第百十話:運営の悪意

 




 舞い散る粉雪の中、黒雲に覆われた暗い世界。死してもなお本物の太陽のように輝くトルニトロイの首を掴んだまま、ニブルヘイムは吼え続けた。


 派手に切り裂かれ、一部は白い骨まで覗く黄金の翼で力強く風を掴みながら、ニブルヘイムは勝利を高らかに宣言する。


 遅れて、その宣言を聞き届けるように、どこからともなく運営からのアナウンスが響き渡った。澄んだ声色の、聞いたことのない声。meltoaメルトアと名乗った声よりも、幾分か低く、落ち着いた声が淡々と告げていく。



【適応称号システム】――【担当はAIナンバー1番〝ulkdorウルクドア〟】




【適応称号クエスト】――【死の国の神、首狩り狂犬トールダム




最重要項目・・・・・の達成を確認】――【完全ソロ討伐不達成】


【担当の精霊王より異議申し立て】――【審議中です。少々お待ちください】




 続けて声はそう告げて、ニブルヘイムはようやく口を閉ざした。


 アナウンスが何かぐちゃぐちゃ言っているが、自分としては満足だ。トルニトロイも倒せたし、ニブルヘイムとも、最終的には上手く戦えたと思っている。

 まあ、元から棚ぼたな出来事だし、新しいアビリティは手に入ったし、【適応称号】は今後もチャンスがないわけでもない。


 はるか下の地上を見ても、誰も欠けている者はいない。セリアとドラエフはトルニトロイの首が飛んだ時点でどちらも撤退を選んだようだ。


 残っている〝従魔士テイマー〟達は、黒飼竜ネロが抑えてくれているし、もうこれで強大な敵はあらかた片付いた。後は、残りの〝従魔士テイマー〟達を片付けるだけでいいだろう。


 そんなこんなで、戦闘が終わったことにほっとし、だらりと力を抜いて鞍に座りなおした自分は、ニブルヘイムが突然身体をぐるりと回したことでずるりと鞍から滑り落ちた。


「――ッ!?」


『……』


 ニブルヘイムは無言のまま、滑り落ちた自分を右手で掴み、その巨大な手のひらで覆い隠した。


 細かな鱗に覆われた手のひらの中、突然のことに驚いて尻もちをついていた自分を閉じ込めるかのように、ゆっくりと閉じていく爪。

 その隙間に慌てて飛びつけば、握り潰すつもりはないのか、ぴたりとその動きが止まる。


「ニブルヘイム?」


『――黙って』


 爪の隙間から呼びかければ、ニブルヘイムの静かな声が降って来る。黙れと言いながら、彼は何もない空中に視線をめぐらせ、何かを警戒しているようだった。


 妙な緊張感を保つニブルヘイムにつられ、警戒しながらも、巨大な爪の隙間から身を乗り出して自分も辺りを確認する。特に危険なものも見当たらないが……と思った時だった。



【異議申し立てを受諾】――【しかし、未達成の申請は認められません。プレイヤーは最重要項目を達成済みです】


【結論】――【適応称号クエスト――【死の国の神、首狩り狂犬トールダム】を仮達成とみなします。この決定は覆りませ――】


【――炎の精霊王】


【これは警告です。プレイヤーは最重要項目を達成済みです。規定違反です。〈剥奪〉は認められません】


【警告します炎の精霊王】――【プレイヤーへの直接の干渉は認められません】



「仮達成? 剥奪? 干渉っておい……」


『炎獄系の精霊王は、誰かの手を借りることを憎む。書物の中でそう語られるくらい、単騎ソロ以外の闘いにいきどおるのが炎の精霊王です。火か、ようならともかく――炎だからこそ、文句を言ってきたんでしょう。厄介な……』


 アナウンスの内容に疑問の声を上げた自分に、意外にもニブルヘイムが返事をした。少なからずその性質を知るらしい黄金の竜は、炎の精霊王が今回の結末が気に入らないから、文句を言って来たんだと説明する。


 説明と共に、さらに自分を囲う爪は狭まった。ニブルヘイムの視線は空に走る紫電に固定され、自分はますます狭くなる隙間から身を乗り出してそれを見上げる。


「ネロの時と同じ――」



 ぐぅっと、ニブルヘイムが低く唸るのと同時、アナウンスが、それを告げた。



【チッ。緊急警報】――【竜爪草原、該当地区にいる全プレイヤーに警告します】


【システム権限のエラーを利用し、特例召喚にてサポート妖精基準:rank・SSSの精霊が喚起かんきされます】


【緊急警報】――【竜爪草原、該当地区にいる全プレイヤーに警告】


【これは正当な召喚ではありません】――【現時点、プレイヤー適正レベルを大幅に超えています】



 ネロの時と同じく、空には紫電が走り、魔法陣が刻み込まれ、正六面体の結晶が、闇がこごるように現れる。



【システムエラーの一部です】――【特例として、一部情報を公式より開示します】



【系統:《炎獄系》】――【categoryカテゴリー:〈精霊王〉】



 あの時と違うのは、その六面体は闇ではなく、炎となって膨れ上がったということと――、




『――ニンゲン、ニンゲンはこれだから! 群れる! 集まる! 個は埋没し、は消えて――烏合の衆になりさがる!!』




 ネロとは違い、敵意に溢れているということだった。





















 第百十話:運営の悪意/(プチ)


































