第百十二話:騒乱は忘却の彼方に

 


第百十二話:騒乱は忘却の彼方に




 竜脈、それは地下墓地、魂の墓場、鎮魂を待つ彼等の囚われの場。もしくは――、


「――冗談じゃないにゃ! ふざけるにゃ! おこもおこ、激おこにゃー!! 降りてくるにゃー! に゛ゃー!! に゛ゃーッッ!!」


 ――目の前で杖をぶん回しながら荒れ狂う、猫型妖精、ケット・シーが管理する魂の通り道。


「5号、だっけ。久しぶり、その、あの、うん、久しぶり……」


 言葉だけは親しげに、しかし、自分はかなり強い緊張の下に、見覚えのある茶色と白のぶち猫の背中に声をかける。


 かぶっていた帽子は地面に落ち、灰色のズボンを片手で握りしめ、かつて5号と名乗り、自分に竜種の卵を与えたケット・シーは、自分の声にキッと鋭い目つきで振り返った。


「に゛ぃっ!?」


 何とも言いがたいうなり声と共に振り返った彼は、そのままジィっとこちらを睨みつける。暗闇で膨らんだ黒目にまれる青の瞳が、舐めるように竜脈に降り立った者達を見定めていく。


 最初に、怒れる猫の表情を見て無表情でハンズアップ状態となったノアさんに、焼けつくような視線が突き刺さった。


 次に、触りたそうに手をあげたまま、振り返った猫のあまりの形相に固まったブランカさんへと続き、どうみてもあれな状況にさらに目が死んだ木馬さん。


 次に、木馬さんについてきた陸鮫りくざめの親子、その隣に立ち、双子かと思うほど同じ動作で顔を背ける雪花とモルガナ、仏頂面のニブルヘイムへと視線は動き、すぐさま自分に寄り添うギリーと、その脇腹に揺れる籠からおっかなびっくり顔を出した橙を見つめ、最後にネブラを首に巻いた自分で視線が止まる。


 そんな大所帯を見つめ、確認し、自分という見知った顔を見つけた瞬間。くりくりした青い目がとたんに潤み、ぼろぼろと涙をこぼしながら杖をものすごい勢いで投げ捨てる。


 そのままダッシュし、自分のズボンのすそに縋りつきながら、猫はおーいおい、と哀れなほど大泣きし始めた。


「こ、こ、狛犬! 見てにゃ! これを見るにゃ! 竜脈がずたぼろ、壁もぼろぼろ、修復しようがないくらい! こんなところに峡谷なんか作られても困るのにゃ! 通路7つは潰れちゃったにゃ! こ、このままじゃ、このままじゃ――!」


「このままじゃ?」


「うええええええん!! このままじゃイグニス様にクビにされてっ……ひっく! 野良ケット・シーになって! うえっ……今までいびってきたモンスター達にいびられて暮らさなきゃいけなくなるにゃぁああ……どおしよぉぉ……!」


 泣きわめくケット・シーは自分のブーツに爪を立てながらそう叫び、後ろからはニブルヘイムが、あきれた様子でその嘆きに溜息をついた。

 振り返り目で問えば、ニブルヘイムは鼻を鳴らしながら小さな猫を見下ろして言う。


「事実ですよ。このケット・シーは有名でしてね。まず、簡単に嘘を吐く。何かにつけて美化に美化した自慢話と武勇伝。他者はとりあえず見下すもの。優位に立っている優越感が大好き。そのくせ、自身は非力で、群れのトップ――彼等的には、イグニスという名の王様ですね、それの指示によって、このクズ毛玉の言うことを聞くように命令されているモンスターをこきつかい、それがまるで自身の力であるかのように胸を張る。とにかく、虎の威を借りる猫、もしくは見栄っ張りの虚飾家」


 そりゃあ、野良になって群れの庇護下から出れば、報復に次ぐ報復で大変なことになるでしょうね、とニブルヘイムは無情にも締めくくる。


「ぎにゃあああああん! どんな目にあわされるかわからないにゃ! 絶望にゃ! もうダメにゃあああ!」


 それを聞いた猫が余計に泣き叫び、地面をごんろごんろと転げまわる。それをニブルヘイムとモルガナ、それに陸鮫は、ゴミでも見るような目で見ているが、ギリーは特に被害にあったことはないらしい。


 駄々っ子のように転がる猫を指させば、私はよく知らないが、彼等がそういうならそうなのだろう、主、また余計なものを拾ってはダメだ、と、そっか、じゃあ拾っていこうかなという顔をしていた自分に釘をさしてくる。


「クビって確定なの?」


「確定にゃ! 言いわけのしようもないし、イグニス様に貸してもらったモンスターも、変な黒い奴に奪われちゃったし!」


「……ふうーん」


『主、ダメだ』


「ダメですよ狛犬。こういう輩を内に飼うと、火種にしかなりませんから」


 どうやってさとっているのか。口うるさいオカン2匹が、自分の考えを見抜いてうるさく言うが、自分はひょいと猫の首根っこを掴んで拾い上げる。そのまま、触りたそうにしていたブランカさんに手渡して、しゃくりあげるケット・シーの頭をぽんと叩いた。


