第九十五話: Look at me :Ⅰ



第九十五話:Lookおれ at meみて:Ⅰ




 鎧熊よろいぐまは、かつてないほどの焦燥を感じながら、蒸気による白煙の中を走っていた。筋肉の束である四肢を動かし、地面を蹴り、風のように走る。


 目指すは、ひ弱な主人の元だ。自身を【従属テイム】し、『レッドスライム』をも【従属テイム】し、その魂を〝取り込んだ〟主人の体力は、もはや限界に近かった。


 焦っているのは、あるじに絶対に殺せ、と言われたのに、敵を見失ってしまったからではない。


 主の命令に従えないからゆえの焦燥では、断じて無い。これはもっと、自身に迫る身の危険によるものだった。


 殺せ、と命じられる直前。赤色の人間は――主曰く罪人は、ずっと浮かべていた薄ら笑いを消して、主の隠し事を看破した。


 確証はないと言いつつも、自分の出した結論に満足している様子は、はっきりと見て取れた。そしてそれは実際、的を射ていた。


 赤色の人間の言うことは正しい。主人は、もうほんの少しダメージを受けるだけで、簡単に〈瀕死〉状態になる。鎧熊は、それを心底恐れていた。


 主が瀕死になれば、自分はこの世界で早くとも2年かそこらは、聖地シャルトンにて身体ももらえず、順番待ちの列に延々と並ぶ羽目になる。


 終わらぬ退屈に歯噛みしながら、優先的に肉体を再生してもらえる契約ペットモンスター共を、横目に睨む日々が待っている。


 あそこに放り込まれてしまえば、誰も鎧熊のことなんて見もしない。誰も自身を見てくれない。見つけてくれない。声もかけない。存在しないように、扱われる。


 赤色の人間は鎧熊が思うより賢かったらしい。いや、鎧熊から見れば、あの人間は賢いのではなく、勝つために必要なことだから“考えた”のだろう、と思えた。


 鎧熊からすれば、普通の人間は考えなさすぎる。そう、考えが足りないのだ。事が起こり、その発想は無かった、だとか。思いつかなかった、とか。頭が良い、だの。すごい、などと納得の言葉を並べてみせるが、鎧熊はいつも思う。


 本当に思いつかなかったのか? ただ、考えが足りなかっただけではないのか、と。


 よく考えればわかるはずだ。状況をつぶさに見つめ、きちんと情報を取りこぼさず、もっともっとよく考えたのなら、同じ結論に辿り着いたのではないのか、と。


 未来は見通せない、と人は言う。確かにそうだ。未来は見通せない。けれど、まったく予測が出来ないわけではない。


 そりゃあ、いつ落盤事故が起きるとか、いつ雪崩が起きるとか、自然現象までは予測不可能だ。そういうことは、結局のところ誰にもわからない。神様ぐらいしか知り得ない。


 けれど、感情が絡めば話は違う。人間のやることなら、予測がつく。誰と話した? なんて言ってた? 普段の様子とどう違う?


 時期は、環境は、行動は、表情は、その目は――なんて言ってる?


 全部を知らなくても、人の行動はある程度の予測がつく。本当にその人間に関心を持ち、よく〝見て〟、〝考えれば〟。


 けれど、鎧熊の主人はまだ若い。成人し、まだ5年。それ以上にも、人生経験が多いようには見えなかった。


 いや、人生経験の話ではないのだ。そんなことは、どうにでもなる。若くても、人生を長く過ごしていなくても、考える人間は考えるし、必要なのは、そこじゃない。もっと違う。違うのだ。


 そう、ていに言えば、鎧熊の主人は――〝頭が固い〟。


 知識はある。頭の動きも悪くないから、当然賢い。勉強も出来る、テストも出来る。そつなくこなせる。人格だって悪くない、とてもい人間の部類だろう。良い就職をした。友達もいる。家族仲も悪くない。IQテストだって高得点。けれど、けれども、


 けれども、考えが足らない。


 可能性を理解できない。もしかしたらが理解できない。違う答えがあることを認められない。



 ――だから、赤色の人間の思考を読めないし、鎧熊の考えもわかってくれない。



「こっ、来ないで!」


 全速力で白煙の中を走る鎧熊は、少し離れていた場所にいた主人を見つけて、警告のつもりで吠え声をあげながら走り寄った。


 そう、警告のつもりだった。しかし、ひ弱な主人は悲鳴を上げた。自分が無理矢理従えた負い目があるから、反撃されると思ったのだ。


 全速力で吠え声をあげながら走り寄る鎧熊に、ある意味では当然の反応でもあった。本来なら、あの赤色の人間がおかしいのだ。こんな風に迫られて、悲鳴を上げもせず、身をすくませもしないあの人間が。



