいは、手足の震えの原因は、筋肉疲労だけでは無かったのかもしれない。


 身を切るような空腹も、きっと影響していたに違いない。低血糖と、寒さ、虚しさ。彼はぶるぶると震える手足を叱咤しながら、ただただ、朧げな意識だけで歩んでいた。

 獲物を狩る元気も無く、ゴミを漁る気力も無い。惰性だけで何処へともなく歩き続け、彼は偶然、夕苑家の近くで車の音を聞いたのだ。


 重たい車体が、がらがらとアスファルトに噛みつく音は、疲れ切った身によく響いた。同時に、彼は戦慄したのだ。

 追手が来た――無意識にそう思い、彼は文字通り最後の力を振り絞って、夕苑家の鉄門の下から青々とした庭先に身体をねじ込み、玄関の近くで行き倒れた。


 そう、まさに行き倒れだ。頬に触れる雑草の、冷やりとしたもどかしさ。横倒しになった足裏を撫でては、残りわずかな熱を奪っていく秋の寒風。冬ごもり前に餌を探す黒蟻が、目を覗き込んで死の気配を窺いに来る、あの寒々しさ。


 流石の彼も死を覚悟した。いいや、死を覚悟するほどの思考力があった覚えは無かった。ただ呆然と倒れ伏し、考える力すら無く死へ続く時間を浪費した。


 だからあの時、彼はついにお迎えがきたのだと思った。死を直前に、幻の温かさを語って死んでゆく者達のことを知っていたから。ああ、ついに自分にもその時が来てしまったのだなと思っていた。


 だって、そう思ってしまうくらい、少女の腕の中は温かかった。マフラーに包まれていたからでもなく、生物のぬくもりに触れていたからでもない。

 彼を抱える腕が、指が、その動き方1つでさえもが、優しさと思いやりに満ちていたから。こんな幸せな偶然など、存在しないと信じていた。


 ――けれどその後に起こったことを、彼は未だに忘れえない。少女の兄が、少女に向かって現実を突き付けて、どうしたい? と訊ねた時。


 かすれるような声で下された、少女の小さな決意のことを。



 〈――――〉



 ざらつくような風が夕苑家の庭の草木を揺らし、ざああ、と耳障りな音を立てたことで彼は沈んでいた記憶から浮上する。

 少女を見つめていた灰色の視線は窓辺に移り、ぼんやりとカーテンの向こうを想ってから、竜猫はまた少女をじっと見つめなおす。


 見つめ直して――彼はすぐさま違和感にその小さくはない頭をもたげた。首を捻り、違和感の元凶を、その理由を求めて少女の部屋の中に視線を彷徨わせる。

 右に視線をやり、左を気にして、後ろを振り返り――気のせいかと少女に視線を戻した瞬間。



「――こんばんは」



 妙に耳につく声が、少女の部屋にぽつりと落ちた。


 鈴を鳴らすような声だった。春風のような、温かみさえ感じさせる声色だった。潮音のような、慈悲を示す音を伴い、夜の挨拶は投げかけられた。


 ――でもそれは、誰が、誰に? 


 少女は眠っている。その夢がさめてしまった様子は無く、彼女は幸せそうに微笑んでいる。では、その挨拶は少女に向けられたものではないし、間違っても少女が発した言葉ではない。


 〈――な、にもの〉


 絶句、しかけて彼は問う。疑問というには弱かったが、を理解出来ずに吐き出された声。只人の身であれば、なーう、と野太い猫の鳴き声にしか聞こえないはずの声が真っ暗な部屋に響き、


「ああ――自己紹介をしていませんでしたね。これは申し訳ないことをしました」


 当然のように返されて、彼は一息に全身の毛を逆立てた。


 周囲の魔素を取り込んで、ほんの瞬きの合間に大きめの猫は、虎ほどの大きさに変化する。最悪、少女を起こすことになってしまうことすら辞さず、彼は状況の理解より先に少女の身の安全を優先し、その巨体で覆いかぶさるようにして少女を隠した。


 野生の獣のように、唸り声を上げることは無い。ただじっと耳を澄まし、鋼のような灰色の瞳を走らせて、暗闇の中に異物を探す、探して、それは呆気なく見つかった。


 床に敷かれた、ハートとくまさんの形をしたラグの上に、何者かが立っている。小さな影だった。巨大化した彼から見れば、なおさら小さな人の影。


 少女というほどではないが、成人女性としてもそう高くは無い背丈の人物。金色の長い髪はシニヨンの形にまとめられていて、淡い緑のカーディガンがいつの間にか開け放たれていた窓からの風にふわりと揺らめいた。


