第百四十五話:世間は狭く、世界はいつも仄暗い
第百四十五話:世間は狭く、世界はいつも仄暗い
空に輝く銀の月。周囲を瞬く赤の星々。炎の精霊達はニブルヘイムがどれだけ高度を上げようともつきまとい、つかず離れず、時折自分の顔をのぞき込み、あっちに行けと言われないことを確かめに来るという行動を繰り返していた。
自分もすでに此処までくれば誰の目にも触れないため、特に彼等を追い払う気はない。周囲への警戒にもなるし、出発前にあれだけ目立っておいて、何を今更という気持ちもある。
ついでに彼らの歌はちょうどいい騒音だ。彼らが機嫌良く歌っている限り、ニブルヘイムと自分の会話は、聴覚強化を持たない雪花にはほとんど聞こえないだろうから。
「――それで、なんでおこなの?」
『何故、怒っているのかより先に、あなた一体何をしたんですか!』
たった半日経っただけで、何があったのか? とニブルヘイムは不服たっぷりにそう叫ぶ。一応、雪花への配慮からか、ニブルヘイムが発する言語はドルーウ語だった。
変換された言葉でも、その苛立ちと憤慨はよくわかる。でも、自分でも驚きの新事実だったので、憤慨されても困る。だって理不尽じゃなかろうか。自分のせいではないのに、お前なんで亜神なんだ! とか言われても知ったことではない。
『答えなさい、狛犬!』
「自分だって驚きなのに、どうしてお前に詰問されなきゃいけないんだよ! なんだ、何か恨みでもあんのか!」
ニブルヘイムのあんまりな声の調子にイラっとし、思わず怒鳴り返せば砂竜はぐっと黙り込む。その様子があまりにも悲痛な様子で、別に悪くもないのに思わず反射で謝ってしまった。
「ご、ごめん……い、いやでもだな。自分だって亜神だなんて知らなかったし――」
『亜神!?』
「待って! そこで驚くなら本当になんでお前怒ってたの!?」
てっきり亜神の存在が禁忌だから許せない、とかの理由かと思っていた自分は、今度こそはっきりと困惑と疑問をニブルヘイムに叫びたてる。
ニブルヘイムは金色の大きな瞳をこちらに向け、自分と目を合わせて嘘ではないと判断したらしい。彼は呻くような声で、驚いた理由を語り出す。
『てっきり……悪魔と同じにおいがしたので、魔女と契約でもしたのかと――』
「はあ!? 魔女って、魔女ジンリーか!?」
ていうか待って、亜神って悪魔と同じにおいがすんの!? と悲鳴のような声を上げれば、ニブルヘイムはばつが悪そうな表情で、よく注意すれば確かにちょっと違う、と呟いた。
「よく注意しないとわからないのかよ! このダメ竜が!!」
『私は純竜じゃないのでそういうことには
それに私も色々あったし! と言い訳を叫ぶニブルヘイムは、続けて疑わしげに首を傾げ、大空を飛びながらじとりと半眼で自分を振り返る。
確かに、神と人間の交じったにおい、と言われれば同じような気もするが……いややっぱり同じにしてほしくない。
『まさか――魔女と仲が良いとか……』
「よく思い出せないけど、そいつは両親の仇だよ!」
仲良しとかありえねぇよ! と叫び返せば、ニブルヘイムは目を見開き、どうして――と小さく震える声でそう言った。
どうしても何も、と思ったが、そこでようやく自分はあることに気がついた。ニブルヘイムが、学習性AI――現実に肉体を持たないはずの存在にしては、色々なことを知りすぎているということに。
「ニブルヘイム、お前……本当に精霊か?」
いや違うだろ! と叫べば、ニブルヘイムは前へ向き直ってから、少しの沈黙。そうしてから、彼は諦めたように首を振り、違います、と消え入りそうな声で言う。
『……私は、現実に肉を持つ、肉入りのモンスターです。父は純竜でしたが、母は精霊竜と猫の魔獣の混血種でしたから、私も純竜ではありません』
ニブルヘイムの純血種へのコンプレックス――それの原因と思われる一端を聞き、自分は思わず口を閉ざした。それだけではなく、彼は自分と同じく現実に肉を持つ存在で、仮想世界にログインしているのだという事実にも押し黙る。
『魔女ジンリーは我が父の仇。私は、父の魂を取り戻すために、社長である陵真に協力すると約束し、砂竜としての打診を受け、そしていま此処にいる――』
だからこそ、自分がその父の仇である魔女と懇意なのかと思い、ショックと怒りで取り乱した。そう語るニブルヘイムに、自分は絶句。
世間は自身が思うよりも狭い、という音声CMが脳裏でよみがえり、何て言えばいいのかわからないまま、自分は動揺を隠せずに裏返った声でニブルヘイムの背を撫でた。
「そ、そうか……いや、うん。いやね、自分でも今、自分の状況がいまいちよくわかってないんだけどね!」
そのまま勢いで自身の現状を語れば、ニブルヘイムが何かを言う前に、彼の左手から悲痛な叫び声が届いてくる。
『主! あるじー! 主は
「――やべぇ、うちの
最近ますます防犯会社の愛称で呼びたくなるほど過保護なギリーは、黙っていただけでずっとニブルヘイムとの会話を聞いていたらしい。ヤバい、盲点だったと思うが、すでに手遅れな様子で、ルーシィは知っているのか!? 本当に大丈夫なのか!? と叫びっぱなしになっている。
「大丈夫! 大丈夫だから落ち着いてギリー! ルーシィには今晩、いやログアウトしたらすぐ説明するつもりだったから! 大丈夫だから!」
いくら精霊達がうるさくとも、これだけ大音量できゃいんきゃいん騒いでいたら、右手にいるもっと面倒な方のランバーさんが訝しむだろう。性格上、話の内容にまでは踏み込んでこないのはわかっているが、最近、奴も色々とうるさいのだ。
