第百五十三話・半:ヘルズ&ハイ

 


第百五十三話・半:最高潮の夜が来るヘルズ&ハイ




 ――昔、友人に向かってこんな問いを投げたことがある。



「全部夢だったら良かったのに。そう思ったことは無いか?」と。


 陵真は突然の問いにきょとんと首を傾げてから、確かこう言ったような記憶がある。


「無いなぁ。それがどんなに悪いことでも、起きたことは、もうどうしようもないことだから。沢渡も、もっとポジティブに生きたら?」と。


 その時、沢渡さわたりじゅん――14歳。その年齢の野郎の例に漏れず、ちょっとおつむが足りないお年頃だった当時から、実は内心では友達だけど陵真こいつとは肝心なところで話が合わなさそうだな、と思っていた。


 そんな彼が、何の因果か無茶が尽きない友人のために東奔西走、四苦八苦すること苦節30年余り。

 節目節目で思うことは、「もう陵真あいつのことなんて放っておいて、明日から俺は自由に生きよう」という熱い決意。


 そしてそんな決意を抱く時に、沢渡がいつも一番に思うことは決まっていた。


 ――全部、夢だったら良かったのに。


 ある時は、課外授業中のハプニングに陵真がわざわざ首を突っ込み、違法魔法使いに目をつけられ、霊犬ラヴィネーをけしかけられて命がけの鬼ごっこをいられた森の中で。


 ある時は、さらわれた友人を助けるために砂漠に遠征した先で、見事に敵に吹っ飛ばされ、瓦礫の下敷きになり一瞬マジで死を覚悟しちゃった時に。


 いつも、いつでも陵真は誰かのために平気で無茶をして、それを助けるために沢渡や他の友人達が付き添っていた。無理やりだったわけではない。陵真がついて来てくれと言ったことは一度も無い。けれども、ああ、ある意味では陵真にはカリスマ性とでもいうものがあったのだろう。


 彼が友人を見捨てないから、友人も彼を見捨てられない。


 だからこそ、沢渡の熱い決意はいつも決意だけで終わってしまうのだ。そしてその前に、後に、いつも思う。


 ――全部夢だったら良かったのに。


 ああ、ああ、本当の本当に。あいつはそんなことをちらりとでも考えたことは無いのだろうか?



「――俺はある……あるぞ、陵真ぁ……」


 血でじっとりと湿ったシャツ。見るも恐ろしい痕が残る灰色の壁。明かり一つない真っ暗闇。右の手首には、魔法封じ用の飾り気のない銀の腕輪。

 小さく身動みじろぎすれば、頬が貼り付くような冷たさの床があり、それを嫌って身をよじれば、焼けつくような痛みが肩口を襲う。


 無様に床に伏したまま、伊達眼鏡に仕組んであった暗視魔法で周囲を見れば何も無い。そこは四面、灰色の壁で閉ざされた移動式の悪夢の空間。世界警察が尋問に使う、半拷問用の〝灰の箱〟。


 日本では、グレー・キューブ。もしくは音を似せて〝猟犬の箱グレイ・キューブ〟とも呼ばれる空間の中、オフィス《meltoaメルトア》の幹部、沢渡准は、人生屈指の最悪の目覚めを体験していた。


「――ッぅ」


 痛みに呻く声は暗がりにふらりと消え、どれだけ見渡そうとも、その小さな空間のどこにも一緒に連行されたはずの仲間は見当たらない。

 床は冷たく、部屋は寒い。明かりも無ければ、外部からの音も無い。小心者ならばものの数分で気が触れる、といわれる灰色の中、沢渡は右肩を庇いながらのっそりと起き上がる。


「……人生で3番目に最悪の目覚めや」


 似非の喋りは虚勢か、見栄か。全身どこもかしこも痛みを訴える中、沢渡はゆっくりとまばたきを繰り返して荒くなった息を整える。

 激しい呼気は体力を奪い、同時に冷静な思考も奪う。焦りは気が触れるきっかけになり、そうなったら簡単には日常に戻れない。


 それを良く知る沢渡は、つとめて息を整えた。顎を引き、深呼吸を繰り返し、背を丸めて考えることを一時止める。そうして呼吸がさざ波のように落ち着いてきた頃に、ようやく彼は自身がこんな目にあわされている理由に思いをはせた。


