第百二十五話:燻る火種
第百二十五話:燻る火種
「――〝馬鹿みたいな話〟が、そうではなくなったようですね」
パチリ、と暖炉の薪が爆ぜる音と共にそんな声をかけられて、ノアはゆっくりと伏せていた目を上げた。
場所は〝光を称える街、エフラー〟の統括ギルド。木製のテーブルと椅子がいくつも並べられたその空間には、運営側が用意した超大型モニターが設置されており、多くのプレイヤーがそこに映る映像を自身の作業の片手間に見つめていた。
モニターに映るのは、現在最も注目度の高い――第一回公式イベントの第1ミッションに挑む、狛犬と弥生、月影の3人パーティーによる『美獣フローレンス』の討伐チャレンジの様子だ。
超大型ギルド、『金獅子』に所属する若い男性は生産スキルの熟練度上げのために、統括ギルドのロッカーに預けておいたアイテムを取りに。
『名も無きギルド』に所属する初老の女性は、慣れない新人の引率で来ているようだ。受付のお姉さんと交渉し、特定納金ギルド枠と呼ばれる、特別な勉強室の貸し出し許可を申請している。
はたまた、剣士の王道を行く者もいる。長剣を腰と背中に装備し、鈍色の軽装鎧を身に着けて、ファンタジー気分を満喫といったところか。
ギルドには所属せずにカップルで活動しているらしく、剣士ルックの男女は統括ギルドの隅で地図を広げ、今後の行き先を相談し合っていた。
そして肝心の、『ランナーズハイ』の仮ギルドマスターであるノアは、攻略組との〝今後〟を話し合うために統括ギルドに出向いていた。
椅子に深く腰掛け、腕組みをするノアの視線の先には、静かな敵意を隠そうともしない一人の女性が座っている。
チアノーゼと名乗る彼女は、超大型ギルド『金獅子』のギルドマスター、〝白虎〟の代理として此処にいた。
藍色がかった長い黒髪をおさげし、眼鏡に白衣の典型的な研究者スタイル。その身は女性ながら長身で、手足もひょろりと細長い。
しかし、チアノーゼは研究者には似つかわしくない宝飾品を大量に身に着けている。指には大量の指輪が光り、首には何重ものネックレスとチョーカーが重そうな音を立てて揺れていた。
腕輪に足輪、髪に隠れたイヤーカフスにピアス、までくれば、それが意味の無いファッションではなく、何らかのアビリティのためのものと思わない者は【あんぐら】には存在しないだろう。
彼女はざらりと腕輪の群れを鳴らしながら、聞こえない振りをしようとするノアに対し、同じ言葉を正確に繰り返した。
「〝馬鹿みたいな話〟が、そうではなくなったようですね?」
そこには、少しの怒りと嫌味の色。アルカリ洞窟群のマップ埋めの時以来、『ランナーズハイ』の全員に仄かな敵意を示していた彼女は、ますますそれを隠しもせずに態度に出した。
ロールプレイもアビリティに準ずる彼女は、自身が立てた〝神官長買収計画〟を陰ながら台無しにした狛犬を……ひいては、狛犬が所属するギルド、『ランナーズハイ』をも敵視しているらしく、ノアは慣れた様子で敵対心満々なチアノーゼの視線を受け流す。
「……さて、〝馬鹿みたいな話〟とは? 俺は聞いた覚えがありませんね。一体、何の話でしょうか」
ノアは少しばかりの沈黙を挟んでから、その人物の発言に必要以上にゆっくりとした口調で返す。深い青の瞳を細めながら用心深く、揚げ足を取られないように気を付けた発言で、両者は言葉で静かに間合いをはかる。
その様子を嫌そうに、または面白そうに見つめるギャラリーは、溜息や仲間への
目配せで互いの気持ちを伝えあう。不必要な声を出して目をつけられるのは勘弁、というように。
統括ギルドに備え付けのテーブルと椅子は数あれども、彼等2人の周囲には誰も腰かけない。まるで、近くに座っていたら次の瞬間には死に戻りをしているかもしれない、というような表情で誰もが彼等を遠巻きに立ったままだった。
統括ギルドに用があって来ても、扉を開けて中の様子をちょっと覗きこんだ途端に扉を閉めて他所に行ってしまう者もいる。
唯一、いつもと変わらないのはギルド職員として
統括ギルドの中にいる者達はモニターに映る出来事に注目しながらも、時折、ちらちらと椅子に座る彼等も盗み見る。理由は様々だが、警戒している者、話の内容そのものを盗み聞きする気の者、単に面白がっている者など、多種多様なギャラリー達。
特に、ノアの対面に座る女性――超大型ギルド、『金獅子』のギルドマスター、〝白虎〟の代理であるチアノーゼ、その
白虎は今回、ノアとの話し合いに代理として出向くチアノーゼに、自身の契約モンスターを貸し出していた――移動用、兼、護衛役として。
