第百四十二話:彩色狼達の今とそれぞれ

 



第百四十二話:彩色狼ドルーウ達の今とそれぞれ






「狛犬一派は追放した。ギルド、『ランナーズハイ』は彼等の居場所を把握していない」


 固く、強張った低い声が言う。


 〝光を称える街、エフラー〟の統括ギルドの中。多数のプレイヤーに詰め寄られながら、まるで神話の英雄のような美貌の男が眉を寄せて繰り返す。


「狛犬一派は追放した。――何度言ったらわかる、アンタ達の耳はただの穴か」


 小規模ギルド、『ランナーズハイ』のギルドマスターを務める美貌の男――ノアは低い声に滲む苛立ちを隠さない。


 周囲には狛犬を出せ、どこにいるんだ? と繰り返すプレイヤー達がひしめいている。もしも此処がセーフティーエリアの中でなければ、今にも剣を抜き、魔法を唱えていそうな勢いだが、それはノアも例外ではない。


 ノアの方も、此処がセーフティーエリアでさえ無ければ、今にも召喚術を連打しそうなほど気が立っていた。眉根を寄せ、唇を噛み、ムッとした表情で詰め寄るプレイヤー達に同じ言葉を繰り返す。


「だから――」


「おい! 狛犬の居場所がわかったぞ!」


 どこだ! と怒号が割り込んできた声に投げられ、統括ギルドの入り口から狛犬の居場所がわかった、と叫んだ男がこっちだ! と大きく手を振った。


 契約モンスターが嗅ぎつけた! という声と共にノアに詰め寄っていた集団は走り去り、後には苛立ちに頬を引きつらせるノアと、傍観者達だけが統括ギルドに取り残される。


 傍観しているのは攻略組に所属していない者、被害を受けていない者、単に面倒事には巻き込まれたくない者など様々だったが、誰もがノアはどうするのだろう? という目を美丈夫に向けていた。


 狛犬の居場所はギルド『ランナーズハイ』が借り受けている土地の中にある、モンスター用の小屋だという声が外から聞こえて来たことも、彼等の興味を十二分に惹きつけた。


 ギルドや個人単位で借りている土地の中は、当然ながら借りている者達が権利を持っている土地である。その土地に踏み込むことこそ可能だが、正当な理由なく踏み込み、それが土地の権利者によって統括ギルドに届けられれば法に違反することになる。


 此処は〝始まりの街、エアリス〟と違い、法の種類は少ないが、それでも最低限の法はある。狛犬が樹海の大破壊で懸賞金がかけられたように、どこにいても破れば罪となる法はついて回る。


 だからこそ、統括ギルドの椅子に座り、我関せずのふりをしながら茶を啜る傍観者達は一体どうするのだろう、と首を捻る。狛犬を出せ! と言う者達の興奮具合からいって、彼等が無断で『ランナーズハイ』の土地に踏み込まないということは考えにくい。


 けれども、かといって指をくわえて見ているような集団では無いことは誰もが知っている。さて、どうするのだろうと見ていれば、ノアは舌打ちと共に短くシステムに呼びかけた。


「――【メニュー】、【ギルド音声チャット】」


 ギルドマスター権限を使い、メニュー画面からギルド専用の音声チャットを呼び起こす。ノアは癖のある黒髪をかき上げながら、続けて攻撃的な口調でこう言った。



「〝やれ、デラッジ〟!」



 短い一言と共にすぐ隣から轟音が響き、傍観者達は心の中で合掌する。






























 轟音。


 土煙と爆炎を強風で吹き飛ばし、黒髪の青年が巨大な猫型モンスターの背でふんふんと機嫌良さげに鼻を鳴らした。


 薄茶に赤い毛並みの大型モンスター、『赤剣虎レッドサーベル』はぎらりと光る琥珀色の瞳で侵入者を睨みつけ、その背に横座りした童顔の男は、自身のテイムモンスターを撫でながら大きな茶色の瞳で辺りをくまなく睥睨へいげいする。


 何処で、というまでもなく。〝光を称える街、エフラー〟の統括ギルドのお隣にある、ギルド『ランナーズハイ』の本拠地。

 その庭先では、多数のプレイヤーが地に這いつくばり、咳き込みながら肘をついてデラッジと『赤剣虎レッドサーベル』を見上げていた。


 ツリーハウスとモンスター用の小屋を背景に、前庭の中央に陣取って彼は言う。


「――人の庭に勝手に踏み込んだら吹っ飛ばされる。常識だよね? その土地の所有者に限り、敷地内での威力を伴わないスキルの発動が認められるってこともさ」


「デラッジ! くそっ……お前、どっちの味方だ!」


 本当の所属は世界警察ヴァルカンだろう! と叫ぶ男が立ち上がり、周りに転がっていた者達も、そうだそうだと叫びながら起き上る。

 手は腰に装着された剣や槍に伸び、その様子にデラッジは小さく口笛を吹いて目を細める。


「僕、家出中だって言ったよね。放送見なかったわけ? 第一さぁ、狛犬を見つけたからってどうするんだよ。殺されに行くようなものだと思わないの?」



 ――それとも何、数さえ揃ってれば勝てるだとか、そんなお花畑な頭で此処に来たの?