 ――体感では、数分前。実際には恐らく、数時間前。


 安い雑居ビルの一室で、いつものように、いつもの業務に追われていた午後のこと。しかし、その〝いつも〟はあっという間に崩された。

 突然の来客からの息をつく間もない、流れるような強制連行。世界警察のトレードマーク。小さな林檎のストラップを揺らしながら、沢渡にとっては嫌というほどよく知っている男が、厭味ったらしい長い足でドアを蹴り壊し、ごめんね沢渡君、恨まないでね、とかほざいたのをよく覚えている。


 そうこうしているうちに一瞬で所員達は拘束され、沢渡は戸惑いに上げた右腕を見咎められ、小さなナイフで肩を抉られ、見ていた所員が悲鳴を上げた――。

 何のためらいも無く、何の呵責も無く、人にナイフを向け、そして肉にめり込ませたのは他の誰でもない。


「……酷いやん、エド先生!」


 現実でも、仮想世界でも、世界警察トップの男。文字通り、犯罪者抑止組織の頂点に立つ男への文句をわずかな親しみと共に叫び、沢渡がため息をつこうとした瞬間。


「呼んだかい?」


 唐突に低い声が耳元でそう囁き、沢渡の全身は一瞬で総毛だった。


「なっ……!」


「おっと、動くと痛いよ。微妙な止血しか出来てないし」


「どの口でそんなこと――痛い痛い痛い! 動くと痛いよとか言いながら人の傷口掴むなや!」


 驚きに距離を取ろうとした沢渡が傷を広げないようにと、朽葉色の髪と目の男――エドガルズは咄嗟に右手を伸ばして沢渡の肩を掴む。けれども事故か、意図的にかはわからないが、その手は余計に状態を悪化させただけ。


 更なる痛みに叫ぶ沢渡に、エドガルズは、あー、と小さく口にして、自身の白い手袋に滲む赤を眺めてから手を放す。沢渡のすぐ隣にしゃがみ込み、何の道具も無く当然のように暗闇を見透かして、彼は軽い調子で、ごめんね、と呟いた。


「私の魔術は〝治す〟のに向かないからね」


 でもまあ、体面を保つために、誰か1人は怪我人が必要だったから。と悪びれる様子も無くエドガルズは言い、大丈夫? 状況分かる? と小首を傾げる。


 沢渡はそんな男を睨みつけようとするが、全身、砂色の西砂漠式戦闘服に身を包む長身の男は、たとえ知り合いだとしてもとても怖い。

 白い手袋に滲む自身の血も相まって、睨みつけようとした目には力が入らず、沢渡は思わずどこか媚びるように首を引っ込めた。そんな沢渡の様子に、エドガルズはしごく残念そうに肩をすくめてみせる。


「元先生をそんなに怖がらなくても……」


「死んだ蛇みたいな目ぇした元先生に躊躇なくナイフで切り付けられる元生徒の気持ちになってみぃや! エド先生はいつでもやることが突飛すぎるんや!」


 エド先生――正式名称は、エドガルズ・B・リュネス先生。現実、仮想共に世界警察の現トップ、もしくはかつての奴隷の英雄。


 あるいは、元時鳴魔法中学校の臨時教師――それが、かつて沢渡の担任だった男の呼び名である。


 当時、陵真とゆうのクラスの担任だった、厳しいと有名なはしばみ結城ゆうき先生――通称、ドングリンが優しさの権化に見えるほど、無慈悲かつ常識はずれな教師だった彼は、沢渡としては恩師とは呼びたくないが、ある意味では恩師である。


 何故なら彼は、当時、沢渡が所属していた学級のクラスメイトを全員退学かクラス移動で追い出して、最終的に残ったのは沢渡1人。学級は事実上崩壊し、けれど諸々の事情から結局彼は真の意味で沢渡担任になったからだ。


