第百四十話:目覚めのベッドは深紅の色

 


第百四十話:目覚めのベッドは深紅の色




 じっとりとした感触を背中に感じながら目を開けた。


 見覚えのある天井が目に入り、次いでそこが、我らが『ランナーズハイ』が借りている家の自室であることに気がつく。


 誰かが運んでくれたのか、背中にはたっぷりと返り血を吸って重く、寝心地の悪くなった真っ赤なシーツがあった。背筋はいきんがひきつるのを感じながらゆっくりと起き上がり、自分はぼんやりとした意識を引き締める。


 自分は、白井狛乃。ここでは、狛犬。亜神ではなく、間違いなく人としての自分を意識しながら、時間をかけて息を吐く。


 ぼんやりしながらも視線を感じて横を見れば、不安そうな黄色の瞳と視線がかち合った。黒と、白と橙の毛皮に赤を混じらせ、ギリーが心配そうに自分を見つめていたのだ。


 すぐさま声をかけようとして、自分は彼になんて言うべきかを迷って口を閉じる。


「……」


 互いに沈黙。ギリーは緊張した面もちでこちらをじっと見つめていて、自分はそこに拭いきれない恐怖と不安を見た。怒られた子供が親の機嫌をうかがうように、ギリーは動かない。


 普段ならばすぐさま動き、のばした腕に頭や首をすり寄せてくるはずの巨体は動かず、じっと頭を低くして自分の目を見つめてくる。


 だからこそ、自分は笑顔と共にはっきりとこう言った。


「ただいま、ギリー!」


『……!』


 とたん、自分の声の調子や目を見て気がついたのか、ギリーが自分に向かってタックルをかますように飛び込んでくる。


 あるじ、あるじと舌足らずに繰り返しながら必死になってすり寄ってくるギリーを抱きしめ、わしわしとその背を派手に撫でてやると、部屋の隅に隠れていたらしい橙とネブラも勢いよく飛び込んできた。


「よーし、よーし! 心配かけたね、みんな。ごめん!」


 まるごと抱きしめ、少し手荒くても撫で回せば、子竜達も安心した様子で満足げにきゅうきゅうと鳴く。

 今回の一件でかなり不安にさせたと思うのだが、子竜達の方が立ち直りが早かった。


 小さな竜達は自分が普段通りに戻ったと知るや、ひとしきり甘えてからすぐに落ち着いたものの、ギリーはひたりと自分にくっついたまま動かない。


 仕方がないのでギリーを傍らにひっつけたまま、自分は両手で自分の頬をぴしゃりと叩き、心機一転、と呟いてから立ち上がる。


 ぐっしょりと全身が血に浸っているのが気持ち悪いが、とりあえずは先にやることがある。


「――すみません、いつもの狛犬、戻りました!」


 ご迷惑をおかけしました! と言いながら、階段を駆け下りて居間の扉を開け放ちながらそう言った。


 扉の先には、椅子やソファに座る数人の『ランナーズハイ』の皆様方と、弥生ちゃんと月影さん。何人かは目を丸くし、何人かは安堵した表情でああ、と言う。


「おかえり、もう大丈夫そうね」


 嬉しそうに弥生ちゃんがそう言って、一瞬だけ驚いた顔をしたデラッジは注意深く観察するような目で自分を見る。けれど、すぐにいつも通りだということはわかったらしい。元気そうだね、一億さん、と鋭い皮肉を投げかけてくる。


「……ごめん」


「別に。〝絶対に燃やすな〟って言わなかったノアさんが悪いんだから、僕はそんなに気にする必要は無いと思うよ」


 何か起きると一番最初に皮肉は言うが、デラッジは仲間内のことなら大抵のことは仕方がないと言って深く追求したりはしない。さっぱりと言い切って、師匠達は諸々の用事で出払っていると教えてくれた。


「無事で良かった? です」


 月影さんも疑問符をつけながらもにこりと微笑み、銀鱗刀雷丸との一騎打ち、すごかったですね! と相変わらずの呑気さで興奮した様子で拳を握る。


 アリガトウゴザイマス、と片言で返事を返し、気まずさに視線をさまよわせる自分に、じっと自分を見ていた雪花は片眉を跳ね上げるだけで無言。

 目だけで謝れば、彼はそのオレンジの瞳をゆったりと細め、気をつけてよね、とでも言いたげに唇をちょっと曲げてみせた。


 自分にひっついていたギリーは雪花と目が合うとすぐさま彼の下に走っていき、何か訴えるような鳴き方をしながらその横腹にしきりに頭をこすりつけていた。いつの間に仲良くなったのか、雪花もなだめるようにギリーの背中を撫でて、何か小声で二言、三言を囁いている。


「それで、えーと……状況は……」


 恐る恐ると全員の顔を見回しながら聞けば、朶さんはレベックを護衛にして被害者への取材を行っているらしく、ノアさん達は文字通り二重の意味で〝火消し〟に奔走しているらしい。


 とりあえず、犯罪者を抱えたNPKノンプレイヤーキラーギルドはギルドメンバーの犯罪行為に対して責任を持たないが、そういう問題でもない、というのは自分でもわかる話だ。