 さて、打って変わってVRの外の世界。ある意味、隣り合わせに存在する現実世界でも、一つの問題に終止符が打たれ、そしてすぐに次の問題が持ち上がっていた。


 めちゃめちゃに壊れた機材、机、椅子に棚の残骸。その残骸の上にヤンキーのように座り込み、不機嫌そうに頬杖をついている笹原。


 同じく残骸の上ではあるが、どこからか出してきた豪奢な椅子に足を組んで座り、貴族どころかお前は王侯貴族かと思うほど尊大な態度でふんぞり返っている琥珀。


 彼等の視線の先では、流れ弾に直撃したせいで鼻血を出した沢渡さわたりと、防災頭巾をきっちりと被った白沢しろさわゆうその人が、心底疲れ切った顔でモニターを見つめていた。


「……精霊王の異議申し立てを受理しなきゃいけない状況とかおかしいやろ。これ――エラーの余波? 普段なら突っぱねるやん」


「まっしょ――いんめつ――あー……つまりは、そうだな。デトックス。よし、これからはそう呼ぼう。システムのデトックスの余波だね。突っぱねてもし暴走したら止められないから、〝ulkdorウルクドア〟も妥協したんだろう」


「システムのデトックス――! 傑作や、ようし、愉快な造語がまた増えたで!」


 自棄になりながら沢渡がそう叫び、疲れ切った所員達の失笑を誘った。わざわざ笹原の目の前で言ってしまうところが、祐らしいといえばらしいだろう。


 疲れ切っているらしい笹原は、不機嫌そうに溜息を吐くだけで睨む元気もないらしい。逆に琥珀の方は元気いっぱいで、ふんぞり返った姿勢のまま、偉そうな口調で口を挟んでくる。


「つまり、証拠隠滅のために起こったシステムの不備を――あー、つまり、デトックス中の隙をつかれたんでしょう?」


「――琥珀さん、奥さん呼びますよ。デトックスはデトックスです」


「システムだって健康気にしてデトックスくらいするねん! 今じゃそんなん常識や! 月に2回は必要やから! ついリラックスしてしまうんや!」


「――ほう? 月に2回もデトックスしているのか」


「え、円滑な運営のためであって、決してやましい理由からじゃ――!」


 ずっと黙っていた笹原がぎろりと睨みながらそう言えば、沢渡は蛇に睨まれた蛙ように息を詰まらせる。所員達はくすくすとデトックスと口の中で呟いては笑っていたが、ふと一人がその笑みを強張らせ、すぐさま上司に報告を叫ぶ。


「沢渡先輩! 証拠隠滅――やべっ、デトックスの隙に炎の精霊王が勝手に召喚システムに干渉! 《壁》を超えようとしてます!」


「――法律違反か?」


「いえ、要するに大型イベントがクリアされるまではプレイヤーの前に姿を見せないでね? という約束を破ろうとしてる大馬鹿がいるって話です。問題としては管理法違反のレベルじゃありませんが――」


 途端、少しだけわくわくした様子で身を乗り出した笹原は、祐の返事を聞いてがっかりした様子で座りなおす。その様子を嫌そうに眺めつつ、祐はしかめっ面をしてみせた。


「ある意味、イベント前のネタバレみたいなもの――止められない?」


「あの性格じゃ難しいかと――担当の〝ulkdorウルクドア〟に繋ぎます!」


 法律違反レベルでヤバいことではないが、サービス提供者としてはある意味でヤバい。深刻なネタバレになるし、【適応称号クエスト】を苦労してクリアしても、担当の精霊王が文句を言えば取り消しになるなんてことがまかり通れば、評判だって悪くなる。


「よりにもよって炎の――」


「炎の精霊王が転移開始! “ulkdorウルクドア”がプレイヤーに警告いれました! 一部の情報開示も許可出しますか?」


「サブリーダー。GM配置しますか?」


「いやまって。――“ulkdorウルクドア”、お前はどう思う?」


 マイクのスイッチを入れ、祐がモニターに向かってそう喋る。休憩していた所員達もそれぞれの仕事に戻り、いったんは和やかな空気だった所内が、再び慌ただしい空気に染まっていく。


