第百二十八話:炎原の覇者

 







「〝全 て を 燃 や せ〟!! ――【深紅の獣竜王ヴルガンダスト】ォ!!」



 ――呼び声と共に、それは夜の樹海に現れた。



 立ち上がる鎧獣竜種の全身を模した橙色の炎塊えんかい


 樹海を構成する高さ15メートルほどの木々よりも巨大なそれは、のっそりと炎で出来た瞳でオーバー大樹海地帯を見下ろした。


 巨大な岩のような鱗の一枚一枚が抉り取るように巨木を削り、断面から容赦なく生木を燃やしていく。


 その後ろ足に踏みしめられた下草は、青草が焼ける時特有のバチバチという炎上音を上げながら瞬く間に燃え上がった。


 巨大な獣竜は炎で出来た顎を開き、炎で出来た牙を剥く。鎧のような尾は振るわれるままに夜空を割き、極大の光と熱を振り撒きながら、獅子吼ししくと共に頭蓋を月へと伸び上がらせる。


 晩秋のログノート大陸。美獣フローレンスの討伐に挑む3人のプレイヤーの様子を追っていたはずの朶のカメラに映るのは、さながら怪獣映画のような光景。


 煙と炎と熱波が吹き荒れ、オーバー大樹海地帯を蹂躙している様を、朶はその〝目〟でしかと見ていた。


「――視聴者の皆さま、見えますでしょうか! 獣竜を模した炎の塊が吠えています! オーバー大樹海地帯が炎上! 現場では、煙と熱波が吹き荒れています!」


 自身の瞳をカメラとし、実況を続けるとぶさが叫ぶ。


 木々は瞬く間に燃え、炭化して黒くなった葉は原型を留めたまま上昇気流に舞い上げられる。それはさながら黒い雪のように、風に導かれてはひらひらと地上へ落ちていった。


 上へ上へと上がるのはそれだけではなく、灰と膨大な熱が落ちることなく昇っていき、灰色の不吉な積乱雲を作り出し始めている。


『DDD支部局』に公式生放送の枠を持つ【ぐらてれ】は、その画質の良さと朶の解説、そしてゲーム内で起こる大事件の数々をリアルに伝える人気番組と化しているが、それにしたって今回の生放送は大迫力過ぎると言えるだろう。


「煙と熱波が酷いですが、いつもの解説コーナーに入ります! これは〝狛犬〟が持つアビリティ、〝召喚士フールナー〟のスキルですね! 詳しくは後日アビリティ講座にて放送しますが、これは〝召喚士フールナー〟のスキルの中でも、《類縁喚起るいえんかんき》と呼ばれるたぐいのスキルです!」


 ブランカからの借りものである白いグリフォンに跨り、炎の怪物の周りを旋回しながら朶は声を張り上げる。もうもうとあがる煙を避け、時折熱風に煽られながらも、彼は生き生きと実況を続けていた。


 急速に発達する積乱雲を横目に見ながら、彼は安全と面白さを天秤にかける。天秤の結論はあっさりと〝まだ大丈夫〟に傾き、朶は再び視線を荒れ狂う大怪獣へと戻していく。


「炎獄系の獣竜種との契約によって習得できる《類縁喚起》の1つ、【深紅の獣竜王ヴルガンダスト】は、『獣竜王ヴルガンダスト』の姿と力を巨大な炎の塊として召喚するスキルだと本人から聞きました!」


 解説の合間にも小さな爆発が巻き起こる。煙と炎による熱で視界が悪くとも、それは朶の目に――つまりはカメラにばっちりと映っていた。


 全身に赤い紋様を浮かび上がらせ、防炎マントで出来た黒い半袖シャツをひるがえしながら、逃げ惑う美獣フローレンスに追いすがる狂犬の姿。


「最大の特徴は、通常の魔力ではなく体力を消費して発動していることですかね! それにしても、あの炎の竜は立ち上がれば目算で20メートルはある! ああ、本当に煙が酷いです! 野次馬をする方は十分に対策を講じてください!」


 映像の中、現実の中、狂犬は絶えず炎の魔術を唱え、連発しながら必死に逃げる美獣フローレンスを追っている。

 一見するとその様子に理性は無いが、遥か上空から全てを見下ろす朶には、その狙いが手に取るようによくわかった。


「かなり大規模な召喚スキルですが、気になるのはその持続時間ですよね! ではこのスキル、どんな条件で発現しているかというと、持続時間は周囲のオブジェクト燃焼率に依存します!」


