第百十一話:KYな人達

 


第百十一話:KYな人達




 それはまるで、炎そのもので出来た竜だった。見覚えはある。アルカリ洞窟群の精霊の巣で見かけた炎獄系の精霊も、まったく同じ姿をしていたからだ。


 どちらかと言えば、子犬のような愛嬌のある竜のたぐい。手足は短く、身体もずんぐりしているほうで、耳のようにも見える赤黒い炎が大きく短い山羊角のように左右対称に一本ずつ揺らめいている。


 尾には規則正しく黒い背びれのような筋が並び、翼は絵本に出てくる竜のように小さく、玩具がんぐと見まがうばかりだ。目は大きく黒目がちで、口の形も、頭の形も丸い。


 全体の評価としては、愛くるしいドラゴンだ。しかし、今日初めて、〝可愛い〟という表現には、サイズ制限というものがあるのだと自分は知った。


「精霊の姿って決まってるの?」


『精霊は、精霊王が特別に贔屓しているいくつかの種族の中から選んで姿を借りるんです。あれは、熾竜シャム・ドラゴンと呼ばれる種族を愛する精霊王ですから、炎獄系の精霊はどれもあるていど成長すると、たいていは熾竜シャム・ドラゴンの姿を真似るわけです』


「ああなるほど、それで――」


『ちなみに、野生の熾竜シャム・ドラゴンは、どれだけ栄養状態が良くても1メートルも大きくなりません。ちなみに獣竜種ですから、毛でふさふさです』


「何それ抱っこしてみたい」


 シャム――愛玩のの通り、原種がとても可愛いだろうということはわかったが、反面、そのサイズでどれだけそれが台無しになっているかがよくわかった。


 しかし、今のサイズもこれはこれで悪くないかも。ニブルヘイムより少し大きいくらいの炎の塊は、ファンタジー特有の夢を固めたような――ああ、そう考えれば、


「……かっこいいじゃん、もうちょっとよく見せて!」


『黙って――お願いですから!』


 爪の隙間から身を乗り出してよく見ようとする自分を、ニブルヘイムはすぐさま押し込め、爪の隙間をぴったりと閉じてしまった。


 完全にニブルヘイムの手のひらの中に閉じこめられ、真っ暗闇の中、精霊王の声だけが聞こえてくる。つま先立ちをすれば辛うじて外の様子がわかるが、この体勢を長く続けるのは辛そうだ。


『砂竜ニブルヘイム! この恥知らずの弱者め! ニンゲンをどこに隠した? 個の強さで戦った戦士の首を掲げる権利がお前達にあるものか! さあニンゲンを差し出せ! 八つ裂きにしてやるから!』


 わずかな隙間から意地でも外を見ようとする自分に、ニブルヘイムが一瞬だけ、あからさまに嫌そうに視線を寄越した。

 しかし、すぐにニブルヘイムは視線を上げ、自分を差し出せという精霊王に、轟くような声で応える。


『お言葉だが炎熱の精霊王! 我らが王は大地と氷雪の精霊王だ! そして竜王こそが真の王! 貴方の命令を聞く義理は無いし、貴方はここにいるべき存在ではない!』



【その通りです】――【強制ロック機能、始動】



 ニブルヘイムの声に、淡々とした声が同意を示した。さきほど、〝ulkdorウルクドア〟――ラングリアの蛇神へびがみの名前を名乗った声に、炎の精霊王は怒りを示すように身体を震わせ、火の粉を振り撒きながら咆哮する。


『運営の使いっぱしりが偉そうに! 追い返せるものなら追い返して――』



【運営は神様です】――【術式短縮】――【《絶世ぜっせおり》】



 スキル発動、特有の言葉の揺らぎ。【絶世の檻】というそれの宣言に世界が従い、突如、炎の精霊王の周囲に黒い金属が円形に展開。多重構造のそれが目まぐるしく形を変えながら増えていき、炎の精霊王をあっという間に覆い隠した。


 中からは怒り狂う精霊王の声。続いて、息もつかせぬ速さでアナウンスが草原――いや、雪原と灰に覆われた世界に響き渡る。




【竜爪草原、該当地区にいる全プレイヤーに通知します】



【これより30分後、ゲリラ型:多人数適応称号クエストを開始します】――【30分後までに該当地区にいるプレイヤーのみが参加資格を有します】



【ゲリラ型:適応称号クエストの説明をします】――【ゲリラ型は、予測不可能な大規模災害等が起きた際、クエスト化が可能なものに適用されます】



【多人数クエストの場合、適応称号スキルの仮使用許可は認められません】――【規模によって報酬範囲は変動します。今回は討伐に貢献した上位10名までに、同一内容の【適応称号】、それに伴うスキルを付与します。貢献ダメージの規定ルールを、各プレイヤーのメニュー欄に追加しました】



