第百三十九話:鵄色の瞳のラプラス

 




 淡く、青く光る洞窟の奥にそれはあった。


 岩肌に反射し、さざなみのように揺れる青影せいえいの下。


 巨大な獣が地に伏して、そのまま白骨化した名残だけがぼんやりと影に揺れていた。


 一抱えほどもある肋の骨が等間隔に並び立ち、半ばは白砂に埋もれている。


 その中を小さな影が進む。砂を踏み、小さな足跡を残しながら、骨と比べれば小さな猫が落ち着かない様子でふらふらと動いている。


 長い尾がふっと振られ、ビロードのような黒い毛皮を光らせながら、黒猫は巨獣の肋で作られた檻の中でぐるぐると歩き回っていた。


 時折、肋骨を舐めるように下から上へと視線をやり、忌々しげに青とも緑ともつかない瞳が細められる。隙間だらけに見える牢獄に、一分の隙間も無いことは黒猫――獣王自身もよく知っていた。


 ある意味では、そこは玉座のようではあった。青く波打つように光る洞窟の底、ドーナツ型の地底湖の中央にある白砂の小島。小島を覆うように伏せて朽ちたと思われる、巨獣が残した肋の牢獄。


 その中でだけ自由を許された獣王は、やがて諦めた様子で白砂の上に伏せ、そしてその猫の口が緩やかに動き、魔法の言葉を呟いた。



「――【ログアウト】」



 ――サーバーにより、現在その行為は禁止されています。



 けれど、魔法の言葉はすぐさま跳ね除けられる。機械音声が無情にもログアウトの言葉を拒否し、獣王は文字通り、二重の意味で囚われたままうなだれる。


 その青とも緑ともつかない瞳に浮かぶのは、諦めと退屈の色。猫の小さな口が動き、ざらついた舌が人間の言葉で囁くように言う。


「誰かが私の話をしている気がしたのだけれど……」


 出してくれないかなぁ、琥珀君……、と言いながら、猫は白砂の上にごろりと腹を見せて転がった。だらしなく四肢を投げ出し、洞窟の天井を見つめながら黒猫は前足で宙をかく。



「……ああ、狛乃に会いたいなぁ。あの、すごーく好きなんだけれど、なかなか見られなくってなぁ」



 暇だなぁ、と猫は呟き、そうして時間が過ぎ去っていく。



































第百三十九話:とび色の瞳のラプラス
























 ――現人神ハブを探す。


 自分でも荒唐無稽だと思う宣言が、客間に静寂を引きずり込んだ。


 冷えた思考が巡り、掲げた目的の達成がどれだけ困難かを伝えてくる。けれども、彼の神が真に不滅だというのなら、この世のどこかに必ずいるのだ。いるからには、見つけられない道理は無い。


『だから、教えてほしいんです。ブランが学ぶように、自分もの世界の知識が欲しい』


 指先を滑らかに動かして、自分は出ない声の代わりに電子音声で意思を伝える。荒唐無稽なのは、知識がないからだ。何もかもを、そういった世界の常識の全てを知らないからだ。


 ならば現実的ではない目標を、手の届くものにするために。



「――いいんじゃないですか? じゃ、豹雅君、ソロモンの授業に招待しては?」



 知識を求める自分に対し、沈黙していた琥珀さんは軽い調子でそう言った。しかし、呼びかけられた氷室さんは、苦虫を噛み潰したような顔で低く答える。


「レジナルドにどう説明する気だ。第一、10代前半の中に混ぜるわけにいかないだろう。すぐに噂になって、誰がどうちょっかいをかけてくるかわかったもんじゃない」


「あ、あの――なら、助手という形はどうでしょう?」


 無理だ、と吐き捨てた氷室さんに向かって、恐々と、けれどしっかりと片手をぴんと伸ばしてブランが言う。赤い瞳は期待でいっぱいに輝き、氷室さんと自分とを交互に見比べてくる。


「各先生方の助手という形で、鴫様が雇ったということになれば、レジナルド先生も怪しまないと思うんです!」


 琥珀さん、鴫様は狛乃さんに自己防衛能力を培ってもらおうと考えていると言ってましたよね! とブランは言い、今度は琥珀さんをじっと見つめてぎゅっと固く拳を握る。


「そういえばそんなこと言ってましたね。魔法でも錬金術でも、そろそろ何か習わせろと。一応、様子見という結論で保留になっていましたけど、許可が欲しいと言えば出してくれるでしょう」