モンスターの名は、『猫又
チアノーゼは不機嫌さを示しながら、自身が腰かける巨体の頭を撫で上げる。
異様に長い二股の尾を持つ白銀の虎の背に腰かけながら、チアノーゼは改めて代理としての表情を作り直し、今更ながらノアに微笑みかける。
「失礼。私も今までの常識を捨てきれていないんです。決して、貴方の弟子でもあるギルドメンバーの実力を疑っているわけではありません。私は、〝たった3人で合同イベントボスに挑む〟という、今までのMMORPGからすれば〝馬鹿みたいな話〟についてを言っているんですよ」
「〝馬鹿みたいな話〟が通るのは【
苛立ちを押し込めるような低い声。ノアの言う通り、【あんぐら】以外にもイベントボスを少人数でも、時にソロプレイヤーでさえも、センスと装備さえあれば撃破できるようなゲームは存在する。
それはシステムの問題であり、つまりは体力というものを設定せず、それが致命傷になったかどうか、で戦闘をさせるゲームならば必然的にそうなるものだった。
代わりに、イベントは各個人に起こるものであったり、合同イベントとするならば状態異常をばら撒くモンスターだったり、複数のボスモンスターを用意したりする。
これは全てプレイヤーに不公平感を感じさせないようにするための対策だったが、【あんぐら】ではこれを、また違った方法で解決していた。
【あんぐら】にはモンスターを倒すメリットが、モンスターの死体が手に入る、という程度のものしかない。
経験値も入らなければ、イベントボスだからといって特別なアイテムが手に入るわけでもない。そのうえ、もとからそこに存在しているモンスターにその役を任せるため、イベント限定素材ということもなく、第一、【あんぐら】の名前持ちモンスター達は死んでも1日で戻って来る。
素材が欲しければ別の日に行って挑むだけで良い上に、逆にイベント中は普段よりも強化される分だけ、素材を求めての狩りは割に合わないのだ。
得られるのは、幾ばくかの知名度とイベントクリアによってゲームが先に進む、という結果のみ。結果は誰がクリアしようとも全プレイヤーに等分にもたらされることを考えれば、たとえ倒せる力があったとしても、かかる損害を考えれば〝あえて手を出さない〟という選択肢が選ばれることもある。
――例えば、忙しさを理由にこの場に現れなかった〝白虎〟が下した決断のように。
「……美獣フローレンスの能力は視力と聴覚、嗅覚を封じる能力で、今はまだ対抗策が無い。だから攻略部隊ではクリア出来ない……物は言いようですね」
苛立ち混じりにぎこちなく微笑むばかりで返事をしないチアノーゼに対し、ノアは先程よりも更に低い声でそう切り出す。視線はモニターにちらりと向けられ、そしてすぐにチアノーゼに戻された。
チアノーゼもつられてモニターを見やり、不愉快そうにその
「対抗策が無いのは本当ですよ。攻略部隊にも適応称号保持者は多いですが……目の色が変化するような適応称号持ちは2人しかいませんからね」
視線をモニターからそらさずに、チアノーゼも言葉を選びながらノアの発言に返事をする。
声にはノアや狛犬に対してだけではない苛立ちが含まれていて、暗にあれだけの人数を抱えながらも、イベントに必要な適応称号保持者が不足していることを嘆いていた。
ノアもそんなチアノーゼから視線をモニターに戻し、2人は朶の実況に耳を傾けながら顔も向けずに話し続ける。
「……狛犬さんの適応称号スキルは、あまり離れすぎると問題なのでは?」
「さあ、どうでしょう」
とぼけた返事に濃い臙脂の瞳を細めるチアノーゼは、不愉快そうに唇を曲げた。途端、背後からぱたぱたと足音がして彼女もノアも振り返れば、そこにはこちらに走り寄る猫と、統括ギルドの扉から顔を出すブランカの姿がある。
「ごめん、狛ちゃんから預かったんだけど、うるさすぎるの。ノアの方で預かっといて!」
「にゃーにゃ! でっかいのとひょろひょろがいるにゃ!」
チアノーゼと彼女が腰かけるモンスターを床から見上げてそう評し、二足歩行の猫精霊、タマがひょいとノアの膝の上に飛び上がる。
さあ菓子を寄越せ、と毛皮に包まれた腕を差し出すタマと無言で見つめ合う微妙な表情のノアに、ごめん! と叫び、ブランカはそのまま逃げるように走り去った。
チアノーゼはまじまじとタマを見つめ、これが噂のケット・シーですか、と呟く。タマはその声にチアノーゼをじっと見つめ始めるが、チアノーゼはすぐさま視線をモニターに戻してしまった。タマはまだ、じぃっとチアノーゼを見つめている。