【このゲリラ型は多人数限定のクエストとなります】――【参加したくない方は、不参加の意思を表明し、速やかに該当地区からの撤退を推奨します】



【クエスト達成条件は、《炎の精霊王》の討伐】



【それでは、30分後までに意思表明をお願いします】――【繰り返します】




『こんなレベル差があってクエスト化するなんて――ここで死ねと言っているようなものですよ!』


「あれ、そんなに強いの?」


『本来なら、イベントの――ああつまり、その――とにかく適正レベルじゃないんです!』


 うっかりネタバレをしかけたニブルヘイムが慌てて言いなおすが、要するに、そろそろだと噂されている初の大型イベントのボスという位置づけだったのだろう。


 ネットで情報を漁りまくり、仕入れたその手の知識が正しければ、恐らく百人近い数か、それ以上で戦うようなボスなのかもしれない。


「それは……すごいな」


『ええ、とんでもない! 運営は何を考えているの――』


「――楽しそう」


 え? と金色の竜が呆けた声を上げる。鈍った思考と同調するように緩んだ爪の隙間から飛び出して、胸鎧メール・メイルを蹴って鞍に飛び移れば、ニブルヘイムは驚きに身を捩り、自分は鞍に立って手綱を引いてそれをいさめる。


「ニブルヘイム、地上へ!」


『今、何て言いました!? 認めませんよ、ちゃんと不参加のボタン押すんですよ!? 30分もあれば、私の翼なら逃げきれるんですから! 聞いてますか、狛犬!?』


「地上へだ、ニブルヘイム。ここから飛び降りたって構わないけど、送ってくれると、とても嬉しい」


 美しい深紅の革手綱を引き締めて、飛び降りるには少し高いから、とうそぶけば、砂竜はもどかしそうに頭を小さく左右に振ってから、骨が覗いていてもしっかりと風を掴む翼を下に向けて動かした。


『ああ、なんでこんなに血の気が多いんでしょう……! 〝逃げるが勝ち〟って言葉を知らないんですかね……!』


「他の人達と相談して逃げることになったら逃げるよ?」


『……もしやることになったら、トルニトロイの死骸はどうするんです?』


「トルニトロイは首も身体も――特に首は、持って帰った誰かはきっと後悔するだろう」


 後悔させるの間違いでしょう、と唸りながら、ニブルヘイムは愚痴を引っ込めて地上へと舞い降りた。灰と雪を柔らかく踏みしめた竜の背から飛び降りながら、確かにそうかもしれないと笑う。


「頭骨コレクションに竜の骨が加わるんだから。奪われたら取りにいくに決まってる」


『――あなた、そんな趣味あったんですか』


 おののくニブルヘイムの鼻面を叩きながら、走り寄って来る雪花に手を振った。慌ただしく雪を蹴り、流れの傭兵さんは、息せき切って身振り手振りを交えて必死に何か訴えているつもりらしい。


「ボス! 言いたいことは色々あるけど、おかえり!」


「ただいま。アナウンス聞いたね?」


「――なんて答えたら逃げようって意見に同意してくれる!?」


「さあ? 要相談」


 途端に両手で顔を覆って、この世の終わりのようなオーラを纏いだした雪花を無視し、心得たようにそばに控えて頭を垂れるギリーを撫でながら、少し離れたところで何やら揉めているらしい一団に視線をやる。


