第百十二話・半:頭痛の種(side:原因)

 


第百十二話・半1:頭痛の種(side:原因)




 これは、竜脈へと狛犬達が潜っていき、デラッジが形だけはそれに『吸血鼠ラグ・ラット』をけしかけた後の、ちょっとした話だ。




 哀れにも宙に浮かぶ黒い金属に覆われた、炎の精霊王。それを頂く夜空が、冴え冴えと光る最も美しい時刻。


 雪と灰に埋もれた平原。ニブルヘイムが去ったことで環境魔術は解除され、粉雪は止み、これまでの騒がしさから一転して、世界は静謐せいひつさを取り戻していた。


 かさりとも音の無い世界は、攻略組の大遠征と、ニブルヘイムと狛犬による大呪法のおりのようでもあった。


 野次馬のジャーナリスト達は、とばっちりを避けて被害が無い程度に離れ、そこにはもう、黒飼竜ネロとそれに阻まれて立ち去ることの出来ない〝従魔士テイマー〟達と、レベックとデラッジしか残っていない。


 剣を鞘にしまい、空を見上げたミディアムカットの金髪の青年――レベックは、悪く言えばそんな死臭のする世界に立ち、静かな声で何事かを呟いていた。


「月が出てきた。雲も晴れた。剣はある。腕も、足も痛くない。病気でもない。周りは広い」


「……そうですね」


 不気味そうに、その様子をデラッジは遠巻きに眺めている。どちらも交代で再ログインを終え、制限時間をたっぷりと取り戻した後。レベックは奇妙なまでに先ほどまでの態度を一変し、じっと空に浮かぶ黒い檻を見つめていた。


 冷たささえ孕む青緑の双眸は、まるで檻を見透かし、内部で荒れ狂う炎の化身を見ているようでもあった。


 黒いコートを揺らしつつ、デラッジは慎重に距離を測りながら、一応は休戦と共戦の約束を取り付けたはずの相手を警戒している。先程までとはノリどころか、性格まで違ってしまったように見える相手に対し、デラッジは当然の不信感を抱いていた。


「鎧もある。筋肉は柔らかい、俺の骨は硬い。けれど、どれも鞭のようにしなる」


「……」


 レベックの言葉は、流れる水のようにとめどない。彼の腕は無造作に緩く振られていて、その目には確かに彼が言う通り、夜空に顔を出し始めた月が映る。


 多人数クエスト開始まで、あと数分となった今。突然、がらりと雰囲気を変えたレベックに、デラッジは眉根を寄せるが相槌を打ってもレベックからの返事は無かった。


 返事が無いこと自体は、別にデラッジは気にしてはいなかった。作戦は、決めてはあったから。臨機応変、という便利で雑な作戦名ではあったが、それ以上はいらないだろう。


 そも、デラッジは最大戦力である強力なテイムモンスターを戦力として投入しないという時点で、作戦を立てるなどという言葉は、鼻で笑ってしまうようなものではあった。


 その時点でもう、ほぼレベック一人の戦いに等しいからだ。


 夜空よりも黒いあの竜が動いてくれるのならば、多少は戦いになるのだろうが、デラッジの真価はテイムモンスターとの連携にある。絆も無いモンスターと連携し、現時点で精霊王に勝てると考えるほど、デラッジの頭はパーではない。


 それでも、多少の協力は必要だろうとレベックを見るデラッジは、あることに気が付いた。


「爪は肉を断ち、牙は折れない。剣は鋭く、血にも錆びない。あまねく全ては俺のために。風も水も俺の中に」


 ――レベックが、を、何度も繰り返しているのだということに。


「口も、手も、足も首も、頭もそう、滑らかに動く。空は晴れた。月が見える。剣は鋭く、全てを断つ」


(こいつ、これ――自己暗示か!)


 自己暗示、またはマインドコントロール。一部のスポーツ選手や、芸術家などの者達が、自身の限界を引き上げる際に使われる、能動的な意識と肉体の変革技術。


 小さく驚きを口にして、デラッジはレベックを見る目を改める。デラッジ自身、テイムモンスターがいなくたって、かなりの戦闘能力を持つ方だという自負はあったが、それでもレベックは破格の存在だと認めていた。


