第百三十三話:凍てつくノイジィ・ハートⅠ

 


第百三十三話:凍てつくノイジィ・ハートⅠ




 踊るように彼等は戦う。


 赤い鱗に包まれた腕を振るい、狛犬がんでねての妙技を繰り出し、それに応えるように銀鱗刀雷丸ぎんりんとうらいまるも動きの密度を上げていく。


 狛犬は右腕で鞭のように振るわれる虎の尾を受け流し、銀鱗刀雷丸は隙をついてぶん投げられる魔石を太い腕で打ち返す。


 打ち返された魔石は起動しながら狛犬に迫るが、狂犬は視線もやらずにそれを叩き落すかのように踏み潰し、正しく筋力に任せて起動式ごと自身が込めた魔術のカタチを粉砕した。


 そのまま追って振るわれる銀鱗刀雷丸の腕を避け、小声で呟いていた炎の魔術が虎の目を狙って炸裂する。


 けれどすぐさま頭を振り上げ、銀鱗刀雷丸はそれを震わせた首元の鱗で相殺し削り切った。舌打ちと共に振るわれる腕は銀鱗刀雷丸の胸の鱗と毛を粉砕し、肉には届かないものの名のあるモンスターの背筋に怖気おぞけをぱっと走らせる。


 一進一退の攻防戦。


 傍目には決定打を打ち込めないでいる狛犬が不利なように見えるかもしれないが、こと【あんぐら】においては、名のあるモンスターとプレイヤーによる一騎打ちが出来てしまっている時点でだいぶおかしいということは、大半のプレイヤーが知る事実だ。


 いや、別に一騎打ち自体は不可能なことではない。不可能ではないが、そのために必要なスキルは対人とは大きく違い、まさに獣と戦うことを前提として動かなければそもそも戦闘が成立しない。


 サービス開始から満足に時間も経っていない今、パターン化された動きをするVRモンスター戦闘に慣れた多くのプレイヤーは、極少数の者を除き【あんぐら】式の戦闘に追いつけないでいる。


 狛犬もまた、ある程度は抜きんでているとはいえ、そこまでの実力を持っているわけではなかったはずだった。けれど今の狛犬はまるで慣れたもんだ、とでも言うように巨大な虎の動きを完璧に読み、見切り、完璧に戦いを成立させていた。



 銀鱗刀雷丸が遠吠えスキルをきめて勝負を決めようと焦れば、狛犬は冷静に巨体の下に潜り込むような動きを見せ、銀鱗刀雷丸は慌てて爪と尾を総動員して4条の攻撃でその動きを阻もうとする。


 悪夢のような切れ味を誇る爪を持つ狛犬が腹に潜り込めば結果はどうなるか、想像するのは難しいことではない。

 銀鱗刀雷丸もそれだけはさせてなるものかと妨害のために全力を出し、そしてそのために一瞬だけ隙が出来る。


 油断を誘うために詠唱は無し。代わりに放られた灰色の2つの魔石が両の手の甲でそれぞれ打たれ、起動し、二股の尾はすぐさま展開した鋼の板で防がれる。


 【デミット】は即席の盾となり、適応称号スキルの剛力でもってそのまま尾を弾き、内側から強引に爪を立てて削り込むように掴んだかと思えば、尾を流した勢いそのままに、振るわれる虎の両前足に真正面から鋼の板を叩き付ける。


 叩きつけられた鋼の板は銀鱗刀雷丸の爪に貫かれるも、貫いた先には竜の筋肉と一体になった凶爪がある。大型猫科モンスターの膂力にも負けない狛犬の腕は一歩も引かずに虎の爪と噛み合い、押し合い、互いが互いを弾き返した。


 突き指にも似た感覚に銀鱗刀雷丸が少し怯むが、狛犬は片側だけ赤く染まる目を見開き、ぴくりとも怯まずに大きく一歩前に出る。結構な衝撃があったにも関わらず、瞬きさえもしない敵に銀鱗刀雷丸の鼻面にわずかに恐怖の小皺が寄った。


 後ろに下がろうとして下にくる銀鱗刀雷丸の顎を狙い、踏み出された狛犬の左足が跳ね上がる。赤い鱗の赤竜のブーツ。それは見た目の攻撃性に違わぬ威力を約束する。


 底に仕込まれた特別製の金属板に、生きた竜の筋肉は使用者の筋力を余すことなく破壊力へと変換する。直撃すれば銀鱗を砕き、顎の骨を砕き肉をも陥没させる鋭い一撃。銀鱗刀雷丸も致命傷は避けざるを得ず、しかし振るえるものは今やその顎と牙しか残っていない。


 幸いなことに速さは神速には至らない。ならば追い付けると計算し、大口を開け、顎で噛み潰してその足を押し止めようとする銀鱗刀雷丸だが、次の瞬間に舌にひやりとしたものを感じて疑問符が思考を埋め尽くし――、


「――はッ!」


 ――嘲笑う声と共に口腔内で炸裂した獄炎に、声にならない悲鳴を上げて仰け反った。


 口を開けた瞬間に狛犬が足を引っ込め、代わりに炎の魔石を握り込んだ左爪を口に突っ込まれたのだと気が付いたのは、無我夢中で狛犬から距離を取り、焼け爛れた舌と喉からでは唸り声すら出ないことに気が付いたのと同時だった。


 強者の憐れみか、それともそれさえも敵対する者にプレッシャーをかけるための余裕の見せつけなのか……追撃をしかけず、所々が戦闘の余波で焼けてしまった草原で、狂犬が腹を抱えて笑っていた。


「ははははははは! ああ、ダメだろう。〝口は閉じるんだよ〟。いいね?」


 爪を立てるくらいなら許してあげるけど、噛むのはダメだ、危ないだろう? と。まるで飼っているペットに厳しく、しかし優しく言い含めるように狛犬が言う。


 首を傾げながら笑顔で言うが、その目はくすりとも笑っていない。赤と黒のオッドアイがちらりと横に注がれて、まだ時間はあるな、とその唇が無感情に呟いた。


 そこだけはまるで機械のように、計算されつくした稼働時間を確認し、狛犬はぐっと腕を伸ばして惚れ惚れするとでもいうような目つきと動作で『レッド・デヴィル』を月にかざす。


 そのまま視線は流れ星のように夜空を下り、熱さと爛れた喉の痛みにのたうち回る銀の虎を射抜く。銀鱗刀雷丸はその目を血走らせ、全身の銀鱗が狛犬の視線で総毛だった。


 纏う紫電が増幅され、さながら雷の化身の如く発電と発光を繰り返しながら、もう出ない声の代わりに雷鳴が吼え声となって月下に激しくとどろき渡る。


「――代わりの声の方が良い声だ」


 にっこりと微笑むその横顔には返り血の赤が散り、そして適応称号保持者であることを主張する深紅の紋様が横断する。


 けれど、その横顔が普段とは明確に違うことに、誰もが気が付けないでいた。それは普段とは違う凶相のことではなく、酷薄な微笑みでも勿論ない。



 もっと明確で、もっとわかりやすく、そして最も不可思議な違い。



「……よし、楽しもうか! 銀鱗刀雷丸ぎんりんとうらいまる!」



 その頬に、ことに――誰も気が付いていなかった。











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