「ネブラは意外と平気そうだね、よかった」


『うむ、何やらそこまでストレスではないようだ。基準はわからないのだが――ネブラ、主が戻って来たぞ!』


 ブランカさんの腕の中で興味深そうに人間たちのいさかいを眺めていたネブラは、ギリーが呼んだことで自分と父親が地上に戻ってきたことにやっと気が付いたらしい。


 こちらを振り向き、目を丸くし、大慌てでブランカさんの腕から転がり落ち、そこからふらふらしながら4枚の羽で飛び上がる。

 枷は外してもらったようで、ネブラは嬉しそうに鳴きながら自分の腕の中に飛び込んできた。


「よしよし、ただいま。ちゃんとぶちのめして――」


「ボス、言葉づかい!」


「ちゃんと倒してきたからねー」


 小うるさい雪花の声を背景にネブラとの再会を喜び、それから未だに3人で1人を罵り、どついている一団へと近付いていく。


「あのー……」


「それはおかしい! レベック、アンタの感覚間違ってるわよ!」


「こればかりは同感だ」


「俺がおかしいの!? そんな、だってよかれと思って――」


「何が俺がいないとダメみたいだな☆ よ! アンタ中心に世界が回ってるとでも思ってんの!?」


「だって俺が一番強いんだから――え? 世界って一番強いやつが中心なんじゃないの?」


 ――だってじっちゃんがそう言ってたから、と首を縮める金髪の青年は、周りの空気を察したというよりかは、ブランカさんの表情を見てよくわかんないけどヤバい! と思ったようだ。


「ごめん! なんかごめん!」


「アンタ、教育ってもんを受けたの!?」


「たぶんあんま受けてない! 遊伐民ゆうばつみん出身だから! あっ、ちょっ、ブランカごめん! 髪引っ張らないで!」


「だからって常識どこに捨てて来たのよ!? こんな馬鹿が実在するなんて信じられない! ホントに脳みそ入ってるの!?」


「さっきから目に余るぞ、レベック。もう少し社会勉強もだな――」


 レベックさ――レベックの髪を掴んで揺さぶりながら叫ぶブランカさんに同調し、美神の如きかんばせの男性が頷きながらそう言うが、3人のやり取りを死んだ魚のような目で見ていた青年は、男性――ノアというらしい――の肩を叩き、人のこと言えない、とそれを諭す。


「ノアさん、目立ってないだけで貴方も人のこと言えないレベルでおかしいですよ?」


「む――そうか、まだまだこちらの常識が足りないか」


「いえ、常識と言うか、なんか住んでる世界が違うような気が――あ、狛犬さん、はじめまして、俺は木馬と言います」


 木馬さんは近くにいながらも話しかけられずにいた自分に気がつくと、すぐさま自己紹介をしてくれた。にこりと微笑む木馬さんに、自分もどぎまぎしながらとりあえず挨拶を返す。


「あ……ええと、知ってるようですが、狛犬です。はじめまして」


「大変でしたね、お疲れ様です。話は雪花君から聞いてますか?」


「あー、助太刀に来ていただいたと」


「そうなんですけど、提案者があんな感じで……ブランカ! レベック! 自己紹介するよ!」


 申し訳なさそうに眉を下げ、木馬さんはぎゃあぎゃあと揉めている二人を呼びつける。ブランカさんはハッとした様子でこちらにかけより、すぐに笑顔で自己紹介をしてくれた。


「ブランカよ、よろしく!」


「あ、俺はえす――あ、ちが、えっとレベックっていうんだ!」


「狛犬です。あの、ありがとうございました」


 レベックの首根っこを掴んだまま、ブランカさんは優しそうに微笑んだ。真っ白い、すごい美人、しかも巨乳で美脚の持ち主だった。胸と太ももに視線が引き寄せられるのを頑張ってこらえ、こら……こらえるために若干上を向きながらお礼を言う。


「俺はノアだ。野次馬のようなものだから、あまり気にしなくていい……が、ネロを呼んだのは俺だ」


「あ、どう……もありがとうございました。す、すごいですけど、どうやって呼んだんですか!?」


 よこしまな感情から逃れるために若干上を向けば、今度は木馬さんの隣に立つノアさんがひょっこりと自分を覗き込みながら、ちょっと自慢げに、すごいだろうと胸を反らすのを直視してしまい、不覚にもその格好良さとのギャップにやられて思わず声が上ずってしまった。どちらを向いても目に毒すぎる。


「召喚士だからな、他にも色々と出来る」


「そうなんですか! えっと、あ、自分は狛犬で、雪花は知ってますよね。こっちがギリー、これがニブルヘイム――あれなんでお前、人型になってんの?」


 慌てて隣にいたギリーを前に押し出し、さらに勢いでこちらに歩いてきていた長身を引っ掴んで、何も考えずに紹介してから驚きに二度見をする。

 砂色のデラッジを揺らし、金色の瞳を複雑そうに歪めた男――人間に化けたニブルヘイムが、不服そうに唇を曲げた。


「これ呼ばわり……翼の傷が地味に深いんで、化けたんですよ。その器官を持っていない存在に化けると、傷の〈保留〉が出来るんです。治るのは遅くなりますけど、出血ダメージや感染症も防げますし」


