第百五十七話:何者でも、何処にいても

 


第百五十七話:何者でも、何処にいても




 第二種警報、とやらが発令された幹部談話室は、その状況とはちぐはぐな穏やかさに満ちていた。

 いや、穏やかというよりかは怠そう、というのが近く、怠そうというよりかは、うんざり、というのが正しいのかもしれない。


 ブランや自分、ノルにクライムはともかくとして、他の幹部達は先程まで何やらじゃんけんらしきものをして、何人かは此処に残り、何人かは晴れ晴れとした表情で談話室から出て行った。


 普通、残る方が嬉しいもんじゃないのか、と思っていたが、ノル曰く、あれは出撃するか、しないかのじゃんけんではなく、此処に残って万が一の時に命懸けでブランを守るのはだーれだ? をやっていたらしい。


 子供は守ろう、というのは、この善悪が混ざり合い過ぎてよくわからない場所になっているソロモンでも共通認識らしく、更にアナウンスでも言っていたが、馬鹿高い授業料を払っている親の子供は、もっと優先的に守ろう、というのが不文律のようだ。


 ただし、それは正義感や使命感に燃えたものではなく、手当なしの残業や、終わらない仕事を片付けるための自発的な出社に似ているという。現在、この部屋に残った名も知らぬ幹部は5人。内、1人は、じゃんけんなしで居残りが決定していた。


 5人はそれぞれブランに自己紹介をしていて、ブランは真剣な顔で全員の名前と所属を覚えようと必死なようだ。その後ろで血走った目のクライムがブランの肩に両手を置いているせいで、5人は思い思いの態度でクライムに対して不快感を示している。


 具体的には、頼むからこっち見るなクライム、とか。スパイとか向いてないこと引き受けんなボケ、とか。やり始めたんなら完遂しろよ変態、とかだ。


 中には一言、死ねショタコン、と吐き捨てる女性もいて、最後にブランに自己紹介をした男性に至っては、忠誠心バレバレ過ぎて捨て石作戦に利用された気分はどうですか? と正面から喧嘩を売っていた。


 当然のようにクライムは喧嘩を買いかけるが、ブランがこの非常事態に喧嘩はダメです! と叫び、すぐさまクライムが抜きかけていた暗器を戻す。

 男性はブランが止めることまで織り込み済みの嫌味だったらしく、クライムを鼻で笑いながら、ブランに対しては深々とお辞儀をしていた。


 上級幹部は談話室には不在だったらしく、下級と中級しかいない、というのはぶつぶつと5人に向かって文句を言うクライムの弁だ。1人だけ混ざっていた中級は問答無用で居残り。残りの下級で命懸けのじゃんけんをしていたらしい。


 ブランがこの談話室に入って来た時、2人ほどそそくさと此処からいなくなった者達がいたが、もしかしたら彼等は中級か上級の幹部だったのかもしれない。


 最近の問題発生率と状況を加味し、すぐさま立ち去るのが最善、と判断したのだろう。抜け目ないなぁ、と頷いていれば、肩にぽん、と小さな衝撃があり、そしてすぐにわざとらしい悲鳴が上がる。


「――熱ッつう!」


 振り返れば、じゅうう、と小さな音を立てる右手を庇う、涙目のノルディック。


 あの直後、説明を求める彼に真っ向から拒否を叩きつけ、ブランを治したのは自分の魔術みたいだけど知らない、よくわからない、と言い張る自分に、じゃあちょっと色々試させてちょうだい、と言ったのは彼である。


 何度目かわからない挑戦を続けていたようだが、自分を取り巻く炎は、というより、その炎の出力担当である小さな獣は、徹底的に彼を〝有害〟だと判断しているらしい。


 敵意無し、悪意無し、下心無しの自然体で、しかも色仕掛けとは無縁な肩ポンにチャレンジしたはいいものの、ノルの右手の様子を見るに先程よりも火力は上がっている。恐らくは、あまりのしつこさに嫌になったのだろう。次やったら灰にする、と言わんばかりだ。


「狛! これ魔術で治してちょうだい!」


「魔術ってそんなことも出来るの?」


 ふざけてやっていたようだが、今回は思ったよりも熱かったらしい。震える右手から上がる蒸気は未だに止まらず――止まらず?