 カーディガンの下、質素な薄青のエンパイアドレスに身を包み、彼女はゆったりと首を傾げ、優しそうにその目を細めて、唇に微笑みを乗せて言う。


「申し遅れました――私はジンリー。契約の女神、もしくは……」


 〈地獄の魔女――〉


 竜猫の呻くような声に、魔女は濃い桃色とも、淡い紫ともつかない色の瞳を瞬かせ、ほっそりとした指を噛み合わせて小さな拍手を送り届ける。


「よくわかりましたね、竜混じりの――魔獣ですか。竜にも届かず、魔獣としても足りない半端者……何故ここに、と問うのは無意味ですね」


 わかりますよ――拾われた身で恩を返そうとしているのですよね、と囁くように魔女に言われ、彼は全身の毛を逆立てたまま、いっそう眠る少女に身を寄せる。

 視線すら毒になるとでもいうようなその様子に、ジンリーと名乗った魔女は微笑ましそうに笑い、義理堅い子ですね、と竜猫を褒めるように頷いた。


「――ですが、どうかそこをどいてください」


 どかなければ、あなたごとその子を殺してしまわなければいけなくなる。


 魔女はまるで、今日は寒いですね、と他愛のない話をするかのように、彼に向かってそう言った。

 その表情には申し訳なさそうな色が浮かび、心底哀れむような目で彼を見下ろしている。


「私は別に、その子を殺しに来たわけではないんです。ですから、どうかそこをどいてください」


 魔女はまるで、その子を助けたいのだ、とでもいうかのように、彼に向かってそう言った。

 その目には、怯えた表情の灰色の猫が映っている。どれだけ身体が大きくとも、竜の血が混ざっていたとしても、魔女の目には小さな猫と大差は無い。


「どうか、どいてください。その子が悪魔の餌になるのは、あなたも心苦しいでしょうから」


 魔女はまるで――あなたのためだとでもいうように、彼に向かって優しくそう言った。

 つつましく両手を身体の前に揃え、魔女は身動みじろぎ一つしなかった。ただ、彼が退くのを待っている。後どれだけの間なら待ってくれるのかは、魔女の心一つという危うさの上で。


 〈どいたら――何をするというのですか〉


 神の類は、嘘を吐かない。ならば彼がどけば、少女は殺されることはないだろう。でも何もせずに帰るくらいなら、神の類は動かない。

 竜猫の喉から出たのは、疑問の声では無かった。何もせずに去ってくれはしないことを責めるような響きのそれに、魔女は慈しむように微笑んだまま動かない。


「選んで、さあ――」


 迷う、迷って、動けない。彼は大恩ある少女に覆いかぶさったまま、激しくなっていく動悸に責め立てられ、ひきつるような声を上げて魔女を見る。


 哀れに思うならば、どうかこのまま――。


 そんな懇願は、魔女と目線を合わせた瞬間に凍り付いたように喉に張り付き、彼は――








































 〈――〉



 震えていた。気が付けば彼は、開け放たれた窓辺に呆然と座り込み、震えていた。



 〈――だい〉



 震えていた。気が付けば彼は、窓から吹き込む秋風に揺られ、震えていた。



 〈――兄弟〉



 震えていた。



 〈猫の兄弟――おい〉



 震えて、そして、




 〈おい――アルフヘイム!〉




 ――声に、酷くゆっくりと彼は頭をもたげる。見れば、窓辺には黒い鳥の影があった。見覚えのあるような、無いようなそれに首を傾げて、呆然と震えたまま……彼は、か細い声で、何でしょうか? とそれに問う。



 〈何でしょうか、じゃねぇよ。猫の兄弟。上手く此処ん家の嬢ちゃんに拾われたからよ、安心してりゃあ、こんな夜更けに窓辺に座って、この世の終わりみてぇな顔してんじゃねぇか〉


 そりゃあ夜のパトロール中の俺だって、なんだ、どうしたって思うじゃねぇかよ、と黒い鳥――見事な濡れ羽色のカラスは、くるりと黄色の瞳を動かして彼に向かってそう言うのだ。


 黄色の瞳に浮かぶ瞳孔は細長く、それが自身と同類であることを竜猫に気が付かせた。波間で溺れそうなぼんやりとした意識のまま、彼はふと気になったことを口にする。


 〈何故……僕の名前を……〉


 アルフヘイム――それは、彼を拾った少女が知る由も無い、彼の本名だ。産みの親が選び、名付けた名前を、どうして君が知るのだと言えば、同じ目をしたカラスはあっけらかんと答えて見せる。


 〈何故って、兄弟。ふらふら歩いてるお前に俺が聞いたろ? 〝おい、竜の兄弟。大丈夫か?どこへ行くんだ。名前はなんだ〟って聞いたら、お前が――〉


 〈僕の名前は〝ふーちゃん〟です〉


 間髪入れず、彼は自身の名前をカラスに主張する。自分は今は、夕苑家の〝ふーちゃん〟なのだと。そう名付けられたのだと。自身を救ってくれた少女が、僕をそう呼ぶのだからと。


