第百四十四話:黒い雲と亜神の片鱗

 


第百四十四話:黒い雲と亜神の片鱗




謳害おうがいを突っ切るにあたり、注意するべきことが1つある。ニブルヘイムからの返事曰く、竜種以外の者はニブルヘイムの手で覆い、精霊達からは見えないようにして運ぶらしい」


 見つかれば問答無用で食われるそうだから、その間、各自しっかり大人しくしていること、と言えば、モルガナと雪花とギリーは茂みの中で神妙な顔をして頷いた。


 自分も同じく、セーフティーエリアぎりぎりの茂みの中で息を殺して顎を引く。空には未だ謳害の訪れは無く、けれどそれはすぐそこまで迫って来ている。


 脱出する自分達をセーフティーエリアから出た瞬間に狩りたてようという出待ちの群れも、段々とその表情を曇らせ始めていた。


 彼等が話す内容に耳を傾ければ、狛犬達はすでに身一つで死に戻りをし、教会の地下から竜脈に逃れたのではないか? という声があれば、すかさず懸賞金は解除されていないし、竜脈に逃げることは想定済みだという声が返る。


 それを受けて、目線だけで雪花に問えば彼の指は瞬く間に空中のキーボードを叩き、自分の言わんとすることを察して返事を打ち込んだ。


 ――〝竜脈〟には各ギルドの所属プレイヤー、他、賞金目当てのソロプレイヤーがうじゃうじゃいるから、潜伏とか無理。


 ほうほう、と頷く自分に雪花はげんなり顔で緊張に身体を強張らせている。けれど、その頭の上に陣取るタマは雪花の頭を肉球で叩き、緊張感の欠片も無く大きな欠伸をふわりと1つ。


 自分も大した緊張は無く、あるのは今日の宿の心配と、特殊武器の卵と、オーバー大樹海地帯の向こうに広がる新しいフィールドへのわくわく感だ。

 ニコさんからの入金ありがとうございます、というメールには、リク経由でニブルヘイムに渡したという文字があり、更に指示通りに反転ルールで伝言を行ったとも書いてあった。


 それらの作戦が上手くいっていることを示すように、掲示板では『金獅子』や『名も無きギルド』が、始まりの街、エアリスで慌ただしく敵を討つ準備をしているとの情報が上がって来る。


 来ない敵に身構えるルーさんを思えば少し不憫だが、いやはやこれも仕方のないこと。ごめんなさい、お疲れ様です、と心の中で合掌し、離れていても優秀なチビ達に感謝を念じてから目を閉じる。


 視界を閉ざせば遠くに聞き慣れた竜の羽音と、精霊達の狂乱の歌。出待ちプレイヤーの小さな悲鳴。

 静かに目を開けば、視界の端に金色の巨躯。灰色の空にニブルヘイムの姿を視認して、彼等はようやく理解する。自分は初めから、竜脈から逃げるつもりなど毛頭なかったということを。


「奴ら、謳害が来るまでセーフティーエリアから出ない気だ!」


「まさか本気で謳害の中を突っ切る気か!?」


 姿を現せども、すぐには地上に降りてこない金色の竜を見上げて彼等は騒ぐ。黒い雲はすぐそこまで迫って来ていて、けれど精霊達に襲われることのないニブルヘイムは涼しい顔でその到着を待っていた。


 ニブルヘイムだけではない。自分達も、謳害の到着を待っている。何せこれだけの数の出待ちがいると、流石に無傷で出られるかわからない。

 いや、見栄をはるのはよそう。亜神状態でぶっ飛んでるならいけるかもしれないが、素面でそんなこと出来る気がしない。


 思えば、今まではっきりとことはないが、もしかしたらもしかすると、戦闘中、たまにタガが外れるのは亜神になりかけの状態だったのでは? という不穏な疑問が浮かんだが、都合が悪いことは忘れるのが一番だから考えないこととする。


「よーし、出待ちが全部引いたら飛び出すぞ。ぎりぎりまでは迎えに来てくれるらしいから、雪花、タマ、モルガナは右手な。ギリーと自分が左手。いいね?」


「うーい……」


 雪花が気の無い返事と共に両手剣をしっかりと抱えなおし、自分はギリーと共にはるか上空のニブルヘイムを仰ぎ見る。

 視線に反応したのか、ニブルヘイムはゆっくりと首を巡らせて自分達を見下ろして――、


「なんだ?」


 ――誰が見てもはっきりとわかるほど、その金色の瞳を大きく見開いた。大きな翼は慌てた様子で打ち振られ、その仕草に雪花が瞬きの間に剣を抜き放ち、鋭く周囲に視線を巡らせる。