 連発される【ガル・ブラスト】はオーバー大樹海地帯の各地で小爆発を引き起こし、時折その火柱が天を焦がさんと伸び上がる。


 召喚スキルによって呼び出された【深紅の獣竜王ヴルガンダスト】も更なる破壊を振り撒きながら、狂犬の指示通りにフローレンスの逃げ場を灰にしていく。


 実況の声が言うとおり、視聴者の半数は疑問に思っただろう。適応称号スキルでもないのに、何故、こんなにも規模の大きい現象が、制限時間を持たないのかと。


 その答えを、朶はあっさりと口にする。事前に狛犬に許可を取っていたからともいえるが、一番の理由は、例え条件がわかったとしてもあまり意味がないからだ。


「オブジェクト燃焼率――つまり、周囲の〝物体〟を燃やせば燃やすほど、持続時間が延長されるということです! これが砂漠や岩場、海や草原だったなら、この炎はせいぜい15秒程度で消え去るはずでした!」


 朶の言うとおり、このスキルは本来ならば平均持続時間は20~30秒程度。その規模と熱量を引き換えに、発現力には劣るスキルのはずだった。


 けれど条件さえ整えば、全てを焼き尽くすまで消えない業火となる。


 つまり美獣フローレンスが逃げれば逃げるほど、オーバー大樹海地帯の死期を早めることになるのだ。

 炎そのものに追われ、炎に焼かれぬ狂犬に追われ、美獣フローレンスは朶が上空から見つめる中、誘導されるがままにひた走る。


 その表情は今や誰が見てもわかるほどの恐怖に彩られていた。呑み込まれれば骨まで灰になりそうな炎に追われ、片腕を失くした銀色のアーダーワオキツネザルは弾丸のように疾駆しっくする。


 誘導先は――月影の適応称号スキルに守られ、炎原の中を安全に移動することが出来た仲間たちが待機する、そこだけ木々が存在しない、ぽっかりと開けた空間。

 最悪、樹海を燃やすことになったなら、月影のスキルでそこまで移動し、待っていてくれと狛犬が仲間たちに指示した場所。


 弥生は武器を取り落させられた屈辱を晴らす、とでもいうように、恐ろしいまでの無表情でモーニングスターを手に仁王立ち。

 月影はオーバー大樹海地帯の惨劇に流石に冷や汗をかきながら、盾を構えて燃え盛る樹海を見つめていた。


 彼等の様子を映し出しながら、上空の実況者は放送を盛り上げるために更に声を張り上げる。


「此処は多数の木々に埋め尽くされた、オーバー大樹海地帯! 燃やすものはいくらでもある! つまりは――わかりますね! この炎の竜は狛犬の気が変わるか、死ぬか以外では、この大樹海を全て燃やし尽くすまで発動時間が延長されるということです!!」


 まさに森林破壊か街の制圧のためにあるようなスキルですね! と叫ぶ朶の眼下、狩られる者となった美獣フローレンスが悲鳴を上げながら走り続ける。


 逃げ場を失くして炎原を駆け抜けるその毛皮は焦げつき、燃える木々を蹴る腕には小さな火傷が増えていく。


 しかし、その背を獣のように追い立てる狂犬の肌に、火傷などどこにもない。これだけの炎の中を無傷で進めるのは、それこそ赤竜トルニトロイなどの炎獄系の名のあるモンスターか、現在のプレイヤーの中では狛犬ただ1人だけだと言えるだろう。


「狛犬の適応称号スキル、制限時間は残り3分ほど! さあ狂犬が炎の加護を失って燃え尽きるのが早いか、それとも美獣フローレンス――その首を狩るのが早いか!」



 朶の叫びとほぼ同時。美獣フローレンスが半狂乱のまま炎原を抜ける。


 冷たい夜気をむさぼるように吸い込んで、フローレンスは束の間の希望に速度を落とし、枝の上に停止した。

 ひんやりとした木肌にホッとして、巨大なキツネザルは炎に炙られ高熱となった息を吐く。


 それは、フローレンスからしたらほんの一瞬の休息のつもりだったのかもしれない。背後から追ってくる狂犬から逃げるために、ここで一息つかなければという思いもあっただろう。


