第九十四話:ソロ作戦:Ω



第九十四話:ソロ作戦:Ωオメガ




 炎が閃き、爆風が風を焼き尽くす中、防炎マントは熱を流して自分の身を熱さから守り通した。

 灼熱に溺れる鎧熊よろいぐまの動きは素早く、半回転しながら着地に成功した自分は、じっとその様子を観察する余裕があった。


「……あの棘は変形するのか」


 たしか、上空から見た時はまだ腹にも棘があったはずだが、今はその腹の棘が平たく伸びてドーム状になり、女を包み込んで巨大なこぶのようになっている。


 あれでは、女にダメージはないだろう。熊の方もじっとしていられるほどの余裕はないのか、自分がスキルを発動する直前に女を腹に隠したと思ったら、図体に似合わない素早さで炎の海と化している場所から転がり出てくる。


 地上でしっかりと見れば、熊は思うよりも巨大だ。立ち上がった状態で3メートルはあるように見える。炎から逃れた熊は腹の膜を変形させ、中からは女が転がり出る。


 自分はざっと女を眺める。薄い茶色の髪と同色の瞳。髪型の名前こそわからないが、髪は短め。少し長い前髪を抑えるために、リンゴの髪留めが1つ。


 服装はいたってシンプル。派手さの無い中半袖のベージュのシャツの上、首や手の甲など、要所にだけ鋼の鎧をつけている。


 シャツと同じく薄茶色のズボンも7分丈。腰には、手にしている剣の鞘が下げられ、それを避けるように反対側には小さなポーチ。


 晩秋の寒さを防いでいるのは首に巻かれた、赤いマフラー。全体的にベージュや白といった落ち着いた色合いに纏まっているファッションの中で、マフラーと、髪飾りの赤だけが際だっている。


「指名手配犯“狛犬”! 『世界警察ヴァルカン:ユウリノ』として討伐します!」


 じっと見ていれば、女は高らかに宣言する。こちらに向かって指を突きつけ、険しい瞳が自分を睨んだ。


 ――世界警察ヴァルカン


 現実リアルにおいても犯罪者の脅威である、そんなご大層な名前の組織が、いつのまにか【あんぐら】にも出来上がっていたらしい。


 ユウリノ、罪の果実、今でいうところのリンゴ。そういえば、ワイバーン男の腰にも、リンゴのアクセサリーがぶら下がっていた。


 目の前の女の髪留めもリンゴ、とくれば、偶然ではないだろう。あれがトレードマークだとすれば、もの凄く胡散臭い団体だ。


 さしずめ、賞金首リストに名前が載っている自分を、討伐しに来たといったところか。


 けれど、今のこの扱いから見るにそう楽観的には捉えられない。目的は自分じゃないことだけは確かだ。いや確かに、目的の一部ではあるようだけれど、人員の割り振りを見るに、ないがしろにされている、と自分は感じた。


 第一、賞金首の討伐のために来たというのに、目の前の熊と女以外は、自分に見向きもしていない。

 地上に2名。上空に3名。それだけで、自分の扱いは目に見えている。目的は上空のほうだろう。ネブラをさらう理由を考えるが、まだ材料が足りなかった。


 何のために、とは思いながらも、目の前の女の目的が自分の討伐というのは間違っていない。そう思えば、着地と同時に面白くない結果を見届け、笑みが消えていた唇が、自然と元の形を取り戻す。


 何か言おうか、と思ったけれど、声を出したら笑い声になりそうで、自分は大人しく微笑みの形をキープする。

 代わりに腰の後ろからは自慢のアドルフのナイフを抜き出して、威嚇するように揺らしてみせた。


 熊の視線は自分の目とナイフに釘付け。その目に走る小さな怯えと諦念が愉快で、ますます自分の笑みは深まる。


 大丈夫。1つ1つ潰していこう。まずは熊。次に女。ギリーと雪花達は自力で頑張ってもらおう。その間に、こちらに見向きもしない上空への切符がやって来る。


 出来れば魔力は温存したい。ナイフだけでしとめられれば花まるだ。


「――しとめなさい! 鎧熊よろいぐま!」


 あの熊は鎧熊、というのかと思いながら、女の宣言を聞いて自分も構える。熊は嫌そうに鼻を鳴らしながらも、覚悟を決めたのだろう。

 自分も静かにアドルフのナイフを構える。


 咆哮ほうこうと共に四つ足の姿勢を取り、次の瞬間、それは鋼色の弾丸となって地面を蹴った。速すぎる。この時点で、契約モンスターではなく、サモン・モンスターの可能性が出てきた。