その直後、モニターの中で狛犬が派手な大跳躍を披露するところを。更にそれを見ていた他プレイヤー達の歓声を聞き、チアノーゼの表情はますます苦くなった。
プレイヤー達は、一部は歓声を上げながら、めいめいに苦い顔をしていたり、驚きに目を丸くしたりしているが、チアノーゼは無理矢理に表情を変え、愉快そうにノアに言う。
「流石。これなら、ちゃんと倒してくれそうですね。場所と情報を提供した甲斐があったというものです」
「そうですか。ですが、運が悪ければ、すぐに今回の決断を後悔することになると思いますよ」
「……どうしてですか?」
チアノーゼは不思議そうに首を傾げるが、その瞳は冷めている。別に、本当に狛犬達がクリアすることを期待しているわけではない、という本音が透けて見えるようだった。
「見ていればわかりますよ。場合によっては攻略部隊で討伐するより、被害が出ると思います」
「……まさか、森林破壊でかかる賞金首の金額の話をしないで行かせたんですか?」
「しましたよ。3人全員に」
途端に低い声で囁くように言うチアノーゼに、ノアは涼し気な顔で答える。
白虎が何故、攻略部隊では対抗策が無い。なので、他のギルドか適応称号保持者による合同攻略のために広く情報を開示する、と言い出したのかをよく理解している彼は、〝被害を出さずに安全に〟を目的とするならば、白虎の決断は絶対に悪手だと断言する。
「〝美獣フローレンスの討伐〟だけならば、問題は無いでしょう。けれど、白虎さんが求めているのはそんなことではないはずだ」
白虎は攻略部隊では対抗策が無い、とは言ったが、クリア出来ないとは言わなかった。実際、クリアする方法なら何通りか考えられた。
どれも、出来なくはない方法だ。しかし、それにはオーバー大樹海地帯の大伐採が必須になる。人口の道を作るための伐採ではなく、美獣フローレンスを仕留めるための無差別大伐採だ。
時に、統括ギルドは環境を
問題なく受理されて許可が下りるだろうが、モンスターを仕留めるための大伐採が認められる道理はない。
かかる賞金はとんでもない額になるだろう。この場合、手を下した者ではなく、指示を出したただ1人に賞金はかかる。
現在、『
それ以外にも、かかる手間や費用もある。賞金首になる以外にも、樹海に棲むモンスターや精霊たちの反撃は抑え込めないこともないが、膨大な犠牲も出るだろう。
出来る限り樹海の木々を燃やしたくはないという、資源の利用価値を残しておきたいという思いもあった。
大伐採が美獣フローレンスの討伐を目的としている限り、伐採という名の山火事ならぬ樹海火事を起こし、樹海を一部、完全な平野にしなくてはならないからだ。
要するに白虎は、樹海に利用価値を残したうえで、自身に大した被害も無く第1ミッションをクリアする方が得だと判断した。
でなければ得られる名声よりも、被害が大きい。デメリットだらけの作戦を決行するのは最後の最後。最善策は、目に変化が現れる適応称号保持者を集め、デバフへの徹底対策をした少数精鋭での撃破。
そのため、『ランナーズハイ』主催の3人が倒しても良し、負けて協力が緩く義務化された後、再び『
赤竜トルニトロイの威光も、大伐採が問題となれば無視される。何故ならその土地には王がいる。『美獣フローレンス』という名の王者が森を守っている限り、大抵のことなら通る竜の意向にも限度というものがある。
樹海の大伐採は、それだけの大事なのだ。
赤竜トルニトロイは現在、砂竜ニブルヘイムに負けて塞ぎ込んでいることや、そのせいでログノート大陸における竜種の優先順位的にも威光に陰りが差していることなどを完全に度外視していたとしても、の話ではあるが。
しかし、そんな白虎の考えは上手くいかない可能性もある、とノアは言う。チアノーゼはすぐさまノアの言わんとすることを察し、その顔を引きつらせた。
「……まさか、そこまで考えなしじゃ」
「考えなしではありませんが、ダメなんですよ。狛犬は」
あれはまさしく炎のような人間だ、とノアは言う。
味方を温めるともし火でもあれば、敵を焼き尽くす劫火にもなる。
炎は器に入れられない。触れられず、型にも流せず、かけた縄は燃やされるだろう。押し込めようとする誰の言うことも聞きはしない。抑えつけようとしたその手は、きっと骨まで焦がされるだろう。
「ああ、でも。そうならない可能性はあります。何か、勝利よりも優先すべき理由が出来れば」
「……」
祈りましょう、と
そこに映る戦いは、ますます激しさを増していく――。
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