 ギルドメンバーにも、ギルドのリーダーにも指名手配の引き渡し義務などは無いが、対面というものもあるし、実際にフィールドで活動中にPKKに討伐されても文句は言えない。


 今後、ギルドとしてもどうするか。問題はそこなのだが、フローレンスの討伐に赴く前、師匠――ノアさんは、もしもそうなったら拠点を竜脈に移そうと言っていた。


 デラッジの言うとおり、師匠は〝絶対に燃やすな〟とは言わなかった。できれば穏便に、けれども、どうしても必要ならばそうしてもよい、と言ったのだ。


 だから、もしも樹海が炎上し、莫大な賞金がかけられた時のことについても、話し合いはメンバー全員でおこなっていた。

 色々と意見や仮定の話が交わされたが、結論としては、やはりギルド解散は第一回公式イベント達成までしたくない。けれど、もしもそうなったら地上での活動は無謀すぎると。


 何回か、向かってくる奴は全部迎撃しながら、無理やりにでも地上で活動する案も出たが、攻略ギルドが本気を出して討伐部隊を編制すれば、10人にも満たない小規模ギルドは抵抗不可能だという結論が出た。


 他にも、アルカリ洞窟群を拠点にする案も出たのだが、安全性は最高なものの、いかんせん〝始まりの街、エアリス〟に近過ぎて、攻略最前線とされる北部からはかなり遠いという立地の問題が大きかった。


 最大の目的は第一回公式イベントの攻略活動なのだから、安全性だけを求めてはいられない。けれど、大事おおごとにしないように努力しようと思っていたのに、全て台無しにしてしまった自分は何を言うことも出来ないジレンマがあった。


 そりゃあ確かに絶対に止めろ、と言われたわけではないが、大手を振ってやっていいことでは無かったはずだ。

 森を燃やした直後、ロメオさんや銀色の虎との戦いは他人の記憶のような感覚だが、樹海を燃やす決断を下したのは、間違いなく亜神としての自分ではなく、人としての自分だ。むしろ、あの状態ならば樹海は燃やさずに違う作戦を立てただろう。


 悪い癖が出た、と言うのは簡単だが、短気の結末から目を逸らすわけにはいかない。自責の念で口を閉ざし、立ち尽くす自分にデラッジは肩をすくめながらこう言った。


「ま、気にするなって言ったって仕方ないよね。納得いく償いでも考えれば?」


 雪花もとりあえずは師匠達の帰りを待とう、と言い、気を使った弥生ちゃんと月影さんが、お茶を淹れたよ、と声をかけてきてくれる。


 行き場の無い気持ちを引きずったまま、呼ばれるままに彼等が座るソファにのそのそと歩いていく。ふかふかしたそれに座りかけて、すぐに自分が血塗れだということを思い出して腰を浮かした。


 もそもそと床に胡坐をかき、手渡されたマグにたっぷりと注がれているミルクティーの水面をしょんぼりしながら覗き込む。うなだれる自分の足の間には橙が仰向けに転がり込み、ネブラがすかさず返り血が乾燥しきっている頭の上に陣取った。


「ドンマイ。ま、大丈夫よ。多分、数週間はよほどの物好きしか挑んでこないわ」


「……どういう意味?」


「もしかして、あんまり覚えてない?」


「覚えてるけど……他人の記憶みたいな感じ」


「わぁ……」


 主語が無くとも、弥生ちゃんが何を言っているのかはわかる。恐らく、亜神の時にやらかした無差別攻撃のことだろう。


 ロメオ率いる魔法部隊に、遅れて追い付いてきた他のプレイヤー達、草原に潜んでいたPKプレイヤー達に、銀色の虎のようなモンスター。よく思い出せば、その背にはレベックも乗っていたような気がする。


 悲鳴を上げて逃げる彼等に追いすがり仕留めた記憶はあるのだが、それは動画を見るような感覚で、どうにも胸の内にはもやもやした感じが残っている。


 憮然としたままミルクティーを啜り、その温かさにじんわりと指先と腹に熱が移った。弥生ちゃんはほっそりとした指先でスクリーンを操り、公開設定にして自分にそれをひょいと見せてくる。


 掲示板には、ドン引き、と言われても仕方が無いかな、という形相の自分のスクリーンショット。というか、今まさにそれを見た本人がドン引きして頬を引き攣らせる中、弥生ちゃんは感慨深げに頷きながら、そこに書かれた諸々の反応をいくつか読み上げる。


「〝悪鬼、狛犬〟、〝狂犬呼びでいいよもう〟、〝これはちょっと怖すぎる〟……エトセトラ、エトセトラ」


 それを聞きながら自分を真ん中にし、弥生ちゃんとで挟むような位置に座りなおした月影さんは、ほんわかした見た目のわりに豪気ごうきなのか、そんな悪名が轟いている自分に対し、引いた様子も無く話しかけてくる。


