第百二十四話:闘争デットヒート?

 



 ――散る白煙と共に、火蓋は落とされた。



「弥生ちゃん、赤いの!」


 美獣フローレンスの爪を『レッド・デヴィル』で受け止める自分の叫びに、フローレンスの速さに目を丸くしていた弥生ちゃんが右手をひらめかせる。


 唸り声を上げながら押し切ろうとするフローレンスだが、多重強化されたステータスは伊達ではない。両腕に力をこめ、一気にその爪を弾き返す。


 瞬間、抜群のタイミングとコントロールで投げ込まれた深紅の魔石が、自分と美獣フローレンスの間にするりと割り込んだ。


 忌々しそうに魔石と自分を見る黄色い目を見返しながら、両の手の甲に挟みこむように打ち合わせて魔石を起動。極小範囲を燃やす爆炎が自分とフローレンスを隔て、互いにバックステップで距離を取る。


「月影さん、耳は!」


「聞こえる!」


「よし、じゃあこのまま予定通りに――」


 作戦を続けよう、と言うはずだった言葉は喉の奥に引っ込んだ。弥生ちゃんと、自分と、月影さんの目の前には、誰も姿を見たことが無いという美獣フローレンスがいる。


 全身、銀色の巨体。二本足で立ち上がる巨大なアーダーワオキツネザルは、実に人間らしい仕草で、中指を立てていた。しかもさらにそれを突き上げて、意味を強調してくるおまけつきで。


「――あ゛?」


 思わず喉の奥で低い声が出てくるも、攻撃も忘れて立ち尽くす自分達の目の前で、美獣フローレンスは吐き捨てるように『み゛ゃあ!!』と、野太い猫のような鳴き声を上げ、きびすを返して走り出した。瞬く間に地面を蹴り、枝に上がり、まさしくキツネザルの本領発揮と言わんばかりに枝伝いに疾走していく。


「……え? 狛ちゃん、今のあれって……」


「人語じゃなかったけど誰がどう聞いても〝くたばれ、くそ野郎!〟だろ! ――ああいや、それどころじゃない。作戦変更! Bプラン!」


「え、え、わかった! むづ――月影、行くわよ!」


 え゛? と嫌そうな声を上げる間もなく月影さんの襟首が引っ掴まれ、再びの人力ドライブが強行された。自分と同じように木々を蹴りつけ、隣を並走しながら弥生ちゃんが自分に向かって叫ぶ。


