第百二十三話:第1ミッション――開幕

 


第百二十三話:第1ミッション――開幕




 底上げされた筋力と、速度と瞬発力で地面を蹴った自分は、極限まで集中して木々の足場を見定める。

 近過ぎず、しかし遠過ぎず。踏み切りと共に靴裏には風の刃が渦巻き、巨木の幹に傷を刻みながら、自分は高速で樹海を進む。


 まだ五感は健在で、自分はギリーとの契約で強化されている聴覚を頼りに、少し先を行く弥生ちゃん達に追いついていく。


 深い緑の匂い。湿気に満ちた樹海の内側は、鳥型モンスター達が騒ぎ立てる声でいっぱいだ。しきりにギャアギャアと鳴きかわす彼等が何を呼んでいるか、今やそれを知らずにこの樹海に踏み込む者はいない。


 下草、巨大な枝葉、巨木には晩秋でも常緑の葉がしげるものの、南国のジャングルとは似ても似つかぬ冷たい空気が木々の間を吹き抜ける。


 視界は最悪で、障害物多数。戦場は敵に有利。


「――ごめんよ」


 謝りながら、木に開けられた穴から顔を出す栗鼠のようなモンスターのすぐそばに着地、すぐさまバネのように膝を動かし跳躍ちょうやくする。

 慌てて頭を引っ込めた彼等が文句を言うように甲高く叫ぶ声を置き去りにしながら、弥生ちゃんの背中に追いついた。


「まだデバフ無し」


「了解――、そろそろ中心部よ!」


 リズムを崩さずに進みながら、短く現状報告を済ませる。攻略組による血のにじむような努力で判明した、美獣フローレンスの出現範囲までは、後ほんの少し。

 氷結リュックを背負った月影さんが酔ったように青褪めていて、弥生ちゃんの人力ドライブがどれだけ荒っぽいかがよくわかる。


 そんな弥生ちゃんを少しだけ追い越して、自分が先にポイントに着地。樹海の中、そこだけ不自然に開けた場所へと降り立ち、油断なく辺りを警戒する。


 その瞬間、鳥達が一斉に口をつぐんだ。空恐ろしいほどに静かになる樹海内部で、自分はゆっくりと周囲に視線を巡らせる。

 苔生こけむした丸太が転がっていて、そこにぼんやりと空からの月光が降り注いでいた。


 鈴を鳴らすような声を待つ自分の隣に、ぶん投げられた月影さんが受け身を取りながら転がり込み、そのすぐ横に華麗な着地を果たして弥生ちゃんも降り立った。


「まずは予定通りに」


「……うん」


「了解!」


 約1名を除き、戦意は上々。青い顔でふらふらと立ち上がる月影さんは、自分と背中合わせに周囲を警戒する体制に入る。

 【首狩り狂犬トールダム】の発動は、敵が一定距離以内に近付いた履歴が無ければ承認されない。その条件をクリアし、適応称号スキルを発動するために自分達は待つ。


 月影さんの適応称号スキルで、最初から防御に徹すれば良い、という考えもあった。というか、最初はそのつもりだった。けれど話し合いの結果、最終的には、その状態では『美獣フローレンス』は姿を現さないだろう、という結論に辿り着いたのだ。