「魔術特性さえクリアしてればそれくらい出来るでしょうよ!」


「そうなの? いや、それよりも何でまだ焼けてるの、ちょっと見せて」


 火傷にしちゃおかしいだろう、とノルの右手を掴んで開けば、その火傷は奇妙にも熾火おきびのように赤々と光り、勢いそのままに手のひらの肉を蝕んでいる。


 叫び出さないのが不思議なほど、と思ってノルの顔をちらりと見上げれば、ふざけた声とは裏腹に、息を詰めて目を細めていた。恐らく体質のせいで本当の意味では火傷を知らない自分にはそのたぐいの痛みはわからないが、そうとう痛いのだろう。


 燃えている、とも、火傷の様子とも異なるそれに眉根を寄せれば、小さな獣は自分の内でちらりと片目だけを開いて沈黙していた。説明する気もないし反省もしない、という拒否の感情が伝わって来る。


(――治すよ)


 それでも、自分に逆らう気は無いらしい。呼びかければ〝なんでぇ?〟と嫌々をしながらも億劫そうに立ち上がり、ノルの右手を掴む自分の右腕の上に現れる。ブランの時と同じように、猫のような、そうではないようなカタチのそれは、白い炎を纏って腕を一振り。


 瞬く間にノルの手のひらには皮がはり、元の通りに戻っていた。感触を確かめるように何度か握っては開き、ノルは深い藍色の瞳で興味深げに小さな獣をじっと見つめる。

 すると小さな獣は牽制するようにボッと火を吹き、その綺麗な顔に消えない火傷を刻みかけた。


「――ほんとめてくれる?」


「自分に言われても……」


 食事の関係で顔が命なんだけど、と仰け反った体勢から戻って来つつ、ノルは汗を拭うふりをしながら溜息を1つ。

 本当になんなのそれは? と問いながら、視線は恐る恐る小さな獣に向けられる。ブランの時とは違い、ちっちゃいのはトコトコと自分の腕をのぼり、右肩にちょこんと納まった。


「何って……〝なんか柔らかいの〟?」


 よくわかんない、と答えれば、ノルは、あっそう、と複雑そうな顔で頷いた。事実、自分にもよくわからないし、不思議なほどわかる必要性を感じない。よって、気にしないことにした。


 そんな結論と共にうんうんと頷けば、肩にいるのも同じように頷いた。第一、わかっていたとしてもトルカナ様からは耳にタコが出来るほど、自分の情報は些細なものでも隠せ、と言われている。


 魔術特性に関しては、この小さいの曰く、「無効化」らしいとはわかっているが、それの基準やルールなどはよくわからない。

 それに、困った時は〝知らない、わからない〟、で通せとトルカナ様が言うのだから、恐らくソロモンでは万能のスキルだと信じて繰り返す。


「全く知らない、わからない」


「……アンタそれトルカナにそう言うように仕込まれてんでしょ」


「……?」


「なんのことだろう、みたいな顔したってわかるんだからね!」


 小首を傾げ、ぶりっ子を気取ってみたが無駄だったようだ。面倒なので威嚇するように肩をいからせるノルディックを無視し、警報の中で名指しで指示を受けてから、壁際で携帯端末を三重展開して〝お仕事〟をしているらしい斑鳩室長のそばに歩いていく。


 ノルディックはそんな自分への追撃を諦め、ブランは未だにクライムという名のショタコンに拘束中。忙しそうにしている斑鳩室長はといえば、彼女は彼女で近付けば近付くほど、ヤバそうな呟きが聞こえてきた。


「――ふふ、うふふ。セリア様からの名指しの指示。名指し……っ、ああ、五日連続徹夜の私についに愛の手が……! ふふふふふふ!」


(……状況を聞こうと思ったのに怖くて聞けない)


 むしろ近付いたのを後悔する勢いで引いた。どう聞いてもヤバそうな呟きは、小声だが内容はほとんどが〝セリア様〟なる存在への賛美と、なんというのだろうかこれは、所々でファンクラブという単語が聞こえてくるということは、彼女はセリア様のファンなのだろうか。


 そういえばあの警報のアナウンスをした男の名前と言い、喋り方といい、最近どこかの仮想世界で聞いた覚えがあるような気がするのだが、もしも同一人物ならば世界というものは狭すぎるのではないのだろうか?


 それとも、ソロモンや【あんぐら】がそれらの人々……人? の活動域をカバーしすぎなのだろうか? という不毛な悩みを抱きながらも、自分は意を決して斑鳩室長に声をかける。


「あの……斑鳩室長?」


 忙しいところすみません、と声をかければ、彼女はぴたりと一瞬だけ手を止め、すぐにまた猛烈な勢いで端末を操作し始める。

 しかし、その唇からは先程までのセリア様讃歌ではなく、どうしました? と表面上は非常に理知的なお返事が返ってきた。


「今日の授業はお開きになったと仮定して聞くんですが、その黒蛇こくた族のリトとかって、自分が捕まえても問題は無いんですか?」


「……随分な自信家ですね?」


 焼き殺すんじゃないんですよ? 捕獲です捕獲。殺せばあなたが罪に問われる可能性さえあるんですが、それは――、


 斑鳩室長の言葉はそこで途切れ、振り返って自分と真正面から目を合わせて彼女は口を閉じた。



 そして、続けてこう囁くのだ。



「――……、あなた、



 諦めたように、疲れたように斑鳩室長はそう言って、




「最短ルートで行ける道があるんですが……どうです?」と。




 小さく指を鳴らし、1つの端末を差し出した。





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