 沢渡のクラスの担任ではなく、沢渡の担任である。当時、寮から家族に送る手紙にそう書いて、沢渡が色んな意味で途方に暮れたこの字面の違和感が伝わるだろうか。

 だがしかし、そのせいで肩身の狭い思いをしたのと同じだけ、エドガルズに助けられたことがたくさんあることもまた事実ではあった。


「? かすり傷にそんなカリカリしなくても。すぐに治るよ、大丈夫」


「魔術師にはかすり傷でも、パンピーには立派な怪我! んなすぐ治るもんじゃないんや!」


「そう? でも沢渡君たしか防御魔法学専攻だったよね?」


 なら、自動再生魔法やったでしょう? とエドガルズは悪びれも無く言い放つ。だから君を選んだんだから、と肩口の傷を指さして、そのまま指先は沢渡の右手首。銀の腕輪に向けられる。


「――単純化」


 次の瞬間、カキン、と腕輪に亀裂が入り、そのまま端から銀色の砂になって床に散った。この世のことわりを全て無視し、存在そのものを〝砂〟として「単純化」させられたことで、腕輪は形を保てずに消えて行く。


 魔法封じの腕輪が外れ、沢渡はようやく血の巡りが正常に戻ったことを意識する。すると自然と傷口には魔力が集まり、肉体を仮の肉で覆いつくして止血、保肉を終え、痛みも出血も無い状態へと戻していく。


「流石、沢渡君。本当に防御魔法だけは得意だね」


「エド先生、防御魔法の意味わかってるん? 見てこれ、治ってるわけじゃないんよ?」


 防御魔法――それは、攻撃を物理、精神問わずに防ぐ術と、攻撃を受けてしまった際の自動再生、自動治癒において最も優れた魔法体系。それを専攻する沢渡もまた、その手の魔法を得意とはしているが、だからといって怪我をしても大丈夫、とは言い難い。


 結局、防御魔法は治療補助にしか使えない分野の魔法だからだ。再生、治癒と言えば聞こえは良いが、本当の意味で傷を癒すことが出来るのは、また別の魔法であり、そしてそれを使いこなすことの出来る者はそう多くない。

 しかし、肝心のエドガルズは聞いているのかいないのか、沢渡の訴えなど丸っと無視して小首を傾げる。


「さて、沢渡君。久しぶりに問題だよ。今、君達オフィス《meltoa》はどういった状態でしょう?」


「権力の理不尽さに翻弄される哀れな一般人」


 冷たい床に座り込んだままふてくされる沢渡に、エドガルズが出した問題はばっさりと切り捨てられる。そんな元教え子の態度に、エドガルズは朽葉色の瞳を愉快そうにくるりと動かし、残念、と本当にそう思っているのか疑わしい声色で言う。


「まずは真面目な話だ、よく聞いて。実はね、ドグマ公国からの公式通報がきたんだ。君達が、1級犯罪者の逃亡を幇助ほうじょしていると、無視できない程度の証拠を揃えてね。一応、私もこれが仕事だから動かざるを得なかった。君達を拘束してから、24時間後――後……20時間くらいかな? それくらいしたら、私は君達を拘束したことを全国に向けて正式に発表しなければならない」


 ――君たちに疑われた罪状が、真実だとしても、真実ではないとしても。


 エドガルズの静かな説明に、沢渡は少しだけ黙ってから、持て余す感情を逃がすようにキツく自身の服の裾を握りしめる。


「――拓馬たくまさんは冤罪だし、もう死んでる」


 文塚ふみづか拓馬――1級犯罪者とされる陵真の腹違いの兄は、もうすでにこの世にいない。けれど、それを知るのは弟である陵真と、かつてそれにまつわる事件に関わった者だけだ。