「狛ちゃん、今の何だったの!? なんか撃退的な魔石でも使った!?」


「違うよ! アイツ、こっちのデメリットも全部知ってるんだ! 距離を離して《逃亡》扱いに持ち込もうとしてる!」


 月影さんが、もしかしたらこんなこともあるかも、と言っていた笑い話が、笑い話ではなくなった瞬間だ。


 だから〝くたばれ〟のジェスチャーだったんだ! と叫び返せば、弥生ちゃんは納得したように、ああ! と言い、少し黙ってから、ヤバいじゃない! と悲鳴を上げる。


「まさか何の躊躇もなく逃げ出すなんて――! 狛ちゃん、どれだけモンスター達に評判出回ってるのよ!」


「うぇ……気持ち悪い……」


「これ今回の自分のせいなの!?」


「わかんないけど……でもイベントのボスモンスターが本気で逃げるとか聞いたことないわ!」


「奇遇だね、自分もだよ!」


 侃々かんかん諤々がくがく言い合いながら、自分達はボスモンスター(【あんぐら】仕様)を追って樹海を走りだす。


 空はとっぷりと暗くなり、本格的な夜が始まろうとしていたが、自分達のボス戦は、始まる前に終わりの危機を迎えていた。










































【獣王への適応称号スキル発動要請】――【受理されました】



【スキル発動対象:美獣フローレンス】――【獣王によって設定された制限時間は20分です。一定以上の距離が開いた場合、《逃亡》とみなして条件未達成とします】



【このアナウンスは秘匿ひとくされるようになりました】



【第百二十四話:〝闘争デットヒート〟……訂正】









【第百二十四話】――【〝逃走デッドヒート〟】









【※注意】――【※発動対象との距離が開いています。《逃亡》カウントを開始します】




【5分以内に……訂正】――【獣王によって、スキル効果継続のための再接触までの制限時間変更要請を受けました】



【強制受理されます】――【獣王によって設定された時間は3分……訂正、2分です】



【2分で再接触してください】



【このアナウンスは、発動対象に秘匿されません】

































【繰り返します】――【2分で再接触してください】


【担当の〝dminoドミノ〟より、お悔やみを……訂正】――【プレイヤーのご健闘をお祈り申し上げます】



「獣王め! ここぞとばかりにいびりやがって! 何が2分で追いついて20分で仕留めろだ! ふざけてんなあの黒猫!」


 やはり、適応称号スキルの担当変更の報告の時に、適当にあしらったのがマズかったのかもしれない。かなり根に持っているようですよ、とはニブルヘイムから聞いていたが、再接触までの制限時間を3分も削られるとは思わなかった。


 しかも、気持ち発動時間も短くなっている。もしかしたら何か基準があって、その通りに調整しているのかもしれないと思ったが、そんな考えは担当精霊のお悔やみメッセージを聞いて吹っ飛んだ。


 絶対に私怨しえんだ。間違いない。


「弥生ちゃん、ヤバい! 2分で再接触しないと死に戻る!」


「死ぬ気で追いつ――けないわね。このままじゃ。あれやるわよ!」


「え゛っ……いえ、わかりました、頑張ります!!」


 怖い顔をした弥生ちゃんが低い声で緊急用に少しだけ練習した〝アレ〟をやると言い出して、自分は涙目で了承の返事をする。


 残り2分――正確には、1分50秒ほど。


 フローレンスもアナウンスを聞きつけ、彼女は負けが確定した自分をせせら笑うかのように、普通に走ったんじゃギリギリ追い付けない場所で立ち止っている。


 わざわざ見えやすいように、樹海の中でも開けた空間で飛び跳ねながら、フローレンスはこちらに向かって中指を立てていた。イラッとくるどころの話ではない。


 すぐさま弥生ちゃんの可愛らしい桃色のケープの影から、全然可愛くない棘が生えていないハンマーが取り出される。その腕から、ポイと月影さんが雑に投げ捨てられた。


 受け身だけは完璧な彼が涙目で枝にぶら下がるのを確認しながら、自分達はフローレンスに少しでも近付きながらどんどん大木の上の方へと移動していく。


 よく考えたら、ハンマー2種に成人男性を抱え、何故あんな速度で枝から枝へ走れるのか。全力逃亡するボスモンスターもアレだが、弥生ちゃんもかなりアレである。


 そんなことを考えている間に、自分達は枝の上の方。あと一跳びで樹上に出る、という所まで登って来ていた。


 何だかちらりと、樹海上空を飛ぶ白いグリフォンらしきものが見えた気がするが、見間違いだと思いたい。きっとそうだ。今は夜だけど、あれは真っ白な雲に違いない。


「狛ちゃん、行くわよ!」


「〝溶魔ようまの色 赤竜せきりゅうの色 精霊を伴うあけの炎〟!」


「さん、にぃ――!」


 自分は覚悟を決めて軽くジャンプ。弥生ちゃんと呼吸を合わせ、底に金属化素材を仕込んだ赤竜のブーツを履いていなければ、絶対に拒否しただろう〝アレ〟を決行した。


「いち! ――【インパクト】!」


 一回転と共にダイナミックに振るわれるハンマーと、靴の底面をしっかりと噛み合わせ、膝だけではなく全身をバネに。

 そうやって衝撃を逃しながら、凶悪な威力の打撃スキルを大跳躍に利用する。


 撃ち出し先はもちろん美獣フローレンス。緩い弧を描くように斜め上に撃ちだされた自分を、ぽかん、と口を開けて見上げる彼女の視線を浴びながら、風切り音の中で自分は続けてゴーレム製のポーチを叩き、飛び出す鉛色の魔石を1つ掴み取る。


「〝我が魔力は竜の息吹 炎竜えんりゅうが吐く劫火 精霊王の影となる炎〟!」


 【インパクト】による勢いが失速に転じ始める一瞬を見極めて、自分は空中で縦に半回転。地面と平行より、少し斜め下に頭が向くように調整し、ほうった魔石を靴裏で踏み叩く。