「へー……あ、で、これがさっきの砂竜、ニブルヘイムです」


 やはり、翼の傷は骨が見えているだけあって地味にヤバかったらしく、色々とステータスに制限がかかるものの、人の姿に化けたほうが良いと判断したらしい。


 不満たっぷりでデラッジの裾をいじりながら、ニブルヘイムはぶっきらぼうによろしく、とだけ呟いた。意外と態度が悪く、唇もへの字のままで、よろしくと言いながら誰とも目も合わせようとしない。


「竜って人にも化けられるんだ!」


「わー、すっごい!」


「いいなー、俺もトルニトロイの首刎ねてみたかったなー。竜と手合わせしてみたいなー」


「ネロも化けられるのか……?」


 しかし、ニブルヘイムは、これまた意外と人気で、特に木馬さんはテンション高く拳を握り、ニブルヘイムをキラキラした目で見つめている。


 ブランカさんは純粋に楽しそうだが、レベックのほうは怖いことを呟いていたせいか、ニブルヘイムは若干レベックの視線から隠れるように自分の後ろに控えながら、ノアさんの疑問に頷いてみせた。


「ええ、ネロもやろうと思えば出来ますよ。まだ遊んでるみたいですけど、いつになったら降りてくるんだか……」


 視線を空に向け、ニブルヘイムは呆れた様子で黒飼竜、ネロを見上げて言う。ネロの周囲にいる〝従魔士テイマー〟を乗せたモンスター達は、地上に降りようと下降するたびに何かにぶつかり、ネロから離れたくとも離れられないようだった。


 全員がその様子に疑問符を浮かべれば、ノアさんがさらりと言う。


「ネロの得意は『結界』というやつらしい。多分、壁でも作って、箱の中で遊んでいるんだろう」


「へー……かわいそ」


「祈っとこうかな、いや、でもちょうどいいか」


「災難ねー……まだレベック相手に犬死にしたほうがマシそう」


 自分は単に感想を、木馬さんは複雑そうに彼等をそう評し、ブランカさんは率直に感想を述べた。そこに自分より空気が読めないらしいレベックが手を振って割り込みながら、


「それより、これからどうするんだ? 精霊王っちゃう?」


 などと軽く発言し、


「少しは運営をいたわれ」


「どうみてもここで倒したら次のイベントの難易度がおかしくなる」


「アンタ基準の世界になって大型イベント台無しになったらどうしてくれるの」


 と、ノアさん、木馬さん、ブランカさんの順で流れるようにツッコミが入るが、レベックは、え? という顔でメニュー画面を開示し、


「え、ごめん……てっきり挑むと思って参加押しちゃった」


「「「この大馬鹿野郎!!」」」


 と、すぐさま三人から放たれた蹴りやチョップが、レベックを容赦なく吹っ飛ばした。


「運営を労われっていうのは冗談に決まってるだろう! それより、こんな無謀なところで運営に手の内明かす馬鹿がどこにいる!? 派手にやったブランカが、今回のパッチでどんな目にあったかさっき聞いただろう! 悪用できるスキルは運営にバレないようにイベントまで隠しとくんだよ!」


「そうよ、木馬の言う通り! 数値の差舐めてんじゃないわよ、こんなところで全力出したって勝てるわけないし、人数見なさいよ人数! 目ぇついてる!? ここにプレイヤーが何人いるか見える!? あれは、どうみたって最低、数十人規模のボスモンスターにしか見えないでしょう!?」


「え、え、だって勝てる可能性が無いのにクエスト化するなんて無いだろう? ちょっと大きいけど、でも――あ、ごめん、黙る、黙るから!」


「……しかし、押したボタンは戻らないぞ」


「……レベックさんったら。……まあでも、キャンセル不可って書いてありますし、どうしますか?」


 ものすごい剣幕でレベックを責める木馬さんとブランカさんを見て、自分もやってみたい! と言い出そうとした口を即行でチャック。


 小さな見栄のために口を閉じた自分を、こいつは……みたいな目で見てくるニブルヘイムを無視しつつ、後戻りは出来ないと言うノアさんと一緒に、お追従ついしょうを言いながら意見を問うてみる。