 現実リアルでの行いを知っていることも踏まえれば、その戦闘技術は侮れない。けれど、デラッジはこうも考えていた。


 レベックの強さはあくまでも魔術師としてのそれであり、その力が肉体に一切働くことがないVRの中では、むしろ現実よりも圧倒的に弱くなるのではないか? と。


 圧倒的に弱くといっても、一般人の中でランカーを張れる程度には強いことは知っていた。それでも、現実よりかは酷く劣るだろうと思っていた。思っていたが――、


「心は静かだ。怒りは無い、悲しみも無い。他は語るに値しない。俺は視線に身をすくませない。爪も牙も、この身を抉ることはない」


 ただの魔術チート頼りに毛が生えた男だと思っていたが、そうではなかったかもしれないことに思い至り、デラッジは静かに戦慄する。


 こんなのと戦わなきゃいけない未来があること自体、デラッジにとっては悪夢に近い。けれど、世界警察ヴァルカンの雇われじゃないほうのボスは、今回の件に関わったレベックを許さないし、臆さないだろう。いつか、世界警察ヴァルカンの旗の下に、ぶつかる未来が必ず来るのだ。


 自己暗示と簡単に言うが、本来、それはそう簡単に成しえるものでは無い。確かに、多少は効果がある。普通の人間が雑にやっても、効果があるからこそ、ネット上でも話題となることがある小さな魔法だ。


 けれど、それをもっとはっきりと形にする時。本当に価値のある効果を引き出したい時。自己暗示は、高度な技術に早変わりする。


 こと、それが戦闘などという複雑な結果を求めるのならば、思いつき程度の言葉や言い聞かせでは、何の意味も価値も無い。


 しかし、レベックは慣れた様子でそれを続ける。まるで呼吸するように。当たり前のことのように、その言葉を繰り返していく。


「牙を持つ者。恐れ知らず。神討つ者。俺の牙はこのつるぎ――」


 レベックの目は、恐ろしいまでに冷えきって落ち着いている。波紋すらない水面のように、呼吸さえも静かで穏やかだった。


「――雲は晴れた」


 デラッジの視線の先、揺れる右手が、腰に下がる剣を掴む。宙に浮かぶ要塞のような檻が、少しずつ崩れていくのが視界のはしに確かに見えた。

 音は無く、運営からの知らせがメニュー画面に小さく開く。「時間になります。準備してください」と。


 後、数十秒。炎の精霊王が解き放たれ、地上も空も燃やし尽くされるはず。圧倒的な数値の差で、それは全てを吹き飛ばすだろう。デラッジも、そう思ったから、自身の可愛いモンスター達を呼び寄せなかった。


「月も出て来た――」


 けれど、とデラッジは小さく思う。もしかしたら、もしかするかもと。想定外が、起こるかもしれないと。


「やだなぁ……コイツ基準になったら本当にどうするんだろ」


 檻が崩れ、隙間から精霊王の火炎が閃く。


 そんな呟きなど聞こえないというように、レベックは身が切られるような音を立てて剣を抜いた。


 銀色の刀身が、月明かりと、漏れ出る炎に照らされる。それはオレンジ色に閃いて、炎剣のような麗しさ。打ちたてのつるぎのように、赤々と光り輝く。


「――……を殺せ」


 レベックの唇から、呪詛のような重たい声が落ちる。


 彼の唱える〝悪〟はいつも、人々が思う悪ではない。それは、竜のたみを自称する遊伐民ゆうばつみんの言葉。


 人の身でありながら、かつて獣と竜達が定めた決まりごとに従う民が口伝する、人には測れぬ古い言葉を、しかし、レベックは真の意味を知らずに口にする。


 精霊王は羽化するように羽を広げ、地上に敵を探しているようだった。けれど、求める獲物は今は遠く、静けさを保っていた竜を模す炎は、怒りのままに吠え声を上げた。


『あの忌々しいニンゲンをどこにやった! フウウッ! 運営風情が俺を試しに使うなど! おかげで逃げられてしまったではないか!』


 精霊王はまだ気が付かない。その身を、冴え冴えと光る冬の月のような光を孕んで、真っ直ぐに見つめる者の存在に。


 ぐるぐると喉を鳴らすような音を立て、炎塊は火の粉を散らしながら玩具のような翼を動かす。同じく宙に浮かぶ黒い竜が、気怠そうにその顔を上げた。精霊王は身体を震わせ、竜と地面、どれから先に焼いてしまおうかと考える。


「――炎の精霊王!」


 そんな不穏な空を見上げ、レベックは抜き身の剣をぶら下げたまま、空に浮かぶ炎塊の竜に声を張り上げた。


 小さな人間の声に、精霊王は気まぐれで――そう、ほんの気まぐれで下を見た。本来なら、人間風情の呼びかけなど意に介さないが、その日、精霊王は持て余していた怒りをぶつける相手を探していたからだ。