 けれど敵影は無し。敷地内にぐるりと張られた対人用結界にも綻びは無く、唯一の出入り口の先には、前庭に陣取るデラッジがいるため誰も此処には入れない。


 雪花は剣呑な目つきで自分の前に膝を付き、ギリーは自分の背後を警戒して牙を剥く。セーフティーエリア内で【隠密】系統の能力が発動できる、という情報は聞いたことは無いが、聞いたことが無いからあり得ない、とは言えないのがあんぐらの怖いところだ。


 けれど、自分の傭兵と一番の相棒の警戒は、今回は杞憂だったらしい。空を旋回するニブルヘイムの喉からはドルーウ達特有の甲高い声が響き、それは遅れてシステムによって変換され、自分の耳にも意味ある言葉が降って来る。


『狛犬! あなた! いえ、自覚しているんですか? それとも――』


「ああ゛? 何、アイツてんぱってんの……雪花、敵がいたってわけじゃないみたいだよ」


「……りょーかい」


 低い声で雪花が答え、寒気がするような音を立てて鋼の塊が鞘にしまわれる。ギリーは自分と同じように怪訝な顔で首を傾げ、ニブルヘイムはそんな自分達に苛立つように鱗を震わせ、肺腑を震わせる勢いで吼えたてる。


『あなた――あなたは、いつから! いつから、神のたぐいになった!?』


「――」


 苛立ちと怒りを含むニブルヘイムの予想外の一声に、自分は思わず硬直する。ギリーは怪訝な顔のまま、雪花は意味どころかドルーウの声を理解することも出来ずに沈黙を保つが、自分の反応を見て彼は再び鞘から鋼を覗かせる。


 雪花は自分が掲示板で〝人災〟だと書き立てられてから、妙に過保護というか、どこか過敏になりつつあった。

片手を上げて雪花を止め、自分はニブルヘイムを見上げるが、金色の竜も自分の反応だけでそれが無自覚ではないことを察したようだ。


 けれど、怒りに満ちていたその表情は自分と目を合わせた瞬間に霧散。考え込むように、何かを言いかけるように大顎を動かして、彼は再びゆっくりと空を舞う。


 そして、次の瞬間、黄金竜は大きく吼えた。


 歌うような精霊達の声に似た、ハープのような、けれど妙に重低音の複雑な音がその喉から放たれ、水面に広がる波紋のように大気を裂いて響いていく。


 波紋が遠く、謳害の雲に届いた、と思うやいなや。黒い雲はまるで津波を孕む海のようにたわみ、ひずみ――、


「嘘だろッ……逃げろ、謳害が来る!」


 ――そう叫ぶ男の声の通りに爆発的に伸び上がり、スピードを何倍にもまして迫り来た。


「竜が呼んだのか!?」


「わからない、とにかく走れ!」


「おい押すなよ! ふざけんな!」


 しつこく出待ちを続けていた一団は口々にそう叫び、遠くは無いが、固まっていたためにすぐには辿り着けないセーフティーエリアを目指して人の海を必死でかき分けている。


 何人かの筋力に自信のあるプレイヤー達がバッタのようにジャンプで人の海を飛び越えて、他のプレイヤー達は押し合いへし合い雪崩のように安全地帯に滑り込んだ。


 全員がセーフティーエリアに滑り込んだものの、謳害は目の前に迫り来ていた。最後の1人の足先を掠め、赤い輝きが苛立つように小さく炎を吹く。

 稲妻が地を穿ち、檻の中の肉を見る肉食獣のように彼等は壁に群がり、そして諦めた様子で再び獲物を探しに行く。


 そしてそう、空には、


「――……黒雲くろくも


 黒が空を埋め尽くし、そこに輝く炎の赤。そしてそれを全く意に介さず、地に降り立つ金の竜が自分を呼ぶ。


『来なさい、あなたなら大丈夫だから』


 そうドルーウの言葉で言い放ち、ニブルヘイムは精霊の嵐の中で自分を待つ。


「……」


「ボス、精霊に食われるよ」


 ふらりと立ち上がる自分を見て、雪花が短い警告の声。ギリーを見れば不安そうな、けれど迷うような視線で耳を伏せ、わからないと小さく言う。


「……大丈夫らしい。雪花、合図したら手筈通りに」


「了解」


 片眉を跳ね上げたものの、雪花は頷いてその場にとどまり、自分はニブルヘイムと同じく竜である橙とネブラだけを連れて外へと向かって歩いていく。


 敷地を出ると同時に、セーフティーエリアからも出ることになる。即死を覚悟しながらも、ニブルヘイムを信じて自分は緩やかに歩を進める。


 出来る限り、堂々として見えるように。これが当然の結果であるとでも言うように。何考えてるんだアイツ、という声を聞きながら、自分はまるで躊躇いなど無いかのように最後の一歩を踏み出して――、