 故に、彼は未だに公式記録では逃亡中の犯罪者――今も国際指名手配が続く、大罪人のまま。死体が残らなかったため死亡証明も出来ず、皮肉にも彼は情報の上では生者なのだ。


「うん、知ってるよ。でも、彼はまだ1級犯罪者だし、書類上は生きている」


「それでもっ、こんな理不尽なこと――!」


 叫びかけて、沢渡は気が付く。エドガルズが、今なんと言ったのかを。


?」


 まるで、これからそうじゃ無くなるかのような言い回しに沢渡が突っ込めば、エドガルズは微笑ましいものを見るような目で沢渡とまっすぐに目を合わせる。


「理不尽だよね。すごく理不尽だ。でも、忘れたわけじゃないだろう? 今も、昔も。私が、何と戦って来たのかを」


 しゃがんだまま、エドガルズは指先で自身の首筋を指さした。そこには、古い奴隷の焼印がある。奴隷の英雄と言われた頃の彼は、その理不尽さを敵だとして立ち上がった。

 そう、今も昔も、エドガルズの敵は、この世の理不尽。それと半世紀以上も戦って来たのだから、今度のことだって例外ではない。


 言外にそう言われたと感じた沢渡は、それまでエドガルズに不信感を抱いていた自身をすぐさま恥じた。やはり、腐っても英雄。歴史に名を刻んだ稀代の魔術師なのだと。

 色々と――本当に色々と、水に流せないことも多かったけれど、最終的にはいつもギリギリのところで沢渡を助けてくれた恩師――その人であるのだと。


「先生……っ!」


「でもね」


 しかし、沢渡の感動は、次の瞬間には木端微塵に吹っ飛ぶことになる。



「――実は、今ね。博樹ひろきと喧嘩中なんだよ」



「……はい?」


 聞き間違いかと、沢渡が目を点にし、ぽかんと口を開けて呆ける前で、エドガルズは無情にもつらつらと言葉を連ねていく。


「陵真君の代理人が博樹でね。数日前に宣戦布告されたんだ。「世界警察からも、データバンクからも、文塚拓馬が1級犯罪者だっていう証拠なんて木端微塵に消してあげよう」って。でね、「そしたら君は、哀れな一般人を冤罪で1級犯罪者に仕立て上げた大間抜け野郎ってことだよね?」とも言われたんだ」


 静かな――恐ろしいまでに静かで、穏やかな声が言う。硬直したままの沢渡は、脂汗をかきながらも、それをじっと聞くしかなかった。


「でもさ、それってすごく理不尽だと思うんだよね。当時、拓馬君を1級犯罪者にしたのは陵真君に罪を被せたくなかった拓馬君たっての頼みで、私はその願いを比較的快く了承して叶えてあげただけだってことは、沢渡君もよく知ってるよね?」


「……ソーデスネ」


「なのに、ゲームの中でちょっと小突かれたくらいでブチ切れて、現実でまで私に叩きかかってくるなんて……やっぱり顔が幼いと、行動も幼稚なんだろうね」


 あんたも人のこと言えないくらい十分幼稚だよ! とエドガルズを良く知る沢渡はそう思うが、口には出さずに必死になって飲み込んだ。元教え子のそんな苦労も知らず、エドガルズは静かな声で喋り続ける。


「勿論、世界警察で冤罪なんてあっていいはずがないから、もみ消す用意は出来ているし、ついさっきも、後は私が大人になるだけですよ、って琥珀さんからも、いい加減に他を見習って大人になれ馬鹿その2、って鴫からも何度も言われたんだけどね? けどね?」


「いやいやいや! けどねって何だ――大人になれよ! 大人だろ!?」


「やはりほら、理 不 尽 と は 戦 わ な い と」


 そう囁くエドガルズの朽葉色の目が、完全に据わっていることを見て取って、沢渡は悲鳴のような、ひきつけのような微妙な音を立てて息を呑む。


「というわけで、私は私なりに本気で防衛することにした。残り時間は20時間。勿論、私は博樹より3つも上の大人だからね。私に絶対有利な庭で待ち構えるほど幼稚じゃない」


 その代り、データバンク――厄介事の爆心地グラウンド・ゼロの警護は今日だけ私が取り仕切ることにした。


 立ちはだかるのはエドガルズ1人。データバンク所属の情報屋達相手に大金を積んで獲得した権利を大人げなく振りかざし、砂漠の英雄は微笑みだけは穏やかさを保ってそうのたまう。


「今日だけはには他に誰もいない。いるのは私と君だけだ。博樹が打った手が20時間以内に私を1度殺すか、情報貯蓄機をぶち壊せば博樹の勝ち。出来なければ、私の勝ち」


「じゃあ此処って世界警察日本支部じゃなくて……」


 言いたいことは山ほどあったが、沢渡はまずそこから切り込んだ。恐る恐るの発言に、エドガルズはにっこりと微笑んで、片手を振って魔法の――否、〝対価なき奇跡〟のための言の葉を零す。


