第百五十三話:さようなら、只人の生よ

 


第百五十三話:さようなら、只人の生よ




 夜空を渡る橙色。鷹によく似た露鳥つゆどりの群れが、自分の視線の先で黒亜の城に舞い降りた。

 黒地の羽根の付け根から、ぼかすように滲む鮮やかなオレンジをぼんやりと眺め、全部で何羽いるのかを数えようとした瞬間に彼等は飛び立っていってしまう。


 素晴らしい座り心地の椅子に深々と腰かけて、エクシェットを齧り始めてたっぷりと10分は経っただろうか。途中で山になるほどメイドさんが追加してくれたウズラ卵の焼き菓子は、早くも無くなり、山は平地となりつつあった。


 ひょいぱく、ひょいぱく、と頭よりも手を動かし、記憶の上では人生2度目のカスタードの舌触りを堪能する。1度目はVRの中で、アンナさん作のドーナツの1つとして食べたものだが、現実世界で食べる甘いものはまた格別だ。


 とろりとした黄色いそれは、本物の卵の黄身のように綺麗で、何より濃厚だった。もう何か、記憶の不備とかどうでもよくなってくるぐらいには美味しかった。


 というか、前からニブルヘイムやルーシィに指摘されていたのだが、どうにも最近の自分はあまり物事を悲観しないようだ。要するに、楽観主義的――ポジティブな脳構造をしているらしい。


 ルーシィ曰く、出会ったばかりの頃はむしろ悲観主義的だったというが、一体何が自分を変えてしまったのかはわからない。いや、わかるような気はしている。恐らくは、亜神の自分が極度に楽観的で、その外側の魔術師としての自分とやらが、少し悲観的なのだろう。


 まあどちらでもよいことだ、とエクシェットを飲み込み、お茶を飲み、そうした合間に長煙管に口をつける。火の無いそれを深く吸い、不思議と煙のような息を吐く。白い吐息の向こうからは、短い間によく知った声が響いてきていた。


「――ですから、お母様! 代償魔術の結果だとしたら、なおさら無理に剥がすなんて不可能で……!」


「――ええい、うるさい! あんなに、あんなに可愛く懐いていたのに、私のことなどすっかり忘れさせられているだと!? そんなこと認められるか! どうせ直人なおとがやったに違いない……実の父親てておやとてやっていいことと悪いことがあるだろうに!!」


 10分間。少しの不安も無く呑気にそんな行動を繰り返し、腹もくちくなってきたタイミングで、台風のような騒がしさで彼等がついに帰って来た。

 叫びあう内容から察するに、やはり自分の記憶には不備があり、それも恐らくは父が何か自分にそういった記憶操作をしたようだ。


 よくよく考えてみた結果、どうにも異常なほど昔のことを覚えていないなー、とは思っていたが、自分としてはそうきたか、という感想が先に来る。

 半目になって最後のエクシェットを口に放り込み、椅子から腰を上げ、トルカナ様に落ち着いてもらう算段を立てながら歩み出した瞬間、予想していた声が高らかに黒と銀光の部屋に轟いた。


「狛乃! さあ今すぐに魔術など跳ね除け思い出すのだ!」


 砕剣ラグを揺らし、トルカナ様が部屋の入り口で仁王立ちのままそう言い放つ。その後ろにはあわあわと慌てるブランがいて、魔術と魔法の違いも知らない自分に無茶を言う母親を止めようと必死になっていた。


 椅子から立ち上がり、トルカナ様に向かって歩み寄る自分に向かって、ブランは目だけで謝ってくる。いやいや、これだけの勢いならば、止めるのも一苦労だろう。


「いいか、如何に魔術といえど最後には気力でどうにかなるのだ! いいか狛乃、気合を入れて――」


「トルカナ様」


「――気合を……」


 気合で魔術など捻じ伏せろ、と叫ぶトルカナ様の目の前に行き、自分はじっとその赤の瞳を見つめ返す。自棄になったような言動に隠された悲しみが、その瞳孔の奥に揺れているのを見て取って、自分は少し前まで考えていた、いくつかのおためごかしの言葉をすぐさま捨てた。

 悲しくて不安なのは、忘れてしまった側ではなく、忘れられてしまった側なのだろう。だからこそ、自分は静かにトルカナ様にこう言った。


「……自分がエクシェットを食べて思い出したのは、〝やっぱり、こまの、トルカナ様が作ったのが一番好き〟という言葉でした。それに、貴方が颯爽と歩く様をみて、どこか懐かしいとも思いました」