 第1ミッション達成条件が、この樹海を抜けること、ならばまだよかったのかもしれない。けれど、達成条件は『美獣フローレンス』の〝討伐〟だ。


 ましてや、ニブルヘイムが言うには、各名前持ちのモンスターは互いに情報をやり取りすることもあるし、治める土地に棲むモンスター達が常に目となり耳となるという。


 つまり、『人喰いガルバン』相手に適応称号を得た月影さんのことも、その能力のことも知っている可能性があるのだ。知っているのならば、警戒するだろう。

 自身の能力を無効化する可能性は、フローレンス自身が熟知しているはずだ。その対策も、していないと考えるのは愚かしい。


 結局、何が言いたいかと言えば単純な話ではある。


 釣りには餌が必要で、餌の無い釣り針に獲物は決してかからない、という話なのだ。


「2人とも――わかってるわよね?」


「「もちろん」」


 緑の目が樹海の中で光り輝く。夕方と言うには暗く、夜というには明るすぎる空の下、弥生ちゃんの声に自分も月影さんも微動だにせず返事をする。


 ――そうしてじっと待ち続けること、5分。


 何の音もなく。気配も無く。



『わたし、きれい?』



 鈴を鳴らすような声が響き、自分の視界は瞬く間に漆黒に飲み込まれ――、




 自分は、仲間を信じて詠唱を開始した。































 美獣フローレンスは警戒していた。


 鳥達の警告、ガルバンとの会話の両方で、彼女はそれを知っていたからだ。


 NPC、プレイヤー、モンスター問わず。この世界に存在さえしているのならば、誰もが等しく手に入れられるようになったその力。


 適応称号と呼ばれるそれは、時に脅威的きょういてきな力をもたらした。いや、それは正しい表現では無かったかもしれない。

 美獣フローレンスにとって本当に脅威なのは、適応称号でもなく、そのスキルがもたらす力でもなかった。


 彼女が本当に怖いのは、適応称号を得たという、その結果だ。


 適応称号クエスト――その無茶過ぎる内容をどうにかしてクリアしたという、その潜在能力ポテンシャルを彼女は警戒対象として見ていたのだ。


 彼等には、クエストをクリアするだけの力があった。それは、単純な武力、という意味だけにとどまらない。


 豪運、知性、力――それ以外にも。


 美獣フローレンスは、視線の先で彼女を待ち構える3人のプレイヤーがこなした、全ての適応称号クエストについて知っている。3つ、どれもが、何か一つでも欠けていればクエストが失敗しただろうということも知っていた。


 だからこそ、いつものように攻撃を仕掛けることを躊躇ちゅうちょした。自身のスキルでゆっくりと敵の聴覚と嗅覚を鈍らせ、音が段々と聞こえなくなっていることを自覚させないようにしながらも、フローレンスはいつ仕掛けるかを迷っていた。


 後は仕上げに遠隔音声スキルでいつもの宣言をし、条件を達成して敵の視覚を奪うだけ。弥生というプレイヤーは適応称号スキルをすでに発動しているようだから効かないだろうが、他2人にはまだ効果がある。


 まずは真っ先に狛犬を狙い、戦力を大きく削る。そうなれば残りの2人だけでフローレンスを倒す、なんてことはかなり難しくなるだろう。

 弥生の適応称号スキルが消耗戦には弱いことも、フローレンスは熟知していた。


 それでも、フローレンスはあからさまな罠に飛び込みたくはない。彼等は待っているのだ。自分が姿を現す瞬間を。その爪による攻撃という、絶対に接近しなければならない瞬間を。


 狛犬の手に、見慣れない寒気がするような武器があったことも、フローレンスがすぐさま攻撃をしかけなかった理由の1つだ。


 けれどそれが、そのわずかな躊躇ためらいの時間が――興奮と緊張に熱くなり過ぎていた弥生の頭を冷やし終わってしまったことに、フローレンスは気が付かない。


 フローレンスは慎重に手足を動かす。銀と黒のシマになっているふさふさの長い尾を枝に絡ませながら、長い手足をゆるゆると動かして弥生の死角を探す。木々の影に擬態しながら動くフローレンスは、誰の目にも映らない。


 けれど、彼等も上手い具合に立っていた。狛犬を狙うにしても、月影を狙うにしても、弥生の視界には入ってしまう。

 仕方なくフローレンスは丸い黄色の瞳をくるりと動かし、長い鼻面に皺を寄せ、最短距離で飛びかかる角度を決めた。


 そして、デバフ条件を達成するためにスキルを発動する。


『わたし、きれい?』


 無音のまま。口さえも開かずに声を届けるスキル。自身で決めたキーワードを唱え、獲物の目から光を奪い、樹海に踏み込んだ命知らずの命を刈り取るために、目にもとまらぬ速さで木々を蹴る。