 通常のプレイヤーもモンスターと契約が出来る、というシステムがある以上、当然ながらゲームとしてモンスターを扱うアビリティとの差別化は必要だ。


 【あんぐら】での差別化は、通常の契約モンスターはステータスが本来のものより大幅に下がる、というものだった。


 だからこそ、自分と雪花はあれだけ楽にグルアの群を倒せたのだ。あれが、野生のグルアだったら、あそこまで簡単にはいくはずもない。夜の草原の覇者の異名は、伊達ではないのだ。


 反面、“サモナー”などの契約は特殊契約と呼ばれ、モンスター側のステータスが下がらない。その上、“サモナー”には契約モンスターのステータスを底上げするスキルが豊富だとか。


 まあ代わりに“サモナー”は、契約しているサモン・モンスターの数だけステータスが低下するらしい。どこかが出れば、どこかが引っ込む良い例だ。


 目の前の熊は確かに珍しく、強力なモンスターだろうが、通常の契約を結べばこんな速度はあり得ないと思う。断言は出来ないが、サモン・モンスターの線を考えるべきだろう。


 女のほうをちらと見れば、その唇が小さく、でも確かに動いている。指示ではない、独り言でもない、魔法系アビリティ特有の口の動きに、ゆったりと目を細めながら突撃してくる熊を待つ。


 詠唱を必要とする魔法系アビリティは、“魔法使い”以外のほぼ全てといっていい。流石に“超能力者”は詠唱が必要なスキルが未発見だが、他は一部や大部分に、詠唱を必要とするアビリティばかりだ。


 もし、目の前の女が“サモナー”で、モンスターを強化する呪文を唱えているなら問題だ。鎧熊は適当にあしらいながら、あの女を倒す方が先決だろう。本当に“サモナー”なら、ステータスも低下しているは――。