「狛乃……」


「忘れてしまったことは、たぶん自分が思うより多いんでしょう。でも、消えてしまったわけではないんです。だからきっと、全部思い出せる日が来ると思うんです」


 ――だから、それまで待っていてもらえませんか。


 自然に出て来た言葉に、トルカナ様は無言。赤の瞳はほんの一瞬だけ辛そうに揺れ、それを振り払うように閉じられる。再び鮮烈な赤が現れた時には、そこには強い意志の輝きだけが残っていた。


「……わかった、信じよう」


 ただそれだけ。自身に言い含めるようにそう言ったトルカナ様は、銀色の飾り紐をひるがえしながら踵を返す。そのまま、長く暗い廊下の奥に去っていく後ろ姿を見送れば、その背中からは凛とした声が投げられた。


「――困った時は、いつでも私に頼るといい」


 そう言い放ち、トルカナ様は去っていった。後に残されたブランは少しだけ心配そうに母親の背を見送ったが、すぐさま短く頭を振ってこちらに向き直る。


「さあ狛乃さん、授業開始までに基礎だけは覚えないと!」


 頑張りましょう! とこぶしを握るブランに合わせ、自分も静かに頷いた。そうだ、此処には知識を得るために来たのだから。


「……頑張ろう」


 自分を想ってくれる人たちに、しっかりと応えられるように。そう言う自分に、ブランも強く頷いて自室の椅子に着席を促した。

 滑らかな黒の椅子に座れば、ブランは目の前のテーブルにずらりとノートを並べて見せる。若草色の表紙がそっと捲られ、自分はそこに書かれた見慣れた文字に目を見開いた。


「フルマ語じゃなくて、日本語?」


「え? ああ、これはですね――」


 不思議そうに疑問を口にした自分に、ブランはきょとんとしてから納得した様子でノートの文字を指さした。


「魔法、もしくは錬金術などの魔法学では、日本語が一級優先言語なんです。同一漢字の音読み、訓読みや、カタカナやひらがななどの複数の表記文字がそういったものと相性抜群なので」


 日本語が国際共通語なのも魔法学再浸透のためなんですよ、と言いながら、ブランはいくつかのノートを捲り、じゃあ始めましょうか、とその中の一つを選び出した。


「まずは、魔法学の第一教訓から」


「えーと――〝傲慢は藁の橋を石橋に変える〟?」


「そうそれです。大切なのは、信じて疑わないこと。自分自身の価値を確信すること。魔法でも、魔術でも、錬金術でもこれは変わらないんです」


 魔を扱う者たるもの、傲慢であれ。ブランはそう言って、ノートの一部を指さしながら続けざまに自分に言い含める。


「これは、ただ力に驕り高ぶれ、という意味ではありません。弱者は強者に憧れ、畏怖いふする。強者への尊敬は自信に繋がり、自信は慢心を招き、慢心は魂を作り変える」


 ――力なき者を力ある者に。凡人を天才に。只人ただびと稀人まれびとに。


「魔術はともかく、魔法や錬金術は誰にでも扱える。ただし、まず最初に求められるのがこの魔を扱うための〝傲慢さ〟です」


 理屈など無くてもいい。必要なのは、出来て当然だとうそぶけるほどの強靭な魂の在り方。薄ぼんやりとした意識を保ち続ける〝世界〟や、自身の魂を言いくるめるための、強気な生き方であると。


「ちょっと待って、〝世界〟って、これは何?」


 ノートの内容を読み込みながら、次々と浮かぶ疑問をブランに投げかけていく。ブランはその質問に小首を傾げ、少しだけ迷ってから腰の後ろに手をやって、小さな金属棒を取り出した。


「そうですね……まず、狛乃さんは【Under Ground Online】で魔術師のアビリティを選んでましたよね?」


「え? あ、うん。メインアビリティはそうだね、魔術師だ」


「あの世界での環境設定って、実は現実世界とそう大差は無いんです。因子や純因子、魔素や精霊などの設定は特に誤差もありません。あ、精霊王とかになるとちょっと違うんですけどね。なので、そこらへんの説明は端折ります」


「あっ、はい」


 え、そうなの? と首を傾げる暇も無く流されて、思わず勢いで頷いた。因子、純因子、魔素や精霊については、ゲーム設定としてなら確かによく知っている。まさかそんなところで繋がっているとは思わなかったが。