 ――それは、たとえ目が見えていても、常人に捉えられるようなスピードではなかったはずだった。


『――!』


 それは一瞬の出来事だった。


 長い腕が狛犬の腹を裂く寸前、息を呑むフローレンスの鼻先を黒いハンマーが掠めていった。目の前には、底光りする2つの緑の目。

 驚異的な集中力の下、目にもとまらぬ速さで攻撃を仕掛けたフローレンスの動きに追いつき、弥生が思いっきり棘付きハンマーを振り抜いたのだ。


 木々を蹴り、躍りかかったフローレンスの爪は獲物を切り裂く前に引っ込められ、即座に反転して追撃のモーニングスターを躱し切る。


 二度目の攻撃が躱されたのを確認し、追撃の手は途端に緩められる。弥生は魔石を空中に放り投げ、無言で三度目のモーニングスターが振るわれると同時に、白煙と雷撃がフローレンスの鼻先で多重炸裂。


 煙から逃れるためにフローレンスは一時撤退を選択し、すぐさま樹海の木々に飛び移り、自前の毛皮を利用して森の影に紛れ込んだ。


 闇に紛れながら、フローレンスは彼等を注視する。もしも狛犬の適応称号スキルを発動するならば、詠唱の時間を稼ぐために月影のスキルが先に使われるだろう――そう考えていた彼女は、月影のスキルの発動を許してしまったら、即座にこの場を離れて逃げてしまおうと考えていた。


 フローレンスはトルニトロイのような能無しとは違うのだ。自身の名誉とプライドよりも、生き延びることの方が大切だった。無茶なことはするものではない。


 今ならまだ、狛犬の目は見えていない。詠唱が終わるまでに逃げてしまえば、たとえスキルが発動してもルール違反で自滅する。フローレンスは思慮深く、そして慎重な性格だった。

 デバフを扱うモンスター故か、どちらかといえば真っ向勝負は嫌いな性質たちである。


 狛犬の詠唱の声は聞こえていない。白煙から引きずり出された月影もスキルを発動した痕跡は無かった。その目はまだ見えておらず、弥生の腕に掴まれ、引っ張られるがままにふらついている。


 弥生はフローレンスを探すようにきょろきょろと周囲を見回しながら、先程から手当たり次第にモーニングスターで黄色い魔石を撃ちまくっていた。


 てんで見当違いな場所で、次々と炸裂する魔術スキル。フローレンスの記憶が正しければ、【ボルテッド】なるそれの派手な炸裂音を聞きながら、フローレンスは反撃の機会をうかがっていた。


 月影に動きは無し。狛犬は未だ白煙に紛れていて、その詠唱の声も――。


『……?』


 そこまで考えて、フローレンスの動きがぎしりと止まる。次々と見当違いの方向で炸裂する【ボルテッド】の魔石。立ち込める白煙の源である【白煙フォッグ】の魔石。


 そして、その白煙の中に隠れた狛犬の声は、果たしてこの状況でフローレンスの耳に入るのか?


 思い起こせば、何故、弥生は追撃の手を緩め、わざわざ【ボルテッド】と【白煙フォッグ】の魔石を叩いて起動させた? 


 何故、彼等は示し合わせたように一声も発さない? 


 何故、さっさと月影の適応称号スキルを発動して、フローレンスの奇襲に備えない? 


 何故、今もまだ当たると思えないような正確性の無さで高価なはずの、しかも炙り出しに有効な炎ではなく、雷の魔石を次々と砕いている?



 それら全ての疑問の点が、一息ひといきに線で繋がった瞬間、



『――! 【鋭速アクセル】!』



 加速のスキルを叫びながら、フローレンスは猛烈な勢いで大木を蹴りつけた。いくつかの単語を除き、人語を喋ることが出来ないフローレンスのそれは、人間達にはただの咆哮ほうこうに聞こえただろう。


 隠密をかなぐり捨て、あまりの速度に怯む弥生の驚きの表情を尻目にフローレンスは雄叫びを上げる。

 地面を抉りながら着地をし、嗅覚を頼りに鋭く長い爪を振り上げる。先程の一撃よりも数段早く、それは狛犬に振り下ろされ――




「〝唸れ〟――【首狩り狂犬トールダム】」




 ――白煙だけを切り裂いた。






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