 あまりの衝撃に魔石は即時起動、足元には盾のような六角形の鋼の板が軋むような音を立てて出現する。限定範囲内に鋼の塊を生成する、鋼鉄系古代元素魔術――【デミット】の魔石は即席の風受け台となり――、



「【ガル・ブラスト】ォ!」



 ――失速し、墜落を始めるこの身に、更なる加速をもたらした。




 黄色い瞳を目一杯に見開き、迫り来る自分を呆然と見る美獣フローレンス。それの頭上へと迫りながら、自分は『レッド・デヴィル』を構え、最後の跳躍へと体勢を整える。


 実質、3段階の大跳躍。弥生ちゃんが〝アレ〟と呼ぶ、かなり強引な跳躍術だ。


 撃ち出し係、渾身の【インパクト】を受けても、ブーツもその中身も壊れない、衝撃吸収力抜群の竜の筋組織仕込みの靴と、即死系適応称号クラスの火耐性。


 あと質の良い【デミット】の魔石があれば、【ガル・ブラスト】での加速と、踏み切りも出来る優れものだ。



 ……正直、撃ち出し係と息ぴったりでも正気ではない作戦なので、乱用は勧めない。



 膝をたわめ、【ガル・ブラスト】の爆風を受けて靴裏をぐいぐいと押しやる盾を蹴りつける準備をしつつ、腹の底に響くような声色こわいろの詠唱を走らせる。




「――……〝炎の烙印らくいん 火の落とし それは生まれる時を待っている〟!」




 全身に這う深紅の紋様もんようが、まるで息をするかのように波をして光り輝き始める。




「〝深紅の卵 炎のあぎと 翼は薄氷うすごおりのように青い火の粉で出来ている〟!」




 美獣フローレンスはまだ動かない。絶対に追いつけないはずだった存在が、何故こんな近くまで迫っているのかわからない、というように。キツネのような口を開いたり閉じたりを繰り返しては呆けている。




「〝それは小さくとも竜の名前 北方ほっぽう千里せんりを支配した――最も小さき炎の竜〟!!」




 鋼の盾を踏みしめる足に力を入れ、瞬間、それが凹むほどの勢いで踏み台にする。鋼を蹴りつけ、迫るは美獣フローレンス――その鼻面。


 『レッド・デヴィル』からは詠唱の影響で青白い炎の影が吹き出し、その名を呼ばれるのを待っている。


【才能持ち】である師匠から教わり、伝承習得なる方法で習得したアビリティ……〝召喚士フールナー〟の初期スキル。


 それは、かつて存在した、もしくは今も存在する名のあるモンスター達の影を〝召喚〟し、敵を討ち滅ぼすスキル。



「〝彼女は全てを焼き尽くし 千里に正しく君臨した! 今再びこの場に現れ、我が敵を焼き滅ぼせ〟【簡易召喚デミ・フルール】――【イグルス】!」



 及び腰のまま、ようやくハッとして逃げ出そうと腰を浮かすフローレンスを、自分より一拍速く小さな竜の影が強襲する。


 青白い火の粉を散らすそれの大きさは30センチほど。子竜のような見た目のそれは、しかし今もなお、別大陸で勇名をせる炎の竜、その在り方をカタチにしたものだ。


 名を『女帝イグルス』――その身体の小ささからは想像もできないほどの力を振るい、北方千里を治めるの竜は、気に食わぬ者の喉を焼き、その声を強制的に封じるという。


 このスキルを選んだ理由はそこにあり、声を封じられた者は詠唱やスキルの発動は問題なくとも、モンスターお得意の【遠吠え】系スキルを完封できる。


 青白い炎に喉を焼かれ、声にならない悲鳴を上げて体勢を崩すフローレンスは、そのせいで大本命から逃げ遅れることとなる。


 影を追って轟音とともに枝に着地し、それを踏み折りながらフローレンスを派手な落下に巻き込んだ。



「自分達を――!」



 大慌てで竜の影を振り払おうとするフローレンスが、怒り狂いながら自分に向かって咆哮するように大口を開けるが、そこから敵を威圧する吠え声が放たれることはない。



「――なめるなよ!」



 次の瞬間、『レッド・デヴィル』の凶爪が美獣フローレンスの右腕を空高く切り飛ばし――フローレンスの悲鳴と自分の雄叫びが、オーバー大樹海地帯にとどろいた。





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