「で、ゲーム中で〝魔術〟だとされているものは、こちらでは魔法の一種である【活用】の中の、〈精霊魔法〉や〈色彩魔法〉のアレンジ版――あー、とりあえずは詠唱して発動する魔法という認識で大丈夫です」


 現代魔法学って死ぬほど分厚いんで、そこらへんの学術的な分類はまだ授業でもやってませんから、そこらへんはこれからの授業で覚えてください、とブランは言う。


 どうやらブランは優秀な方らしく、一部は家庭教師を雇ってかなり先まで勉強しているらしい。予習、復習は手伝うから、という心強い言葉を貰いながら、自分は真剣にブランの話に耳を傾ける。


「えっと、そこで〝世界〟の話になるんですけど。詠唱って声に出して行うでしょう? わざわざ声に出すのは、ゲームの中ではシステムに発動の意思を示すためですよね?」


「ああうん、わかってきたぞ。ゲームでいうシステムが、現実での〝世界〟なんだね?」


「そうです! もちろん単なるシステムとは違って〝世界〟には大いなる意思とか、色々とありますけど、そんな感じです」


「へー」


 何か本当にゲームの設定みたい、と呟く自分に、ブランは他にも色々あるんですよ、と言いながら今度は違うノートを広げて見せた。

 自分が長煙管に口をつける合間にブランもエクシェットに手を伸ばし、すっかり冷えた紅茶でそれを流し込んでから話し出す。


「勿論、因子があらかじめ持っている性質だけを利用した魔法もあります。そっちは本当に科学理論みたいな感じになりますけど、そっちはそっちで詠唱はいらなかったり、もしくは自分自身に言い聞かせる自己暗示的な詠唱が必要だったりします」


 とにかく色々あるから、今日は大枠だけ覚えましょう、とブランはそう言ってからおしぼりで手を拭いて、新しく開いたノートを銀の指し棒でぽんと叩いた。


「魔法学において体系化された〝力〟は、現在は【魔法】に始まり、【錬金術】、【魔術】、【神性】、【精妖術フィラルド】、【契約術トーチ】、【召喚術フール・ブール】、【呪い】の8種です」


「8種もあるんだ……えっと、魔法、錬金術、魔術……」


「とりあえず覚えるべきは【魔法】、【錬金術】、【魔術】の3つですね。今期はもう魔術概論の授業は無いんで、その部分だけ動画を見ましょう。他の概論は授業でやるはずだから……えーっと……」


 魔術概論はちょうどこの前のレジナルド先生の授業が最後で……と唸りながらノートを捲っていたブランは、ふと何やら懐かしそうな表情で自分の顔を――いや、頬の火傷痕に視線を寄越す。

 どうしたのだろうと自分が首を傾げれば、ブランは慌てて首を横に振り、じゃ、じゃあ説明しますね! と指し棒を振り上げた。


「えと、まず因子や純因子の存在がゲームと現実でそう変わらないことは説明しましたよね」


「確かどっちもエネルギー体で、純度の高い透明なものが純因子、それぞれの性質を持った有色エネルギーが因子……で、いいんだよね?」


「そうです! そのうち、純因子と因子の混合――すなわち、生物なら誰もが持つ魔力を用いて様々な現象を起こす術の総称が【魔法】です。体系化の際の適用範囲が最も広く、分類しにくいものも大体このカテゴリーに放り込まれます」


 一応基準としては、〝他者を必要とせず、自身と魔力のみで発動するもの〟は大体【魔法】です、とブランは説く。


「ふむ……魔力の形も向こうとこっちで同じなの?」


「はい、確認しましたけど同じでした。もしかしたら製作者さんが魔法使いなのかもしれませんね」


「へー……」


 何だか自分が知らなかっただけで色んなことがあるんだなぁ、と感心してしまうことばかりだ。フベさん――藤堂博樹と名乗ったあの人のこともあるし、ニブルヘイムのことだって。

 もしも自分がこちらの世界に踏み込まなければ、一生知らなかったかもしれないことが、世界にはごろごろと溢れているのだ。そう考えると何とも――、


「――狛乃さん?」


「え、はい! 聞いてます!」


「狛乃さん、しっかり! 覚えることはまだまだあるんですから!」


 学問は気合ですよ、気合! と拳を握るブラン。インテリ系っぽい見た目のわりに、端々に垣間見える根性論は恐らくロンダルシア家の教育方針が影響しているとしか思えない。

 気合、を語る口調も、表情も、母親そっくりであることにブランは気が付いているのだろうか?