『――グオオオ!!』


 まるで、よそ見をするな、というように。女を注視していた自分に、熊が雄叫びをあげながら突っ込んでくる。


 小型の戦車が突っ込んでくる。いや、大型乗用車が猛スピードで突っ込んでくる、といえば、大多数の人にもその体感が伝わるだろうか。


 けれど、現実ならば身がすくむ光景も、慣れが全てをひっくり返す。


「【アルトール】」


 ここ数日で、高速詠唱は板に付いていた。もちろん、今では詠唱文を視界の端に表示する必要もない。唇が覚えた動きを、状況に合わせてなぞるだけ。


 それは、相手の油断を誘い、どの魔術が来るかわからない、という利点を生み出す。


 さきほどは魔力の節約、と思ったが、サモン・モンスターの可能性があるのなら話は違う。油断は命取りになり、女に牙が届く前に、ずたずたにされる可能性だってある。


 分解の魔術によって足下を陥没させるのは、自分の常套手段だ。当然、対策はしているだろうが、ひとまず熊には予想外だったらしい。


 急に崩れた足下に驚きの声を上げながら穴に落ちる熊に向かって、自分はダッシュ。


 熊が穴から這いだしてくる前に、眉間にナイフを叩き込もうと構えるが、直後に思い浮かんだ直感が自分を救った。


 落ちた穴の中で自分を待つ熊。その目。変形する鎧の謎。それら全てを総合して、穴の縁まで後一歩だった自分の身体を全力で斜めにそらす。


 そらし、斜めになった身体の前を、銀色が走った。自分の胸元を切り裂いて、モルガナの一本角のように伸びる、滑らかな鋼の槍。


 傷こそ無いものの、肌が見えるほど派手に切り裂かれたことに思い切り顔をしかめながら、全力でバックしようとする自分の前に、さらなる影が迫ってきていた。


 思ったよりも、それの動きは速かった。伸びた鋼の槍に軽業師のように両足で着地し、女が目前でナイフを構えながらスペルを叫ぶ。


「【鈍足スロウ!】」


 “魔道士”――! 思わず目を見開き、思い至ると同時に、がくん、と全身がこわばる感覚。


 動けないわけではないし、亀ほどの遅さ、というわけではない。もちろん、現実リアルと同じくらいの早さで動くことは出来る。


 出来るが、そんな速度じゃ戦闘にならない。今までの速度よりはるかに落ちる動きが、女の早さについていけない。


 これではナイフをかざすことも間に合わない。


 けれど、唇の動きは鈍っていなかった。思う速度で動かないのは、手足だけ。首と唇は動くとくれば、やることは一つしかない。


 自分の唇はもはや無意識のレベルで動き、ナイフを振り上げ、喉を掻っ切ろうとする女の顔をめがけて、詠唱を叫ぶ。


「“火の精霊よ ともせ”【ファイア】!」


 そう、威力と規模に欠けるくせに、魔力だけはごっそり持っていかれる、魔術師の最終手段。短縮詠唱による、威力よりも速度を意識した奥の手だ。


 しょぼいファイアーボールでも、30センチほどの炎の塊が顔面に迫ってくれば、反射でのけぞらない人間はいない。


 それは当然女もそうで、鋼の槍に着地したまま身を乗り出し、ナイフを振り上げていたが、慌てて仰け反るもかわしきれない。


 まあ、短縮詠唱の【ファイア】で死ぬことはないだろうから、と思いながら先ほどまでのキレは無くとも、後ろに下がった自分の目の前で、信じられないことが起こった。


 顔面に迫るファイアーボールをかわしきれず、唇を噛む女の口が動き、次の瞬間――赤いマフラーが炎を食べた。


「――は?」


 赤いマフラーは軟体動物のように動き、小さな炎の塊を飲み込んだのだ。大口を開けて、ぱっくん、と。


 それがマフラーなどではないことは、誰の目にも明らかだった。炎を取り込み、透き通るゼリーのような質感に変化していく、元マフラー。


 解説してくれる人がいないせいで名前こそわからないが、自分は直感する。あれは、スライムとかいうやつだ。それも、炎に耐性が――いや、おそらくは炎を食べて生きているような。


 自分はめまぐるしく考える。熊は穴から動かない。予想外の展開になったので、主人の指示を待っているのだ。


 女は組み立てていた作戦が失敗し、おそらく切り札として隠していたスライムの存在を晒してしまったことを悔しがっているらしい。


 への字に曲がった唇で、自分をぎりり、と睨んでくる。デバフをかけられたのに追撃がないな、と思い腕を振ってみれば、どうやらあの【鈍足スロウ】というスキルは長続きしないようだ。


 本当に、彼女はあの一瞬にかけていたのだ。あれで失敗したら、次はマフラーに擬態させたスライムによる作戦が控えていたのだろう。けれど、自分の思わぬ動きによってその計画はバレてしまった。


 他に用意していた作戦がないから、動きが止まってしまっている。自分には、そんな風に見えた。予定通りに動けるし、頭が良いから自身で考えたその予定は完璧に近い。


 けれど、失敗してしまえば即興で対応するのを苦手とするタイプ、だと見た。女が次の作戦を考えるその隙に、自分もじっと状況を整理する。


 今の仮定の中で、違和感があったからだ。


 熊の不意打ちは、自分が上空から熊が棘を変形させているところを見ていたから気づくことが出来た。そこから、二段構えの女の動き。


 てっきり、“サモナー”だと思っていた自分は、女の参戦の可能性を放棄していた。剣は飾りで、モンスターを強化して攻撃して来るものと思ったが、彼女のアビリティは“サモナー”ではなく、“魔道士”だった。

 自身に速度系のバフをかけたのだろう女は、自分が反応するより速く目の前に迫っていた。


 そのまま動きを鈍らせるスキルをくらい、自分は咄嗟に短縮詠唱を唱えた。しょぼいファイアーボールが女の顔面に向かい、女の指示によって赤いマフラーは擬態を放棄。短縮詠唱による魔術の炎を、一呑みにした。


 おかしな点がある。


 まず、現時点で。それこそ、ニブルヘイムに乗り込む前に確認していた掲示板では、魔法系アビリティの2重持ちは存在しなかった。


 特に、初期アビリティに関しては、最初に選ぶ以外に習得条件がいっさい不明な上、これに関しては運営側からはっきりと、しばらく初期アビリティの2重取得は出来ない、と発表されている。


 つまり、女が“魔道士”である以上、“サモナー”の可能性だけはないのだ。そうなると、あの熊は通常の契約モンスターかと思うが、ほんの少し手合わせしただけで分かる。


 さっきの動きは、砂竜モドキに似る速さと威力があった。どう考えても、通常の契約をしたモンスターではない。


 契約したモンスターとの契約を解除し、あえて野生のままで従えているのかとも考えたが、戦闘が始まる前、女は熊に小声で話しかけていた。


 契約していないなら意志疎通は出来ないし、もし、モルガナのように人語を喋るのならば、自分の耳が聞き漏らすはずがない。


 けれど、自分が知らない新アビリティに、サモナー系統と同じく、モンスターと特殊契約を結ぶものがあるのなら、話は合う。


 それはそれで、まあいいだろう。新アビリティは毎時間ごとに掲示板を賑わせているし、珍しい、というほどじゃない。


 けれど、それとこれとは話が違う問題が、もう1つある。


 何故、あんなしょぼいファイアーボールを、わざわざ切り札を晒してまで嫌がったのか。


 自動で動くタイプなら納得だ。主人を守るために、機械的に迫る炎を呑み込んで、マフラーに擬態しているのがバレてしまった、ならまだわかる。


 けれど、違う。女は確かに、“指示を出して”炎を防いだのだ。わざわざ、あんな程度の攻撃を、切り札を切って。


 咄嗟に? いやあり得ない。女は一瞬だけ迷っていた。防ぐか、防がないか。けれど、切り札を切ってでも防いだ。



 何故?