 ――でも、主人までもが、そんな反応をするとは思わなかった。



 赤色の人間のめくらましを利用して、主人に“止められる”前なら確かに鎧熊は反撃できる。無理矢理従えられた恨みを、晴らすことが出来る。



 ――絶望にも似た孤独と退屈に、数年間耐える根性があるのならば。



 現に主人は、そう理解したらしい。


 けれど、鎧熊は心のどこかで信じていた。主人は〝頭が固い〟とは思っていたが、主人の周りの他の〝従魔士テイマー〟と比べたら、主人はずいぶんとまともだった。


 モンスターの心を見ず、戦力としてしか考えない〝従魔士テイマー〟なんて、よほどマゾなモンスター以外からは人気がないのは当然だ。



 主人は、自身をよく見てくれている。鎧熊は、そう思っていたのに――。



『ご主人! こっち来い! 逃げるな!』


「来ないでってば! 命令がきけないの!?」


『ご主人――!!』



 鎧熊だけは、あの赤色の人間の考えを読んでいた。


 にやにやと笑っていたのに、人の隠し事を指摘するときだけ無表情で、そのすぐ後にまた楽しそうに笑みを浮かべた人間の考えを、人ではないモンスターである鎧熊だけが、よく理解してしまっていた。


 赤竜と同じだった。赤色の人間は、戦いが楽しいのだ。それも、逆境であれば逆境であるほど良い。


 赤竜はいつもこう言った。打つ手なし、なんてよほどの状況じゃなきゃ言えやしない、と。必ずどこかに道がある、と。難しい問題をクリアするから楽しいのだ、と。


 今回も、同じなのだ。赤色の人間にとって、これは難しい問題だが、解くのが楽しくて仕方がないパズルと同じ。


 だから、赤色の人間が草原を跳ね回り、鎧熊の攻撃を避けながら2つの魔術を展開。蒸気が辺りを埋め尽くす中、そのすぐ後に、敵にまとわりついていた赤い幻精霊が見えなくなり、敵の存在が希薄になった時。


 鎧熊は、かつて赤竜が圧倒的に不利な状況から、アルカリ洞窟群の砂竜を騙し討ちにした作戦を思い出した。


 騙し討ち、そう騙し討ちだ。炎と泉の水の蒸気。その白煙に紛れ、上級隠密スキル:【隠世ハイド】によって存在ごと砂竜から行方を眩ました赤竜は、白煙を警戒し、そこから逃れた瞬間の砂竜の首に上から強烈なキックをお見舞いした。


 衝撃によって岩壁に身体を打ち付け、肋と翼の一部を叩き折られた砂竜の怒りようを思い出して同時に身震いが背筋を襲ったが、身震いの理由はそれだけではなかった。


 同じ状況。似た者が考える、状況の打開策。


 嫌な予感、では済まない条件が揃ってしまっていた。主人は間違いなく、視界を求めて白煙から飛び出すだろう。


 そこを狙い撃ちにされたら、ひとたまりもない。すぐに自身がそばに行き、再び腹の中に隠さなければ、自身もまた、無為の退屈をいられる羽目になる。


 だから鎧熊は、主人の下にひた走った。けれど――



『なあ! 頼むよ――!』


『来ないで! 来な――【服従せよ】! 止まれ!』



 〝従魔士テイマー〟の初期スキル。【従属テイム】したモンスターを〝強制服従〟させるスキルの効果は、無情にも鎧熊の動きを止め、主人のところまで後一歩のところで、その四肢を凍りつかせた。


 目を見開いたまま。スキルを発動することも、喋ることも、動くことさえも許されないままの鎧熊の目の前で、


「――今のはたぶんアンタが悪い」


 どこからか、赤色の人間の冷たい声。続けて乾いた銃声が鳴り響き、主人の身体はあっけなく崩れ落ちた。



 ――そう、主人は、鎧熊のことを、わかってくれていなかったのだ。






















































 水と炎の魔術で煙幕を作るのは、随分と慣れていたから簡単だった。


 初めての戦闘でも思いつきでそうしたし、その次の戦闘でもそうしてみせた。


 【隠密】を手に入れてからは、細かいところでもっと多用したことがある。白煙に紛れ【隠密】を発動し、索敵の範囲外から『デザートウルフ』で、前に出て来ようとしない後衛を狙い撃つのが、Ωオメガ作戦。