「いいですか、【魔法】はさっき言った通りです。では、よくその【魔法】と対をなすと言われる【錬金術】との違いを説明します」


 生暖かい目でブランを見る自分に向かって、ここです! とブランが指し棒でノートの一部を叩く。素直に視線を移せば、そこには繊細な文字でこう書かれていた。


「〝【錬金術】とは……膨大な計算式、純因子を用いて〝流れ〟無きものに干渉する術の総称である〟……うーん? 計算式はわかる、純因子……もわかる。この、〝流れ〟っていうのは?」


「俗に、尾を噛む蛇ウロボロス状流動物体――すなわち、始まりと終わりを等しくするもの。そこに魔力の流れが存在するもの。簡単に言えば真っ当な生物の身体は全部そうです」


 血管に始まりも終わりも無く、そこには常に血流という流れがある。川は流れとは言わず、因子か純因子が1つでも流れる物体を〝流れ〟あるものとし、それには決して干渉できない――それが【錬金術】であるとブランは言う。


「うん、何か微妙によくわからない!」


「習い始めの子はみんなそう言うんです。というわけで、そういう時は簡単です。【魔法】は純因子と因子の混合魔力。【錬金術】は純因子のみの純魔力だけで発動する、という感じで覚えるんです。他はそのうち覚えますから」


「混合魔力じゃダメなの?」


「【錬金術】はダメですね。燃料に混じり気があると一切発動してくれません。だからこそ基本、魔法使いと錬金術師は両立出来ないと……あ、いえ。これ今言ってもわからないですよね」


 頭の上にはてなを浮かべる自分に、ブランは自己完結して話題を流す。では最後に! と小さな手がノートを捲り、今日の本題です、とそれが静かに示された。


「まじゅちゅ――……すみません、【魔術】です!」


 顔を赤くして、ブランは失敗をもさらりと流す。唇を噛んで耳まで赤くする様子が可愛くてにやければ、鋭い瞳孔を縁取る赤い目はギラリとこちらを睨みつけた。


「これ、重要なんですよ! 狛乃さんだって、この【魔術】はもう使えるはずなんですから!」


「へ?」


 にまにましながらブランの頬を突く指は叩き落とされ、自分は同時に言われた台詞を反芻する。【魔術】が使える? 確かに、まだ本当に何も知らなかった頃、レジナルドに言われた魔術師という単語をルーシィに頼んで調べてもらったことがある。


 結局、何がどうすれば使えるのかも、本当にそうなのかもわからなくて流していたが、はて? あの炎を出すのがそうなのかな? と首を傾げれば、ブランは違う、と静かに首を横に振る。


「あれは【神性】――亜神として持っている特徴です。平常時に自覚があれば【魔術】でしょうけど。現にあれは亜神状態の時にしか使えないでしょう?」


「うん、使い方も覚えてない」


 記憶はあるが、夢の中のような感じで何をどうしたらああなるのかさっぱりわからない、という自分に、ブランは、それとは別に使えるものがあるはずなんです、と小さく唸る。

 さきほど思いっきり噛んだ恥ずかしさからか、いささかぶっきらぼうな言い方でブランはこうも続けた。


「まあ、この年齢としで自覚が無いってことは、未登録特性でしょうけど……」


「んん?」


 未登録特性ってなんだろう、とは思うが、ブランの表情と口調を見る限り、あまりよいことではなさそうだ。遠い目をするブラン先生が解説を始めないので、勝手に開かれたノートを読んでみる。


「〝【魔術】とは、生まれ持った魔術特性に基づき発動される、〝対価なき奇跡〟の総称である〟」


 対価なき奇跡――噛みしめるようにそう繰り返せば、ブランはふらりと視線で文字を辿り、迷うように目を細めながらその下段に注目していた。

 自然と自分もそちらを見やり、細い文字を指でなぞるようにしながら読み上げる。


「〝【魔術】に対価は無い。ただ願った瞬間にそれは〝る〟。〝在る〟という結果だけが残る。それはどこかから〝やってくる〟ものでもなく、その場で〝生み出される〟ものでもない。魔術特性に基づくならば、万物を叶える力である。ただし――〟」



 ――ただし、それが人の命と、心以外のものであれば。



 ブランの小さな唇が、ぼそりとそう囁いた。人の命と、心。それだけは如何なる魔術であろうと不可侵であり……そして、それゆえに。


「……だから代償魔術でさえも、狛乃さんの記憶は隠せても、〈復讐印〉までは消せなかった」


「……」


 〈復讐印〉、そう呼ばれる頬の火傷痕。火傷痕だと、自分が今まで信じてきたもの。それはレジナルドの言う通り、忘れてはならないことの目印だったのだろうか?