 無関係な、それも精霊王から見ればか弱い人間にそれをぶつける気はなかったが、精霊王は地上を見る。地に立ち、一本の剣を持ち、自身を見上げる人間を見つけ、炎は揺れ動きながら厳かな声で応えた。


『なんだ、ニンゲン。俺は今、腹を立てている。俺は今、むしゃくしゃしているんだ。俺は今、悲しんでもいる。俺のに存在する、真白い牙にかけて言おう。俺はお前たちの想像より慈悲深くはないし、戦い以外をあまり愛さない。――それでもまだ、何か俺に言うことがあるというのか?』


「――向こう?」


 デラッジが怪訝そうにそう繰り返し、レベックは知った顔で目を見開いた。聞き覚えのある古い誓いの言葉を口にするAIなんて、見たことも聞いたこともなかったからだ。


「その言い方、まさか……いや、ある。あります、俺は貴方に言いたいことがある!」


『ならば言え! 名乗りを上げて! 雲は晴れた、月も出ている、お前が牙持つ者ならば! 少しばかりは聞いてやろう。けれど、お前が何も持たない者ならば。礼儀も知らぬというのなら話は別だ。その時は俺がお前を裁く権利を持つだろう!』


 腹の底に響く声で、精霊王はそう叫んで地に降り立つ。灰を撒き上げ、雪を散らし、巨大な竜を模した炎の塊が、レベックの前で高らかに吼えた。ごう、と風を巻いてその吼え声はレベックを打つ。しかし、レベックはすぐに口を開き、怯まず堂々と精霊王につるぎを向けた。


「剣を振るう者の末裔として、貴方に一騎打ちを申し込む! もしも俺が死ねばデラッジはそうは言わないだろうが、それはまた別の話だ。貴方が一対一の戦いを愛するなら、この申し出を受けるべきだ。貴方の牙と翼にかけて!」


 精霊王の空洞のような瞳が黄色く光り、目の前に立つ人間を見据えて言った。小さな翼がはためいて、深く考え込むように頭が傾ぐ。


『……ふむ、道理だ。俺は戦いを愛する。一対一こそ戦いだ。それを愛するなら、確かにお前の言葉が道理だろう。けれど、俺は子猫をいたぶる虎ではない! 俺の牙と翼にかけて言うが――これは正当な戦いにならない。時間がいるだろう。その弱さを憎みはしない。哀れみもしない。悲しむこともない。それは当然のことだからだ。子が育つのに月が何度沈めばよいか、知らぬほど愚かではないからだ。人の子よ、今、この世界では、己は幼子おさなごなのだと知るべきだ。今この時は、その仲間と向かってくるべきだ。それならば俺も全力を出そう』


「――ッ」


 精霊王の言葉を聞いて、レベックはヒュッと鋭く息を吸う。


「俺は子供じゃない! それに貴方は、一対多にいかり、ここまで来たんじゃないのか! 今更なにを否定するんだよ!?」


 ずっと静けさを保っていた青緑の目は燃え上がり、無邪気さも穏やかさもかなぐり捨てて、青年は声を荒げて精霊王に食ってかかった。

 精霊王はただ静かに、緩く炎の尾を振り、それに答える。


『――俺は一対一の戦いを愛する。そう、一対一だ。だけの力のぶつかり合いを愛している。それは数の問題ではない。あの砂竜ニブルヘイムとニンゲンは、合わせて、赤竜トルニトロイよりもはるかに多くをゆうしていた。土台、対等な戦いではない。そこには互いを友と呼ぶ信頼があった。そこには、互いのために行動する勇気があった。対して、一頭だ。勝てるはずがない。先は見えていた。見守りはしたが、俺は初めからあのような戦いは愛さない――見守る価値のある争いではあった。あれは、心とを守るための抵抗だ。あの砂竜には必要なことだった。それは認めよう。だが、あれは戦いではない。俺には愛せない! 愛せないならば、俺がその結末に、文句を言うのは道理だろう!』


 最後はごう! と。はじける炎と共に精霊王がそう吼える。レベックは長々としたその言葉に、すっかり毒気を抜かれた顔で、ぽかんと口を開け、泣きそうな目で、


「わ――わかんないよ! そんな難しい話! 楽しみにしてたのに、戦ってもくれないってことか? なんだよ、そんな、貴方が言ってることの半分もわからない。結局、俺はどうすればいいんだよ! そんな難しい話、困るよ!」