『どこが大丈夫なのかわからないと思うんですけど?』
余計なことを言うニブルヘイムを、黙ってろ! という意味を込めて無言で蹴りつけた。すぐさま口を閉ざす砂竜は半眼で、その目は自分に向かって雄弁に語っている。別に亜神としてじゃなくても、素の性格は十分短気で荒っぽいじゃないか、と。
「大きなお世話だ!」
『何ですか! あんまり変わらないなんて言ってないじゃないですか!』
今まさに言ってんじゃねぇか、という言葉は引き攣る頬と一緒に抑え込んだ。足の間にいる橙が、不思議そうに鳴きながら自分を見上げ、ネブラは慣れた様子で首に巻き付き、うつらうつらと舟をこいでいる。
「とにかく、そういうことだから! はい、この話終わり! それで、後どれくらいで樹海を越える?」
これ以上、今話す必要はない、という言葉に同意するかのように、ニブルヘイムは溜息と共に翼を動かし、身体を捻り、黒い雲を見透かすように下を見た。
『
「1億ジャスト」
『……』
かなりの人数が殺気立ってましたけど、と呟くニブルヘイムは、聞いておきながらその答えに無言だった。わざとらしい溜息の後、どうするんですか? と聞いてくる。
「師匠……ギルドの人達と話し合ったけど、あれだけ恨みを買っていると、このままじゃ逃げ切るのは難しいだろうって」
『……では、討伐されて罪を消すんですか?』
「冗談じゃない。この額だと、それは身の破滅とほぼ同じだ」
ニブルヘイムはこの手のシステムに疎いようだが、自分は師匠達と話し合った時にそれを知った。賞金首システムは、プレイヤーによる運営相手の詐欺が行われることが無いように、パッチ697で抜本的な見直しが行われている。
現在のルールは単純にして明快。これまでは運営が支払っていた懸賞金を、賞金首、本人に全額支払わせる形式に移行したのだ。
更に、定められる懸賞額は罪に問われた事件で得られる最大利益を必ず上回るように設定されることとなった。
この新システムによって、少なからず横行していたPKプレイヤーとPKKプレイヤーの癒着、それに伴う詐欺はほとんど撲滅されたという。
何といっても、今ではどう頑張っても利益が出ない。これまでは第三者である運営が出していた金は、賞金首のプレイヤーの全財産をもってして支払われるのだから当然ではあるのだが。
「討伐されれば1億きっかり要求される。生け捕りにされれば屈辱と共に2倍の2億。1億は討伐者に、もう1億は統括ギルドへ。支払いを拒否しようにも、徴収は自動強制される」
身に着けている武器、防具は当然として、次に統括ギルドのロッカー内のものが問答無用で統括ギルドに売却され、どの金も全て自動で討伐者へと流れていく。
その次には賞金首プレイヤー名義のものが差し押さえられていく。これは、家屋、有料倉庫など、プレイヤーコードで登録しているもの全てを含む。
唯一の救いは、ギルド売却物はどんなものでも例外なく統括ギルドオークションに出展され、そこで値段が吊り上がれば、その分だけ負債が軽くなる点だろう。
もしも競争率の高い、それこそ自分の赤竜装備などがオークションに出され、それを欲しがる者が複数いて、競りの結果が億を超えれば、そこで支払いは終了となるのである。
そういった自動徴収対策に名義分けを行うのも手の1つだが、余程大切なものを数点保管する目的以外では、あまり意味のあることではない。
何故なら結局、懸賞金の支払いを終えるまでは、水と一部の食料、家具や日用品などを除き、監督精霊の判断の下、一定額以上のものは手にした瞬間に自動徴収される仕組みになっているからだ。
結局のところ、支払わなければならない額が変わるわけではない。まあ確かにどうしても手放したくないものを保護するには有効な手段であるのは確かだけれど。
「だから結局、頭骨コレクションと赤竜装備、デザートウルフとか各種素材を保管している倉庫は、雪花の名義に変更することになった」
『賢明……というより、それしか対応策が無いですもんね』
「……だからといって、捕まればまともに装備も整えられない。〝魔術師〟だから最悪、無手でも戦えないことはないけど、かなり不利だ。それに、覚醒武器は……」
魔石や銃弾も使えない上に、仕方のないことではあるのだが、どうしても名義が変更できないものもある。
覚醒武器。ニブルヘイムに授けられた素材で作られ、ニブルヘイムが名付けたそれだけは、他人に譲り渡すことも、名義を変更することも出来ないのだ。
あの武器には、消えない名前が刻まれているという。
持ち主はただ1人だけ。他の誰が扱うことも出来ないそれは、運営曰く、一定額で統括ギルド預かりとなり、再び手にしたければそれなりの栄誉を手にしなければならないという。
「――絶対に捕まるわけにはいかない」
赤革の手綱を握りしめてそう言えば、ニブルヘイムは聞こえない振りをしてくれた。あれは、自分とニブルヘイムを繋ぐ橋の1つであり、そしてそれ以上の意味を持つ武器だから、どうしても失いたくはない。
「だからこそ、誰よりも早くログノート大陸を脱出したい。ニブルヘイム、此処から別の大陸まで、全ては竜脈で繋がっているね?」
『……ええ、その通りです。ですが、竜である私は通ることが出来ても、貴方たち人間は通れません』
「道の広さ、ってわけじゃないだろう。何が問題?」
――今にわかりますよ。そう言いながら、ニブルヘイムは片目を閉じた。
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