「あのっ、あのっ……! ロメオさん達との戦いで、魔法のをしたよね? あれ、どうやってやるのかな?」


「あー……武器の魔法攻撃力と腕の筋力で、対象魔法の魔法陣を一定割合以上崩すんです」


「へぇ! 筋力値いくつか見せてもらってもいい? あ、あと頭骨コレクションは此処にあるの? それともエアリスの倉庫とかに?」


 魔法の打ち消し、すっごくかっこよかった! と言い切る月影さんは、自分の凶行など全く気にしていないらしい。遠まわしに聞いてみれば、月影さんの基準では迫力があってよかったよ! 程度の認識らしい。それはそれでどうなのだろうか。


「コレクションは――」


「……?」


 コレクションは自室に、と言いかけて、ふと母との思い出がよぎり唇が震えて固まった。思い出したばかりの記憶は未だに馴染まず、けれどもう二度と消せないそれは一瞬だが自分の動きをぎしりと止める。


 すぐに目を閉じ、思い出を振り切って目を開ける。此処でのことに現実の問題は出来る限り持ち込みたくはない。けれど、月影さんはその一瞬で何かを感じ取ったらしい。無理しなくても、と言う彼に微笑んで、大丈夫、と言って橙を抱えながら立ち上がる。


 弥生ちゃんも、何だかんだと言いながら私も見たいと言うので、2人を連れて階段を上がり、自室へと案内する。

 自分が初めて仕留めたグルアの頭骨を手に、しげしげとそれを眺めながら弥生ちゃんはぽつりぽつりと今後、どうするつもりなのかを話してくれた。


「とりあえず、フローレンスの素材は私が貰うことになったから、それで装備の一部を作ろうと思うの。で、それが終わったらまたソロに戻るわ」


 月影さんは素材はいらない、と言ったらしく、フローレンスの素材は全て弥生ちゃんが活用するらしい。出来れば自分が贔屓にしている武器屋のお姉さんに、それを防具に加工してほしいという話に頷いて、後でメッセージを送ることを約束する。


 その後はソロ活動に戻り、気ままに楽しむ予定だとか。月影さんの方も、明日からはまた現実での仕事が忙しいらしく、しばらくは暇を見つけてログインし、ソロで楽しむつもりのようだ。


 ずっとコレクションを見たがっていた月影さんは、博物館に来たみたいだ! とはしゃぎながら、1つ1つの骨をじっくりと眺めている。

 なるほど、確かにそういう言い方をしてくれると、猟奇趣味的ではなく、学術的なコレクションっぽく聞こえてくる。


「狛ちゃんも、頑張ってね。まあ、周りが怯んでいる間に、地盤を固めておいたほうがいいとは思うけど……」


 なんせ1億だし、と弥生ちゃんと月影さんが言うように、つい昨日までの最高賞金額500万をぶっちぎり、9桁ともなると大金が欲しいプレイヤーが放っておくわけも無いだろう。


 フィールドにいる間は、今まで以上に本気で警戒しなければいけなくなる。適応称号持ちもちらほらと増えてきている上に、新アビリティが発見されるのは毎日の事。それだって全てが知られているわけではなく、今や誰が何をしてくるかはわからない。


 膨大な数のアビリティに取得制限は無く、だからこそ多彩でもあり、その分だけ対策も立てにくい。完璧なマニュアルなど存在せず、ここ【Under Ground Online】で勝ち続けるのは難しい。


 攻略組の泡銭あぶくぜにで賞金を帳消しにしてもらう前、少額といえども賞金首であった自分が狩られることが無かったのも、竜脈を使って移動する以外では、必ず『ランナーズハイ』の仲間と一緒にいたからだ。


 これが自分と雪花、ギリーと子竜達だけとなれば、不意打ちや奇襲からの死に戻りの確率はもっと高かったはずだ。それを思えば、1億という桁違いの賞金額は頭の痛い問題だ。


 強くなり、有名になりたい、という願いはある。VRの中で犯罪者ロールをすることも悪くないとは思っている。けれど、タイミングも何もかもがよろしくない。

 これで、他にも賞金額が9000万だとか、8桁代、もしくは億より上の賞金首がいるのならばまだいいのだが、現状、これでは自分だけが狙い撃ち状態だ。


 どこぞで連合でも組まれて、イベントボス扱いでロメオの部隊以上の団体で挑まれたら厄介すぎる。山分けしても十分な額である以上、それこそ金はあるだけいいというスタンスの攻略組が、討伐部隊を編成してやって来る可能性も十分にあるのだから。


「出来るだけ頑張るけど……まあ、どこまでやれるか見ててよ」


 死ぬにしても1億くらいの損害を出してから死に戻るから、と言えば、弥生ちゃんと月影さんは安心したように笑い、月影さんは悪い笑みを浮かべながらそっと耳打ちしてくれる。


「大丈夫。燃えた樹海の分だけで、それくらいの損害は出てるからね」


「あー……」


 そうですよねー、と苦い顔をする自分に、弥生ちゃんが鈴を鳴らすように笑ったのと同時に、下の階からデラッジのやる気の無い声が聞こえてくる。


「狛ー。ノアさんたち帰って来たよー」


「今行く!」


 自分はすぐに返事をして、頷く弥生ちゃん達と一緒に階段を下りて行く。明日からの道行きを決め、新しい道を歩き出すために。







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