 デラッジの痛烈な言葉に、集まっていたプレイヤー達は唇を噛み、けれどはっきりとデラッジに言い返す。


「そうだ。お前等の手口はわかってるぞ。魔術で竜脈に穴を開けて、地下に逃げる気だろうがそうはさせない」


 竜脈に届くまでの穴を開けるには、どうしたって一度セーフティーエリア外に出なくてはならない。だからこそ、そこを狙うために彼等は狛犬を探していたのだ。

 それを聞いたデラッジはふうん、と気の無い返事をし、でもさぁ、と淡々とした声で彼等に言った。


「別にさ、それだけが方法じゃないよね。地下に逃げるとは限らないでしょ? ほら、空とかすっごい広いわけだし」


「――?」


 何かを予言するような物言いに、彼等が眉根を寄せた瞬間。どこからか長い遠吠えが聞こえてくる。困惑する人々の中、何人かが、セーフティーエリア外からだ、おい、サモナーはどいつだ? と叫び、翻訳しろと促されるが、自分がそうだと名乗り出た者は聞き取れない、と呟いた。


「【多言語マルチリンガル】対応外の言語だ――待って、今、何語か解析する」


 サモナーの初期スキル、数多の基本言語を網羅する【多言語マルチリンガル】の適応外の言語であると言った女は、それが本当に言語なのか、ただの意味の無い雄叫びなのかを判断するべく別のスキルを発動する。


「【言語解析】」


 セーフティーエリア内でも発動可能なそれを発動し、女は表示された文字を読み上げる。一体何なのだと注目する人々の真ん中で、



「解析終了。分類、犬系言語――【ドルーウ諸語】」



 女は、解析結果をそう呟いた。






































 エフラーとエアリスの中間付近に位置する、彗星湖近くの教会の中。彗星湖周辺で、唯一のセーフティーエリアには、謳害おうがいからの避難のために沢山の人々が集まっていた。


 地図を広げながら仲間と真剣な表情で話し合う者。運営が公開している謳害の映像を見て、苦々しい表情をしている者。ただ1人でもくもくと短剣を磨き、周囲の会話に耳を澄ませている者など、それぞれの行動は千差万別だ。


 その中で1人、教会の隅に体育座りをしている青年がいた。


 派手な赤の短髪に、攻撃的な色の髪色に似合わない自信なさげな青の三白眼。ともすれば恨みがましそうに見える表情で、青年は膝を抱えて縮こまっている。


 青年の左右には、白と黒と、橙の身体に丸い大きな耳。大型犬を二回りほど大きくしたような、リカオンによく似たモンスターが大人しく座っていた。名前はアレンとリク。


 本来の主人は遠くエフラーに、仮の主人と定めたフベとあんらくがログアウト状態である彼等は、今は仮の主人の仲間と共に行動していた。


 しかし、本来ならばある程度の命令権を委託されているはずの青年――〝どどんが〟の表情には覇気が無く、それどころかこの非常事態にただ安全地帯の隅っこで膝を抱えている始末だった。


 まんまと攻略組の口車に――主に、チアノーゼと白虎にそれは綺麗に騙されて、金は持ち逃げされるわ、部下は全員寝返ったで、もはや仮代表などという肩書も意味が半減どころかほぼ無くなっている青年は、すでにボロボロで攻略組の不幸を笑う元気さえ無い。


 だって、攻略組にいくら損害が出ようとも、フベとあんらくの不在の間に出してしまった損害は戻らない。ランカースレの〝轟き〟が今も詐欺スキルの対抗スキルを探し、法的に損失を取り戻そうとしてくれているが、それも段々と手詰まり感が出てきていた。


 けれど、どどんがだって、何をする義理も無いのに、わざわざ申し訳なさそうにメッセージで、『ごめんな、難しいかもしれない』と送って来た男に、もっと頑張れよ! と言える神経はしていない。