辻褄つじつまが合わない」



 何故ってそれは――防がなければ、いけなかったからだ。



 あえて大きめに。女に聞こえるように、はっきりと声に出せば無意識だろうか、女の目元がわずかに震えた。


「なあ、そうだろ? わざわざ隠しておきたいものを使って、あの程度の攻撃を防ぐなんて、辻褄が合わない」


 “魔術師”の短縮詠唱は、一部の掲示板で話題になっている。曰く、しょぼい。曰く、威力ゼロ。曰く、ゴミ。曰く、超土壇場の最終手段。


 誰もが言っているのは、威力がほとんどない、ということ。それは、受けてもかすり傷で済む、という話ではない。同じ使用魔力での通常詠唱と比べれば、“相対的に威力がゼロ”というだけの話だ。


 ようするに、絶望的にコスパが悪い。


 相対的に、というだけあって、直撃すれば体力は予想より減る。チャンス、と思って魔術師に突っ込んでいったら、土壇場で剣士が【ファイア】の短縮詠唱で沈んだ、なんて話があるくらいだ。


 当然、下調べを念入りにしそうな目の前の女が、そんなことも知らないとは考えにくい。


「なんでかは知らないし、断言は出来ないけど、何かの新しいアビリティによって、その熊は動いてる。あと、理由はわからないけど、君の体力はほとんどない」


 ――それこそ、【ファイア】の短縮詠唱1発で沈む可能性を、考えなければならないくらいには。


 そうはっきりと女に言えば、目に見えて女の目元が震えた。途端に隠しきれない焦りが滲む。


「そんなこと……」


 そう反論を迷う振りをしながら、女がじりじりと距離をつめようとするが、そうはいかない。


 “魔道士”のスキルは、相手に近づかないと発動できないたぐいが多い。近づかれるのはごめんこうむると距離を取れば、女はすっと表情を消して腰に下げられた剣を抜き出す。


 退路を断たれ、決死の表情。それに呼応するように鎧熊が穴から飛び出し、主人の前に立ちはだかった。


 伸びる棘は厄介だ。けれど、速度は戻った。気分も上々。色々と裏方も分かってきたところで、こちらも作戦を考える。


 考えなしに【ガル・ブラスト】を連発しては、魔力が切れてお払い箱だ。かわすにしても、棘の精製は思ったよりも速度がある。


 正直、熊を相手にするのは難しい。正真正銘の一対一なら、死に戻り覚悟で戦ってみたいモンスターだが、この後の連戦を考えれば、女を狙い、意欲を削いだ方が良いように思う。


 しかし、女に視線を向ければ熊はわざとらしく吠え声を上げるし、どう見ても女を強く庇っている。信頼があるかないかはわからない。けれど、熊にとって女が死ぬのは不都合らしい。


 モンスターとの絆や合意を、最も大切だとする“サモナー”と差別化するのだから、もっと支配的なアビリティだと自分は思ったのだけど。


 けれど、熊は女を強く庇う。不利益があるからだ。たとえば、女が死ねば、自分も死ぬとか。そうしたら野生のモンスターのように、そうそう復活できないとか。


 悪くない推測じゃないか? と胸の内で笑う。そうしながら作戦をじっくりと考えるも、デバフに注意しながら堂々と女を狙うには、この熊は強すぎる。


 アドルフのナイフをくるりと回し、ゴーレムの鞘に叩き込んだ。代わりに換えがきく方のナイフを抜き出し、またくるりと回して逆手に掴む。


 本当は、真っ向勝負が一番好きなんだけど、騙し討ちも嫌いじゃない。



「仕方ないか――」



 ――α(アルファ――落とし穴)作戦は失敗。


 視線の先、女が剣を旗のように掲げ、鎧熊に“命令”を下す。



「――【服従せよ】! 『鎧熊』、絶対に殺せ!!」



 にやける口元を片手で押さえながら、


 ――ソロ作戦Ωオメガでいこう。


 そう呟き、自分は鋭く地を蹴った。



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