「一人で囮になればいいんじゃないかしら」


「そうだね。レベックが足掻いている間に、逃げよう。負け戦なんて冗談じゃない」


 自分とノアさんの発言に対し、ブランカさんと木馬さんは、少しだけ考えてからそう言い切った。ノアさんも静かにそれに頷き、ぱん、と一つ手を叩いて、


「では、竜脈から逃げよう。ネロに竜脈への入り口に結界をはってもらい、レベックを囮にして――」


「ここから逃げるなら、〝吸血鼠ラグ・ラット〟を全力でけしかけますよ。少なく見積もって、ざっと数百匹くらい」


 そうして出した結論に、待った、をかける声が全員の動きを止めた。


 示し合わせたように振り返る皆の視線の先に、これでもかというほどに顔をしかめる、黒いコートに身を包んだ青年が立っていた。


 その肩には小さな黒い鼠。竜脈で嫌というほど見た、あの鼠だ。くるりと白目の無い瞳をまたたかせ、鼠は全員を見渡して小さく鳴いた。


「冗談じゃない。冗談じゃ――ない。このままじゃ、僕、ただの出落ち野郎じゃないですか。こんな僻地まで左遷されて、無駄足を踏むなんて行為、死んでも納得できない。逃がしませんよ――死なばもろとも!」


 こちらに人差し指を突き付けて、仁王立ちで青年はそう叫ぶ。誰だ、と言いかけた木馬さんを制し、ノアさんがその名前をゆっくりと口にした。


「〝デラッジ〟」


「ああ、そうだよ僕のここでの名前はデラッジだ。それで、逃げて呑まれるか、逃げずに――」


 青年――デラッジがそこまで言いかけた瞬間、ノアさんが目にも留まらぬ速さで一歩を踏みこんだ。驚く皆を置き去りにして、彼は抜き放った短剣でデラッジの腕を切り落とそうと、長い腕を芸術的に振りかぶる。


「じゃあ死んで諦めろ」


 そう言いながら振り抜かれた短剣は、こちらに突き付けられた腕を鮮やかに両断――するかと思われたが、反射のように動いたデラッジの腕が捻られ、短剣を振りかぶったノアさんの手の甲を鋭く弾く。


「相変わらず手が早い――ですねッ!」


 そのままデラッジのコートの裾からナイフが飛び出し、その手に収まった瞬間に、ノアさんの返し刃が鋭く鋼を打つ甲高い音が雪原に鳴り響く。短剣ながら重そうな一撃を受け止め、いなし、デラッジは軽やかな足捌きで距離を取った。


「……問答無用すぎませんか」


、勝つ必要はない。勝てる準備をしてから、最終的に勝てばいい。世界警察ヴァルカンの広告に付き合う気は無いし、レベック以外を付き合わせる気も無い」


「あ、俺はノアさんの庇護対象外なんだ……」


 小さく肩を落とすレベックの声を無視し、ノアさんは短剣を突きつけデラッジをすらりと見下ろした。対するデラッジは腰を落とし、獣のような前傾姿勢でナイフを逆手に構え直す。その喉からは、聞き取れるかギリギリの小さな声がすべり出る。


「もう一声あれば、穏便にいけます。脳筋だけじゃちょっと……!」


 絞り出すようなその声は、明らかに周囲を気にしながら発されたもので。デラッジ本人はこちらに向かって、いいから上手く一芝居やって逃げろ、とこれでもかというほど目で訴えている。


 自分にはまだ状況が飲み込めないが、ノアさんはすぐに理解に至ったらしい。周囲に視線を走らせながら、デラッジと同じように小声で返し、ノアさんはレベック以外に目配せで〝逃げるぞ〟と指示を出す。


「……ネロを使え、死ぬようなことじゃなきゃノってくれるはずだ」


「感謝します――さて、世界警察ヴァルカンを敵に回せばどうなるか、竜脈の中でとくと味わってもらいますよ!」


「大口叩いたな小僧! 総員、竜脈に退避だ! 地上で相手にしたら呑みこまれるぞ!」


「……なにこの茶番」


「しっ! 雪花、ほら行くよ!」


 ぼやく雪花の足を蹴り、襟首を掴んで、レベックがやったんだよこれ、と死んだ目で木馬さんが指さす先、終端見えぬ大地の裂け目に身を躍らせる。

 目指すは地上に口を開けた竜脈の中。飛び出した自分の足元に踊り出たギリーの背に跨り、岩を蹴り、砂を弾き、先行する木馬さんについてそこを目指す。


「精霊王は頑張るから、鼠の群れはそっちでどうにかしてねー!」


 背後に置いてきたレベックが、やけくそ気味に叫ぶ声を聞きながら。あの日、やっとの思いで這い出した地下世界に、今度は随分と大人数で。


「絶対、怒ってるだろうな……」


 小さな不安を抱えながら、自分達はそこに踏み込んだ。




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