 今はまだ何もわからない自分にさえも、ぼんやりとわかることはある。恐らく、かつての自分は魔女ジンリーに復讐を誓ったのだろう。その理由さえ忘れても、復讐するべき相手さえ忘れてしまっても、その誓いだけは残り続けた。


 思わず頬に手をやって、鮮烈な赤をなぞる。違和感を感じたことが無いか? と聞かれて無いと言えば嘘になる。けれど鏡を見たがらない自分の生活の中で、その存在を長らく意識しなかったというのは本当だ。


 でも本当は、わかっていたのに。こんな火傷痕、どう見たっておかしいということはわかっていたのに。けれど、じいちゃんがこれを見る度に、どうしようもなく辛そうな顔をするから、話題にも出さないように、意識にも上らないように努めてきた。


 けれど今日からは、そんなことは許されない。


「さっきも言ってたけど、〈復讐印〉と代償魔術って何?」


「〈復讐印〉は単純です。誓いを立てることで、復讐するべき相手が近くに居れば刻んだ印が熱を持つという術式。もう一つの代償魔術とは……魔術特性が「代償」の魔術師による魔術のことを言います」


 魔術特性、という言葉は先程からブランの説明にも、ノートのあちらこちらにも出て来ていた単語だった。ちらりとノートを見れば、求める答えが書いてある。


「〝魔術師は生まれつき、魔術を行使するための条件を1つだけ持っている。それはある時は「代償」であり、「蛮勇」であり、「魔眼」という形を取りうる〟」



 ――「代償」の者は無限エネルギーのために、有限のものを捧げることで他の魔術師には無い瞬間火力が保障される。その願いの幅は常より大きく、時に奇跡の体現者となる。



 ――「蛮勇」の者はあらゆる蛮勇の結果に望むだけの魔術が伴う。その者が心の在りようさえ失わなければ。



 ――「魔眼」の者は幸でも不幸でもある。視認する全てに魔術を行使することが出来る代わりに、あらゆる生物から怯えられ、忌避きひされる。



 それらは全て、世界より課せられた〝奇跡〟のための枷である。



 そう結ぶ文章を見つめ、ブランは小さく唇を噛む。「魔眼」の項目を見つめる赤い瞳が、悲しそうに伏せられた。


「魔術に型は無いんです。ただ、〝願い方〟とか、〝願う条件〟が個人ごとに決まっていて、それに従ってのみ魔術は発現する。いえ、願った瞬間にそれは


 その条件こそが、魔術特性と呼ばれるもの。そう言って、ブランは、すいと顔を上げて自分を見た。


「狛乃さんにも、それがあるはずなんです。世界に願いを聞き届けてもらうための、唯一の方法が」


 自分の中のどこにも、まだ奇跡のための枷は見えない。けれどいつかそれが見つかった時、自分に何が出来るようになるのだろうか? それが出来るようになった時――、


「本当に……〝人〟じゃないんだなぁ」


 自分でも、思うよりも寂しそうな声が出て思わず口を手で覆い隠す。それでも惜しむような響きは取り消せなくて、そもそも亜神だとかいう時点で人ではないというのに、魔術師のことを知った今の方が実感があって。


「狛乃さん……」


 自分は、自分で思うよりも、根っこの部分では何のしがらみも無いただの〝人〟でありたかったのだなと――思いながらお別れをした。


 さようならだ。もう、何も知らない頃には戻れないのだから。


「だいじょうぶ」


 さようならだ。手に入れたものを守るために、この道を選んだのだから。



「大丈夫。自分は自分だし。それに――〝もう一人じゃない〟から」



 不安そうなブランの頭をくしゃりと撫でて、自分は微笑んだ。微笑むことができた。小さな妖精から聞いた、魔法の言葉が思い出せたから。


「そ、そうですよ! 僕も吸血鬼ですし、狛乃さんと友達ですし!」


 そう言ってくれる友達が、優しく手を握ってくれたから。







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