 だが休息を選んだのは間違いだった。どれだけ焼けた手足が辛くとも、フローレンスは一瞬でも足を止めるべきではなかったのだ。



 何故なら、そこにはが待っていたのだから。



『――ミ゛ア゛ーーーウ゛ゥ゛!!』



 追い詰められた獣の悲鳴。緑の目の悪魔は隠れていた茂みから飛び出して、雷電らいでんの如くモーニングスターを振り上げる。


 煙と炎に焼かれ続けたせいで白濁する視界では躱せなかったのか、美獣フローレンスはこの戦いで初めて彼女の一撃をまともに受けた。


 【ダブルインパクト】――その可憐な唇から吐き出されたスキル名が、必殺の一撃に更なる威力を上乗せする。


 黒い稲妻はその脇腹を直撃し、銀色の巨体はまっすぐに打ち上げられ――、そしてその角度の悪さから、運悪くそれを見てしまった。


 命運尽きた美獣フローレンスに迫るは狂犬の爪。ずっと彼女を追い立てていた炎がついにその身に追いついて、死神の鎌を振り上げた瞬間を、彼女は正面から見てしまった。


 黄色の瞳に映るその姿に、美獣フローレンスは悲鳴を上げる。もはやスキルを発動し反撃することさえ忘れ、恐怖一色に支配されたその瞳に、映るはまさしく炎原えんげんの覇者。


 炎に焼かれぬその身は消えぬ炎をたなびかせ、その喉からは獣の咆哮。超至近距離からの【遠吠え】にうたれ、硬直し、美獣フローレンスがその目を極大の恐怖に見開いた瞬間、



「〝狛犬〟だ――覚えとけ」



 狂犬の爪が、再び〝王者〟の首をとった。
























第百二十八話:炎原えんげん覇者はしゃ














「――速報です! たった今、統括ギルドから狛犬の賞金額が正式に発表されました! とんでもない額です! 懸賞金1億! 1億です!」



 朶さんの声が上から聞こえるなぁ、と思えば、ようやく聞こえた単語は驚くべき内容だった。


「――……いや、驚くことじゃないか」


 呟きながら、自分は夢見心地で美獣フローレンスの死骸を引きずり歩く。


 未だに【カラム・ガラム】の効果で炎を吹き出す爪に掴まれたその首の断面と、頭が離れた胴体が焼き焦げる音がするが、そんなことはどうでもよかった。


 ただ、今は何か自身でもよくわからない余韻に浸り、願わくば次の獲物を手にかけたい……そんな奇妙な感覚が、じっとりと全身にまとわりついている。


「狛ちゃん、今の聞いた!? 今すぐ一緒に逃げましょう! 1億って攻略組が目の色変えて追って来るわよ!?」


「急ごう! 僕のスキルも対人では使えないし、もう魔力もほとんどないでしょう!」


 とどめを差すのに協力してくれた弥生ちゃんと月影さんが何かを言う。自分はやはり夢見心地で、けれどぼんやりと熱に浮かされた脳が瞬く間にそれにNOを突き付けた。


「……逃げる?」


 逃げる、なんて言葉。そんなものは存在しないと心が言う。高揚感に浸りながら、自分はゆっくりと首を傾げ、そんな自分に2人はぞっとしたような顔で黙りこんだ。


「ここで逃げたら、フローレンスにも、トルニトロイにも失礼だ」


 だって、そうだろう?


「自分に勝った存在が、自分よりも弱い相手から逃げ出したなんて聞いたら、気分悪くないかな」


 そう言う自分に、2人は更に黙り込む。フローレンスの死体を引きずりながら、自分は2人に近付き、協力、ありがとうございました、といつもの台詞と共に頭を下げた。


 呆然としながらも、反射でありがとうございました、と言う2人にフローレンスの死骸を差し出した。頭の無い、胴体の部分。


「約束通り、頭だけ貰うね。それじゃあ決めてあった通り、〝エフラー〟で合流しよう。多分、セーフティーエリアに着くまでは戦闘になるけど、これは自分の責任だから……最悪のパターンになったけど、最後、決めてあった通りに合わせてくれてありがとう」