 〈僕の、名前は……〉


「――……ふーちゃん」


 壊れた機械のように、呆然としながら繰り返そうとした彼は、その声を聞いた瞬間に弾かれたように振り返った。


 声の主はもちろんこの部屋で眠る少女で、彼女は幸せそうに眠っている。それは寝言だったのだろう。新しい家族が出来た少女は嬉しさのあまり、夢の中でも猫と遊ぶ夢を見ているのかもしれなかった。


 〈――――〉


 幸せそうに眠る彼女が。ふやふやと寝息を立てながら、愛おしげに彼の名前を呼ぶその姿が、細い指に覆われる幻を見る。


 魔女の腕が伸ばされて、少女の額にかかった前髪を優しく払うのを、彼はベッドの隅で見つめていた。


 その唇が、耳を塞ぎたくなるような言葉を紡ぐのを、彼は何も出来ずに聞き届けた。




 〝この子にとって最悪の日に、全ての光が閉ざされるように――〟




 魔女の指はそっと少女の瞼を撫でて、声は慈母の祈りのように落とされた。彼はそれを見届けて、当然のように窓から立ち去る魔女を見送った。


 気が付けば、彼は震えながら窓辺に呆然と座っていたのだ。少女を守ることも出来ず、文句の1つも言うことは出来ず、ただ、馬鹿みたいに呆然と。


 〈僕は……〉


 大切にしようと思っていた。今日から、そう、今日からゆっくりと慈しみ、守っていこうと誓うために寝顔を見守っていたはずだった。


 〈僕、僕は……っ〉


 大事にしようと思っていた。この幸せそうな寝顔を守るためには、どうしたらよいのだろう? と考えていたはずだった。



 〈僕は……何てことを……ッ〉



 立ち向かうべきだった、と。遅い後悔が彼を責める。敵わないとは知っていても、自爆覚悟で時間を稼ぎ、魔術師である少女の兄を呼び寄せるべきだった。


 そうすれば、少女にこんな昏い呪いを負わせることも無かったかもしれない。魔術師とは、神にすら牙を届かせる者の名前だ。竜混じりの猫などという、半端な存在である自身とは違い、少女の兄なら逃げるくらいは出来たはずだ。


 それが少女を救う、唯一で、最善の道だった。ならば何故、そうしなかったのだ、と。声なき声が彼を責める。わからない。いいや、理由はようくわかっている。


 〈……僕は〉


 大切にしようと思っていた。大事にしようと思っていた。でも、それと同時に、一緒にいたいと思っていた。彼女と、ずっと一緒にいたいなと。

 けれど、そんなささやかなエゴのために――自身を捨て石にするべきだとわかっていても、その道を選ぶことが彼には出来なかった。


 灰色地に、黒い斑の鱗模様を波立たせながら、彼は震えながら息を吐く。うずくまる彼を心配そうに見やり、カラスが彼に声をかけようとし、それからあることに気が付いて窓辺から慌てて飛び立った。



「――ふーちゃん、眠れないの?」



 ふよふよと眠っていた少女がいつの間にか起き出して、窓辺でうずくまる彼を見つけて布団から出て来たのだ。

 少女は眠そうに目を擦りながらふらふらと窓辺に歩み寄り、呆然と少女を見上げる猫をためらいも無く抱き上げる。


「あれ……窓、開けたまま寝ちゃったっけ?」


 寝る前に閉めたはずの窓が開いていることに首を傾げたものの、少女はまだ眠いようで、まあいいかと言いながら何も考えずに窓を閉める。

 そのまま、ふーちゃん寒かったでしょう、と猫を抱え、少女はさっさとお布団に戻り、ベッドの上に猫をおろして自分もその横にもぞもぞと潜り込んだ。


 羽毛の掛け布団で猫と自分をふわりとくるみ、少女は嬉しそうに彼に向かってこう言った。


「えへへ――今日から、ずぅーっと一緒だからね」


 おやすみ、ふーちゃん。


 少女はそう呟きながら、猫をその腕の中に囲い込み、瞬く間に満足げに寝息を立て始める。少女はしっかりと猫を抱きしめていて、彼は小さく身動みじろぐことで少女の顔を覗き見ることに成功する。


 幸せそうな少女の寝顔。それを食い入るように見つめる彼の、アルフヘイムの――否。〝夕苑ふーちゃん〟の灰色の目が、涙をこぼすと共に閉じられて――、



〈――――〉



 ――何も言えずに、沈黙した。




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