 琥珀さんがブランの質問に答えれば、氷室さんの眉間に更に皺が刻まれた。けれど、上手い反論が思いつかないようで、赤毛の隙間に閃く銀色の瞳は諦めたように閉じられる。


 ブランは興奮気味に、そうですよね! と言いながら立ち上がり、こちらに向かって満面の笑顔を見せた。どうやらブランは自分が助手に収まり、一緒に授業を聞いたらきっと楽しい、と思っているようだ。


 気持ちは少しだけわかるような気がする。子供にとって、いつもと違うことは楽しいことと同じことなのだろう。彼は犬が尾を振るように勢いよく、大きくはきはきした声で自分に言う。


「狛乃さん! 授業は大抵真夜中ですし、来れますよね!」


『それは、勿論……』


 どうやら、ブランがソロモンで受けている授業に、助手という名目で潜り込み、子供達と一緒に基本的な部分から学んでいこう、という作戦のようだ。


 ブランが言うには、これならレジナルドにも怪しまれないし、わからないことや最も基本的なことはブランがノートを見せて教えてくれるという。


『本当にそんなことが出来るんですか?』


 そんなうまい話があるのか、と聞けば、氷室さんが実に嫌そうに頷いた。問題ないだろう、と言う低い声は諦めと疲労に満ちていて、その瞳はこれからを想像してか若干色褪せたようにも見える。


「許可も……下りるだろうな。一部はノリノリでいいよ、いいよと言うだろうし……。第一、現ソロモン王に異議を唱える奴なんかいるわけ……」


 ぶつぶつと呟く彼は深い溜息と共に茶を飲み下し、椅子にだらしなく座りながら琥珀さんを横目でちらりと見やる。


「……俺が申請して、俺が許可を取って、俺が方々に連絡するんだろうな?」


「よくわかってるじゃないですか、豹雅君」


 だと思った、と吐き捨てて、氷室さんは立ち上がる。先に帰る、追って連絡する、と言いながら彼は琥珀さんをじとりと見下ろし、琥珀さんは心得た様子でさっと上げた右手の先を閃かせた。


 指パッチンの音と共に氷室さんの姿は掻き消え、後には嬉しそうに頷くブランと、意外そうな目で自分を見つめる琥珀さんの2人が残る。

 何ですか、と聞こうとして腕を上げかけた自分を制するように手を上げて、琥珀さんは静かに言った。


「――未来には運命など無く、数多無数の道だけがある。あなたは今日、その中の1つを選んだ。その道が選ばれることは無いだろう、というのが僕の計算でしたが、あなたは確かにその道を選んだ……」


 それが意外だったのだ、と人の反応まで先読みする悪魔めいた存在は、そう独りちて口を閉じた。そうしてすぐさまブランに視線をやり、首を傾げる少年に帰りましょうか、と軽い口調で言って見せる。


「あ、はい! 狛乃さん、お邪魔しました。突然のことで驚いたとは思いますが、ええと、その、またお会いできる日を楽しみにしています!」


 ブランは礼儀正しく頭を下げ、椅子の位置まで戻してから更にもう一度頭を下げた。食い入るように自分の顔を見つめるが、少年はすぐにそれを恥じるように頭を振って視線を逸らす。


 琥珀さんがそれでは、と軽く挨拶し、自分は小さく顎を引いて頷くことでそれに応えた。すぐに彼等は軽やかな指パッチンの音と共に消えてなくなり、後には本物の静寂が訪れる。


 テーブルに残るカップだけが、来客があったことを証明していた。白熱灯の下で自分はゴーグル越しにぼんやりと瞬きを繰り返し、気が付けば数分後には、〝ホール〟の部屋へと歩を進めている自分がいた。


 冷たい機械に指先を置き、慣れた動作でカバーを開いて内部にひらりと横たわる。吸い付くように全身を包み、機体は小さな駆動音を響かせた。ゴーグルをむしり取り、適当に置く。


 頭の中で反響するのは、すでにもう一つの〝居場所〟と化した世界へと、帰らなければ、という遠い声。そう、そうだ。帰らなければ、ギリー達が待つあの場所へ。


 帰ってそして――、




 ――強く、ならなければ。





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