 格好良く言ってみると、別名、後衛殺しだ。


 本当は前衛の陰でがんがん大型魔法やら大型魔術やらを撃ち込んでくる後衛が、うざくてうざくて組み立てた作戦だった。


 自分も後衛職の分類ではあるが、どちらかというと死を恐れずに前に出たい派なので、彼らは前衛の剣士とかよりも鬱陶しい存在だったのだ。


 前衛と面と向かって最高の攻防戦をしてる最中に邪魔されたくなかったし、テストプレイヤーの魔法使いとかは、いけるいける、と味方の前衛をガン無視して本当にがんがん大型魔法を連発するので、近寄っても近寄らなくても危ないし。


 そこで登場するのが、我らが愛銃『デザートウルフ(仮)』。


 なんか皆が当たり前のように持っている【索敵:Ⅰ】の範囲外から、〝見習い銃士〟のスキルで狙いを定めれば、あら不思議。


 索敵に引っかからず、【隠密】状態のまま良いように敵が撃ち放題。まあ、当然、1発撃てば【隠密】は解除されるが、その後はもう敵が混乱している間に、詠唱しながらひゃっはーしつつ連射するに限る。これぞ、自動式オートマチックの神髄だ。


 そもそも、テストプレイヤー全員が当たり前のように【索敵:Ⅰ】を持っているのがいけない。


 正規サービスが始まるまで、PK&逆PKパラダイスだったのが災いし、誰もが意図せずともPKプレイヤーの一定数討伐という条件をクリアしてしまっていたのだ。


 おかげで、【隠密】を最大限に利用するには、無言のまま一撃必殺の遠距離攻撃が出来る武器を持っていないと、正直、あまり役に立たない。


 派手に動いてもバレるし、詠唱してもバレる。魔法使いも【索敵:Ⅰ】の範囲外では敵を一撃でしとめるほどの威力を持った魔法はまだ見つかっていないし、きっと見つかる頃には【索敵:Ⅱ】とかが現れて、いたちごっこになるに違いない。


 まあ長々と語ったが、何が言いたいって、それは


「作戦がドハマりして超嬉しい」


 決した勝負にうなだれ、反撃の素振りさえ見せずに落胆した様子を見せる鎧熊を後目しりめに、自分は胸を打ち抜かれて仰向けに転がる女を見下ろした。


 信じられない、と目を見開いている女が口を開き、はくはく、と何回か呼吸を挟んで声を出す。


「そんな、後ろには――いなかったのに」


 女の背後。【索敵:Ⅰ】のギリギリ範囲外で、硝煙をくゆらす自分を見つめ、女は驚きを声に乗せた。


 その反応を見るに、自分が【隠密】スキルを持っていると知る人々が、情報を売ったりしていないことを間接的に知る。


 世界警察ヴァルカンが知らないのなら、きっと誰も知らないに違いない。それならこの作戦は、今回ので広まるだろうから練り直しが必要だな、と自分はちょっとだけ鼻を鳴らす。