「よし、行く当てがないなら、お前をペットにしよう。名前はタマだ」


「――あ、すっごいこれもっふもふだわ」


 タマの毛並みに感動しているブランカさんは、よかったわねー、と言いながら猫の首をもふもふしつつ歩き始めた。他の皆も、そういえば、さっさとずらからないといけないんだった、とか、色んなのがいるんだねぇ、とか言いながら、それにならって歩き始める。


 ぽかん、としているのはモルガナをのぞくモンスター達で、一団に少し置いていかれてから、彼等も慌てて走ってきた。タマはブランカさんの腕の中で混乱しているようで、ぴしりと固まって大人しくなっている。


 少し早足、ていどの歩みで現場から離れながら、追いすがってきたギリーとニブルヘイムが、正気かと聞いてきた。もちろん、正気だ。


「ギリーは相棒だし、子竜達はペットって感じじゃないし、純粋なペット欲しかったんだよ」


「ああ、子竜達は親子って感じだもんね」


 ギリー達にそう言う自分に、しみじみと頷きながら木馬さんが言う。どうやらランカー達の中でも、木馬さんはまっとうなほうらしく、歩きながら色々な話を聞くことができた。趣味は設定考察とモンスターのスケッチらしい。


「後で狛犬さん達もスケッチしたいんだけど、いいかな?」


「いいで――自分もですか?」


「親子をテーマにすることが多いんだ。子竜たち、すごく懐いてるし、いい絵が描けそうだからお願いしたいんだけど」


「ああ、なるほど。わかりました、いいですよ」


 少し照れ臭いが、懐かれていると言われて悪い気分にはならない。ありがとう、と微笑む木馬さんに笑みを返せば、先頭を警戒しながら歩いているノアさんが、皆に向かって声をかけてきた。


「鼠は来ていないが、デラッジの性格だ。いつ来るかわからないから、よく警戒するように。竜脈のモンスターは襲ってきたら迎撃。あと、この後どうする?」


 とりあえず、追い付かれないように逃げるのは確定だけれど、その後の行動をどうするかと聞かれて、皆、何とも言えない声を出す。


 本当なら、トルニトロイを倒し、世界警察ヴァルカンを撃退し、晴れ晴れと解散! となるかもしれなかったが、流動的とはいえ、面倒な事態になってしまっている。ここで解散しても意味が無いし、かといって、どうする、と言われると困ってしまう状況だ。


「はい。とりあえず、自分達は雇い主のとぶささん次第なんですが、なんかメッセージ機能が動かなくて……」


「ああ、それパッチの修正一覧に載ってたわよ。ワン切りで使う人が多過ぎるから、メッセージ送るにも受信するにも、セーフティーエリアに入らないといけないって。代わりに、急な用事でログアウトする時に仲間に伝えられるように、ログアウト時サポート妖精伝言サービスなんてものが始まるって」


「あー、流石に修正されたかー」


「ええ……また不便な。何か修正される原因が?」


「ワン切りでね。ほら、獲物が来たとか、背後取ったとか。あらかじめ決めてあった言葉を伝えることに利用されてて、PK&逆PKパラダイスの便利アイテム的な使われ方してたから」


 これで、メッセージ機能の修正は2回目。1回目は奇襲のための作戦会議とかに使われていたからだったらしいが、更に厳しくなったのはどうしてだと聞けば、木馬さんがわかりやすく答えてくれた。


「それじゃあ、朶さんと連絡取るには……」


「私の契約モンスターが一緒だから、そのうち合流できると思うわよ?」


「あ、そうなんですか? じゃあ、問題ないです。合流までご一緒させてもらっても良いですか?」


「もちろん! ねえねえ、後で他の子も触らせて?」


「はい、ネブラが平気なら他も全然平気だと思うので、どうぞ」


 あの神経質なネブラが平気なのだから、橙も平気だろうと声をかければ、籠から顔を出す橙が、ぐあ! と元気よく鳴いて返事をする。それにブランカさんは嬉しそうに微笑み、そういえば、と今度は木馬さんの方を振り返った。


「ね、木馬。陸鮫と契約しないの?」


「ええ? あ、そういえば普通に着いてきてたけど……」


『出来れば、お願いしたい。我が子を保護してくれた上に、その心意気に打たれた。是非とも、貴方の牙になりたい』


「――そうか。うん、そこまで言われて逃げるのはかっこ悪いな。ありがとう。こちらこそ、お願いする。ただ、少し名前を考える時間をくれ」


『もちろん、嬉しい限りだ』


 小さくふわふわな子供を背に乗せたまま、陸鮫は嬉しそうに牙を剥いた。そのやり取りを見届け、ブランカさんは固まったままのタマをもふりながら、今度はノアさんに向かって弾んだ様子で声をかける。