「ええ、それは当然だけど……待って」


 有無を言わさずここまでだ、と言う自分を弥生ちゃんは呼び止め、自分のゴーレム製ポーチに追加の魔石を押し込んだ。


「けっこう使ったでしょ? これ元は預かったものだし、返すわ」


「ありがとう」


「お迎え係のギリー君が来るまで待ちましょうか? 後その首、私が持って帰ってもいいのよ?」


 挑発するように片目をつむって弥生ちゃんが言い、自分はニヤリと笑って問題ない、とひらひらと右手を振る。


「意地でも死に戻るつもりはないから、大丈夫」


 そう言いながら、自分は魔石が入っているのとは反対側のゴーレムポーチのボタンを叩く。魔石が飛び出す代わりに、ぱかりと蓋の開いたそれの中身を掴み取り、『レッド・デヴィル』でも傷つかないそれを大火災による熱と光に翳してみせた。


「それ、まさか純晶石……?」


 月影さんの声に答える時間も惜しい、と。自分はそれをさっさと口に放り込み、瞬く間に溶けるそれを呑み込んでから、ゆったりと頷いた。


「そうだよ、掲示板で話題の、〝超高級万能ポーション〟」


 トルニトロイとの戦いの時、ニブルヘイムにも使った純晶石。あれほどの大きさでも密度でもないし、あの大きさのものほど万能なアイテムではないが、人間1人の魔力と体力を全回復させるには十分な量の結晶だ。


 それはかつて、弥生ちゃんと雪花の3人でひたすらゴーレムを狩りだして手に入れたものだった。貴重なものだが、意地とプライドには代えられない。


 ニブルヘイムの一件でそれがポーション代わりになると知ってからは、常に1つは持ち歩くようにしていたものだが、それがボス戦が終わった今になって役に立つとは思わなかった。


「掲示板で……ああ、あの超高額で取引されてるとかっていう……」


 月影さんがあれか! と叫び、弥生ちゃんはそこまでするのか、という目で自分を見た。

 確かに、そこまでするのかと言われてしまえばそれまでだが、人間とは時にそういった動機だけで大それたことも出来るのだ。


「弥生ちゃん、自分はね……笑われるとか、負けるのが何より嫌いなんだ」


「知ってたつもりだけど、改めてうわぁ、と思っただけよ。じゃあ、頑張ってね! 街で待ってるから!」


「気を付けて! 僕も先に帰ってますね」


 絶対に正面から帰って来るのよ! と言いながら走り出す彼等を見送り、自分は振っていた手を下ろす。


 全身から紋様は消え、対火性は半減。それでも、自分は火属性の魔法、魔術のたぐいにはめっぽう強い。一番相性が悪いのは、地属性の魔法や魔術だが、それらを得意とするプレイヤーは同時に火属性との相性が悪いのだからおあいこだ。


(やられる前に燃やすだけ……何人来るかが問題か。ん? お知らせ?)


 視界のはしに現れたお知らせを見つけ、メニュー画面を開けばそこには「もう少しで適応称号スキルの熟練度が50%になります! 50%に到達すると、サブスキルを習得可能です」と書かれていた。


「現在値47%……」


 どのみち、今は役に立たないなとメニューを閉じる。爪が危険なので内手首で目元のすすをぬぐい、屈伸運動をしてから顔を上げた。


 背後には燃える樹海、前方には無事な樹海。懸賞金目当てのプレイヤーが来なければ、無事な樹海まで灰にすることはないかなと思っていたが、少し遠くから声が聞こえて、自分は眉をひそめてそちらを見やる。


 生放送の位置からするとここらへんだ、と囁く男の声を聞きつけて、自分は思わず鼻で笑った。生放送を見ていたのなら、きっちり朶さんの実況も聞いておくべきだったのだ。


(道理がわかる奴は樹海には入ってこないだろうに)


 丁寧にも言っていたではないか。樹海の中では、あの炎は消えはしないと。ギリーが来るまでもう少しのんびりしていくつもりだったが、彼等がいるからにはそうはいかない。


 これから自分が歩む道に、必要なのは圧倒的な気迫と実力。その2つが揃った時、それに対峙した存在は、等しく恐怖を覚えるのだろう。


 だから自分は迷わない。だから自分は……。



「……【深紅の獣竜王ヴルガンダスト】」



 たった一声呼ぶだけで、咆哮と共に巨大な炎の獣竜が振り返る。そして、前ばかり見て上を見ない彼等に思い知らせるのだ。


 ここはすでに、『美獣フローレンス』が治める土地などではなく――、



「やれ」



 ――首狩り狂犬の狩場なのだと。



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