「……ネブラ、橙。胸を張るんだ」


 出来るだけ優雅に、当然のことに見えるように。子竜達にも、自分にも、小声でそう言い聞かせながらニブルヘイムの下へと歩いていく。


 ――まるで敬うかのように頭を下げながら道を開ける、炎の精霊達の間を。


 心臓は早鐘のように動き、冷や汗を流しながらも気取られぬように歩いていく。当然のようなふりをしなければいけない。竜との契約のせいだとでもいうように。


 けれど、自分が一番わかっている。これが、本来ならばありえない状況であることを。


 道行くどの精霊達も頭を下げ、道を開ける。橙やネブラに向かってではない、自分に向かって。いや違う……亜神に向かってだ。


 彼等はニブルヘイムの呼び声には答えても、金色の竜に頭は下げなかった。喰らいつきもしないし、害を与えることも無いが、道を開けることも無い。


 それは彼等が、プログラムされた存在ではないからだ。恐らくは、ギリーやルーシィとも少し違う、本当の精霊だから――。



『あなたは……』



 目の前に来た自分に対し、金色の竜がおそれをこめて囁いた。



『あなたは何者だ?』



 その問いには、言葉だけで言い表すことの出来ない感情も、疑問も何もかもが詰まっている。


 狛犬、黒雲、魔術師、亜神――、答えられるカードはたくさん持っている。そのどれもが嘘ではなく、けれど選び方を間違えれば、今後一切、自分で自分を偽ることになるだろう。


 だから自分は、ニブルヘイムの金色の瞳を真正面から見つめ返してこう言った。



「――自分は、自分だ」



 自分が何者なのか。そんな問いは無意味なものだ。少なくとも、そう信じる自分にとっては。


 精霊達の歌に紛れ、自分の声はニブルヘイム以外の誰にも聞こえない。魔術師でもなく、狛犬でもなく、亜神でもなく。自分はあの日、地にうずくまるニブルヘイムに言った言葉と同じ言葉を繰り返す。


 ニブルヘイムはそれを聞き、静かに頭を地面に近付けた。手を伸ばせば触り慣れた鱗の感触がして、システムがアビリティ条件を満たしましたとアナウンスする。ニブルヘイムが頷いたのを見届ければ、見る間に光が竜の上半身を覆っていった。


 金縁に深紅の重ね鎧。頭と首を覆い、胸鎧メールメイルを形取り、艶やかな深紅のベルベットがたなびいて、その上に豪奢な鞍が現れた。


『……愚問でしたね。ええ、良いですよ。そんなあなたのためならば、タクシー代わりにもなってあげましょう』


 そう言って伏せる竜の腕を足掛かりに鞍に座れば、赤革の手綱が吸い寄せられるように手元に踊る。それを握れば、〝騎竜士メルトア〟としては完璧だ。


 お前は神の類では無いのか、と怒りを込めて問うたニブルヘイムは、今はもう何も言わない。ただ王者として竜の吼え声を上げ、セーフティーエリアに近付いて、壁向こうの雪花達に両腕を差し出した。


退け、精霊共!」


 ダメ元の号令に瞬く間に精霊達が反応し、不安になるほど一斉に赤い輝きがニブルヘイムの腕周りからいなくなる。あまりの聞き分けの良さにヤベェ、と思うが時すでに遅し。どうにでもなれ、と開き直り、自分は雪花達に大声で呼びかける。


「雪花、ギリー! 乗れ!」


 彼等は必要な荷物を抱え、素早く飛び出すが精霊達が群がる様子はない。窺うように自分を見ている彼等に、ダメだと首を横に振れば、やはり遠巻きに見るだけで攻撃するそぶりも見せなかった。


 雪花達がニブルヘイムの手の中に入り、爪でしっかりと蓋をしたのを確認してから自分は手綱を振るって号令をかける。



「飛べ、ニブルヘイム!」



 黄金色の翼と翼膜。それが勢いよく開かれ、太い足が地を蹴った。助走をつけて竜は飛び立ち、それを追うようにして精霊達が追って来る。


 セーフティーエリアの向こう側、予想外の展開に唖然とするプレイヤー達を置き去りにして、ニブルヘイムはぐんぐんと風を切って黒い空を飛んでいく。


 精霊達は明らかに自分達について来ていて、ニブルヘイムはそんな様子に大きく溜息を吐いて自分にちらりと視線をやった。


『……後で説明はしてもらいますからね』


「それはこっちのセリフだよ」


 自分だってこの件でお前がなんで怒ってるのか知りたいんだけど、と言外に匂わせれば、ニブルヘイムは口を閉じ、前を向いて真っ直ぐ飛び始める。


 少しして、彼は小さな声でこう聞いてきた。


『行先は?』


「それは当然――」



 ――まだ誰もいない所へ、だ。








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