 溜息は重なり、どどんがはますます膝を抱えて涙目でうつむいた。フベとあんらくが留守にする際に、本当に大丈夫か? と聞かれ、胸を張って大丈夫に決まってんだろ、と言った過去の自分を忘れたいとぼやき、ぼんやりとした様子で教会の窓を見る。


 アレンは面倒くさそうに青年を見て、リクは不思議そうに青年を見る。目立つ髪色と目の色のはずなのに、びっくりするほど目立たない、悪い意味で影の薄い、凡庸すぎる青年であるどどんがは、ただでさえ人が多い教会の中でも一際影に紛れていた。


 そのせいか、彼を見つけたその人物は、第一声でこう言ったのだ。


「うっわ、影うっすいのに、マジでこの髪色と目なわけ?」


 頭上から降ってきた声に、どどんがはぼんやりしたまま顔を上げた。知り合いはほとんどがログインしておらず、していても遠くにいるはずだよな、と考えて、どどんがはゆっくりと首を傾げて浮かんだ疑問を口にする。


「え……と、誰だ?」


「私は〝さかき〟。所属は『世界警察ヴァルカン』。良い話があってアンタを探してたんだよね――〝大間抜けのどどんが〟さん」


 どどんがを大間抜け、と言ったのは、すらりとした長身の女だった。茶色の革鎧に、要所にだけ金属鎧を身に纏い、自己紹介通りに腰には林檎のキーホルダー。


 彼女はよく通る声ではきはきと喋り、周囲の視線を集めようとも気にせずにどどんがを冷めた目で見下ろした。彼女はまるで、どどんがの立ち位置などわかっている、とでもいうように、長い腕を無造作にどどんがに向かって伸ばす。


 もしもこれが、フベやあんらくに向けられたものならば。たとえセーフティーエリア内だとしても、すぐ横にいるアレンとリクが許さなかっただろう。


 けれど、立て続けの失敗と、本人の気質、頼りなさに、情けなさが災いしてか、仲間の契約モンスターにまで見限られたどどんがは、誰の制止も受けずに榊と名乗った女に首根っこを掴まれて乱暴に立たされる。


「ッ――なんッ!?」


「立てよほら、挽回のチャンスを持ってきてやったんだから、ありがたく頭下げな!」


「急に現れてなんだよお前!?」


 手酷く扱われ文句を言うどどんがに、榊はぐっとその顔に自身の顔を近づけて、凄みの効いた声で哀れな男に現実を突き付ける。


「立場をわかれ、って言ってるんだよ。わかる? ほら、見なよ。。仲間の契約モンスターがアンタを庇いもしないってことの意味がわかる? ――庇う価値無しってことだよ!」


「――ッ」


 青い三白眼が見開かれ、悲しみと悔しさにわずかに歪んで伏せられる。わざわざ、大間抜けと強調し、榊はわざと周囲に聞こえるように声を張り上げる。

 周囲のプレイヤーも、なんだなんだと視線はやるが、口を出す者はいない。


「考えもせず、疑いもせずに騙された間抜けだから、モンスターにも部下にも見限られるんだよ。ま、そんな失敗を挽回できる話を持ってきてやったんだ。聞きたいだろ?」


「挽回……?」


 いぶかしげに眉を下げるどどんがに、榊は彼の首根っこを引っ掴んだまま言い放つ。


「――狛犬の所へ案内しろ」


「……へ?」


 途端、座ったまま事態を傍観していたドルーウ達。アレンとリクが耳をピンとそばだてる。セーフティーエリア内だから口を挟もうと思えば挟めるが、彼等は黙ったままじっと榊を探るような目で見つめていた。


 反面、頭の回転が遅く、考えるのが苦手などどんがは、その意味が呑み込めずにぽかんと口を開けるだけ。馬鹿を見るような目をした榊が、そんなどどんがにもわかりやすいように言い直す。


「仮代表として、そこのドルーウ2匹の仮契約権を委譲されたと言っていたでしょ? だから、〝強制命令〟で狛犬のところまで黙って案内させろって言ってんの」


 それは、1億賞金首だからというだけではない。もう攻略組は狛犬をつるし上げなければ、組織の面目が保てないがゆえの提案だった。勿論、榊には断らせる気ははなから無い。


 どうせドルーウ達は抵抗するだろうから、通常の契約モンスターでも行使することの出来る、モンスターの意思を無視した特別な命令――〝強制命令〟で狛犬の居場所を示せ、と彼女は言い、どどんがはそれにただただ目を丸くした。