「――単純化」


 それだけで、灰の部屋は崩れ去る。壁は空気にでもされたのか、ほどけるように端から消えて行った。隙間からは白銀灯の無遠慮な光が降り注ぎ、沢渡は痛みすら感じる眩しさに手を翳して目を細める。


「……ッッ」


 そこは暗闇に満ちた灰の部屋から一転、煌々こうこうと明るい白の空間。一室、コンサートホール程度の大きさのそこはデータバンクの心臓部。情報蓄積機は文字通り巨大生物の心臓のような形をしていて、そこから伸びる数多の配管は全てが上へと向かって束になり、太い柱のような状態を呈している。


 見るからに重要そうなその巨大心臓を覆うのは、空港施設などの資材にも使われる、あらゆる衝撃、魔法を打ち消す分厚い弾性結晶因子の壁。

 透明なそれと、その向こうにあるものを覗き見て、沢渡の顔は蒼白になっていた。巨大な心臓を見上げる形で床に座り込んでいる沢渡は、ぎぎぎ、と首を動かして恩師――だと一瞬でも信じかけた男を見る。見て、そして、恥も外聞もかなぐり捨ててエドガルズの足元に縋りつく。


「エド先生、大人になってや! 陵真のやつ、あんぐら終わってしもうたら困るねん! 第一、何でこんなところに俺まで連れてきて……あ」


「わかったかい? どうして君だけ、一緒に此処まで連れて来たか」


 涙目になってエドガルズに縋りつく沢渡は、唐突にそれを理解する。それは、はた迷惑にもかつてエドガルズの唯一、最初で最後の生徒であったがためだ。


 エドガルズは理不尽を嫌う。公平性の無さを憎む。だからこそ、エドガルズは今回の件では〝自分を1殺すか、情報貯蓄機をぶち壊すか〟という勝利条件を定めている。


 エドガルズを仕留めることが出来たら、エドガルズが責任を持って文塚拓馬に関する情報を消す。もしくは、倒せなくともどうにか出し抜いて情報貯蓄機を壊すことが出来れば同じこと。


 それのどこが公平性のための条件なのかと言えば、エドガルズが死を知らぬ魔術師だからだ。「単純化」の魔術特性を持つ、取り換え児。

 心さえへし折れなければ何度でも蘇る彼が本気で防衛しようと思えば、よほどの相手を連れて来たとしても、20時間ぽっちでは絶対に決着などつかないからこその、条件。


 けれどこの条件だけでは公平ではない。それはエドガルズも思ったのだろう。その理由には彼の魔術特性の特徴が関係しているが、問題はどうすれば公平になるか。けれど、エドガルズにとって、その問題を解決する方法は簡単だった。


「君は私の戦い方も、癖も、行動指針も何もかもを知っている。私が嫌うこと、好むこと、私がどんな魔術を使えるか。全てが君の頭の中だ」


 責任重大だよ、と。呆ける沢渡に向かって、エドガルズは優し気に微笑んだ。30年前とほとんど変わらぬ師の無茶ぶりに、真っ白になる脳内。


 そして唐突に浮かぶ言葉は、〝全部、夢だったら良かったのに〟。続けて浮かぶのは、〝もう陵真あいつのことなんて放っておいて、明日から俺は自由に生きよう〟という熱い決意。


 けれど、沢渡自身は気が付かない。〝今から〟自由に生きればいいのに、いつも思うのは、〝明日から〟だということに。そしていつも、厄介事は明日ではなく、今、目の前に存在するということに。


「嘘やん……ああ、もう逃げたい!」


 両手で頭を抱え、悲壮感たっぷりに沢渡はそう叫ぶが、彼はどうしても陵真を見捨てられない。


 だって、誰もが沢渡を見捨てて逃げようとしたあの日、陵真だけは傷だらけになってでも探しに戻って来たのだから。


 だって、沢渡が殺されてしまいそうになったあの日、陵真だけはその身を挺して助けに来てくれたのだから。


 彼が友人を見捨てないから、友人も彼を見捨てられない。


 だからこそ、沢渡の熱い決意はいつも決意だけで終わってしまうのだ。そしてその前に、後に、いつも思う――



「――あーッ、もう! 全部夢だったら良かったのにぃ!」




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