 そんな態度の自分に、女は〈瀕死〉状態特有のゆったりとした動きで、今度はその瞳に疑問の色を乗せて問う。


「さっきの、どういう……?」


「さっき? ああ、アンタが悪いって、ほら、あの熊」


「……反逆が重ならなければ……負けたりは」


 まだわかっていないのか、女はくやしそうに唇を噛む。そこまでくると逆に熊が不憫で、自分は思わず、気がつけばいらぬお世話を焼いてしまっていた。


「いやいや、あの熊は、アンタを守るために走ってたんだよ」


「やっぱり土壇場で――え?」


「本当に気づいてなかったの? え、何、そんなにモンスターに不信感を抱くような何かで従えてた?」


「い、いやでも、だって――」


 女は何か、言いたいけれど言ってはいけない、というような表情で一度口を閉じた後、ゆっくりとだが熊を振り返った。


 熊のほうはうなだれたまま、視線だけをよこして女を見る。驚いたことに、その身体は淡く、棘の端から光の粒子となって崩れていっていた。死に戻り特有の、あの光だ。


「死に戻り? てことはやっぱり、アンタが死ねば熊も死ぬのか」


「それは……」


『……て……った』


 困惑する女の言葉を遮って、熊が何かを呻く。死に戻り寸前だからか、その言葉は獣の声に変換されず、そのまま自分と女の耳に届いた。


 ――俺のこと、見てなかったのかよ。


 熊は、そう呟いたのだ。


 うつむき気味に、けれど女の目をじっと見つめながら、熊は続けてこうも言った。


『なんで見てくれなかった。死にたくなかったからずっとご主人をかばってたのに、どうして見ていてくれなかった』


 どうして、助けようとしたことを、信じてくれなかったのか。


 熊の嘆きと責める言葉に、女は静かに息を呑んだ。反撃される。反逆される。そう思って、女は助けるために走り寄る熊を制止させた。


 おそらくはスキルの効果だろうそれは絶大で、熊はその必死さとは裏腹に、ぴたりと動きを停止した。

 主人の命令は遂行された。熊は命令通りに動きを止め、女はその隙に敵に討たれた。


「……ごめん」


 自分の目の前で、転がったまま女の唇がゆるゆると動く。元は真面目で、実直な人物なのだろう。学習性AIの言葉とは侮らず、その言葉には心の底からの後悔があった。


『もういいよ、もう終わりだ、俺はこれから……』


「ッ――どうすればッ!」


 投げやりに腕で顔を覆う熊に、女は追いすがるように叫ぶ。熊は腕の隙間から小さな瞳を覗かせ、なに? と小さな声で言った。



 ここは流石に空気を読んで、大人しくしておこうと成り行きを見守る自分の前で、即興のドラマが繰り広げられる。朶さん、ちゃんと撮影しているだろうか。これ、意外と良いドキュメンタリーだと思うんだけど。


 視聴率とれるぞー、と考える自分の目の前。女の表情が泣き顔に歪み、涙は無くとも涙を誘う声で言う。



「どうすれば――どこに行けば、もう一度一緒にいてくれる?」



 おお、これは熱いラブコールだ、と口笛を吹きたくなる自分を抑え、じっと熊の様子を見る。



 熊は、ゆっくりと腕をおろしながら、まっすぐに女を見た。その目には大半の不信感と、もしかしたら、という小さな希望の光がきらめく。



『――聖地シャルトンで、肉体を待ってる。普通じゃ何年も出られない。身体ももらえないまま、ずっとさまようことになる。けど、それでも』



 それでも、俺を見つけられたなら、またご主人に従っても良い。



「絶対に見つける」



 即答する女に、熊は最後にこうも言った。



『――俺を見て。俺を見つけて』



 無数の見えない魂の中で、俺を見つけて。助け出して。



 ――待ってるから。



 その言葉と共に熊の身体から溢れる淡い光が限界を迎え、一際大きな光が明滅しながら地面に消える。

 竜脈の流れに乗り、おそらくはモンスターの死に戻りの地。〝聖地、シャルトン〟へ。


 女は唇を強く噛み、その最期を見送った。信じられなかったゆえに、手からこぼれ落ちた魂を。


 続けて赤いマフラーに擬態していたスライムからは、機械的に光が抜けたかと思えば、その首からゆるりと落ちていった。


 地面にこぼれ、同じように光は地に消えていく。しかし、明滅したりはせず、そこに意志は感じられない。恐らくは、学習性AIではなく、高性能AIによって動いているモンスターだったのだろう。

 だからこそ、女の指示無く動くはずのなかった存在。


 女はぐっと唇を噛みながら、そのままの姿勢でありがとう、と呟いた。決してこちらを見もしなかったし、微笑みもしなかったが、確かに。


 自分へと向け、「ありがとう」と。最後にもう一度そう呟いて、女は――彼女は、〈瀕死〉状態のままあらがうことなく、死に戻りを選び魂となって地に吸い込まれていった。


 自分は静かにそれを見送り、次にじっと上を見上げる。未だにこちらに見向きもしない彼等を見上げ、反撃のための羽音をしっかりと聞きながら、熊に習ってではないが、自分もそっと――。



「――〝Look at me〟」



 いい加減に、こっち見ろよ。



 そうひとりごちながら、デザートウルフを腰に戻した。



























 そう、後ついでに余談だが、実はこの事件は終わりではなく、始まりだった。いやいや、比喩ではなく、本当に。


 自分の、ほんのちょっとしたお節介。


 これが後々、くそ固い絆とやらで結ばれて、『世界警察ヴァルカン:ユウリノ』として、文字通り世界をまたにかけて自分を散々追っかけ回す、超優秀な警察官コンビ。


 〝上級従魔士グランドテイマー〟〝リリアン〟と、『黒影鎧熊ブルフ・ベア』〝くまさん〟という、最悪な組み合わせを生み出すことになったのである。





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