「でね、それが出来たら、ご褒美だ。アンタのとこからの〝寄付〟――全額、そっくり返してやるよ」


「――」


「いい話だろ? 馬鹿にも分かる簡単な話だ。いいね、狛犬の所へ、黙って歩けと命令しろ。そうすれば後は金が手に入る。わかる?」


 話のすじを理解して、アレンとリクが低く唸り声を上げ始める。しかし、彼等に有効な手段は無く、〝強制命令〟で指示されれば、嫌でも狛犬の居場所を暴露することになりかねない。


 2匹は立ち上がり、どどんがにも榊にも轟くような唸り声を上げ始める。榊はそれを見下ろして、ふん、と鼻を鳴らしてどどんがに言った。


「見なよ、アンタにも唸ってるよ。どんだけ信頼が無いんだか。……アンタさ、すごく腹立つんだよね。馬鹿で間抜けで、でも調子だけ良くてうじうじうじうじ。黙ってないで早く返事しなよ。どうせ、金が必要なんだか――」


「――放せ!」


 苛立ちに満ちた榊の言葉をぶった切り、どどんがが身を捩ってその腕から逃れてたたらを踏んだ。青年は怯えきっていて、悔しさに唇を噛み、へっぴり腰で欠片も威厳など無かったが――



「ふ、ふざけんな! そんなことしたら、アレンとリクが嫌がるだろ! だ、大事な仲間が嫌がるようなこと、俺はしない! 金なんかいらないから帰ってくれ!!」



 ――それでも彼は、はっきりとそう言った。



「……ば、かのくせに! 粋がってんじゃ――!」



 予想外の返答に虚を突かれ、ぽかんと口を開けた榊が理解と共に沸騰した怒りをぶつけようとしたその瞬間、


『――』


 黒と、白と、橙の獣。それがどどんがの前に割り込んで、振り落とされた拳をその横背で受け止めた。


 榊がしまった、と引きつる喉で小さく後悔を口にして、その拳を受け止めた獣――アレンは静かな声で問う。



『仮とはいえ俺らの主人に――手を上げたな?』



 セーフティーエリア内。それは、どんな暴力も、どんな攻撃スキルも意味を持たない絶対空間。けれどそのことわりは――モンスターに手を上げた瞬間に崩れ去る。


「ッ、ちくしょ――!」


『【砂杭ダラム】!』


 ごう、とアレンの一声と共に風が吹き、次の瞬間には榊の胸を背後から砂色の大杭が貫いていた。正確無比に心臓を貫かれ、榊は〈即死〉扱いで死に戻る。ここは教会なので、すぐ近くに移動しただけとも言えるが、それだけでは無いことは誰もがよくわかっていた。


「あ……ありがとう」


 ぺたりと。床にへたり込み、呆然としながらどどんがはそう言った。先程までとは打って変わって、リクがぴたりとどどんがに寄り添って、べろべろとその頬を遠慮なしに舐めまくる。


 見直した! と元気よくリクが言い、見直した、とアレンも落ち着いた口調でそう言った。どどんがはそれに照れたように笑い、周りで恐々と見守っていた者達も、口々にどどんがの背や肩を一叩きしながら、よく言った! や、あれで良いんだよ、と声をかける。


 一気に騒がしくなる教会の中で、不意にアレンが耳をそばだてた。遅れてリクもどどんがを舐めまわしていた顔を上げ、2匹は弾かれたようにどどんがの袖を噛み、引きずって教会の外に走り出す。


「わ、わ、なんだ! どうしたんだ?」


『リーダーの声がした!』


「リーダーって……あ、ギリーっていうドルーウか?」


 リクの返事にどどんがは納得した顔で頷いて、続けてアレンがその意味を噛み砕いて説明する。


『そう。リーダーからの指示ってことは、ご主人からの指示だな』


「狛犬さんからかー、大変そうだもんなあの人。何だって?」


 今まさに、お前も大変なんだけどな、という言葉を呑み込んで。アレンは一度口を閉じ、それから気を取り直してどどんがに言う。


『伝言ゲームだ。エフラーから、アルカリ洞窟群までの』


「伝言ゲーム?」


『文面にすると、こうだ』




 ――砂竜ニブルヘイムへ。謳害を突っ切って、オーバー大樹海地帯の向こうに逃亡しようと思うので、タクシー係りを頼む。狛犬より。




「へえ、謳害を突っ切って逃亡かぁ。確かに今、誰も向こう側に行けない……え!? 謳害を突っ切って逃亡!?」


 本気で!? というどどんがの叫びを無視し、アレンは遠吠えを上げてそれを仲間に伝えていく。かつて、同じ群れだった者達に。今は束の間、離れ離れになった者達に。



 ドルーウと、そのにしかわからぬ言葉で。



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