「ねえねえ、言ったでしょ! 名前はランカー同盟でも何でもいいから、即席ギルド作って特訓からの大型イベント攻略やりましょうよ! 世界警察ヴァルカンうざいし、この面子ならPKも怖くないし!」


「それに自身の護衛と人脈にもなるし……だろう? 他の返事次第だ。俺は構わないが、木馬と狛犬、雪花次第だな。レベックは呼ばなくても来るだろう、混ざりたい性分だから」


「自分は朶さんさえ良いと言えば」


「はいはーい。俺は雇われなんで、ボスがやると言えば何でも」


「俺は……うん、ここでソロに戻ったら狙い撃ちされそうだから、賛成かな」


 それぞれの肯定的な返事を聞き、ノアさんは片目を閉じてちょっとだけ考えてから、ぴたりと足を止めて言う。


「ふむ……恐らくだが、狛犬の雇い主は取材好きだな? ならば、イエスと言う可能性のが高いだろう。もしダメだと言われても、その時に解散すれば良いだけだ。よし、名前は何が良い? 攻略組の様子を見るに、時間が惜しい。決めたらさっさと狛犬と雪花の特訓に入ろう」


「特訓――指導してもらえるんですか!」


「勿論。完璧に後一歩くらいまでは鍛える。後の一歩は狛犬のスタイル次第だ。剣と妙な動きはレベックに教われ。ずる賢さと策謀はブランカが得意だ。魔術のことなら木馬は上から数えられるくらいに優秀だ。どれも狛犬と雪花に叩き込めば、相当なものになるだろう。何せ、元が良い。師が良ければ、傑物になれる」


 頷くノアさんはそう語り、ブランカさんと木馬さんが、任せて、と穏やかに微笑んでくれる。ブランカさんが、ノアは何もしないの? と聞けば、ノアさんは静かにこちらを見つめ、少し考えた後にこう言った。


「俺からは――そうだな。雪花には、モンスターとの連携方法を。狛犬には召喚術を教えよう。後、狛犬には特別補講がある」


「召喚術――! かっこいい! ……あと、え、特別補講?」


「補講の時のお楽しみだ。では――む、ギルド名を考えるのは後のほうがいいらしい。客が来た。特訓から先に入ろう。一時限目、魔術だ。木馬先生、頼むぞ」


「何だかこそばゆいな。でも、何か楽しいね。それでは、一時限目の授業を始めよう。まず第一に、魔術とは――空き時間に宙にぶっ放すもの。よく覚えるように」


 ノアさんは大真面目な顔で、木馬さんは楽しそうに微笑みながら。戦闘で煤けたシャツに風を孕ませ、木馬先生の唇が流れるような声を紡ぐ。歌のような、呼び声のような、不思議な声色で詠唱が竜脈の中を走り出す。


「〝すいの色 精霊王の影 碧竜へきりゅうの操る風の音色〟」


 竜脈の中に渦巻く魂、そこから漏れ出る魔力が先生の掲げる右腕に集っていく。魔術師だからこそ、それがわかる。そう、ここは竜脈。魔力に満ちたこの場所では――、


「〝我が魔力は碧竜が歌うすい挽歌ばんか 死者の葬列に我が敵を加えよ〟」



 ――魔術の全てが肯定される。



「【トルネード】」



 タイミングも、位置も、角度も、威力も。何もかもが完璧に調整された一撃が、その一言で、竜脈の壁を縦横無尽に走って来ていた鼠の群れを葬っていた。

 天井を走っていた鼠も、左右の壁を走っていた鼠も、跳ねていた鼠だって何もかもを取りこぼさずに、その一撃は全てに死をもたらした。


 恐れるべきは、その正確さ。数多の――それこそ、百匹は超えるような数の鼠たちは、そのどれもが単に身体を切り裂かれただけではなく、一匹ずつ丁寧に、背筋が寒くなるほど正確に首が刎ねられている。


 刎ねられた首から零れる血が、数百単位で集まって、竜脈に血の海を作りだす。木馬さんは生き残りがいないのを確認してから、ようやく笑みを消し、笑っていない目で自分と雪花を振り返った。


「第二に、魔術とは――強いイメージが何よりも大切だ」


 イメージだけで、こんなことも出来るんだよと言うように。上から数えられるくらいに優秀だという魔術の先生は、声だけは優しそうにそう続けた。


 雪花は緊張に喉を鳴らし、自分は思わず震える唇に手をやって、その〝差〟に目が眩むような心地を抱いた。ああ、まだ上がある。もっともっと、高みがある。


「はい、よろしくお願いします――先生」


 魔術とは、唱えてぶっ放すだけのものではないと、教えてくれた木馬さんに、自分は敬意を表して頭を下げた。







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