 途端に、精悍な雰囲気は崩れ、レベックは迷子の子供のように地団駄を踏んで、泣き叫ぶように言う。もしも涙がこぼせたならば、ぼろぼろと泣いてしまっていただろう。


「……出番無い上に、最上級の馬鹿のおりとか信じらんない。朝の誕生月占いも馬鹿に出来ないな」


 後ろに立つデラッジは半眼でその様子を眺めていて、ぼそりと低い声でそうぼやく。

 炎の精霊王はその巨体に似合わぬ仕草で、こてりと小さく首を傾げ、次に火の粉を散らして腹のそこから大笑いする。


『はっはははは! ならば、約束をしてやろう。お前が俺と対等になった時が――む、この言い方ではわからぬかな? そうだな、レベルというやつがもっと上がったら、戦ってやろう』


「――レベルいくつ?」


『今から運営にかけあってこよう。レベルいくつでは不正確だからな。ステータスとやらで計れば間違いない。わかるか? ん?』


 まるで本当に子供に言うように、精霊王は身を屈め、その頭を低くしてレベックの顔をのぞきこむ。泣きそうな顔をしたレベックは、しばらくは、ぐずぐずと唇を噛んでいたが、精霊王が辛抱強く待っていると、ようやく納得した様子で頷いた。


「…………わかった。じゃあ、そうする」


『良い子だ。なに、楽しみは後のほうが良い。飢えてこそ満たされるというもの――これもダメか。そうだな、腹がすいていたほうが、メシが美味いだろう。そういうことだ』


 それを見届け、精霊王は次にデラッジへと視線を向ける。デラッジはすぐさまその意味を察し、澄ました顔で両手を上げた。


「僕はね、一緒にしないでほしい。けれど、貴方の言うこともわかるよ。負けて当然の戦いに価値はない。そういうことだろう? 僕も同感だ。このクエストは、人数不足だ。竜と僕を含めても、貴方の求める力量には足りないだろう」


『そういうことだ。なんだ、話のわかるニンゲン共だったか。くだらぬ者なら焼いて帰ろうと思ったが、ふむ、愉快な者と出会えた。怒りが収まったわけではないが、此処を更なる死地にすることもあるまい。この地にも、お前達にも、非は無いのだから。俺は帰る。あのニンゲンを次に見つけた時に、この怒りをぶつけよう』


 そう独り言のように呟いて、精霊王は途端に銀色の炎となって燃え上がっていく。赤い炎が銀に染まっていくたびに、その巨体は削れるように小さくなっていき、最後に小さな笑い声を残して、炎の精霊王は立ち去った。


 後に残ったデラッジとレベックは、互いに顔を見合わせてどちらともなく口を開く。


「……えっと、なんかやることあるんだろ? デラッジは。大丈夫なのか? 出来なきゃ怒られるって……」


「その足りないおつむで悩んでくれなくて結構。怒られるだろうけど、今から此処で暴れたって仕方ないし。あーあ、全くホントに無駄足だった! 最悪!」


「あ、じゃあさ――」


「やだよ。不意打ち以外でお前となんか戦うもんか」


 デラッジの自棄くそな言葉を聞いて、ちょっと悩んでからハッと顔を上げたレベックに、デラッジはすぐさま釘をさす。一に戦い、二に戦い。剣を振って問題を解決しようとする男を睨むデラッジに、レベックは違うよ! と手を振りながらこう言った。


「怒られそうな時は、家出するに限るって言おうとしたんだよ!」


「――――」


 それを聞いたデラッジは、無表情で動きを止めた。その様子にレベックはびくりとし、慌てて言いわけを考え始める。


「……あ、いや。それは俺の場合だけかもしれないけど。その、意外とうまくい――」


「……レベック」


「マジごめ――!」


 両手を顔の前で合わせ、必死に謝罪体勢に入るレベックの肩に衝撃。気が付けばデラッジの腕はレベックの肩に回されていて、無理やりがっしと肩を組んだデラッジは――、


「レベック、君、実は天才なんじゃない? 馬鹿と天才は紙一重って言うしね! いいアイデアだ、そうだよ理不尽に怒られるとわかってて帰る馬鹿がいるか?」


「お、おお? そ、そうだな! よし、じゃあしばらく一緒に行動するか?」


「是非そうしよう――家出だ! はっはははは! こき使いやがって、クソくらえ世界警察ヴァルカン! 動画見てるかい? 見てるよねボス、その他小間使いども! 僕、大型イベント終わるまで家出するから、よろしく!!」


 傍らで小さく羽ばたく、空飛ぶ栗鼠リスにそう手を振って、2人は軽やかな足取りで大地の裂け目に消えていった。




 後に、誰の許可もなく、短期間の間だけギルドや団体から抜ける時に使われるVR用語となる、初めての「家出」の瞬間であった。





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