 呼びかけられた学習性AI――精霊1番“ulkdorウルクドア”は、少しの沈黙の後に所内のスピーカーから声を発した。


【……マスター、これはただの提案ですが】


「なに?」


【今回の件、まとめて私の管轄で扱い、集団クエストに仕立てて良いですか?】


「――それは」


 “ulkdorウルクドア”の管轄、それが意味するのは、この一件を多人数型の【適応称号クエスト】に仕立て上げたいということで、



【ちょうどいい事に、現時点での推定レベルを超えているプレイヤーが多数います。あとトカゲも2匹。多少の情報を出せば、“見せ物”としてもすぐには終わらないでしょう。第一回公式イベントでのゲームバランスをはかるためにも、ここで“試して”みるのが最善かと】



 声は淡々と告げ、運営にも魅力的な餌をぶらさげていく。



【ここで様子をみることが出来れば、公式イベントの前にもう一度、より正確・・な修正パッチがいれられる計算です。ではマスター、gr-blお指示を


「――わかった、許可しよう。情報開示はこちらで用意する。精霊王のステータスはいじるな。彼らがどれだけやれるか、見てみよう。準備とアナウンスが終わるまで、移転してきた精霊王は強制的に閉じこめる」


【的確な判断。さすがは私のマスターです。――追加項目、《獣王》が参加したい、肉の器を寄越せと要求していますが】


「論外」


【了解しました。では、すぐに準備します――ダメだそうです、諦めてください。そのうち、誰かが解放してくれますよ】



 言い含めるように“ulkdorウルクドア”がそう言いながらフェードアウトしていき、祐はため息混じりに顔を上げた。防災頭巾を取り払い、両手を打って指示を飛ばす。


「さあ、情報開示の準備を! あとはこれ以上面倒が起きないように対策をしっかり!」


『はい!』


 所員達の頼もしい返事に頷く祐。そこに、沢渡が思い出したように声をかけた。


「なあ、祐」


「なに? 今忙しいんだけど」


「これ、今回の適応称号、【首狩り狂犬トールダム】って、完全な死にスキルになったんじゃ?」


「……」


「だって、この様子じゃ、精霊王がスキル発動の許可とか今後出しそうにないし。【首狩り狂犬トールダム】って別にソロ専用スキルじゃないけど、あのプレイヤーは子竜も2匹、契約モンスターも多数、で完全なソロ活動ってないから余計に精霊王も許可出さないんじゃ……あ、すいません、黙ります」


「……“ulkdorウルクドア”!」


 沢渡の発言を黙って聞いていた祐の表情がだんだんと険しくなり、最後には般若のような顔になった。

 沢渡は首を縮めて黙り、祐は鋭く【適応称号システム】の担当を呼びつける。



【マスター、弁解といいわけを……本来は私の管轄ですが、アレは全て“meltoaメルトア”が勝手に――そう勝手にやりました。担当精霊王を、安直にプレイヤーの因子の色から決定したのも、名称も、精霊王に「夢の竜と人間の一騎打ちだよ☆」とか言って、今さら不備が出ているのも、全てあのトカゲ娘のせいです】


「“meltoaメルトア”――まったく! 炎はダメだ、火に移せる?」


【さきほど打診しましたが、「首を差し出せとかイメージと合わない。チェンジ」と言われ、拒否されました。最重要項目が達成済みなので、スキル内容は変更がききません。せいぜい、誰の担当かを変えることが出来るくらいですが】


 淡々とした声は静かに続け、


【スキル内容が火属性マルチ強化なので、炎の精霊王か、火。熔は未解放系統ですので除外。後は、どの《原色》も総括する獣王しか枠がありません】


 そう締めくくれば、祐は呻きながら顔を手で覆う。上手くいっているようで、やはり担当外の精霊がやったことには不備が多い。このままでは、【適応称号】自体の問題になってしまう。


「――獣王はなんて?」


【「いいねぇ、首。失敗したら私が首をはねていいんだろう? もちろん歓迎だよ。私情は挟まず、上手くやるよ」だそうです】


 詠唱も、スキル内容も、今更になって変更は利かない。変えられるのはせいぜい担当と、その担当に合わせた詠唱が少しだけ。それ以上の大きな改変は、世界観の維持のためには実行できないのだ。


「やむを得ない――“ulkdorウルクドア”! すぐに詠唱改変、担当の変更を通知! しっかり調整して!」


【はい、同時並行で進めます……私は悪くないんですよ?】


 しっかりといいわけを重ねながら、担当精霊は今度こそ仕事に向かい、スピーカーは沈黙する。


 痛むこめかみを抑えつつ、



「さあ――どれくらい持ちこたえるか」




 ショータイムだ、と。




 運営の悪意が、小さく牙を剥いた。



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